「君が代」調教NO!松田処分取消控訴審結審
判決は7月27日(木)午後2時より高裁法廷84号にて!
いずれ控訴人松田さん、そして弁護団から報告があると思いますが、ここでは、控訴審に提出された意見書を掲載します。
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2023年松田氏控訴理由書に伴う意見書
2023年6月11日
東京経済大学 全学共通教育センター教員 寺中 誠
9つある国連の主要人権条約のうち、世界人権宣言の条約化を担うものとして立案された二つの国際人権規約は、人権の包括的なカタログを示すものである。世界人権宣言とともにこれら二つの国際人権規約は、国際人権章典(International Bill of Rights)の別称で知られている。国際人権規約は、「市民的・政治的権利に関する国際規約」(以下、自由権規約)と「経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約」(以下、社会権規約)からなる。特に自由権規約については、人権条約の履行監視機関として「自由権規約委員会(UN Human Rights Committee)」が設置され、各締約国から国際人権法の専門家(Expert)が個人として任命されている。委員会の主な任務としては、ほぼ5年ごとに予定される各国の人権状況の審査を実施し、人権状況の具体的改善案を総括所見(Concluding Observations)として各締約国に勧告すること、自由権規約の条文の解釈指針をまとめる一般的意見(General Comments)を委員会として審議し、採択することである。
2022年の国連自由権規約委員会による第7回日本政府報告書審査では、日の丸掲揚や君が代斉唱に従わなかった教員が処分された件について、はじめての是正勧告が出された。これに先立つCEART(教員の地位に関するILO-UNESCO合同委員会)の第13回第14回勧告が、日本政府が市民的不服従の自由を行使した教員への処分を行なったことについて懸念と是正を求めたことに相応の注意を払ったものと類推できる。
自由権規約委員会は、これまで毎回提出が遅れがちな日本政府報告書の数回の審査を経て、今回、総括所見において、第38パラグラフと第39パラグラフにおいて、新たにこの日の丸君が代に関わる処分の問題を重要な人権上の課題として取り上げた。今回の総括所見の第37パラグラフまでは、ほぼ前回からの積み残し案件に対して勧告を繰り返したものであったことを考えると、国連の条約機関の認識に新しい視点を加える変化が訪れたことを示していると考えられる。
- 委員会は、締約国における思想及び良心の自由の制限についての報告に懸念をもって留意する。学校の式典において、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することに従わない教員の消極的で非破壊的な行為の結果として、最長で6ヵ月の職務停止処分を受けた者がいることを懸念する。委員会は、さらに、式典の間、児童・生徒らに起立を強いる力が加えられているとの申立てを懸念する。(第18条)
- 締約国は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、また、規約第18条により許容される、限定的に解釈される制限事由を超えて当該自由を制限することのあるいかなる行動も控えるべきである。締約国は、自国の法令及び実務を規約第18条に適合させるべきである
自由権規約第18条は、良心・信教・信条の自由を定めている。人権には、「拷問を受けない権利」や「奴隷的拘束を受けない権利」など、強行規定として絶対的に保障されるものと、表現の自由のように厳格な制約原理に基づいて部分的に限界を認めるものがある。18条1項にある思想・良心の自由は、前者の絶対的自由の典型例であるとされている。内心の自由とも呼ばれることがあるこの自由は、絶対不可侵であり、これに圧力をかけること自体も規約18条2項に規定されるように許されない。国際人権法上は、そうした絶対不可侵の自由を、いかなる緊急事態であっても逸脱不可能な権利として規約第4条に列挙している。なお、多くの学説では、この規約4条の列挙は例示列挙であり、他にも逸脱不可能な権利とされる権利が生じる可能性は認められると解されている。
自由権規約18条1項と2項の思想・良心・内心の自由が絶対的自由としていかなる理由によっても侵害されてはならないことは、すでに自由権規約4条をはじめ、国際人権法上の前提となる常識となっている。そうであれば、内心の自由を絶対的に実現するために、万が一にも内心の自由への介入を許さない、制度的な保障が備えられていなければならない。自由権規約18条2項は「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない」としていかなる強制も禁じている。
その一方で、自由権規約18条3項は「宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、 公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる」と規定する。この3項が適用されるのは「表明」(manifest)の行為のみであり、自らの意思を持って表明する場合のみが対象である。何らかの強制を加えることは2項で絶対的に禁止されているにもかかわらず、3項が一見権利制約を認めるかのような記載となっている点は、本来、18条の3項が、強行規定としての絶対的自由である18条1項と2項を制度的に担保するための規定として解釈すべきである。
現実の社会では、しばしば事実上の強制が機能する場合がある。18条2項が禁じているとしても、何らかの理由で内心の意思の表明が不可避的に行われてしまった場合、内心の自由への介入を手続き的に制約するのが18条3項に規定された原理である。この点は、表現の自由への制約も含めて規定されている自由権規約19条の趣旨とは意義が異なる。
表現の自由は、極めて重要な精神的自由の根幹ではあるものの厳格な基準に照らして制約し得る権利であると考えられている。この権利制約の原理については、自由権規約委員会一般的意見34号の第22パラグラフなどに指摘されるように、自由権規約19条3項にある条件をすべてクリアしなければならない。
自由権規約委員会の一般的意見34号の22パラグラフは、以下のような解釈指針を提示している。
「22. (規約19条の)第3項は一定の条件を定めており,この条件を満たす場合に限り制限を課すことができる:その制限は「法律によって定められ」るものでなければならず;第3項(a)号及び(b)号規定のいずれかの根拠がある場合に限り課すことができ;必要性と比例性の厳格な基準に適合しなければならない。制限は,たとえそれが規約で保護されている別の権利の制限根拠として正当化されるものであっても,第3項に規定されていないものを根拠としては認められない。制限は,所定の目的のためにのみ適用され,かつ,制限の前提となる具体的な必要性事由に直接関連するものでなければならない。」
一般的な権利制約原理であるが、これはもともと制約することが可能とされている表現の自由に関する制約である。いわゆる「二重の基準論」にいう「厳格な審査基準」が適用されるべき状況を想定している。
絶対的自由である内心の自由を中核とする精神的自由は、表現の自由や言論の自由、プライバシーの権利などを包括する権利である。そのため極めて厳格な審査基準をクリアしなければ制約することができない。日本の司法ではしばしば公共の福祉の名の下にこれを一般的に制約できるかのような扱いが見られるが、国際的にはこうした一般的な制約は否定されており、また日本における公共の福祉の概念自体も、「曖昧で無限定であり」、国際基準に則った「法律によって定められ」たものとは評価されていない。この点は、自由権規約委員会が日本政府報告書の審査に際して以前から指摘しているところであり、2014年の第6回審査と2022年の第7回審査の総括所見など再三にわたって以下のような記述が見られる。
2014年総括所見
- 委員会は、「公共の福祉」の概念が曖昧かつ無限定であり、かつ、規約(第2条、第18 条及び第19条)の下で許容される制約を超える制限を許容する可能性があることについて、繰り返し懸念を表明する。
委員会は、前回の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/5、para.10)を想起し、かつ、締約国に対して、規約第 18条第3項及び第19条に定める厳格な要件を満たさない限り、思想、良心、宗教の自由又は表現の自由を享受する権利に対して、いかなる制限も課すことを差し控えるよう、強く求める。
2022年総括所見
- 委員会は、思想、良心及び宗教の自由あるいは表現の自由の権利の制限につながり得る「公共の福祉」の曖昧で無限定な概念、並びに特定秘密保護法における秘密として分類され得る事項が広範であること及び分類の一般的前提条件についての前回の懸念を再度表明する。
各総括所見とも、日本の憲法上の「公共の福祉」概念では、「曖昧で無限定」であるため、権利制約原理における前提である「法律による制約(法定主義)」を満たしていないと厳しく批判している。
この点は、18条3項も19条3項も同様の制約原理が適用される。18条3項と19条3項は、前者が絶対的自由への侵害を禁止する上での権利保障措置として規定されているのに対して、後者はあらかじめ権利が制約される可能性を含めて規定されている。しかし、ともに厳格な審査基準による判断を要するため、法定主義については、現在の日本の司法審査の基準は国際的な基準に達していないことを明示している。
直接的に内心の自由の表明を強制することはもちろん規約18条2項で禁止されているが、状況や間接的な事情によって内心の自由の表明を余儀なくされた場合、規約18条3項の制約原理に照らして、その表明行為に対する処分の正当性、必要性を判断することになる。法定主義を満たしていない時点で、すでに表明行為への処分は国際的基準の上では正当性を失っているが、さらにその表明行為が公共の安全や公の秩序を必要以上に害することを説明できない以上、表明行為への処分はまったく正当化できない。自由権規約委員会の2022年の総括所見は第38パラグラフで、表明行為自体が比例の原則を越えて過度な制限効果を与えていることに懸念を表明し、第39パラグラフにおいて、そのような処分の根拠の不存在を指摘することで、日の丸掲揚と君が代斉唱時の教育委員会の指示への不服従を処分することの不当性を指摘しているものである。
本件は、権利制約の基本的な前提である法律にすら基づかず、一般的な意味しか持たない条例や、一介の通達により処分を行った事例である。権利制約を正当化する最初の前提である法定主義も満たしていない。さらに、被処分者の側にはそもそも公共の安全や公の秩序を破壊する行動すら一切存在しないなど、いかなる意味においても権利の制約の要件を満たしていない。自由権規約委員会は、そうした事情を踏まえた上で、日本が権利制約原理の基本を無視して条例や10.23通達にもとづいて権利侵害を行っていることを重大な懸念と捉えた(第38パラグラフ)。さらに、思想・良心の自由の絶対性を踏まえ、国際人権法は、良心的な理由に基づいた不服従には特に強い保護を与えていることを明らかにし、国内の制度的整備を強く勧告したものである(第39パラグラフ)。
自由権規約委員会をはじめとした各条約機関の示す勧告は、条約の履行の一部を構成するものであり、日本国憲法第98条第2項にもとづいて、日本国政府ならびに地方公共団体や他の公共的機関には、誠実にこれを遵守する義務がある。2022年に発表された自由権規約委員会総括所見の第38パラグラフと第39パラグラフは、「思想・良心・内心の自由」を保障する義務からは、日本の当局は逃れられないことを示し、国内法制度を国際人権の水準に合致させるよう改善することを求めている。