不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

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2011-12-31 18:07:43 | Tweet Log



Riflettendo 2011

2011-12-31 12:19:36 | 日記・エッセイ・コラム

駆け抜けちゃった感じの2011年です。

色んなことがありました、個人的にもね。
「ハードルだったら越えちゃえばいいじゃん。
越えられなかったら、くぐっちゃえばいいじゃん。
とにかく前に進むことが大事。
方向さえ間違ってなければ、
進みながら軌道修正はできる」
2011年、この吉川さんの言葉に支えられてやってきた。

小さいころ、本当にものごごろついてからずっと
「必ず大きな地震が来る」といわれて育った静岡県民として
しばらく忘れていた恐怖を改めて実感した一年でした。

阪神大震災のときは、まだイタリア出発前で
東京・阿佐ヶ谷のアパートで卒業論文を書いていて
若かったこともあるし
なんだか自分にできることの意味もわからず、
自分のことで精一杯だった。
それが今年の震災では別の想いを抱いているのは
自分が少し大人になったからだし、
イタリアという外から自分の祖国を見ているからだし、
そして自分のことだけで精一杯だなんて
甘えたことを言っていられる立場じゃ
なくなっているからというのもあるだろうな。

いつ自分たちが被災者になるかわからない。
静岡だけでなく、日本全国どこに暮らしていても
震災に関しては程度の差はあれ、
誰もがリスクを背負っているということ。
そしてそれを肝に銘じて、
復興支援に取り組まなくちゃいけないと思ったのです。
他人事じゃないという意味で。
愛する祖国が
きちんとした未来を子供たちに残せるように。

3月11日以降、
吉川さんの言葉にも後押しされて
「今、動かなくちゃ」と思った。
闇雲にでも、できることをやらなくてはと。
前に進むために一歩踏み出さなくてはと。
私の人生の師匠である
吉川晃司という人間の生き方に、
これまでも共鳴して生きてきたけれど
2011年の彼自身の言動の変化にも大いに感銘し
彼の想いを少しでも分かち合いたいと思って
私も3月11日以降は
「己にできること」をやってきたつもり。

長年構想だけを温め続けてきた企画を
震災支援に結びつけることで実現できたのは
フィレンツェで活躍する数多くのアーティストと
私の思いに寄り添ってくれた有志の皆さんのおかげ。
僅かながらも、
被災地へ笑顔を届けられるプロジェクトとして
5月と11月に2回も震災支援イベントができたのは
本当に多くの人の想いが
一つになったからだと思っています。
すべての関わってくれた人に感謝します。
まだまだ素敵な人材が
フィレンツェにはたくさんいるということも
私自身改めて知りました。
そして無関心を装わないでは生きていけない人も多い中
日本できちんと支援を続けようという人が多いことも
知ることができて嬉しかった。

21年ぶりに復活したComplex。
それを皮切りに「日本一心」を掲げての
吉川さんの全国ツアー。
7月と10月の2回のツアー帰国では
実際に同志に会い、熱い想いを分かち合い
色んな想いが私の中を突き抜けていった。
一時あまりにも色んな想いが入り混じって
自分自身異常に混乱している事もあったけれど。
自分も不惑の40を迎えた節目の年であった2011年、
色んな想いを整理して
新しい道を歩みだすという
まさに人生の岐路となった一年。
そして、自分が遠い昔に失った
大事なものも取り返した年でもありました。
いろんなことに踏ん切りをつけなくちゃいけなかったし
多分それが必要だったのだろうと。

2012年はそんな踏ん切りを
ちゃんと形にして
一歩一歩踏み出して実現していく一年に。

忙しさにかまけて、そしてTwitterの手軽さに甘えて
ブログの更新も疎かにしてしまった一年でした。
ただ、2011年は自分の胸の中にある思いや考えを
言葉にすることもできなかった。
2012年は私の心のかけらを少しづつでも
また記録に残していこうと密かに誓いつつ。