超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

三多摩の幼年時代

2021-02-20 21:39:06 | 無題
昔のことだが、母の喪の時期、空き家になった実家の片付けに追われた。
時々、母が私の幼少時、ソファでめくっていた、雑誌「マダム」「ミセス」
が捨てずに取ってあったのが出て来て昔が偲ばれる。
特に感慨深かったのが、お正月などに家族で遊ぶ、野球盤や人生ゲームが
何種類か戸袋から出て来たことだ。
仕事柄、父が不在がちだったので、母と私たち兄弟はよく、野球盤や
人生ゲームで遊んだ。
今の人は知らないかもしれないが、一種のすごろくで、コマに人生で起きる
ハプニングやアクシデントが書かれていて、500万円没収とか、
アメリカの叔母の遺産で2千万貰うとか、いろいろ指示があり、
後戻りしたり、お金の損得があったりする。
最終的にゴールにたどり着いたときの総資産で勝敗が決まる、何とも
ゲンキンなゲームだが、家族で夢中になって遊んだことが幾度となく
あった。
偽物とはいえお金が飛び交うのが子どもには刺激的で、母は本気で
はしゃいだり、がっかりしたりしていた。
今から思えば、予想がつく話だが、大体大勝ちするのは母で、
次に勝つのは兄で、私は大抵ビリであった。
その頃の楽しい家族の思い出が母も忘れられなかったのだろう。
野球盤も人生ゲームも何種類か捨て切れずにそのまま戸袋に残っていた。
正月に子どもにゲームを買ってやる習慣が中学校になっても残っていて、
すでにサッカーなどに夢中だった私はもう子どもの現物ゲームに興味は
薄れていたが、断り切れずにありがたく貰っていたのも思い出深い。
大抵の玩具は近所の家と同じように、米軍住宅地の金網の前のムラタという
玩具屋さんで買っていた。メンコとか、軍人将棋とか、銀玉鉄砲とか
手錠とか、「太陽にほえろ」で刑事ものに憧れていた子どもたちが
よく出入りしていた。私も二段ベッドで兄と銀玉鉄砲の打ち合いを
して遊んでいたのが思い出される。忍者、刑事、探偵、スパイには憧れた。
メンコには人造人間キカイダーやイナズマンなどの偽物の絵がよく
描いてあり、角を折ったり、蝋を塗ったり勝つために工夫をした。
基礎体力、筋力のない私はメンコも滅法弱く、すぐすっからかんになった。
喪の作業にはそのような甘美な思い出との再会もあり、懐かしかった。
喪の作業の頃、バルトの「明るい部屋」を読んでいたので、共感した。

幼少時人生ゲームに負けていた 失われてた時を求めて


コメント (4)
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