※ZAZAの一員山田肇さんの映画案内です。ご覧ください。
なお、双葉町の井戸川克隆町長は12月10日、双葉地方町村会の会長を辞任。
「中間貯蔵施設」の現地調査受け入れ協議の会議を欠席したことで辞任を求められたことが契機となっているようです。
しかし、井戸川克隆町長は「生涯、中間貯蔵施設を受け入れることはない」と断言しています。
映画「フタバから遠くはなれて」の案内
この映画は十三のシアターセブンで、年末までやっています。
朝日新聞の「プロメテウスの火」に、連載されていた井戸川克隆町長も、この映画に登場されます。
10/25の朝日新聞の「論断時評」に高橋源一郎さんが、次のように書いています。
「最初は、政治家たちに『原発立地』の立場から弱々しくお願いするだけだった町長は、
やがてこの国の正体に気づき、変貌していく。」と書いています。
「同時に発売された単行本=『フタバから遠く離れて』の中で・・
こんな事態に陥ったのは、物事の隠蔽を可能にさせている国民性であると述べた町長は、
最後『民主主義とは何か』という問いに、こう答える。
『代務者、代議員にすべてを任せるのとは違う・・・
任せられる者と任せる者との信頼関係の下に隠蔽や偽りがない代務を行うことを原則として、
任せられた者は任せた者の意向を勝手にできない約束ができていることが大切です。
・・・〈信頼〉に大きな権限を与え、代務者に資格基準を求め、
品性、品格、正義がなければならない。」
「故郷を失った、小さな、東北の町の長の口から、民主主義に関するもっとも深い考察が語られている。」
橋下徹氏に聞かせたいことばです。
私は、一つも橋下氏に任せてはいないけれど、投票した人は、君にすべて「白紙委任」なんか、してないよ。
公務員や教師を敵にしてバッシングしたり、質問しただけの毎日放送の斉加記者を一方的に
「勉強してから来い」とののしる、そういう「品性、品格」では、長たる「資格基準」から大きくはずれている。
もちろん「正義」なんてものは、かけらも、持ち合わせていない。
井戸川克隆町長のことばを写しながら、対極に橋下氏が浮かんできて、書きましたが、映画の紹介をしようとしたのでした。
「原発事故によって福島の人たちの多くは避難生活を強いられた。
中でも、双葉町民は、遥か『遠く』、約200km離れた埼玉県の廃校にその居を移した。
それから1年半以上、いまも一部の人たちは、そこに住み続けている。
『難民』は『遠い』世界にの出来事ではなく、ぼくたちの国の中に存在しているのだ。」
(「 」の中は、すべて、10/25の朝日新聞の「論断時評」、高橋源一郎さんの文)
ぜひ、時間を見つけて、映画を見に行きましょう。