ZAZAの奥野泰孝さんの投稿がクリスチャン新聞2022年2月6日号に掲載されました。
続く「君が代」強制との闘いと展望
奥野泰孝(芦屋福音教会会員 大阪府立支援学校教員)
昨年、大阪の元府立高校教員の「再任用拒否国賠訴訟」の控訴審で勝利判決が出た。「君が代」処分と闘っている者にとって朗報であった。
原告の梅原さんは、大阪府国旗国歌条例下、「君が代」不起立で2度の戒告処分を受け、2017年3月の定年退職を前に再任用を申請した(まだ年金を受け取れる年齢ではなかった)。しかし再任用拒否。その理由は、府教委の「国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令に従いますか」との意向確認に「答えられない」と返答したから。大阪では生徒に「面接時、思想・良心に関するような質問には答えないように」と指導してきた。府商工労働部は「その意向確認は違反質問に当たる」と指摘した。府は翌年の意向確認で、「起立斉唱を含む」を付けず「職務命令に従いますか」と聞く。おかげで、戒告2回、減給1回の私は、再任用された。府が最高裁上告したのは、逆転できると考えてだろうか。意向確認は現代の踏み絵。これまで最高裁は、処分は重過ぎるという判断はしても、「君が代」強制が、憲法19条、憲法20条の憲法違反かの判断は避けたままである。
大阪府の国旗国歌条例は2011年6月に府議会を通った。東日本大震災の年。その春に府会議員の過半数が大阪維新になり、その数で条例は通った。大惨事のあと社会が恐れの空気に包まれ感情に訴えかける発言が大きな影響を持っていた時だった。2013~15年の大阪府の中原徹教育長(弁護士)は、斉唱時に教員の口元チェックをするように校長に指示を出した。彼が府立高校の校長だった時(2010~12年)ブログで卒業生が「教員を目指しているがクリスチャンだから君が代を歌えない、どうしたらいいですか」と相談すると「公立学校は諦めなさい。私学に行けばいい」という主旨の返答をしていた。
「君が代」起立斉唱強制は、天皇制の問題である。日本は、戦争放棄し、天皇の軍隊の解体し、天皇の統帥権などを無くしたが、天皇制は残した。天皇制は心の宗教的支配だ。その牙を抜くために、憲法20条 信教の自由があるのだろうが、権力がこれは宗教ではないと言って押し付けたのが戦争中。そして、「国難」だからと民衆に一致を求め、宗教的熱意によって自発的に従うようにするのが恐ろしい手口。過去に世界にそういう例がある。戦争中、国は国家神道は宗教ではなく、日本国民なら神社参拝も宮城遥拝も当たり前とした。多くの人がそのことに気が付かないか、気が付かないふりをした。
「君が代」裁判では起立斉唱が「慣例上の儀礼的所作」だから強制ではないという論法が通っているが、信教の自由を侵害する所作が今も許されるのは悪霊による儀礼的所作であるからと言えるのではないか。
私はキリストを信じる者として、天皇制の強制に抵抗するが、天皇制の強制は、あらゆる人権侵害を許す温床になっているのではないか。「国民」の一致による天皇制が優先され、信教の自由、思想良心の自由より優先。そして、介助より起立斉唱、教育より起立斉唱と思考停止へと追いやられる。人は疲れや恐怖にある時、思考停止する。今、コロナ禍で、悪霊はその恐怖を利用し、人を闇に引き込もうとしているのではないか。「忍耐の時」「一致して闘おう」という言い方と感染者差別と分断は、戦争中を思いださせないだろうか。クリスチャンは一人一人が神と向き合うことが大事だと思う。思考と祈りを止めてはならないと思う。
年々「不起立」の教職員は減ってきたが、被処分者の闘いは続いている。起立斉唱の強制が無くなるように、「信教の自由」が守られるように声を上げ、闘い続けることを諦めない。私は闘い続けることが勝利だと信じ祈っている。
*1月24日大阪府教育長は関係府立学校教職員充てに「令和4年度入学式における国歌斉唱について」を通達した。条例に基づき、入学式においてすべての教職員に国歌を起立斉唱するよう求めた。
奥野氏は「通達では、学習指導要領の『国を愛する心』『日本人としての自覚』について学習指導要領を根拠としているが、特別活動の卒・入学式の項の本文にはない。これを支持(黙認)する人々が多いのが残念」とコメントした。