平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

古畑任三郎 「すべて閣下の仕業」

2005年12月31日 | 職業ドラマ
 本日再放送されていた古畑任三郎「すべて閣下の仕業」は名作だ。
 犯人の作り出したストーリーにあるわずかなほころび・矛盾を見つけ出して崩していく。2時間ものの推理ドラマはどうしても中だるみがしてしまうのだが、グングン犯人を追い込んでいく過程はスピードがありたるみがなかった。
 苦労して上りつめた大使の人物像、大使夫人のぜいたくくらいしかすることのないという退屈、献金を受けてぜいたくな暮らしをしている理由なども良くできている。
「欲望(お金)というのは不思議なもので持てば持つほど、欲しくなるものなんです」といった古畑のせりふも魅力的だ。

●事件
 中米の大使館。
 地元の日本企業から献金を受けている大使。
 大使館員・川北はそれを告発するという。大使はそれを阻止するため、川北を殴って殺し、反日運動をしている地元の連中に誘拐されたという偽装をした。

●ほころびと解決まで
 犯人の大使が作り出した誘拐のストーリーはこうである。

 大使館員・川北が誘拐された。夜、車で大使館に乗りつけた時に誘拐されたのだ。翌日、車で大使が街に出ていると覆面の男が大使に車に入ってきて脅迫状を渡した。
 脅迫状には次のように書かれていた。
「目印の黒いコートを着て身代金10万ドルを公園の噴水の所まで持ってこい」

古畑任三郎は次の様なほころびを指摘する。

・川北さんが誘拐された時は車に乗っていた。車で襲われたのなら車のキイがささっているはず。
・誘拐した時になぜ、脅迫状を置いていかず、翌日大使に渡したのか?
・大使の車に覆面の犯人が入ってきた時、覆面を被っているのになぜスペイン語で「誰だ?」と訊いたのか?
・大使でなく大使館職員を誘拐したのか?
 大使「大使は警戒が厳重だから」
 古畑「今日は車に簡単に乗り込まれたのに?」
・なぜ、暑い季節に黒いコートを着て噴水に来いと行ったのか?

 話は進行する。
 大使は日常会話ぐらいは出来るが、複雑なスペイン語は話せないと言う事実がわかるのだ。
古畑は20年前に大使館で誘拐事件があったことを思い出し、大使館の資料を調べる。その資料に書かれていたのが、「目印の黒いコートを着て身代金を公園の噴水の所まで持ってこい」というものだ。複雑なスペイン語が話せない大使はこれを写したのだ。午前中、資料室にいたという事実も残っている。

 そして川北の死体の発見。
 死体に付いていた葉(パクチ・コリアンダー)から、死体が厨房の冷蔵庫に入れられていたのではないかと推理する古畑。雇っていたコックをクビにしたこと、大使の妻が冷凍のピザを食べたいと言って大使に激怒されたことにも符合する。

 最後は詰めだ。
 大使が犯人であることを証明しようとする古畑。
 追いつめられた大使は、使用人のガルベスを犯人に仕立てようと工作するが……。

★研究ポイント
 古畑任三郎は、コロンボと共に「重箱の隅を突く様な意地の悪さで犯人の偽装を
崩していく名刑事。
 古畑任三郎もファイナルを迎える様だが、次の新しい探偵像は?

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男たちの大和/YAMATO

2005年12月30日 | 邦画
 「男たちの大和/YAMATO」がヒットしているという。
 サンケイスポーツ(12/29)の配信によれば

「東映映画「男たちの大和/YAMATO」(佐藤純彌監督)の観客動員が28日、公開12日目で100万人を突破。「生きる勇気と意味」「日本人としての誇りと自覚」という2つのテーマが歓迎され、公開から12日目で観客動員数100万人を突破した。
 最終目標を「1000万人動員」に置く角川春樹プロデューサー(63)は東宝、松竹の協力を取り付け、上映館数の拡大に成功。8月に発売されたシンガー・ソングライター、長渕剛(49)の主題歌もチャートを再浮上中で、「大和」の爆進が日本の映画、音楽の常識を打破し続けている」
という。

 ヒットの理由はわかる。
 この作品のテーマと報道されている「生きる勇気と意味」「日本人としての誇りと自覚」が今の日本に欠けているからだ。

 現在は、極端な個人の時代。
 個人は多かれ少なかれ個の中に引きこもり、連帯して共感しなうことをしない。
 共感しあうのはワールドカップの時くらいか。
 自分さえよければいいという風潮は、耐震偽造問題に関わったとされる人たちを見れば歴然。

 こんな時代で、この作品の描いた「個人のためでなく愛する人のために生きた人間」「同胞・国のために生きた人間」の姿は今の人々が求める理想の人間像だろう。極端な個の時代の反動として、この作品で描かれたことが共感されるのは当然だろう。

 この現象・風潮を良しとするか悪しとするかは個人の判断。
 「映画大好き」「引きこもり大好き」の私としては、この時代の方が居ごごちがいいのですが……。

 ただ、この作品の製作者のマーケティングは見事。

 ・「個の時代」に飽き飽きしてきた人々に逆の価値観を提示したこと。
 ・「YAMATO」というある意味日本人のDNAに刷り込まれているものを提示したこと。

 この2点でマーケティングは成立している。
 (「YAMATO」という言葉に中国・韓国は反応したし、かつては「宇宙戦艦ヤマト」という大ヒット作品もありましたしね)

★研究ポイント
 ・企画の方法1 人々の求めている価値観を提示すること
 ・企画の方法2 人々のDNAに刷り込まれていることを提示すること。
コメント (1)
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相棒 その2

2005年12月30日 | 推理・サスペンスドラマ
 第3話「黒衣の花嫁」はこんな内容でした。

●ストーリー
 結婚式に現れない新郎。
 探してみると、新郎は自宅で殺されていた。
 新郎は大学の友人たちによって行われた「独身さよならパーティ」から帰って来た時に強盗に襲われたのだ。それは明日結婚する新婦に「話はまた日を改めて。明日、式場で君のウエディングドレス姿を見るのを楽しみにしている」とメールした直後のことだった。
 警察は家が荒らされ、財布が盗まれていたことから強盗に襲われ殺されたと判断するが……。

●推理(以下、ネタバレ)
 大学の友人たちが犯人。
 「独身さよならパーティ」の時に殺害し、車のトランクに入れておき、パーティが終わると家に連れて行き、強盗にあった様に偽装した。
 パーティには刑事になっている人間がパーティに同席してことが、彼らのアリバイ作りになっている。
 友人たちは、新郎を車の所まで送って行ったわずかな時間で殺害したのだ。

●ほころび
 偽装のために打ったメールが「ウエディング」となっていたこと。
 それまで新郎は「ウェディング」と小さい「ェ」で打っていた。

●フェイク
 捨てられた元カノが登場したり、新婦の父は、昔、新郎の父に会社を倒産され自殺したといった動機が浮上してくる。
 また、友人たちが新郎を殺した動機が作品のオチになっている。

★研究ポイント
・推理ドラマの書き方1
 動機を持った人間が複数登場する。
・推理ドラマの書き方2
 ラストにきれいなオチがあるとスマート。
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笑っていいとも 特大号

2005年12月29日 | バラエティ・報道
 昨日放送された「笑っていいとも 特大号」、オープニングのタモリさんの世相を斬る口上が良かったです。
 建築偽装問題で誰が悪いのか、誰に責任があるのかわからない世相を斬り、和泉元彌のプロレス参戦を斬る。
 こういうコメントはワイドショーなどには溢れているのですが、それを笑いで表現してしまうところは、さすがタモリさんです。

 真面目なことを真面目に語らない。
 これがタモリさんのスタンスなんですよね。

 考えてみると、この「笑っていいとも」、昔は「おじさんは怒ってるんだぞ」というコーナーや「5つのフォーカス」といった毒のあるコーナーがありました。(懐かしい)
 「おじさんは怒ってるんだぞ」は文字どおり、タモリさんが世相を怒りまくるコーナー。「5つのフォーカス」は田中康夫さんと山本コータローさんが世相を斬るコーナーでした。

 この特大号で垣間見たタモリさんの毒。
 タモリさんの昔の毒をまた見てみたいです。

★研究ポイント
 タモリさんのスタンス。
 タモリさんがよく口にする「いい加減」。
 「いい加減」とは、右、左と言った極端に行かないというスタンス。
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相棒 その1

2005年12月29日 | 推理・サスペンスドラマ
「相棒」は現在、4期目を迎える刑事ドラマシリーズです。
 どちらかというと「走る」ことで事件を解決してきた日本の刑事ドラマですが、「相棒」は「推理」で事件を解決していく希有なドラマです。
 今回は「相棒」の中で描かれた「推理と犯人の残したほころび」について書いていきます。(当然、一部ネタバレです)

第1話「閣下の城」

●ストーリー
 殺人犯として逮捕されながら、超法規的取引で自由の身を手に入れた傲慢・狡猾・残忍な元外務省事務次官・北条晴臣。その「閣下」と呼ばれる彼から、晴臣を逮捕した刑事・右京と薫にパーティーの招待状が届く。「すべてを水に流そう」。招待状にはそう書かれており、右京たちは晴臣の城(英国から運んだという中世の城)にやって来るが、殺人事件が起きる。
 晴臣の執事であり晴臣の妻になる繭子のかつての恋人であった郷内が殺されたのだ。

●推理
 脇腹を中世の剣で刺されて殺された郷内。
 まわりには中世の騎士の甲冑が散らばっている。
 右京はこの状況から次の2つの推理・仮説をたてる。
 ・妻の繭子が甲冑を着て待っていて、やって来た郷内を不意打ちにして殺した。
 ・命令して郷内に甲冑を着せた晴臣、身動きがとれない所を剣で刺した。

●ほころび
 郷内の傷が脇腹にあったこと。
 晴臣は郷内に甲冑を着せ、甲冑の脇腹から剣を刺して殺したのだ。

●その他
 こんなアイデアもあった。
 逮捕されそうになった晴臣は証拠となるデジタルビデオテープのテープを引き出して証拠隠滅を計ろうとする。
 そのテープは結局警察に取り上げられるが、実はフェイク。
 本物の証拠となるテープは下着の中に隠していた。

★研究ポイント
・名探偵の条件1
  残された状況から犯人が行ったことを想像して組み立てる。
  この場合は、死体のまわりに散らばった騎士の甲冑。
・名探偵の条件2
  犯人の犯行のどこかに生じたほころびを見つけ出す意地の悪い性格。
  重箱の隅をつつく様な細かさ。
  この場合は脇腹の刺し傷。
  右京は自分のことをこう表現する。
  「一通り疑ってみないと気が済まない性格なんです」
  「引き出しがあれば開けてみたくなるのが、私の習性でして」

★追記
 この閣下こと北条晴臣役をやった長門裕之さんは本当に怪演でした。
 長門さんぐらいのキャリアの方なら重厚に構えていてもいいと思うのに、この怪演。本当に演じることを楽しんでいらっしゃる様でした。
 また、長門さんの役者魂を見ました。
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ヒトラー最期の12日間

2005年12月28日 | 洋画
 第2次大戦末期、ベルリンに連合軍・ソ連軍が攻めてくる中、総統のヒトラーが自殺するまでを描いたこの作品。

 ここには追いつめられた権力者がどの様な行動をし、破滅の道を歩んでいくかが綿密に描かれている。

 まず、彼は机上の空論を振りまわした。
 ベルリンの地下要塞にこもっているヒトラーはベルリンの地図を見ながら、「12師団を北へまわせ」「南を守る必要はない。第9師団も北部へまわせ」と力説するのだ。それはすぐそこにソ連軍が来ているためだが、現実には第12師団も第9師団も壊滅的な打撃を受け、戦うことなどできない。
 ヒトラーの取り巻きも本当のことを言えず、逆に自分の命令に従わない将軍・兵士たちにヒステリックにわめき散らす。

 第2に彼は自分に都合のいい理論・言葉を作り出した。
 苦しんでいる国民のために無条件降伏を受け入れるよう進言する将軍にヒトラーは言う。
「国がなくなれば、国民などない。現状に耐えて戦うのがドイツ国民だ。今、残っているのは、堕落した弱い国民ばかりだ」
 また空爆でベルリンが瓦礫の山になることも容認する。都市の模型を前にして彼は言うのだ。
「すべてがなくなってしまえば、理想の都市を作る時、壊す手間が省けていい」
 また幼い少年兵にはこう言って戦うことを鼓舞する。
「戦いは勝つ。戦争が終われば、君達は英雄だ」

 独裁者は他の人間に幻想を見せるのに長けている。
 ヒトラーの演説が熱狂的に受け入れられたのもそのせいだ。
 そして、自分自身もその幻想を信じている。
 だが、その幻想が崩壊した時、独裁者はヒステリックになり絶望する。
 それは幻想であるのだから破綻するのは当たり前なのだが、ヒトラーはそれを仲間(例えばヒムラー)や自分の命令を実行しない将軍たちのせいにする。

 ヒトラーは最期に毒を飲み、銃で撃って自殺する。
 毒を飲むのは撃ちそこなって苦しむのが嫌だからだ。
 自殺前のヒトラーは憔悴しきっている。
 背中を丸め、背中にまわした左手はなぜか小刻みに震えている。
 これが独裁者の正体。
 この作品はそんな独裁者の最期の姿を突き放して描いている。

★研究ポイント
 独裁者というキャラクターをここまで描いた作品はない。
 「アドルフの絵画」とこの作品。そして、この作品の目撃者である秘書役の女性がヒトラーの幻想に惑わされなかった女性として名前をあげたゾフィ・シェルを描いた「白バラの祈り」(2006年1月公開)をあわせて見ると、ドイツの側から見た第2次大戦像が浮かび上がって来る。
 ヒトラーは地下要塞にこもっていて、地上で起こっている悲惨を目にしていなかったというのも見事な暗喩だ。

★追記
 この作品、戦争の悲惨さを描いても見事だった。
 まず、空から降ってくる爆弾の音、爆発して土煙をあげる爆弾が怖い。
 (この辺は映画館ならでは)

 また、ゲッペルズ夫人が自分の5人の子供たちを殺すシーン。
 夫人は子供たちを睡眠薬で眠らせると、眠っている子供たちの口に毒薬をひとりずつ入れていくのだ。口の中に毒入りのカプセルを入れると、子供のあごを掴んでガリッと噛ませる。そして2秒後に息絶える子供。
 これをこの作品では省略することなく、5人の死をきっちり描いていく。
 同じシーンだが、こんな描写もあった。
 子供たちは「体にいい薬よ」、夫人に言われ子供たちは睡眠薬を飲まされるのだが、長女の女の子は睡眠薬であることに気づいて飲むことを拒む。それを夫人は鼻を摘み、口をこじ開け無理やり飲ますのだ。

 その他、ナチの幹部たちが死と破滅の恐怖からか、狂気にかられ酒に酔い踊り狂う姿も地獄図を見る感じだった。
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アドルフの絵画

2005年12月28日 | 洋画
 アドルフ・ヒトラーの若き日を描いたのが「アドルフの絵画」だ。

 物語は頬が痩けギョロリとした目がドイツの町を見つめている。戦争に負け莫大な戦後補償を突きつけられている第1次大戦後のドイツだ。
その無精髭を生やした小柄な男は絵を描いている。画商のマックスは彼の絵を見るが、平凡だと思う。心に迫ってくるものがなにもないのだ。
 彼の名はアドルフ・ヒトラー。
 後のドイツ第3帝国総統。今は売れない画家で、野良犬のように街をうろついている。
 絵は平凡であったが、マックスはヒトラーの中に暗い情念を見出す。画家として認められることのない孤独、屈辱、怒り……。マックスはヒトラーにそうした情念をカンバスにぶつけることを提案する。
 しかし、描くことの出来ないヒトラーは政治に走るようになる。彼の中にある情念は過度な補償を突きつけられた戦後ドイツの屈辱、怒りとシンクロしたのだ。
 彼の演説は歓声と拍手で迎えられた。ドイツ国民も同じ情念を抱いていたからだ。そして、それはヒトラーが世の中に初めて認められた瞬間でもあった。
 「自分の演説こそが新しい芸術」
ヒトラーはマックスに興奮してそう語る。
演説で認められた瞬間、今まで描けなかったヒトラーの中でイメージが噴出してくる。ここでヒトラーが描いたのは、後のドイツ第3帝国の具象のイメージだ。彼はカンバスでなく、力で自分の思い描く世界を描こうとする様になったのだ。

★研究ポイント
 世の中から認められない人間がファシストになっていく過程を描いたこの作品。
 「スターウォーズ3」のアナキンと照らし合わせて見るのも面白い。

★追記
 上記の文章は以前、記事で書いたものを加筆修正したものです。
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江戸川乱歩 群衆の中のロビンソン・クルーソー

2005年12月27日 | エッセイ・評論
「群衆の中のロビンソン・クルーソー」というエッセイの中で江戸川乱歩は次のような人物のことを紹介している。

「この都会のロビンソン・クルーソーは下宿の中での読書と、瞑想と、それから毎日の物言わぬ散歩とで、1年の長い年月を唖(おし)のように暮らしたのである。
友達は無論なく、下宿のおかみさんともほとんど口を利かず、その一年の間にたった一度、行きずりの淫売婦から声をかけられ、短い返事をしたのが、他人との交渉の唯一のものだった」

 そして、人間の持つ潜在願望として、こうした人と関わりを持たないで生きる「ロビンソン型」の潜在願望と心の奥底にある恐ろしい潜在願望を持つ「ジーキル・ハイド型」の潜在願望があるという。

 これが乱歩の人間観。
 乱歩の作品の底流にあるものだ。
 そこに人と人の友情や愛情といったものはない。

 これに人形趣味や変身願望などが加わってくる。
 実に魅惑的な作家だ。
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江戸川乱歩 幻影の城主

2005年12月27日 | エッセイ・評論
 江戸川乱歩は「幻影の城主」という随筆の中でこの様に書いている。

「弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦め、幻影の国に一城を
築いて、そこの城主になってみたいと考えた」

 乱歩は現実よりは空想の世界に生きたいと思ったのである。
 それは新聞記者あがりの松本清張のスタンスとは大きく違う。
 清張の小説を書く動機は次の様なものである。

「松本清張はそれまでの探偵小説を読んで、人物が描かれていないことに不満を抱き、一握りのマニアを満足させる謎解き小説から、動機にウェイトを置いた社会性のある推理小説を書いた」(新潮現代文学全集「松本清張」解説/尾崎秀樹)

 清張は、空想の世界よりも現実を的確に描きたいと思った。
 それは乱歩と清張の資質に拠るのだろう。
 乱歩は自分の少年時代をふり返ってこう書いている。

「世界お伽噺の遠い異国の世界が、昼間のめんこ遊びなぞよりは、グッと真に迫った好奇に満ちた私の現実であった」
「薄情にされたり無愛想にされたりすることに人一倍敏感な癖に、お能の面のように無表情な、お人好しの顔をして、内心激しい現実嫌悪を感じていた」

 現実への違和感は多かれ少なかれ人にはあるものだろうが、乱歩は現実に背を向け、空想の世界に逃げ込んだ。空想の世界に逃げ込むばかりではなく、みずから作り出した。
 それが悪いと言っているのではない。
 すごくよくわかる。
 清張だって現実への違和感を感じていただろう。
 清張は、現実への違和感を自分の筆で再構築することで、現実を自分のものにしようとしたのだ。

 現実への違和感。
 これが作家の資質の第1歩なのだ。
 そこからどこへ行くかは作家の自由だ。
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さんま&SMAP クリスマスSP

2005年12月26日 | バラエティ・報道
 今回、出てきたお題は「クリスマスイヴに1分間で指輪を渡す方法」「クリスマスイヴに彼女にしてほしいこと」。

 この番組をみていると、「リアクションがキャラクターを表現する」ということを教えてくれる。
 
 まずはこれらお題に対するさんまさん、SMAPメンバーのリアクション。
 香取くんは、駅のホームで待っている彼女にわからない様に指輪をはめる。
 吾郎ちゃんは、船から花束を投げて、ヘリコプターから薔薇の花びらの雪を降らせる。
 木村くんは、「木村拓哉の女だぜ」と書かれたテープを背中に貼る。
 中居くんは、駅のホームで待っている彼女に手袋をはめてあげて、手袋の中に指輪が入っている。
 剛くんは、ベランダで星を指差す彼女の指に指輪をはめる。剛くんははしごに昇って隠れている。
 さんまさんは、番組の台本のオープニングの所に指輪を貼り付けて、「これが君とのオープニングだよ」と言う。

 お題に対してどうリアクションするかで、その人の個性が表れるのだ。

 この番組のリアクションはそれだけではない。
 判定をする美女20人がいて、判定するのだ。
 美女20人のメンバーは、梨花さん、杉本彩さん、磯野貴理子さん、杉田かおるさん、ほしのあきさん、浜口京子さん、ライブドアの乙部さんら。そして、彼女たちのリアクションも人それぞれなのだ。さんまさん、SMAPの出した答えに「ステキ」という人もあれば、「キモイ」という人もいる。
 これで、美女20人のキャラクターも表現される。

 おまけに客席の女性のリアクション、美女20人の判定に対するさんまさんやSMAPのリアクションも加わって、それぞれの個性が際だっていく。

 芸能人は自分の個性を売って仕事にしている人たちだから、どうコメントすれば自分らしさが出るかをよく心得ている。自分らしさを表現する術を持った人が芸能界で生き残ることが出来る。

 芸能人は体と言葉で自分を表現するクリエイターである。

★研究ポイント
 キャラクターはリアクションで現れる。
 リアクションは同じでないから面白い。
 さんまさん、SMAPのメンバーのリアクションは全然違うし、杉本彩さん、磯野貴理子さん、浜口京子さんもそれぞれ違う。
 様々な人の個性がクロスし合うことで、面白いものが生まれるのだ。

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