不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Riconciliazione con l'arte moderna

2009-09-15 07:25:44 | アート・文化

かつてのフィレンツェ美術監督局長を務めた
アントニオ・パオルッチ(Antonio Paolucci)が
ヴァチカン博物館館長に就任してから
ヴァチカンに少しづつ変化の兆しが見えています。
それは既に個人予約の受付開始や
夜間開館の実施にも表れていますが、
次なる目標は信仰と現代美術の歩み寄り。

これまでヴァチカンはキリスト教伝播のために
言葉の異なる民族にも理解できるように
伝播ツールとして芸術作品を上手に利用してきました。
もちろんある特定の時期には
教皇個人もしくは教皇庁の権力誇示のために
財を尽くして偉大な芸術家に
作品の依頼をしたこともありますが、
それも結果的には
キリスト教の普及に役立っているわけです。

ルネッサンスの時代を代表する芸術家たちの作品は
もちろん有力なパトロンであった教会勢力の影響を受けて
宗教的な意味合いを多く含むものであったことは確かですが
信仰と芸術が折り合いをつけて
共存していた時代でもあります。
社会背景が現代ほど複雑ではなかった時代に
芸術家の根本にあったものが信仰だったという点も
今とは大きく異なるのですが、
どの時代にあっても芸術とは
「ただ眼に見えるものを表現するものではなく、
眼に見えないものを見えるものとして表現するもの」でもあり
そういう意味では現代においても
眼に見えない神の存在を芸術作品が代弁しうるというのが
ヴァチカンが打ち出した見解。

このような見解は突然発表され
実はイタリアメディアを少々驚かせたのですが、
既に1964年5月7日の教皇パオロ6世(Paolo VI)の謁見や
1999年の教皇ジョヴァンニ・パオロ2世
(Giovanni Paolo II)の手紙でも
芸術家たちとのやり取りは記録されているので
まったく新しい試みではありません。

現教皇ベネデット16世(Benedetto XVI)と
現代芸術家たちとの会見は
11月21日にシスティーナ礼拝堂で行われる予定。
まだどういった芸術家や批評家が参加するかは
公表されていませんが
ヴァチカンの新たな活動の一端として注目されています。

Fontanaの作品の中に
神の絶対性を見出すことは不可能ではないとはいえ
近現代の抽象芸術はその名の通り抽象的であって
万人にわかりやすかった具体性をもつ
いわゆる宗教絵画作品とは趣を異にするもの。
果たしてヴァチカンの意向が信者に伝わるのかどうか。
ミロ、フォンターナ、シャガール、ピカソなどの作品が
教皇庁が愛したミケランジェロやラファエロ、
ベルニーニの作品と並んで
教会を飾るような時代が来るのでしょうか。