あるMLに投稿されていた文章がなかなか興味深く、「対話」について考えさせられました。投稿された東本高志さまの了承のもと、ここに掲載させていただきます。
異なる立場の者が、それぞれの考え方を尊重しつつ共存を目指して行くにはどうすればいいのだろうか、―常に私たちの運動の中で意識させられるところです。そもそも、子ども、保護者、教員という立場からして、その利害関係は一定ではないのですから。
あるテーマについても賛成か反対という二元論を越え、まずは相手を理解しようとすることが重要なのかもしれません。
丸山眞男と澤藤統一郎さん(弁護士)の「福沢諭吉」論――
赤穂浪士は義か不義か。「義不義、口の先で自由自在」の解釈に関して
一昨日の12月14日はあの『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士の討ち入りの日でした。ただし、討ち入りは、現在の時刻では12月15日の未明午前4時頃のことであったらしいので310年前(1703年)の12月15日、すなわち昨日のことだったといえなくもありません。
そういうことはともかく、弁護士の澤藤統一郎さんが自身のブログ『澤藤統一郎の憲法日記』に12月14日付けで「赤穂浪士討ち入りと福沢諭吉」という記事を書いていて、そのなかに次のようなくだりがあります。
「このことに関して、「福翁自伝」の一節を思い出す。緒方洪庵塾の熟生時代の叙述として次のくだりがある。
「例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私は『どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦しくない』と言って、敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというくらいな、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赧らめて如何(どう)あっても 是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論をしたことは決してない。」
ずいぶんと昔にこの文章に接して、福沢諭吉という人物のイメージを固めてしまった。これが彼の本性なのだと、今でも思い込んでいる。彼にとっては、諸事万端が「本当に顔を赧らめてどうあっても是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論」の対象ではないのだ。「どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い。さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白い」というくらいな議論でしかないのだ。
こういう人の言っていることは怪しい。言ってることは本音ではない。ホンネは計り知れない。ホンネが分からないから、言っていることに信が措けない。そう思って以来、諭吉の言っていることすべてが、信用できないつまらない義論ではないか。」
http://article9.jp/wordpress/?p=1698
なるほど。弁護士の澤藤さんらしい正義感に燃えた解釈だな。まことに世間を見渡しても「中立」主義者は決して少なくない。しかし、その実は、自身の身すぎ世すぎ、世渡りのための「中立」主義。すなわち、たんなる日和見主義であることが多い。そうであればたしかに「こういう人の言っていることは」「信用できない」。と、一旦はそう思いました。
しかし、丸山眞男の福沢諭吉評価はどうなのだろう? 丸山眞男は晩年にライフワークとして福沢の『「文明論之概略」を読む』(上中下)(岩波新書、1986年)を著したほどの福沢好きだ。丸山ほどの知識人が澤藤さんが解釈する『福翁自伝』の「赤穂義士」議論程度の福沢を評価するはずがない。そう思って、丸山は福沢の「赤穂義士」議論をどのように解釈しているか。パソコンで検索を懸けて少し調べてみました(こういうとき、パソコンの検索エンジンは便利です。図書館で調べる手間が省けます)。
と、うまい具合に丸山の福沢の「赤穂義士」議論の解釈を紹介しているブログ記事に遭遇しました。そのブログ記事によれば、丸山はまず一般論として福沢を次のように評価しています。
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-c94a.html
「福沢から単なる欧化主義乃至天賦人権論者を引出すのが誤謬であるならば、他方、国権主義者こそ彼の本質であり、文明論や自由論はもっぱら国権論の手段としての意義しかないという見方もまた彼の条件的発言を絶対視している点で前者と同じ誤謬に陥ったものといわねばならぬ。文明は国家を超えるにも拘らず国家の手段となり、国家は文明を手段とするにも拘らずつねに文明によって超越せられる。この相互性を不断に意識しつつ福沢はその時の歴史的状況に従って、或は前者の面を或は後者の面を強調したのである。要するに、こうした例に共通して見られる議論の「使い分け」が甚だしく福沢の思想の全面的把握を困難にしているのであるが、まさにそこにこそ福沢の本来の面目はあった。彼はあらゆる立論をば、一定の特殊的状況における遠近法的認識として意識したればこそ、いかなるテーゼにも絶対的無条件的妥当性を拒み、読者に対しても、自己のパースペクティヴの背後に、なお他のパースペクティヴを可能ならしめる様な無限の奥行を持った客観的存在の世界が横わっていることをつねに暗示しようとしたのである」(「福沢諭吉の哲学」80ページ)。
次にこのブログ主宰者の解説を交えての丸山の福沢の「赤穂義士」議論解釈。
「むかし、『福翁自伝』を読んだとき、たとえば適塾で、赤穂浪士は義か不義か、なんてたわいない議論をする場面、福沢は「お前が義だと言うならおれは不義だと言う、お前が不義だと言うならおれは義にしてみせる、さあ、かかってきやがれ!」なんてことをやっているのが印象に残った。別にディベートの訓練なんてつまらん次元のことではない。ある一つの立論があるとして、それとは異なる立場にもそれなりに筋の通った理由があり得る、そうした配慮があってはじめて対話というものが成立する。このあたりのことを丸山は役割意識という表現で語っている。
「・・・人生は、そこで大勢の人が芝居をしているかぎり、大事なことは、自分だけでなくて、みんながある役割を演 じている以上、自分だけでなく、他者の役割を理解するという問題が起こってくるということです。理解するというのは、賛成するとか反対するとかいうこととは、ぜんぜん別のことです。他者の役割を理解しなければ、世の中そのものが成り立たない」(「福沢諭吉の人と思想」196ページ)。」
澤藤さん
福沢の議論は、「諸事万端が『本当に顔を赧らめてどうあっても是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論』の対象ではない」と思っているのではなく、すなわち、日和見主義者の世渡りの術ではなく、『ものろぎや・そりてえる』のブログ主宰者が解説しているように「ある一つの立論があるとして、それとは異なる立場にもそれなりに筋の通った理由があり得る、そうした配慮があってはじめて対話というものが成立する」。すなわち、「役割意識」の重要性、ということを言っているのではないでしょうか?
ここは澤藤さんの母校の先輩でもある丸山眞男の「福沢諭吉」評価、わが国の戦後民主主義思想をリードしてきた大先達としての丸山眞男の眼識力を尊重するべきではないか、と私は思います。