不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

San Paolo contro San Pietro

2008-05-13 01:46:31 | アート・文化

ローマの城壁外にあるサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーレ寺院
(Basilica di San Paolo fuori le Mure)はその名の示すとおり
キリスト12使徒の一人である
聖パオロの墓の上に建てられた教会で
カトリック総本山のサン・ピエトロ寺院に次ぐ
ローマ第二の大きさを誇ります。

現在の寺院はネオ・クラシック様式で
三身廊のラテン十字形の建物です。
紀元後67年に聖パオロの墓の周辺に建てられたものが起源で
コンスタンティヌス帝(Imperatore Costantino)の命により
寺院が建立され324年には教皇シルヴェストロ
(Papa Silvestro)によって聖別されています。
400年頃に寺院は拡張され、
5-6世紀になると修道士たちの共同体が形成され
更に聖地としての要素を強めていきます。
1823年に大火により消失し、翌年より再築工事が開始され
約1世紀をかけて現在のネオ・クラシック様式に整えられました。

寺院内は25000人を収容できる広さで、
一日平均約4000人の信者が訪れています。
また2008年6月28日には
教皇ベネデット16世(Papa Benedetto XVI)により
正式に聖パオロ生誕1000年を祝う
聖パオロ年が祝福される予定で
これに伴い訪問する信者数も増えると見込まれています。

こうした信者が利用できる公共施設
(トイレや休憩所、事務所、荷物置き場、ブックショップなど)を
設置するために敷地内に
約900平方メートルの地下一階地上二階建ての新棟を
建築するという計画があり、
いったんは教皇庁より許可が下りているものの
建築予定地の詳細な調査の結果、
そこに聖パオロの墓を中心に集まって
5-6世紀に構成された初期の修道士共同体の
居住跡が見つかったことにより
その考古学的重要性を高く見たヴァチカン美術館の要請で
一旦建設計画が白紙に戻されたような状態になっています。

ヴァチカン美術館の見解も尤もではあるが
実際の信者のための必要な設備を整えたいという
サン・パオロ寺院側の主張にも一理ありで
教皇庁内でも賛否両論。

サン・パオロ・フオリ・レ・ムーレ寺院の建築責任者でもある
枢機卿Andrea Cordero Lanza di Montezemolo
(アンドレア・コルデロ・ランツァ・ディ・モンテッツェーモロ)は
教皇への直談判も止むを得ないと息を巻いており
サンパオロとサンピエトロの対立はしばらく続きそうな気配です。

この記事を読んでいて枢機卿の名字に反応。
一族ですよね、フェラーリ社長の。

それからヴァチカン美術館の館長に
Antonio Paolucciの名前を発見して二度驚き。
Paolucciさん、フィレンツェの国立美術監督長を引退して
どこで悠々自適の生活を送っているのかと思ったら
いつの間にかヴァチカン美術館の長になっていたとは。
まぁ健在で何より。