1858(安政5)年4月9日(旧暦2月26日)、飛越地震(飛騨・越中国境の跡津川断層沿いに起こった大地震)が起きました。立山カルデラ(弥陀ヶ原・室堂などの南側)に大鳶山・小鳶山が崩れ落ち、渓谷は4.1億立方メートルの土砂で埋め尽くされ、泥水にあふれ、4月23日(旧暦3月10日)の第2・第3の大地震が追い打ちをかけました。6月7日(旧暦4月26日)、たまっていた泥水湖が決壊し、大土石流が大音響とともに富山平野を襲いました。溺死140人、負傷約9000人という被害を及ぼしました。今から約150年前のことです。
この写真の岩「西大森の大石」は、最上流部にあった巨石が二回の洪水の土石流で中流部(立山町西大森)まで転がり下ってきたものです。この大部分は地中に埋まっていて見えません。高さ約7.2㍍、周り約32.4㍍あります。このような巨石が、常願寺川流域に何個か残されていて、今も安政の大地震を伝えています。
明治以降、デ・レーケらの助けを借り、県営の事業から国の事業になって、百年以上つづく砂防事業が現在も続いています。立山カルデラの2億立方メートルの土砂が流れ出すと、富山平野全体が2㍍の土砂で覆われることになります。(注・立山カルデラ砂防博物館など)
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この写真の岩「西大森の大石」は、最上流部にあった巨石が二回の洪水の土石流で中流部(立山町西大森)まで転がり下ってきたものです。この大部分は地中に埋まっていて見えません。高さ約7.2㍍、周り約32.4㍍あります。このような巨石が、常願寺川流域に何個か残されていて、今も安政の大地震を伝えています。
明治以降、デ・レーケらの助けを借り、県営の事業から国の事業になって、百年以上つづく砂防事業が現在も続いています。立山カルデラの2億立方メートルの土砂が流れ出すと、富山平野全体が2㍍の土砂で覆われることになります。(注・立山カルデラ砂防博物館など)
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滋賀県から引っ越してきていろいろ調べてみると、富山には面白いことがいっぱいあるということに気づきました。