※いつも有益な情報を提供してくださる秋原葉月さんのブログAfternoon Cafeから掲載させていただきました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1096.html
2012年版自民党憲法改正案批判~(1)国民主権
しかし、現在、憲法を改正しなければならない事情など何もありません。
むしろ憲法に定めてある精神的自由権や、生存権(原発事故被害者、被災者の問題、生活保護の問題)、社会権(労働基本権、ブラック企業の問題)が侵害されまくっている状態。
なので今求められているのは憲法改正などではなく、憲法の精神に沿って憲法を実現することです。
ですから、自民党やみんなの党や日本王政復古党が選挙の争点に改憲を出してくることがそもそも大間違いなのだ、ということを再度強調しておきたいと思います。
●憲法は変える必要がないというだけではなく、今だからこそ変えてはいけない
それでもごり押ししたくて仕方がない自民党の憲法改正案を見ておきましょう。
何度か書いてきたことですが、もう一度確認しておきましょう。
憲法は、改正できるといっても無限に改正できるわけではありません、限界があります。
「改正」とは憲法としての同一性を保つ範囲内で変更がなされることです。
憲法の基本原理、生命的部分を否定するような変更は憲法として同一性を失わせ、憲法が自分で自分を否定することになるので、もはや「改正」ではなく「破壊」なのです。
では、日本国憲法の基本原理、生命的部分は何でしょうか。
言わずと知れた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」です。
自民の改憲案を何故「壊憲」と書くかというと、この基本原理三つともを否定する内容となっているからです。
憲法がどういうときに破壊されるのかと言えば、革命やクーデタ-、国家転覆ですね。
つまり、自民党の壊憲案は国家転覆にも等しいのです。
ちなみに、自民党の改憲案と現行憲法を比較したサイトがありますので、こちらを是非参照してみてください。。
●『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
こちらで2005年版と2012年版の比較も出来ます。
まず、憲法前文は、天皇を頂点とした戦前の国家観家族観を彷彿とさせる書き出しになっています。
そして戦前のファシズムへの反省からこの憲法が生まれたことを綺麗に削除。「幾多の大災害を乗り越えて発展し」の自画自賛はショックドクトリン政策を思うと偽善的ですらあります。
「活力ある経済活動で国を成長」も今の搾取、格差社会の現状からすれば、タダの守銭奴国の匂いしかしてきません。
憲法の最高法規性と基本的人権の普遍性を謳った97条を丸ごと削除に至っては、人類が勝ち取ってきた崇高な人権尊重の理念に対する憎悪と敵意すら感じます。
また基本的人権に対する制約が「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に変わったのは看過できません。これでは国やマジョリティの名の下にいくらでも人権制限でき、大日本帝国憲法の「臣民の権利は法律の定める範囲内で認める」というのと実質変わらなくなります。(基本的人権の尊重原理の否定)
「国民主権」という文言はアリバイ作りのようにいれてるものの、天皇を元首と仰ぎ日の丸君が代の規定をセットでもってくる価値観からして、国民主権など単に選挙権があると言う意味だけの「お飾り」に過ぎなくなります(国民主権の否定)。
そもそも憲法は国家権力を縛るために国民が国家に突きつけるもの。
それなのに国旗国歌の規定をいれたり国民に遵守義務を課したりするのは、近代民主主義国家の原則である立憲主義すらわかっていないという超低脳ぶり。はっきりいって世界に恥をさらしています。
前文からファシズム、戦争への反省を削除して平和主義が消え、ためらいなく軍隊創設を謳っています(平和主義の否定)
ざっと見ても、言語道断です。
これらの批判は自民党の改憲案2005年版でもしましたが、2012年はこれより更にぶち壊しっぷりがパワーアップされています。こんな近代民主主義国家の憲法とは呼べない恥ずべきシロモノを堂々と出してこれるトンデモ政党がおそらく次期政権与党になろうとは、なんといっていいか言葉が見つかりません。
自民党のこの選挙でのキャッチフレーズは「日本を、とり戻す」だそうですが、私には「大日本帝国を、とり戻す」と言ってるようにしか聞こえないです。
この三つの基本原理の破壊ぶりを、自由法曹団が体系的に批判した意見書が出ていますので、お借りしましょう。基本原理ごとにエントリ-を三回に分けてじっくり読んでいきたいと思います。
今回は国民主権に関してです。
<自民党憲法改正草案に反対する意見書(自由法曹団)>
http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2012/120823_01.pdf
(引用開始)
第2 国民の服属を強いる天皇制へ
1 天皇の君主化
自民党草案は、「日本国は…天皇を戴く国家」(草案前文1段)であるとし
て、天皇を国民の上に君臨する存在とする。
そして、天皇を元首であるとして(草案1条)、国家を代表する権能を与え
ている。一応、天皇は国政に関する権能を有しない(草案5条)とはされてい
る。しかし、元首とは、実質的に国家を代表する者と考えられてきたものであ
り、現行憲法下では内閣総理大臣と解するのが通説である。そうすると、天皇
の元首化は、天皇の権能拡大に道を開くものであることは明らかである。国事
行為について必要とされるのは、「助言と承認」ではなく、「進言」(目上の者
に対して意見を申し述べること)とされており(草案6条4項)、文言上は、
内閣の意向に反しても国事行為が可能であるかのようである。さらに、現行憲
法に規定されていない公的行為(草案6条5項)を正面から認める。公的行為
には「その他の公的な行為」が含まれて何ら限定がないし、公的行為には内閣
の「進言」による歯止めすらない。天皇の行為は無限に拡大し得ることになる。
自民党は、「大日本帝国憲法4条にも規定があり、問題はないということで
多数の意見を採用して元首を規定することとした」(礒崎議員HP中の「憲法
改正草案解説(2)」)と、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在で
あった明治憲法への回帰をあからさまに述べている。
現行憲法では天皇・摂政は憲法尊重擁護義務(99条)を負うが、憲法制定
権者である国民はこれを負わない。ところが、自民党草案では、逆に国民が憲
法尊重義務を負い、天皇・摂政は憲法尊重擁護義務を外されている(草案10
2条)。天皇が国民の上に君臨する存在である以上、天皇は憲法に縛られず、
国民が憲法に縛られることとなるのである。
2 日の丸・君が代を憲法上制定
自民党草案は、国旗は日章旗、国歌は君が代であると憲法上で規定する(草
案3条1項)。「第1章天皇」で規定しているのは、日の丸・君が代が天皇
制国家を象徴するものであることを、彼らが自認していることを示す。
そして、国民には、日の丸・君が代の尊重義務が課される(草案3条2項)。
日の丸・君が代の強制は思想・良心の自由(現行憲法19条)を侵害するもの
であるが、自民党草案の下では、憲法自身が認める例外として、日の丸掲揚・
敬礼や君が代斉唱の国民への強制のおそれがある。
3 元号を憲法上制定
自民党草案では、元号についても憲法上で規定され、しかも皇位の継承があ
ったときに制定するものとされている(草案4条)。元号は、天子の在位期間
を基準とした在位紀年法に由来し、天子が空間と共に時(世)を支配するとい
う思想に基づいているものであり、国民主権原理に相反するものである。憲法
上の制度とすることで、元号の使用が国民に強制されるおそれが強い。
4 他党派の改憲案
立ち上がれ日本「大綱案」、みんなの党「考え方」のいずれも、天皇を日本
国の元首とすること、国旗を日章旗、国歌を君が代とすることを憲法上明記す
るとしている。維新の会は、改憲課題としては明示していないが、首相公選制
について天皇制との整合性を議論しており天皇の元首化を念頭に置いているこ
と、現に条例により日の丸・君が代の強制を行っていることからすれば、改憲
案の課題に格上げされることもあり得る。
5 国民主権原理の否定
各党の改憲案は、天皇を国民の上に君臨する存在とするものであり、国民に
天皇制への服属を強いるものであって、国民主権原理を否定するのものにほか
ならない。
(引用ここまで ※2012年8月に出された意見書なので、たちあがれ日本は現在は日本維新の会です。)
少々付け足すと、「公的行為」を付け加えたことで、違憲性が争われている天皇の「お言葉」も何の問題も無くなりますね。
現在も天皇一族は現人神のごとく畏れ多い高貴な雲上人として遇されており、戦前からの連続性を感じずにはいられません。この破格な扱いはヨーロッパの王室とは全く異なります。
しかし、近代民主主義の精神は、人は誰もが人間として平等であり、封建主義時代のような身分制のような思考を否定するところから始まります。
不条理な畏れ、特別扱い、尊敬を無条件に強い、それを、条理以前に受け入れひれふす精神構造のどこに真に民主主義的な精神が育つのでしょうか。
現在天皇は戦前のように政治的権力はもっていませんが、だからこそこういう不合理な精神構造を浸透させやすくするのに一役買っているのでしょう。
ましてや今度の壊憲案では元首と定め、天皇の象徴である日の丸君が代を憲法で制定し、「天皇の御世」を意識させる元号を憲法で定め、フリーハンドの「公的行為」を天皇にみとめるのですから、いつ不敬罪が復活してもおかしくないような空気になり、民主主義的メンタリティが失われること請け合いです。
国民主権とは名実共に国民が主人公でなければいけません。
天皇に政治権限がないんだからそれで文句は無かろう、という問題ではないのです。
現憲法では天皇は国民の総意に基づく象徴、としか規定されていません。
これは言ってみれば、ただの象徴に過ぎず、元首や君主のような存在ではない、ということです。
この「象徴」でさえ国民主権とや平等規定との整合性に苦労するのに、元首が天皇家に限って世襲されるのでは益々国民主権と平等規定と相容れなくなります。
政治的権限に有無に関わりなく、国民の上に天皇が君臨するようでは、国民主権という憲法の基本原理は否定されていると言えるでしょう。
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◆村野瀬玲奈の秘書課広報室
自民党の「日本国憲法改正草案」は国民主権と基本的人権を実質的に制約縮小することを目指す
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