不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Passeggiata sulla Terazza del Duomo

2009-09-08 20:31:34 | アート・文化

「毎年行っててよく飽きないね」
といわれても好きなんですから仕方ない。

9月8日は聖母マリア生誕のお祝い。
フィレンツェではドゥオーモのテラスに入場できます。

こちらでお知らせしたように
今年は初の試みで
10月末までは月曜日と金曜日有料で入場できます。
ガイド付だし、是非参加したいところなのですが
その曜日のその時間に仕事を抜け出すことは不可能なので
やっぱり無料公開の今日張り切って出かけてきたのです。

午前の仕事が終わったらランチ開始と同時に
ドゥオーモに向かい、テラス散歩を楽しんで
帰りにパニーノ買い込んでオフィスに戻って
午後の仕事の合間にランチしました。

そこまでして見たい景色なんです。
Duomo_esterno
秋の空によく映える美しいドゥオーモ。

予想していたほど混んでいなかったので、
5分も並ばずに入場。
さくっと階段上ってテラスへ。

今日はいつになく風が強くて、
テラスの上に立てられた旗が勢いよくはためいてました。
Duomo_bandiera

この角度から眺める洗礼堂が結構好きです。
だって屋根まで見えるってなかなかないでしょ。
人もアリさんみたいに小さいし。
Duomo_battistero

いつも撮り損ねちゃうのですが、
今年はちゃんと撮りました、忘れずに。
正面ファサードの部分に出る空中回廊。
人がやっと一人通れる隙間です。
左手が大理石の壁、右手は腰までの柵とその上は宙。
Duomo_facciata_corridoio

足元の次は目を上に向けてバラ窓!
このバラ窓をこの至近距離で見たくて毎年上ってます。Duomo_rosone

そして内部。
正面ファサードの裏から。
こんな上のほうの装飾なんて滅多に見ませんから。

Duomo_interno_01

そして、このモザイクの美しさも上から見ないとわかりません!
バラ窓とこのモザイク見るだけでも大満足!

Duomo_interno_02

あっという間に南側のテラスに到着。
お約束の覗き見ヴェッキオ宮殿。
Duomo_p_vecchio

階段降りる途中の扉の装飾もちゃんとしてあるんだねぇ。
落書きだらけだけど、周り。
Duomo_capitello

ということでランチタイムの1時間で
行って帰ってきました。

今年も恒例行事をこなして一人大満足。


Ebraismo a Firenze

2009-09-08 07:23:16 | アート・文化

フィレンツェの最大のユダヤ教寺院は
サンタンブロージョ教会の近くにあります。
Sinagoga01
フィレンツェのユダヤ社会の成り立ちは非常に古く、
古代ローマ人統治時代まで遡るといわれています。
ただし、1571年にフィレンツェに
ユダヤ人ゲットーが作られるまでの、
明確な中心的建物や場所は確定されていません。
1600年に作られたゲットーには二つのシナゴーグが存在し,
それぞれイタリア系の祭礼用、
スペイン系の祭礼用と使い分けられていたようです。
そしてその頃にはゲットーの外にも高利貸し業を営み
ピッティ宮殿近くに住居を構えていたユダヤ人グループのための
3つ目のシナゴーグも存在したようです。

1800年代後半になると
ユダヤ人ゲットーは完全に取り壊されて
現在の共和国広場へと姿を変えるのですが、
完全取り壊しの前、1848年にはすでに
2つのシナゴーグは寺院としての機能を失い、
寺院の調度品や装飾は
ドゥオーモの脇の小さな2つの祈祷所にまとめられます。
第二次世界大戦前にひとつ、1962年にもうひとつと
この2つの祈祷所もそれぞれ閉鎖され
調度品は今度はイスラエルに運び込まれ、
現在もかの地に保管されているそうです。
フィレンツェのこの祈祷所の記憶はわずかに
Via delle Ocheの祈祷所があった場所の
石碑に残るのみとなっています。
ゲットー外にあった3つ目のシナゴーグは
第二次世界大戦中、
ヴェッキオ橋へ続くすべての通りを爆撃した
ドイツ軍によって破壊されました。

1868年にDavid Levi(ダヴィド・レヴィ)の遺言に基づき、
彼の所有した資材&財産を元に
新たにフィレンツェのユダヤ教寺院が作られることになります。
フィレンツェで新しく整備された
サンタンブロージョ近くの一角に土地を求め
1874年から1882年にかけて
Marco Treves(マルコ・トレヴィス)の設計を元に
Mariano Falcini(マリアーノ・ファルチーニ) と
Vincenzo Micheli(ヴィンチェンツォ・ミケーリ)が手がけています。

Sinagoga05
特に青緑色の銅で覆われた丸天井は
ミケランジェロ広場などの高台から
市を一望したときにもひと目でわかるような色鮮やかさです。
Sinagoga03

内部は落ち着いた赤と青を貴重としたアラベスク模様で飾られ、
窓から差し込む自然光で照らされる広い空間となっています。
第二次世界大戦中ドイツ軍が進駐していた頃には
ガレージや馬小屋として使われ、
ドイツ軍撤退時には地雷を撒かれましたが、
奇跡的に爆発せず難を逃れたといわれています。
Sinagoga04

Sinagoga02

寺院前の広場には大きな石碑が建てられ、
ドイツ・ナチ軍の犠牲になったフィレンツェのユダヤ人
248名の名前が刻まれています。

寺院には小さな美術館も併設されていて
貴重な経典や聖具が展示されています。
美術館の入り口の扉は1997年に修復されたのですが
それを記す碑文に5757年(1997年)と書かれていて
ユダヤの歴史の長さを思い知らされます。

人が行きかうフィレンツェ中央駅で
今ではあまり目を留める人もいなくなってしまったと思いますが、
列車に乗せられてアウシュビッツへ連れて行かれたユダヤ人を
静かに偲ぶ碑が6番線の入り口の柱につけられています。
Ebraismo