行為ではなく人格を裁くのか!~河原井・根津「君が代」裁判で不当判決
*左・根津公子さん、右・河原井純子さん
→動画(4分半)
傍聴席からは「不当判決!」の声がひびいた。5月24日、河原井・根津「君が代」裁判(2009年事件)の東京地裁判決(民事19部春名茂裁判長)が出された。二人は、元東京都の教員。「君が代」不起立による6か月停職処分の取り消しと損害賠償を求めていた。判決は、河原井純子さんの処分を取り消したが、根津公子さんの処分は是認。損害賠償は二人とも認めなかった。東京都では、2003年10月23日に「君が代」強制の通達が出されて以来、延べ483名(2018年5月現在)の教職員が卒業式入学式などの不起立で処分されてきた。河原井さん、根津さんは、連続の不起立で、累積加重処分にされ、最も重い6か月停職処分を複数回受けている。
原告の根津さんは「不当な判決にことばも出ない。わたしの行った行為ではなく、人格をさばいている。直ちに控訴する」、河原井さんは「君が代強制以来、教育現場はものが言えなくなった。戦争は教室から始まっている」と語った。傍聴者のKさん(元教員)は、「今日の真の敗者は、東京地裁と日本の司法だ。違法な処分を上書きした。司法は、三権分立を踏みにじって行政の追認機関になっている」と怒りをあらわにした。裁判所前では、春名裁判長を糾弾するシュプレヒコールが続いた。
2012年の最高裁判決では、戒告をこえる超える減給・停職処分は違法とされ、以後処分は取り消されてきた。しかし、根津さんのみ処分是認が続いた。2015年の07年事件高裁判決(須藤典明裁判長)・最高裁決定では、画期的な処分取り消しが出されたものの、2017年の08年事件地裁判決(清水響裁判長)では再び是認された。なぜ、根津さんだけが取り消しの対象にならないのか。今回の判決にも明らかだが、裁判所は過去の処分歴を偏重し、根津さんを学校の規律・秩序を乱す者と決めつけている。不当なレッテル貼りで、法の下の平等を自ら犯す司法を許すことはできない。(佐々木有美)
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2009年「君が代」不起立河原井・根津停職6月処分取消訴訟東京地裁判決――河原井さんの処分は取り消すが、根津の処分は適法とする 損害賠償は認めず
根津公子
すでに佐々木有美さんがレイバーネットに報告してくれたように実にひどい判決でした。
1月10日に行われた尋問(吉原眞一郎都教委人事部服務担当副参事、本人)が終わるや、裁判官3人は法廷を離れ15分後に戻ると春名茂裁判長は突如、判決日を言い渡した。抗議すると、「もう判断はできる」という趣旨のことを言って、退廷してしまった。尋問での証言をもとにした最終準備書面は必要ない、読まなくても判断できるということだったのだ。 尋問のために吉原副参事が提出した陳述書の一部は前年度の担当者の陳述書のコピペであり、2009年にはなかったことをあったかのように書いたものだった。2008年の2~3月私はこのままクビにされるのはたまらないと思い、「私をクビにしないで」と都教委に日参した。それを吉原副参事は2009年も続けたと陳述し、尋問でも、そういう事実が「ありました」と嘘の証言をした。また、私は、都教委が校長に「根津は11月にはいなくなる」(免職)と言ったことや私の業績評価を低く書き換えさせたことなど、音声を添えた証拠を提出していた。それらは、停職6月処分が適法か否かの重要な判断材料となるはずであった。しかし、裁判長はそれらを重視せずに判決を書いたのだ。もちろん、こちらは尋問から浮かび上がったことについて最終準備書面を出したが。
したがって、根津敗訴判決は初めから分かっていた。結論ありきの判決だったのだ。判決を一読して、これは行為をではなく、私の人格を裁いたのだと思った。
2008年停職6月処分を適法とした、地裁判決(2017年5月)も「根津は、あえて勤務時間中に勤務場所における本件トレーナー着用行為を繰り返し」「校長らの警告も無視して本件職務命令が発せられるような状況を自ら作出し・・・着用を続けた。このような一連の根津の言動は、・・・やむをえず不作為を選択したというものではなく、自ら学校の規律や秩序を乱す行為を積極的に行った」と、私が極悪非道なことをしたかのように書き、これを処分を加重してよい「具体的事情」とした。事実は、汚れてもいい作業着として着用しただけの不作為行為であるのに。この判決もひどいと思ったけれど、それに輪をかけたのが今回の判決。 今回はトレーナー着用禁止の職務命令もなく、処分を加重してよい「具体的事情」はなかった。だから、2012年最高裁判決に従えば、処分加重はできないはずである。また、2015年須藤高裁判決・2016年最高裁決定は、「過去に不起立行為以外の非違行為によって3回の懲戒処分と、不起立行為によって3回の懲戒処分とを受け、2回の文書訓告を設けているものの、これらの・・・根津の行為は、既に停職3月とする前回停職処分において考慮されていることや、本件不起立が卒業式での着席(不起立)行為であって、・・・処分を更に加重しなければならない個別具体的事情は見当たらない」として、「過去の処分歴」を「具体的事情」として使い回すことをしなかった。これが最新の決定なのだから、判決はこれを無視してはいけないはずだ。
しかし、2008年事件、2009年事件地裁判決ともに、2016年決定を無視し、「過去の処分歴」を「具体的事情」とした。2008年事件は新たに都教委が作出したトレーナー問題があったが、2009年事件には新たな「具体的事情」はなく、同一の「過去の処分歴」を5度目の「具体的事情」としたのだ。2008年事件で「具体的事情」としたトレーナー問題もそこに加える。「自己の思想及び良心と社会一般の規範等により求められる行為が抵触する場面において、校長の職務命令に違反して、勤務時間中に、『強制反対 日の丸 君が代」または、『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』等と印刷された服を着用するという職務専念義務違反行為に及ぶなど、あえて学校の規律や秩序を乱すような行為を選択して実行したものも含まれており、規律や秩序を害した程度は相応に大きい」と。
判決は続けて、「本件不起立自体は・・・着席したという消極的な行為・・・であること、平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても、過去の処分に係る非違行為の内容及び頻度、重要な学校行事等における教員の職務命令違反であるという・・・諸事情を綜合考慮すれば、・・・具体的事情があったものと認めることができる。」
「過去の処分歴」は私に付いて回る。それは、2009年の私の不起立行為を裁いたのではなく、私の人格、思想を裁き全否定したのだ。
「過去の処分」を「具体的事情」にすることは二重処分だとこちらが主張してきたことについて判決は、「前回の平成20年3月の停職6月の処分を更に加重するものではなく、前回と同じ量定の懲戒処分を科すものであるところ、一般的に、同じ態様の非違行為を繰り返している場合、前回の処分よりも軽い処分とせず、同一の量定の処分を行うことは、公務秩序を乱した職員に対する責任を問うことで、公務秩序を維持するという懲戒処分の意義や効果に照らし不合理であるということはできない。」加重処分ではないと開き直る。
また、「平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても」と言いながら、「同判決は本件とは事案を異にする高裁判決であって」と言い、考慮の跡はない。更には、「同判決も、前回と同一の停職3月の処分を科すことについてはこれを許容する余地があることを前提としているものと解される」と、加重処分ではないことの弁解に都合よく援用する(須藤判決は、前年の停職3月処分が2012年最判で適法と判断されたことを否定できなかった・しなかっただけのことなのだが)。
2008年事件は現在控訴審に係属している。「私はこのトレーナーをずっと着用してきたが、着用禁止の職務命令を出したのは南大沢学園養護学校の尾崎校長だけ」と私が事実を主張してきたことに対し、2004年、2005年度在職した立川二中の福田校長が「根津は一度着てきたが、脱ぐように言ったら脱ぎ、その後、着用することはなかったので職務命令を出さなかったのだ」という主旨の陳述書を提出し、7月12日(予定)に証言台に立つという。在職当時、私にひどい対応をした人ではないのに、そうした普通の人が嘘の証言をする。アベ政治の官僚の小型版を見ているような感覚に陥る。当時の生徒たちが見た事実を書いてくれた陳述書や、同一の図柄のTシャツを着用していた高校教員の証言で被控訴人・都教委の主張の嘘を明らかにし、着用禁止を命じたのは尾崎校長だけであったことを立証し、何としても勝訴したい。でなければ、2009年事件も勝訴にもっていけないもの。
「自己の歴史観や世界観を含む思想等により忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、…日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」と判示し、私の停職6月処分を取り消した2007年事件須藤高裁判決・最高裁決定が出たことの意味は大きい。最悪判決を前に一層そう思う。
*左・根津公子さん、右・河原井純子さん
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傍聴席からは「不当判決!」の声がひびいた。5月24日、河原井・根津「君が代」裁判(2009年事件)の東京地裁判決(民事19部春名茂裁判長)が出された。二人は、元東京都の教員。「君が代」不起立による6か月停職処分の取り消しと損害賠償を求めていた。判決は、河原井純子さんの処分を取り消したが、根津公子さんの処分は是認。損害賠償は二人とも認めなかった。東京都では、2003年10月23日に「君が代」強制の通達が出されて以来、延べ483名(2018年5月現在)の教職員が卒業式入学式などの不起立で処分されてきた。河原井さん、根津さんは、連続の不起立で、累積加重処分にされ、最も重い6か月停職処分を複数回受けている。
原告の根津さんは「不当な判決にことばも出ない。わたしの行った行為ではなく、人格をさばいている。直ちに控訴する」、河原井さんは「君が代強制以来、教育現場はものが言えなくなった。戦争は教室から始まっている」と語った。傍聴者のKさん(元教員)は、「今日の真の敗者は、東京地裁と日本の司法だ。違法な処分を上書きした。司法は、三権分立を踏みにじって行政の追認機関になっている」と怒りをあらわにした。裁判所前では、春名裁判長を糾弾するシュプレヒコールが続いた。
2012年の最高裁判決では、戒告をこえる超える減給・停職処分は違法とされ、以後処分は取り消されてきた。しかし、根津さんのみ処分是認が続いた。2015年の07年事件高裁判決(須藤典明裁判長)・最高裁決定では、画期的な処分取り消しが出されたものの、2017年の08年事件地裁判決(清水響裁判長)では再び是認された。なぜ、根津さんだけが取り消しの対象にならないのか。今回の判決にも明らかだが、裁判所は過去の処分歴を偏重し、根津さんを学校の規律・秩序を乱す者と決めつけている。不当なレッテル貼りで、法の下の平等を自ら犯す司法を許すことはできない。(佐々木有美)
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2009年「君が代」不起立河原井・根津停職6月処分取消訴訟東京地裁判決――河原井さんの処分は取り消すが、根津の処分は適法とする 損害賠償は認めず
根津公子
すでに佐々木有美さんがレイバーネットに報告してくれたように実にひどい判決でした。
1月10日に行われた尋問(吉原眞一郎都教委人事部服務担当副参事、本人)が終わるや、裁判官3人は法廷を離れ15分後に戻ると春名茂裁判長は突如、判決日を言い渡した。抗議すると、「もう判断はできる」という趣旨のことを言って、退廷してしまった。尋問での証言をもとにした最終準備書面は必要ない、読まなくても判断できるということだったのだ。 尋問のために吉原副参事が提出した陳述書の一部は前年度の担当者の陳述書のコピペであり、2009年にはなかったことをあったかのように書いたものだった。2008年の2~3月私はこのままクビにされるのはたまらないと思い、「私をクビにしないで」と都教委に日参した。それを吉原副参事は2009年も続けたと陳述し、尋問でも、そういう事実が「ありました」と嘘の証言をした。また、私は、都教委が校長に「根津は11月にはいなくなる」(免職)と言ったことや私の業績評価を低く書き換えさせたことなど、音声を添えた証拠を提出していた。それらは、停職6月処分が適法か否かの重要な判断材料となるはずであった。しかし、裁判長はそれらを重視せずに判決を書いたのだ。もちろん、こちらは尋問から浮かび上がったことについて最終準備書面を出したが。
したがって、根津敗訴判決は初めから分かっていた。結論ありきの判決だったのだ。判決を一読して、これは行為をではなく、私の人格を裁いたのだと思った。
2008年停職6月処分を適法とした、地裁判決(2017年5月)も「根津は、あえて勤務時間中に勤務場所における本件トレーナー着用行為を繰り返し」「校長らの警告も無視して本件職務命令が発せられるような状況を自ら作出し・・・着用を続けた。このような一連の根津の言動は、・・・やむをえず不作為を選択したというものではなく、自ら学校の規律や秩序を乱す行為を積極的に行った」と、私が極悪非道なことをしたかのように書き、これを処分を加重してよい「具体的事情」とした。事実は、汚れてもいい作業着として着用しただけの不作為行為であるのに。この判決もひどいと思ったけれど、それに輪をかけたのが今回の判決。 今回はトレーナー着用禁止の職務命令もなく、処分を加重してよい「具体的事情」はなかった。だから、2012年最高裁判決に従えば、処分加重はできないはずである。また、2015年須藤高裁判決・2016年最高裁決定は、「過去に不起立行為以外の非違行為によって3回の懲戒処分と、不起立行為によって3回の懲戒処分とを受け、2回の文書訓告を設けているものの、これらの・・・根津の行為は、既に停職3月とする前回停職処分において考慮されていることや、本件不起立が卒業式での着席(不起立)行為であって、・・・処分を更に加重しなければならない個別具体的事情は見当たらない」として、「過去の処分歴」を「具体的事情」として使い回すことをしなかった。これが最新の決定なのだから、判決はこれを無視してはいけないはずだ。
しかし、2008年事件、2009年事件地裁判決ともに、2016年決定を無視し、「過去の処分歴」を「具体的事情」とした。2008年事件は新たに都教委が作出したトレーナー問題があったが、2009年事件には新たな「具体的事情」はなく、同一の「過去の処分歴」を5度目の「具体的事情」としたのだ。2008年事件で「具体的事情」としたトレーナー問題もそこに加える。「自己の思想及び良心と社会一般の規範等により求められる行為が抵触する場面において、校長の職務命令に違反して、勤務時間中に、『強制反対 日の丸 君が代」または、『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』等と印刷された服を着用するという職務専念義務違反行為に及ぶなど、あえて学校の規律や秩序を乱すような行為を選択して実行したものも含まれており、規律や秩序を害した程度は相応に大きい」と。
判決は続けて、「本件不起立自体は・・・着席したという消極的な行為・・・であること、平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても、過去の処分に係る非違行為の内容及び頻度、重要な学校行事等における教員の職務命令違反であるという・・・諸事情を綜合考慮すれば、・・・具体的事情があったものと認めることができる。」
「過去の処分歴」は私に付いて回る。それは、2009年の私の不起立行為を裁いたのではなく、私の人格、思想を裁き全否定したのだ。
「過去の処分」を「具体的事情」にすることは二重処分だとこちらが主張してきたことについて判決は、「前回の平成20年3月の停職6月の処分を更に加重するものではなく、前回と同じ量定の懲戒処分を科すものであるところ、一般的に、同じ態様の非違行為を繰り返している場合、前回の処分よりも軽い処分とせず、同一の量定の処分を行うことは、公務秩序を乱した職員に対する責任を問うことで、公務秩序を維持するという懲戒処分の意義や効果に照らし不合理であるということはできない。」加重処分ではないと開き直る。
また、「平成19年3月30日付停職6月の処分が取り消されていること等を考慮しても」と言いながら、「同判決は本件とは事案を異にする高裁判決であって」と言い、考慮の跡はない。更には、「同判決も、前回と同一の停職3月の処分を科すことについてはこれを許容する余地があることを前提としているものと解される」と、加重処分ではないことの弁解に都合よく援用する(須藤判決は、前年の停職3月処分が2012年最判で適法と判断されたことを否定できなかった・しなかっただけのことなのだが)。
2008年事件は現在控訴審に係属している。「私はこのトレーナーをずっと着用してきたが、着用禁止の職務命令を出したのは南大沢学園養護学校の尾崎校長だけ」と私が事実を主張してきたことに対し、2004年、2005年度在職した立川二中の福田校長が「根津は一度着てきたが、脱ぐように言ったら脱ぎ、その後、着用することはなかったので職務命令を出さなかったのだ」という主旨の陳述書を提出し、7月12日(予定)に証言台に立つという。在職当時、私にひどい対応をした人ではないのに、そうした普通の人が嘘の証言をする。アベ政治の官僚の小型版を見ているような感覚に陥る。当時の生徒たちが見た事実を書いてくれた陳述書や、同一の図柄のTシャツを着用していた高校教員の証言で被控訴人・都教委の主張の嘘を明らかにし、着用禁止を命じたのは尾崎校長だけであったことを立証し、何としても勝訴したい。でなければ、2009年事件も勝訴にもっていけないもの。
「自己の歴史観や世界観を含む思想等により忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、…日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」と判示し、私の停職6月処分を取り消した2007年事件須藤高裁判決・最高裁決定が出たことの意味は大きい。最悪判決を前に一層そう思う。