平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「エトロフ発緊急電」 佐々木譲~すべてが愚かだった。共和国の理想もデモクラシーも革命も

2024年02月14日 | 小説
 日本機軍機動部隊が真珠湾を奇襲?
 この情報をつかんだアメリカは真偽を確かめるべく、
 ひとりの日系人をスパイとして日本に派遣する。

 佐々木譲の『エトロフ発緊急電』は本格スパイ冒険小説だ。

 スパイとして白羽の矢が立てられたのはケニー・サイトウ。
 スペインでフランコ独裁政権と闘った元義勇兵だ。

 スペイン内戦。
 ここで作家ヘミングウェイは『誰がために鐘は鳴る』を書き、
 ジョージ・オーエルは『カタロニア讃歌』を書き、
 写真家のロバート・キャパは有名な写真『崩れ落ちる兵士』を撮った。
 ピカソは空爆された街ゲルニカの悲惨を目の当たりにして『ゲルニカ』を描いた。
 スペイン内戦は『自由と民主主義』のための戦いであり、世界中の耳目が集まった。

 さて、こんなスペイン内戦に参加した主人公ケニー。
 自由と民主主義のための闘争に裏切られて虚無的になっている。
 アメリカの諜報部からスパイとして日本に潜り込むことを依頼されるが、ケニーは拒絶する。
 いはく、
「おれは世界中のどの政府にも忠義を尽くすつもりはない」
「この世界はおれが真面目に怒らなくてはならないほどの価値はない」
「すべてが愚かだった。共和国の理想もデモクラシーも革命も」

 こんなケニーに、彼をスカウトに来たアメリカ軍のキャスリンは反論する。
「それは安っぽい虚無主義よ。愛したものから十分な見返りがなかったからと言って、
 かつて自分が何かを愛したという事実すら否定してしまうのは」

 しかしケニーの心は動かない。
 それどころかアメリカの批判を始める。
「貴様らの標榜するデモクラシーなどただのお題目」
「圧政と搾取を糊塗するためのきれいごとのスローガンでしかない」
「国内では黒人やメキシコ人やアジア人をどう扱っているか。
 中米ではどれほど好き勝手のし放題をしているか。胸に手を当ててよく考えてみろ」
 ……………………………………………………………………

 日本ではめずらしい骨太の冒険スパイ小説だ。
 僕はこの作品をスタート地点にして船戸与一など、日本の冒険小説を読んでいった。

 そして現在、僕はケニーの言葉に共感する。
「おれは世界中のどの政府にも忠義を尽くすつもりはない」
「この世界はおれが真面目に怒らなくてはならないほどの価値はない」
「すべてが愚かだった。共和国の理想もデモクラシーも革命も」

 国のために。自由と民主主義のために。
 政治家はきれいごとを言うけれど、裏金問題などでどうしようもない言い訳を聞いていると、
 懐疑的にならざるを得ない。

 この後、ケニーはカネのためにアメリカの要請を引き受けて日本に潜入する。
 そこで彼が何を見て考えたのかは本作を読んで確認して下さい。
 非常に面白い冒険小説です。

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「放浪記」② 林芙美子~私は生きる。何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う

2024年01月20日 | 小説
 林芙美子『放浪記』の2回目。
 前回も書いたが、林芙美子は『放浪記』を出版するまで本当に売れない作家だった。
 彼女の書く詩は自分の心の中に渦巻くものを自由に書いたもの。
 親交のあった萩原恭次郎、坪井譲治、岡本潤らアナーキスト詩人たちから『ダダイズムの詩』だと評された。

 そんな芙美子は日記『放浪記』でこんなことを書いている。

『自分の詩を読んでみる。みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだ』

『書く。ただそれだけ。捨て身で書くのだ。気取りはおあずけ。
 食べたい時は食べたいと書き、惚れている時は惚れましたと書く。それでよいではございませんか』


『何かをモウレツに書きたい。心がその為にはじける。
 毎日火事をかかえて歩いているようなものだ。私は煙を頭のてっぺんから噴いているのだ』


『みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分に惚れすぎている。人の事は見えない。
 だから私がいくら食べたいという詩を書いても駄目なの』


『肺が笑うなぞという、たわけた詩が金になるとは思わないけれども、それでも世間には一人位は物好きな人間がありそうなものだ』

『金持ちの紳士が千頁の詩集を出してくれれば裸になって逆立ちしてもいい』

 童話を出版社の博文館に持ち込み、反応がよくなかった時は──

『急いで博文館を出て深呼吸する。
 これでもまだ私は生きてるのだからね。あんまりいじめないで下さい。
 神様、私は本当は男なんかどうでもいいのよ。
 お金がほしくてたまらないのよ。私はねえ、下宿料が払えないのよ。インキだって金がかかるのよ』


『いったいどこまで歩くのだ。無意味に歩く。何も考えようがない』

 しかし、芙美子は負けなかった。無意味でも歩き続けた。
 作家の平林たい子とは無名時代からの友人で、銀座の街を二人でのし歩いた。

『何くそ! 笑え! 笑え! 笑え! たった二人の女が笑ったとて、つれない世間に遠慮は無用だ』

 何だかんだ言って、林芙美子はたくましい。
 そして最後には開き直り、生きていることを肯定する。

『「少女」という雑誌から三円の稿料を送ってくる。私は世界一のお金持ちになったような気がした。
 間代二円入れていく。下宿のおばさん急ににこにこしている。
 手紙が来て判を押すという事はお祭りのように重大だ。
 三文判の効用。生きていることもまんざらではない』


『あれもこれも書きたい。
 山のように書きたい思いでありながら、私の書いたものなぞ一枚だって売れやしない。
 それだけの事だ。名もなき女のいびつな片言(かたこと)』


『私は書けるだけ書こう。体は丈夫だ。果てる時は果てる時だと思っている』

 ……………………………………………………………

 林芙美子の『放浪記』
 ここには「怒り」「嘆き」「涙」「貧困」「絶望」があり、
「生活」「たくましさ」「ユーモア」「小さな喜び」「激励」「希望」がある。

 僕は疲れ果てた時、『放浪記』を読む。
 日記だからどこから読んでも構わない。
 何気なくページを開いて、目に飛び込んで来る言葉を味わう。

 最後は『放浪記』のこんな言葉で締めます。

『クヨクヨしていても仕様のない世の中だ。
 すべては自分の元気な体を頼みに働きましょう。
 私は生きる。何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う』


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「放浪記」① 林芙美子~私は野育ち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない

2024年01月19日 | 小説
 林芙美子の『放浪記』
 森光子さんの舞台で有名だが、実は林芙美子の恨みつらみを書いた日記である。

 発表を目的としていない日記なのでともかく読みにくい。
 人間関係もわかりづらく時系列もメチャクチャだ。
 でもこれが出版されると大衆の心を掴み、ベストセラーになった。
 林芙美子が人気作家になるきっかけにもなった。

 ではなぜベストセラーになったのか?
 それは書かれていたことが林芙美子の「必死な叫び」だったからだ。
 嘘偽りのない本音だったからだ。
 これが日々苦しい生活を送る庶民の心をとらえた。
『放浪記』の中の言葉はすべて『心をえぐる詩』である。

 というわけで、そのいくつかを紹介していきます。
 ………………………………………………………………

 まずは『貧乏』について。
 林芙美子は食べるために、女中、女工、カフェの女給、産婆助手、事務員など様々な仕事をした。
 しかし、どれも長く続かなかった。
 彼女が『生まれながらの放浪者』だからである。
 そして、こんな言葉──

『朝から水ばかり飲んでいる。盗人に入る空想をする。どなた様も戸締まりに御用心』

『私はやっぱり食べたいのです。階下の人達が風呂へ行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。
 神よ笑い給え。あざけり給えかし。ああ、あさましや芙美子消えてしまえである』


『朝から晩まで働いて六十銭の労働の代償をもらって帰る。
 土釜を七輪に掛けて机の上に茶碗と箸を並べると、つくづく人生はこんなものだったのかと思った』


『地虫のように太陽から隔離された歪んだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている』

『あぶないぞ! あぶないぞ!
 あぶない不精者ゆえ、バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう。
 こんな女が一人うじうじ生きているよりは、いっそ早く、真っ二つになって死んでしまいたい』


『日本の社会主義者よ。いったい革命とは、どこを吹いている風なのだ』

『ヘエ、街はクリスマスでございますか。
 信ずる者よ、来たれ主のみもと……何が信ずる者でござんすかだ。
 イエスであろうと、御釈迦さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ』


『眼が燃える。誰も彼も憎たらしい奴ばかりなり。
 ああ私は貞操のない女でございます。一つ裸踊りでもしてお目にかけましょうか。
 お上品なお方達よ、眉をひそめて、星よ月よ花よか!
 私は野育ち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない』


『熱い御飯の上に、秋刀魚を伏兵線にしてムシャリと頬ばると、生きている事もまんざらではない。
 沢庵を買った古新聞に、北海道にはまだ何万歩という荒れ地があると書いてある。
 ああ、そういう未開の地に私達のユウトピアが出来たら愉快だろうと思うなり』


 すごいな。圧倒される。
『バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう』笑
 エネルギーの塊の林芙美子の言葉は読むと元気をもらえる。
『放浪記』が当時の庶民の共感を得た理由はここにあるのだろう。

 次回は、売れない作家・林芙美子の心の叫びを紹介していきます。

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「ブラジルから来た少年」~ミステリー・歴史・科学・オカルトがミックスされた壮大なプロット!

2023年07月19日 | 小説
 少し前の話題になるが、7月13日は「オカルトミステリー作品」の日らしい。
 オカルトミステリー作品として、真っ先に浮かんだのが、アイラ・レヴィンの『ブラジルから来た少年』だ。

 さて、作品内容は──

 舞台は南米パラグアイ。
 登場するのは元ナチスのヨーゼフ・メンゲレ。
 メンゲレは『双子の研究』などで有名な実在の遺伝学者だ。
『死の天使』と呼ばれ、アウシュビッツで人体実験を繰り返して来た。
 メンゲレはイスラエルのナチハンターから逃れ、パラグアイで生活している。

 そんなメンゲレは配下の元ナチにこんな指示を出す。
「世界各地で94名の男を殺せ」
「その男たちは1910〜1914年生まれで公務員。北欧系キリスト教を信仰している」
「妻は1933〜1937年生まれ」

 さて、こんな命令を出すメンゲレの意図は何だろう?
 主人公のナチハンターは94名の男のリストを手に入れ、メンゲレの意図を探っていく。
 そして、あっと驚く真相が披露される!

 ここから先はネタバレになるので、読みたい方だけお読みください。

 
 ※映画版はグレゴリー・ペックとローレンス・オリヴィエの豪華共演!
  グレゴリー・ペックがヨーゼフ・メンゲルを演じている。













 以下、真相。

 ナチハンターが尋ねたリストアップされた男たちの元を尋ねると、
 そこには、いずれも同じような顔をした『告発で青い目をした14歳の少年』がいた。
 この少年たちは何者なのか?
 実はメンゲレが作り出した『ヒトラーのクローン』なのだ。
 メンゲレの部下たちは養子斡旋所を通して、このクローンを一定の条件を満たした家庭に子供として入れた。
 その一定の条件とは、
・夫が1910〜1914年生まれの公務員であること。妻が1933〜1937年生まれであること。
・北欧系キリスト教の家庭であること。
 この条件は何かというと、ヒトラーが育ったのと同じ家庭環境なのだ。
 そして、ヒトラーの父親はヒトラーが14歳の時に死んでいる。
 だからメンゲレは部下に父親を殺害しろと命令した。
 つまりメンゲレは、ヒトラーと同じ環境でクローンを育てることにより、
『第2のヒトラー』を誕生させようとしたのだ!
 人の人格は『先天的なもの=遺伝』と『後天的なもの=社会環境・家庭環境など』で形成されると言われているが、メンゲレは後天的な条件も満たすことで『第2のヒトラー』を誕生させようとした。
 この計画が最終的に目指す所はナチス・ドイツの復活だ。

 さて、この真相をすごいと思うか? 荒唐無稽と思うか?
 僕はすごいと思うのだが、いかがでしょう?
 何しろ、この作品には「ミステリー」「歴史」「科学」「オカルト」がミックスされているのですから!
 こんな壮大なプロットの作品は滅多にない。

 アイラ・レヴィンの作品には他にも『ローズマリーの赤ちゃん』があるが、これもすごい!
 アイラ・レヴィンはもっと評価されていい作家だと思う。

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「女生徒」 太宰治~美醜に鋭敏な少女の独白。私はたしかにくだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。

2023年07月07日 | 小説
 子供から大人へ──思春期の女の子の独白の小説だ。
 彼女は美しいもの、醜いものに対して敏感だ。

 彼女にとって美しいものは──
・犬のジャピイ
・お母さんからもらった雨傘
・美しい青色の似合う小杉先生
・バスを降りて家に帰るまでの田園道
・そして父親が生きていて、姉が嫁ぐ前の幸せな家族
 しかし、これらはどこか空虚だ。
 父親が生きていた頃の幸せな家族は思い出の中にしかないし、
 美しい小杉先生は装って「ポオズをつくり過ぎる」所が気に食わない。
 お母さんからもらった雨傘は、パリの街にいるような気分にさせてくれるが、それは空想の世界でのことで、たちまち霧散してしまう。
 太宰治はこれをこんなふうに表現する。
 こんな傘をもって、パリィの下町を歩きたい。この傘にはボンネット風の帽子がきっと似合う。
 ピンクの衿(えり)の大きく開いた着物に、黒い絹レエスの長い手袋をして、帽子には美しい紫のすみれをつける。
 そうしてレストランで、もの憂そうに軽く頬杖して、外の人の流れを見ていると、誰かが、そっと私の肩を叩く。
 急に音楽、薔薇のワルツ。ああ、おかしい、おかしい。
 現実は、この古ぼけた奇態な柄のひょろ長い雨傘一本。自分がみじめで可哀想。マッチ売りの娘さん。


 一方、彼女が醜いと感じるものは──
・足の悪い犬のカア
・下品な労働者たち
・お道具箱を置いて確保しておいた電車の席に座ってくる眼鏡の男
・ポオズをつくり過ぎる小杉先生
・自分に性的な関心を寄せている美術の伊藤先生
・薄汚い、男か女かわからない様な赤黒い顔をしているバスの女
・家に遊びに来たプチブルの今井田さん
・そんな今井田さんに対し、卑屈で、愛想笑いをしている自分のお母さん

 美しいもの、醜いものに敏感な彼女。
 彼女はこれらを前にして苦しんでいる。
 その苦しみというのは──自分も「醜い大人」になりつつあるということだ。

 前述の赤黒い顔をしたバスの女に対して、彼女はこんなことを考える。
 雌鳥(めんどり)。ああ、胸がむかむかする。汚い、汚い。女はいやだ。
 自分が女だけに、女の中にある不潔さがよくわかる。
 自分もこうして雌(めす)の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また思い当たることもあるので、いっそこのまま少女のままで死にたくなる。


 彼女は自分にも「女の中にある不潔さ」「雌の体臭」があることを感じていて嫌悪している。
 あるいは、母親と同じように、今井田さんに対して愛想笑いをしている自分を嫌悪している。
 彼女は醜くなってしまった自分を嘆く。
 私はたしかにいけなくなった。くだらなくなった。
 ひとりきりの秘密をたくさん持つようになった。いけない、いけない。弱い、弱い。


 こんな彼女が一日の終わりにたどり着いた気持ちは何か?
 醜いもの、弱い者への共感だ。
 今井田さんに媚びを売るお母さんに対しては、
 お母さん、私はもう大人なのですよ。世の中のこと、何でも知っているのですよ。
 安心して何でも相談して下さい。
 うちの経済のことなんかでも、私に全部打ち明けて、こんな状態だからおまえも、と言って下さったなら、私は、しっかりした、つましい、つましい娘になります。よい娘になります。

 足の悪い犬のカアに対しては、
 パタパタパタパタ。カアは足が悪いから足音に特徴がある。
 こんな夜中に何をしているのかしら。
 カアは可哀想。けさは意地悪してやったけれど、あすは可愛がってあげます。


 ラストはこんな文章で締め括られる。
 おやすみなさい。私は王子さまのいないシンデレラ姫。
 あたし、東京のどこにいるか、ごぞんじですか?
 もう、ふたたびお目にかかりません。


 もはやシンデレラを夢見る少女の時代は終わったのだ。
 彼女は現実を受け入れ、醜い大人になる覚悟を決めたようだ。

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「岬にて」 小松左京~この場所は「自分が宇宙の微塵に過ぎないこと」を感じさせてくれる

2023年06月03日 | 小説
 シャドウ群島──
 そこは宇宙に近い場所。人が年をとり、消えていくために来る場所だ。

 そこには中国人、西洋人、ベトナム人などの老人がいる。
 彼らは宇宙を感じるために麻薬を嗜んでいる。
 阿片を吸い、酔生夢死の状態を愉しんでいる。

 彼らはやって来た青年に人類と麻薬(植物性アルカロイド)の歴史を語る。

・酒、煙草、茶、コーヒーなどの嗜好品
・香辛料の軽い中毒症状や習慣性。香辛料を求めて世界を巡ったヨーロッパ人の渇仰。
・農業を始めたとされる中国の伝説の皇帝・炎帝(神農氏)。
 炎帝は山野のありとあらゆる植物を食べて、薬になる何百種類という植物を見つけた。
・日本の奈良に当麻寺(たいまでら)でつくられている陀羅尼助という腹薬。
・神社の神符の中に入っている大麻。
・バラモン教の覚醒剤を使った秘術。
・アメリカのインディアンのきのこ。

 これらから老人たちは青年にこんなことを語る。

「われわれの時代は、理性を過大評価しているのかもしれんな」
「吸い込んだだけで、恍惚となる香りがあることを思うと、これから先は〝古代の知恵〟である、フェロモンや向精神薬のことを、もっと考えなきゃいけないだろう。
 ──人類の幸福のために……」


 死を間近にした老人たちは宇宙を感じるために、宇宙に一番近いこの島に住み、麻薬を嗜んでいる。

「ここにすわって、風と波と、日と月と星にむかっていれば、濁った地上、汚れた人間社会よりずっと宇宙がよく見え、身近に感じられる。
 ……宇宙と、その時の流れが自分の中を貫いていくのが感じられ、自分が宇宙の微塵のひとつに過ぎず、しかも微塵であってなお宇宙の一員として宇宙と同じ変化を生きていることが感じられる……」


「問題となるのは、その中に自分が含まれ、自分の中を貫いて流れていくことを感じさせる宇宙だ。
 人間が、ずっと古代から……まだ文明を築きあげぬころから、野獣や鳥たちと一緒に感じていた、あの宇宙だ……。
 生まれ、生き、人生をきずいた上で、さらにその先に年をとって死んでいくには、宇宙の一番よく見える所で、毎日それを眺め、呼吸しなくてはならん。
 幸福な死に方というものは、次第次第に、地上の存在を消して行き、透明になって宇宙の中へ消えていくことだ……」

 ………………………………………………………

 人は死んで「宇宙の塵」となる。
 というより、人に限らず、地上のあらゆる生物がこの真理の中で生きている。

 ただ、人には理性があり、文明があり、果てしない欲望があるので、この「真理」が見えにくい。
 特に若者は生命力にあふれ、欲望がいっぱいで、人生の時間もあるので、この真理が見えにくい。
 文明社会に住む老人は年をとっても欲望に囚われ、この真理に触れることなく死んでいく。

 小松左京の「岬にて」は、すぐれた「哲学」「人生論」「文明論」「宗教論」である。
 1960年代のベトナム反戦運動の若者やヒッピーたちはLSDを吸い、宇宙を感じようとした。
 それは近代の否定。文明社会の否定。
 古代の思想に学ぶこと。
 おそらく小松左京はここから着想を得て、この作品を書いたのだろう。

 理性の上に築き上げられた文明社会は生きづらい。
 生きづらい所か、愚かな戦争までやっている。
 宇宙を感じて、もっと自然に生きていこう。

 改めて、このメッセージを噛みしめたい。

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「愛国商売」 古谷経衡~ネトウヨさんたちの哀しくて滑稽な実態

2023年05月26日 | 小説
『愛国商売』(古谷経衡・著/小学館文庫)では、自称・愛国保守の方々の生態が描かれる。
 著者の古谷経衡さん自身がかつてこの業界にいたから、その描写はリアルだ。
 たとえば、こんな描写。

 二週間もすれば彼らが何を嫌い、何を好み、その知的水準がいかなるレベルであるかはおおむね見分けがついた。
 彼らは自分たちが外部から「ネット右翼」と呼ばれることに対して極端な嫌悪感を示す一方、明らかに自分たちの主張が政治的右派や差別主義に偏っているにもかかわらず中立・中道を標榜していた。
 また、そろいもそろって中国・韓国・北朝鮮と日本国内の大手左翼系メディアを蛇蝎(だかつ)のごとく憎悪し、とりわけ韓国と日本国内に住む在日コリアンを呪詛していることもわかった。
 彼らが好きなのは「特亜三か国」や「パヨクメディア」を徹頭徹尾攻撃してくれる言論人や文化人の威勢のいい言論であった。


 的確な説明である。
 ネットで散見する愛国保守を名乗る人の言動はすべて上の表現に帰結する。
 主人公の南部照一は「対米自立」を標榜する右派だが、自称・愛国保守の人々の言動がこれとは違うことに戸惑う。

 照一はだんだんとこの右派・保守界隈の空気が、「対米自立・反米自主独立」路線とは大きく変質した、ネットの馬鹿を相手に商売する空間に過ぎないものであることを痛感し始めていた。

 そう、彼らがやっているのは「愛国商売」なのだ。
 その世界は、一般社会では相手にされない自分の承認欲求を満たしてくれる夢のような世界なのだ。
 照一は講演会を開くほどの名士になり参加者からこんな質問を受ける。

「南部さんは大東亜戦争勃発の理由を、アメリカによる経済圧力と、最終的には帝国主義的国家の衝突という風にとらえているんですけど、インターネットではそうした考えよりも、コミンテルンの陰謀というのが正しいとなっていて、自分もそう思うんですけどね。
 要するにコミンテルンがルーズベルトを操って日本に真珠湾攻撃をさせた。
 これはシナ事変もそうです。
 コミンテルンが蒋介石を操って日本が戦争をするように仕組んだ。
 これが歴史の真実だと思うんです」


「コミンテルン陰謀論」である。
 彼らはこれを信じている。
 参加者はこんな質問もする。

「自分は日本を破壊しているのが、反日メディアの偏向報道であり、その原因は日本のテレビ局や新聞社の中に、中国人や朝鮮人などの反日工作員が入り込んでいるためだと確信しているのです。
 南部先生は、この反日メディアによる偏向報道問題と、そこに入り込んでいる中国や韓国の工作員の存在について、いかがお考えでしょうか」


 主人公の南部照一は逆にこう聞き返す。
「そういったテレビ局の工作員という人物に、実際に会ったことがあるんですね」
 すると、
「会ったことはないですけど、疑わしいとされる人物は、ネットで調べればいくらでも出てきますよ」
 これに対し照一。
「実際には会ったことも見たこともないけれどもネットに書いているからそう信じていると」
「そもそも、地上波テレビ局や大新聞が、一年に何人採用するか知っていますか」
「すごく少ないです。テレビ局や新聞社の新卒採用は、毎年数十名です。
 系列を入れても百名はいないどころか、局によってはゼロもあり得る。そういう世界です」

 こうして照一は過去の研究論文なども引用して論破していくのだが、質問者は最後にキレる。
「あなたさー、学者や研究者が書いてることだけ信じてるんじゃないですかね。
 在日特権を研究しようにも、大学もテレビ局も、新聞もパヨクで朝鮮人が支配しているんだし、大方の出版社もパヨクなんだからその手の本なんて出せるわけないじゃないですか。
 だからインターネットというものがあるんでしょう」
「お前が勉強不足なだけなんだよ!」

 このやりとり、この作品で一番面白い部分なので、興味があれば読んでください。

 この作品、ネトウヨさんをともかく突き放して見ている所が秀逸だ。
 ここで描かれた自分の姿を見て、ネトウヨさんは何を思うのだろう?

 同時に人間の認識能力って、こんなものなんですよね……。
 簡単に陰謀論に囚われる。
 自分の信じたいことだけを信じる。
 実に頼りない。

 自分のこととして戒めたい。
 
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銀河英雄伝説を読む9~「戦争反対」を唱えるのは利敵行為である

2023年05月06日 | 小説
『軍事的勝利は麻薬に似ている。
 イゼルローン占領という甘美な麻薬は、人々の心に潜む好戦的幻覚を一挙に花開かせてしまった。
 冷静であるべき言論機関までが、異口同音に「帝国領内への侵攻」を呼号している。
 政府の情報操作も巧みなのであろうが……』


 イゼルローン要塞占拠で自由惑星同盟は一気に帝国侵攻に傾く。
 かつて日本が、ハワイを攻撃して甚大な被害を与え、シンガポールを占領して、戦線を拡大していった時のように。
 人間の欲望というのは果てしない。
 ひとつのことが成し遂げられると、もっともっとと求めてしまう。
 最後の『政府の情報操作も巧みなのであろうが……』という一文も効いている。
 世論は権力者の情報操作に拠っても作られるのである。

 さて、ここでアンドリュー・フォーク准将が登場する。
 ヤンにライバル意識を持つフォークは、帝国侵攻に慎重なヤンの意見に反対する。

「戦いには機というものがあります」

「敵を過大評価し、必要以上に恐れるのは、武人としてもっとも恥ずべきところ。
 まして、それが味方の士気を削ぎ、その決断と行動を鈍らせるとあっては、意図すると否とにかかわらず、結果として利敵行為に類するものとなりましょう。
 どうか注意されたい」


「そもそも、この遠征は専制政治の暴圧に苦しむ銀河帝国二五〇億の民衆を解放し救済する崇高な大義を実現するためのものです。
 これに反対する者は結果として帝国に味方するものと言わざるを得ません」


「たとえ敵に地の利があり、大兵力あり、あるいは想像を絶する新兵器があろうとも、それを理由として怯むわけにはいきません。
 吾々が解放軍、護民軍として大義に基づいて行動すれば。帝国の民衆は歓呼として吾々を迎え、進んで協力するでしょう」


 フォークの主張は詰まるところ『精神論』だ。
 最後の言葉は特にひどい。
「地の利」「大兵力」「新兵器」──これらこそが戦争で一番重要なものではないか?
 あとは「兵站」。
 しかし、人はこうした勇ましくて美しい言葉に酔い、動かされてしまう。
 仮に現在の日本がどこかの国と戦争して、『戦争反対』を唱えた場合、上記のような言葉が返って来るだろう。
・戦いには機がある。
・反対を唱えるのは利敵行為だ。
・大義はわれわれにある。われわれは解放軍だ。

 これに対してヤンは現実的だ。

 帝国の人民が現実の平和と生活の安定より空想上の自由と平等を求めているという考えは期待であって予測ではない。
 そのような要素を計算に入れて作戦立案をしてよいわけがない。


 そうなんですよね。
 人々が求めているのは日々の平和と生活の安定。
 自由とか平等といったイデオロギーは二の次。
 民主主義国でも抑圧や貧困はあり、民主主義は名ばかりで形骸化してる場合もある。
 フォークは軍人だが、権力者が自分に酔い、美しい言葉、勇ましい言葉を口にした時は注意した方がいい。

 自由惑星同盟の帝国侵攻の動機はこのように無責任で根拠のないものだった。
 これによって自由惑星同盟は破滅に向かっていく。

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「星を継ぐもの」 J.P.ホーガン~SF作家の壮大な空想力! 第5惑星が消滅して解き放たれた衛星が月になった!

2023年04月13日 | 小説
 SF作家の想像力というのは果てしない。

 J.P.ホーガンの『星を継ぐもの』
 この作品の前半では、月がどのように出来たのかが描かれている。

 月の誕生に関しては3つ学説がある。
①誕生時の地球に巨大な天体が衝突して、その残塊から生まれた。
②地球の誕生時に分離した~いわゆる兄弟星説。
③飛来した星が地球の引力に取り込まれて月になった。

 現在の研究では①が有力だとされている。
 しかし、J.P.ホーガンは③の説を採用して壮大なSF小説を書いた。

 ご存じのように太陽系の天体の配列はこうだ。
 太陽→水星→金星→地球→火星→小惑星群(アステロイドベルト)→木星→土星……

 ホーガンは、小惑星群(アステロイドベルト)は実は太陽系の第5惑星だった、と空想する。
 戦争が起こり、第5惑星は小型ブラックホールの兵器で粉々に砕かれたのだ。
 第5惑星には衛星があり、引力から解き放たれた衛星は地球に飛来。
 地球の引力に取り込まれて「月」になった。

 楽しいな、こういう空想は!
 ……………………………………………………………

 SF作家はさらに空想を膨らませる。

「月」がない時の地球はどのような状態だったか?
 地球の自転は現在の3倍で、1日は8時間。
 3倍のスピードで自転しているので、狂風が吹き荒れている。
 重力は遠心力が働いて現在の1/3。

 こんな状況下、生物が海からあがって来るのは大変だっただろう。
 それでも何とか陸上にあがってきた生物が進化して「恐竜」になった。
 恐竜が重いのは狂風に吹き飛ばされないため。
 重力が1/3なので体重が重くても問題がない。
 恐竜は長い首と尾を風向きに合せて舵を取る帆船のように使い、移動していた。
 あるいはトリケラトプス。首の襟巻で風を受ければ速く走れる。

 

 ところが第5惑星の衛星が飛来して月になった。
 月の引力が、上げ潮、引き潮などの潮汐を生み出した。
 結果、海の摩擦が生まれ、地球の自転速度は遅くなり、1日24時間になった。
 自転速度が遅くなったので狂風も収まった。
 結果、人類の祖先が生存しやすい環境が生まれた。
 途中、隕石が落ちて氷河期が起こり、恐竜は滅びたが、人類は何とか凌ぎ、
 南アフリカの洞窟に住んでいた約1000人のクロマニョン人が人類の祖先になった。

 以上をチャットGTPに箇条書きでまとめてもらうと
①地球は月ができる前に、1日が8時間で自転速度が3倍速であり、狂風が吹き荒れていた。
②狂風のせいで生物が陸上に上がることは困難であったが、恐竜は長い首と尾を進化させ、重い体重で飛ばされないように対策した。
③しかし、月ができたことで潮汐が生まれ、地球の自転速度は遅くなり、1日が24時間になった。
 自転速度が遅くなることで狂風が収まり、人類の祖先が生存しやすい環境が生まれた。
④氷河期などの影響があったが、南アフリカの洞窟に住んでいた約1000人のクロマニョン人が人類の祖先となった。

 これがSF作家の空想力の凄さだ。
 第5惑星の消滅から始まって、月の誕生、恐竜や人類の歴史を見事に描いている。
 しかも、ホーガンの空想はここで留まらない。
 第5惑星の文明発生の理由、高度な知性と知能をもった宇宙人とのファーストコンタクトなど、空想がどんどん拡がっていく。
 その空想の規模たるや数100万年単位。

 10年、50年単位で、ああだこうだと言っている自分が小さく思える。
 
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銀河英雄伝説を読む8~ヤン・ウェンリーの人生観と権力観

2023年04月10日 | 小説
 ヤン・ウェンリーの人生観・権力観について語ろう。

 イゼルローン要塞を落としたヤンは退役を申し出る。
 ついに夢の年金と退職金を手に入れて、大好きな歴史の研究に専念できるのだ。
 だが、軍が優れた用兵家を手放すわけがない。
 以下は、軍のシトレ元帥とヤンのやりとり(原作抜粋)──

「辞めたいというのかね? しかし君はまだ三〇歳だろう」
「二九歳です」
「とにかく医学上の平均寿命の三分の一もきていないわけだ。
 人生を降りるには早過ぎると思わないのかね」
「本部長閣下、それは違います」
 若い提督は異議を唱えた。
 人生を降りるのではなく本道に回帰するのだ。
 いままでが不本意な迂回を余儀なくされていたのである。
 彼はもともと歴史の創造者であるよりも観察者でありたかったのだから。


「歴史の創造者」であるよりは「観察者」でありたい。
 これがヤンの望む生き方だった。

 しかし、自分の思ったとおりに生きられないのが人生だ。
 シトレに
「わが軍が必要としているのは君の歴史研究家としての学識ではなく、用兵家としての器量と才幹なのだ」
「第一三艦隊をどうする? 創設されたばかりの君の艦隊だ。君が辞めたら彼らはどうする?」
 と詰められて、軍に残ることになる。

 部下のワルター・フォン・シェーンコップからはこんなことを言われる。
「まじめな話、私は提督のような方には軍に残っていていただきたいですな。
 あなたは状況判断が的確だし、運もいい。
 あなたの下にいれば武勲が立たないまでも生き残れる可能性が高そうだ」
「私は自分の人生の終幕を老衰死ということに決めているのです。
 一五〇年ほど生きて、よぼよぼになり、孫や曾孫どもが、やっかい払いができると嬉し泣きするのを聴きながら、くたばるつもりでして……壮絶な戦死など趣味ではありませんでね。
 ぜひ私をそれまで生き延びさせて下さい」

 シェーンコップらしいひねりの効いた言葉だ。
「壮絶な戦死など趣味ではありませんでね」
 という言葉にも僕は共感する。
 …………………………………………………………

 権力について、ヤンはシトレ元帥にこんなことを語っている。

「私は権力や武力を軽蔑しているわけではないのです。
 いや、じつは怖いのです。
 権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わる例を、私はいくつも知っています。
 そして自分は変わらないという自信を持てないのです」
「とにかく私はこれでも君子のつもりですから、危うきには近づきたくないのです。
 自分のできる範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり気楽に暮らしたい──そう思うのは怠け根性なのでしょうか」


 ヤンの人生観は、軽やかでさわやかで、実に潔い。
 権力を求め、宇宙を手に入れようとするラインハルトとは対照的でもある。
 もっともラインハルトは、権力を手に入れても醜くならず、公正に使える稀有な人物なのだが。

・歴史の観察者でありたい。
・権力は人を醜くする。
・自分のできる範囲で仕事をやったら、のんびり気楽に暮らしたい。


 これらのヤンの言葉は僕の中に刻まれている。


※追記
「怠け根性なのでしょうか」と問うヤンにシトレはこう答える。

「そうだ、怠け者だ」
「私もこれでいろいろ苦労もしてきたのだ。
 自分だけ苦労して他人がのんびり気楽に暮らすのを見るのは、愉快な気分じゃない。
 君にも才能相応の苦労をしてもらわんと、第一、不公平と言うものだ」

 シトレ元帥、なかなか口達者だ。
 個人的な思いを語って、ヤンを論破してしまった。
 先程のシェーンコップといい、『銀英伝』はこういう会話のやりとりが楽しい。

コメント (4)
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