※本日、下村博文文部科学大臣は、朝鮮学校には高校授業料の実質無償化を適用しないと明言しました。現場の一教員として、下村文科相が述べた方針は到底受け入れがたいと考えます。それは明らかな差別であり、そして文科相の言葉であるだけに、子どもたちや社会にますます差別感情を煽ることになると思われるからです。辻谷博子
授業料無償化 朝鮮学校は対象にせず 下村文科相明言
→それを民族差別と言うのです
<下村文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、高校の授業料の実質無償化について、「現時点で朝鮮学校を対象に加えることは、国民の理解が得られない」と述べ、朝鮮学校は無償化の対象に加えない方針を明らかにしました。>
→どうして都合のいい時だけ「国民の理解」持ち出すのでしょう。そんな詭弁は止めてください。朝鮮学校への高校授業料実質無償化適用は、多数の支持が得られるから実施するという類の問題ではありません。授業料無償化の精神は、ひとしく日本社会に生きる子どもたちに高等教育を保障することにあるはずです。
<高校の授業料の実質無償化は、平成22年度から実施されていますが、朝鮮学校は、日本と北朝鮮に国交がないことなどを理由に対象から外れ、その後、文部科学省は、一定の審査基準を満たせば対象とする方針を示し、審査の手続きが行われていました。
これについて、下村文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、「朝鮮学校については、拉致問題の進展がないことや、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容などに影響が及んでいることから、現時点で無償化の対象に加えることは、国民の理解が得られない」と述べ、朝鮮学校は無償化の対象に加えない方針を明らかにしました。>
→子どもへの教育の権利を保障する一環として行われている「無償化」であるならば、政治や外交の問題を持ち出すのは論外、筋違いも甚だしいと言わざるを得ません。国交がないのは国家間の外交上の問題であり、いわば両国家の責任です。それを理由として、無償化適用から外せば、その被害は朝鮮学校の高校生におよびます。拉致問題の進展がないのは、朝鮮学校の子どもたちの責任ですか。国家の責任、政治の責任をなぜ子どもたちが被らなけらばならないのか理解に苦しみます。子どもに責任を転嫁するがごとき政策は止めるべきです。国家の責任を棚上げし、それを理由に朝鮮学校すなわち民族教育を否定するかのごとき政策は許されるものではありません。
<そのうえで下村大臣は、「安倍総理大臣からは、『その方向でしっかりと進めてほしい』という指示があった。子どもに罪はなく、民族差別をするわけではないので、今後、拉致問題の進展や国交の回復など、一定の問題がクリアされれば、無償化の対象に加えるかどうか検討することになる」と述べました>
→「子どもに罪はなく」はあたり前のことではありませんか。そしてそう思うなら、当然、朝鮮学校に無償化を適用をするべきです。そして、なにより問題だと思ったのは、「民族差別をするわけではない」というくだりです。朝鮮学校だけを排除する、しかも、その理由は国交がないこと、拉致問題の進展がないこと。これはれっきとした差別です。いじめたわけではない、差別をするわけではない、それで通るなら、この世に差別などないことになってしまいます。現場の一教員として文部科学大臣という公的な立場が行う民族差別を見過ごすことはできません。
菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「閣僚懇談会で、下村文部科学大臣から、朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり、拉致問題の解決に向けた進展が見られないなかで、高校授業料の実質無償化の対象にすることは、現時点で国民の理解が得られないという提案があった。これを受けて、安倍総理大臣が、対象にしない方向でしっかりと対応するよう指示したもので、これは政府全体の方針だ」と述べました。
→繰り返し言います。下村文科相や安倍総理の方針は「民族差別」です。その方針のもとで人権教育などできるわけがありません。再考を促します。