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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

第7回教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク総会・講演会無事終了しました。

2019-02-02 21:52:39 | 当該から
本日の教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワークに参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

当該として、空野佳弘弁護士の感想を記しました。

空野佳弘弁護士は、資料をもとに、今は西原博史さんの遺言とでもいうべきものになってしまった「意見書」の論旨をわかりやく解説してくださった。裁判所はきわめて真っ当な主張にまったく耳を貸さなかったわけだが、それだけ2012年1月最高裁が減給以上を取り消しにする枠組みは“軽い”ものなのかもしれないと言われた。

また、最高裁ピアノ判決の藤田宙靖裁判官の反対意見に触れられ、「君が代」裁判において、いまだこれを超える見解はないと言われた。

「君が代」裁判に限らず、司法の判断の背景にはいつも世間がある。この「世間」を変えていかない限り「君が代」裁判はまだまだ暗いトンネルの中を通らなれければならないのかもしれない。時代は間違いなく悪い方向に向かっている。そこで「勝つ」つまり多数派になることは容易なことではないだろう。しかし、少数派としてたたかうことの意義もある。「君が代」」裁判はまだまだ続くだろう。私は改めて、その裁判の当該として闘えたことはよかったと思う。

講演の最後にされた話も非常に興味深かった。

90年代半ば頃から進行している、この社会を大きく変えようとする大きな動きのなかで、私たちは「君が代」」の問題も捉える必要があると思っている、と。

1937年に南京に入城した元日本兵士東史郎さんが90年代に日記を公表したが、元上官から訴えられた裁判を担当したことがあった。地裁では敗訴したが、高裁では尋問もあり逆転するのではないかと思っていた。一般的には高裁で尋問をやるということはひっくり返る可能性が大きいのだが、ところが、裁判官が3人とも入れ替わり、結果は地裁と同じく敗訴だった。今考えると明らかに政治的な意思が働いていたに違いない確信している、と。

聞きながら、今も変わらないのかもしれないと思った。

そして、こう言われた、ちょうど、その頃から始まっているように思う。
日本会議の会長職に就いた人で元最高裁長官が2人もいる。驚いた。
いったいこの社会はどこまでいくのか。
1935年に天皇機機関説事件が起こったが、
美濃部達吉に対する攻撃が始まり、わずか2年でそれまで当時の憲法学の代表的な通説であった天皇機関説が不敬罪を問われることとなった。
このように社会は急激に変わるときがある。
しかし、まだ、幸いにも話す自由を完全には封じられていない。
綱引きというのは、力が拮抗している時は動かないが、
それが崩れると、どどっと変わる。それに似た状況がある。
頑張れる時に頑張らないと。

ますます、今という時代の危うさを感じた。「君が代」強制がなんら司法においても問題とならない時代に私たちは生きている。これ以上危険なことはない。

コメント
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