平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ゲゲゲの女房 村井家の台所

2010年07月31日 | ホームドラマ
 悪魔くん復活。
 エピソードとしては、茂(向井理)の両親が放映を見るために東京へやって来る下りが面白い。
 テレビが壊れたから茂の所で見るために東京に出て来た。
 でもテレビが壊れたのはウソだったんですね。
 本当は母・絹代(竹下景子)が茂といっしょに放映を見たかったから。息子の成功を同じ場所で共有したかったから。
 素直になれない母親心が伝わってきます。
 物語としては、直接的な描写よりこのくらいひねった方が伝わってくるんですね。

 あとはゼタの深沢(村上弘明)。
 茂の成功に便乗して雑誌を大きくしようとする加納郁子(桜田聖子)に深沢は言う。
 「大きくしてどうするんだ? 私はゼタを自由に漫画が描ける場所にしておきたい」
 これもひとつの考え方・スタンス。
 百万部のメジャーだと売り上げのために冒険が出来ない。いろいろな制約が出て来る。
 しかしマイナーだと自由に様々な冒険が出来る。これがマイナーの強み。
 現在ではメジャーが上でマイナーが下という意識は少なくなりましたが、皆が上を目指していた高度経済成長の時代に、マイナーを維持しようとした深沢は大したものですね。

 あと今週面白かったのは村井家の台所。
 大きな炊飯器、木のまな板、不格好なやかん、かき氷の器械、ワンドアで丸い冷蔵庫。
 昔の台所はみなこんな感じでしたね。
 台所ではないが、黒電話やおよそグッドデザインとは言えない無骨な扇風機もあった。
 実に懐かしい。
 この作品が20%を越える高視聴率を確保しているのも、年配の方がこの風景を懐かしいと感じているからではないでしょうか?
 でも、あれ? と思ったのは金曜日。
 ジャガイモの皮を剥くのに布美枝(松下奈緒)はピラーを使っている。
 昭和41年にピラーはあったのかな? 最近の様な気がするけど。
 視聴者は細かく見ていますからね。ディティルは本当に大事。
 ディティルと言えば、藍子の絵。
 おじいちゃん、おばあちゃんの絵に、いっしょに上京してきた茂の弟・光男の絵も描かれていた。
 こういう遊びは嬉しい。


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うぬぼれ刑事~うぬぼれのススメ 

2010年07月30日 | 推理・サスペンスドラマ
 宮藤官九郎さんの作品って人によって好き嫌いが分かれる所だろうが、「うぬぼれ刑事」は面白い。
 宮藤さんは刑事ドラマで「男はつらいよ」をやりたかったのではないか?
 共通点は
・毎回違うマドンナ役が登場すること。
・主人公うぬぼれ(長瀬智也)は必ずフラれること。
・主人公が帰る場所があること。「男は」の場合は帝釈天の寅屋であり、「うぬぼれ」の場合はうぬぼれ達が集まる地下のバー。
・ケンカ相手の荒川良々さんの上司は「男は」で言うタコ社長? などなど。
 「男はつらいよ」の要素をうまく換骨奪胎して、別のドラマを作っている気がする。

 また、この作品、完全なパターンがある。
・ラスト告白シーン。
 逮捕状と結婚届を出して、逮捕か結婚かを迫る。それがダメだと手錠か結婚指輪かを選ばせる。
・毎回、うぬぼれと元カノ(中島美嘉)と話をする。
・何らかの形でマドンナが父親(西田敏行)の所にやって来る。父親は彼女が犯人であることを見破る。
・バーのバーテンが犯人について鋭い、というか普通に考えれば当たり前の指摘をする。

 われわれはこれらのパターンが毎回どんなふうにアレンジするかを楽しむのである。
 たとえば、告白場所は<埠頭>(1話)であり、<崖>(2話)であり、<犯行現場>(3話)であり。
 父親の所に連れてくるのは、恋人としての紹介(1話・2話)であり、テレビの選挙番組(3話)であり。
 次回はどんな形でこのパターンを見せてくれるのか?

★最後に<うぬぼれ>ということについて。
 人は皆、<うぬぼれ>の中に生きているんですね。
 <うぬぼれ>を<幻想><思い込み>と言い換えてもいい。
 <彼女は自分のことを好きに違いない><自分はいい男でもっとモテるはずだ><自分には白馬の王子様が現れるはず><自分はきっと成功するはずだ><自分と彼とは赤い糸で結ばれている。ふたりの愛は永遠だ><自分は彼女を幸せにできる。自分と結婚すれば幸せになれる>、そんなことを拠り所にして生きている。これらのことは実は何の根拠もないことなのに。
 でも<うぬぼれ>なければ、生きることは本当につまらない。単調な日常があるだけ。
 人はうぬぼれて、頭をぶつけて痛い想いをして、そして思い込みでちょっと楽しい瞬間を過ごして生きていく。
 自分の思い込みが<うぬぼれ>であるとわかる結果になるかもしれませんが、大いに<うぬぼれ>て生きていきましょう。


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ホタルノヒカリ2 了解!

2010年07月29日 | 恋愛ドラマ
 了解!
 このメールだけで蛍(綾瀬はるか)の干物っぷりが集約されている。
 蛍にとっては世間でいうラブラブは、はるか彼方のものなのだ。
 香港に部長(藤木直人)が送っていた手紙も<しょっぱい手紙>だし、「いっしょに寝よう」という言葉も<台風が怖いからいい歳してひとりで寝られない>という意味になってしまう。
 恋愛感覚がズレている蛍。
 でも彼女は心から部長のことが好きなんですね。
 瀬乃(向井理)に言った言葉。
 「そこは部長の場所だから。気がつくと部長が自然とそこにいたんです。いつもいっしょにビールを飲んで、叱られたり笑ったり、話をしたり、わたし、部長といるとホッとするの。ひとりで飲むビールは美味しいけれど、ふたりで飲むビールは最高に美味しいの」
 蛍はメールでは部長に『好き』と送れないくせに、こんなに饒舌に自分の想いを伝えられる。
 行動力もある。
 ヒッチハイクで箱根に行き、救急箱を持って崖を伝っていく。
 恋愛表現は、メールでハートマークを入れるだけじゃないんですね。蛍には蛍の表現の仕方がある。
 それは部長も同じ。
 <2人で飲むビールはもっと美味しい>と同じことを言っている。
 結局ふたりは似た者どうし。
 夜景の見えるどんな高級バーよりも縁側が好き。

 恋愛は人それぞれ、恋愛表現は人それぞれ。
 <相性>という言葉を使うと陳腐になってしまいますが、ふたりはいっしょにいて自然体でいられるベストカップルなのでしょうね。


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THE3名様 無意味に生きるススメ

2010年07月28日 | 邦画
 夜のファミレスで語り合う岡田義徳・塚本高史・佐藤隆太が演じる主人公たちのショートコメディ。1話・約5分。
 ここにはドラマチックなことは何もない。どうでもいいことをただしゃべっているだけ。
 だが、これがなぜか心地いい。

 たとえば、こんなエピソード。
 ヒマな3人が<お互いのいい所>を語り合おうと言い出す。山手線ゲーム方式で順番に。
 最初は順調で盛り上がるが、次第に<いい所>がなくなっていく。
 パスが増えていき、「お母さんが若い」なんて<いい所>も。
 そしてオチは「お母さんが若いって。俺のいい所ってそんなことしかないのかよ」と怒り出す塚本さん。
 エピソードとしてはただこれだけ。これで次のエピソードに移る。

 こんなエピソードもある。
 ファミレスの西側の椅子になぜか3人並んで座っている主人公たち。3人の頭にはなぜか帽子。
 彼らがそうしている理由は<西側の席に帽子をかぶって座っていれば素敵な出会いがある>という占いを見たからだ。
 ワクワクして待っている3人。
 だが素敵な出会いは訪れない。
 彼らの目の前では中年親父がパフェをむしゃむしゃ食べている。
 「ありえねえ」と呆れていると、中年親父はパフェをお代わりする。これで三杯目だ。
 そしてオチ。
 主人公たちはふと気づく。
 「もしかして、これが素敵な出会いではないか」と。

 何度も書く様だが、物語としてはただこれだけ。
 でもよく考えてみると、われわれの日常って、こんな感じなんですよね。
 どうでもいいことをしゃべり、素敵なことをちょっと期待して、何となく過ぎていく。
 感動的なこと、劇的なことなどほとんど起こらない。
 何かを求めて努力しがんばっている人には生きることは大変だろうが、少なくともこのファミレスの3人にはハードさはない。
 バカなことをしゃべり、笑って、何となく時が過ぎていく。
 人生の目標に向かってがんばっている人は素敵だが、たまにはこういう無意味な時間もいいかもしれない。
 そしてダラダラと無意味に時間を浪費していくことは若者の特権だ。
 人生の残り時間が少ないと感じる年齢になるとどうしてもあせってしまう。
 生きている時間をどう使うかは個人の自由だが、彼らの姿勢には学ぶべきものがある。


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26時間テレビ トラブルの中にこそ真実がある

2010年07月27日 | バラエティ・報道
 今年の26時間テレビ。
 フジテレビは日テレさんの24時間テレビに対抗してか、<感動><涙>の要素を持ってこなかったのだが、メイン司会が島田紳助さんだけあって、今回はそれを前面に押し出してきた。
 感動とか募金とか絆とか関係なしに、<ただ無意味にお笑いの大騒ぎ>をするという従来のコンセプトも好きだったんだけどな。

 全部見たわけではなかったが、面白かったのは駅伝でFUJIWARAの藤本さんからmisonoさんにタスキを渡す時。
 この時、misonoさんは体調が悪くて、炎天下で16キロも走れる状態ではなかったらしい。
 紳助さんと運営スタッフは代わりに波田陽区さんが走ることを要請。
 しかしmisonoさんは走るのを諦めきれない。自分が足を引っ張ってタスキを繋いで来た仲間の気持ちを裏切るのが嫌なのだ。
 紳助さんとスタッフの要請に「絶対イヤだ」と拒むmisonoさん。
 では200メートルだけ走ったら波田さんに交代するという条件つきで走り始めたが、200メートル走っても「まだ走れます。走らせて下さい」とmisonoさんは言う。
 このリアルなやりとり。
 26時間テレビなどの長時間の生番組では時間がダラダラ流れることが多い。
 だからそれを避けるためにスペシャルゲストを登場させたり、クイズ番組を入れたりするのだが、このmisonoさんの時間は、まさに緊張感のあるマジな<凝縮された時間>だった。
 そして我々はトラブルにも似た<この凝縮された時間>を見るためにテレビを一日中流し続けるのである。

 今回僕が見たもうひとつの<凝縮された時間>は、フジワラの藤本さんと木下優樹菜さんのやりとり。
 ふたりがつき合っていることは公然のこととなっているが、駅伝で藤本さんが無事走りきって木下さんは手紙を読む。
 「あなたが走りきるために夜遅くトレーニングしてきたことを知ってるよ。シャイで頑張り屋のあなたのことが好き。ずっといっしょにいようね」とまさにラブレターの様な内容。このままプロポーズするじゃないかと思える内容。
 でもこれにはオチがあった。
 手紙を読んでいたのは木下さんだが、手紙を書いたのは相方の原西さんだったのだ。
 これはこれで楽しいのだが、このエピソードには続きがある。
 午後4時過ぎ、ヘキサゴン、はねるのトビラ、レッドシアターのクイズ大会の時。
 藤本さんが「俺が20キロ走ったのは、あのオチのためだったのかい」とギャグで怒ると、何と木下さんが泣き出してしまったのだ。
 「そんなこと言わなくてもいいじゃない。あたし、本当に心配してたんだから」
 これもmisonoさんの時と同じくマジでリアルな瞬間である。
 木下さんが本気で藤本さんのことを好きなのが伝わってきた。
 テレビに映っていることなど気にせずに本音をぶちまけている。

 これは生放送でなければ目撃できない瞬間。
 収録番組では当然カットされる場面だろうし、生放送でも滅多に見られない光景。(生放送でも流れの台本はある様ですしね。タレントさんはその台本に沿ってパフォーマンスしている)
 ところが今回のmisonoさんや木下さんのシーンは、ほとんどトラブル。
 さすがの紳助さんもギャグでフォロー出来ていなかったし。
 そして、こういうトラブルシーンの中にこそ真実があり、リアルな感動がある。パフォマンスでない人間が見えてくる。
 misonoさんの強情さや必死さ、木下さんの本当に愛している気持ちが伝わってきました。


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龍馬伝 第30回「龍馬の秘策」

2010年07月26日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は薩長同盟の構想に龍馬(福山雅治)が気づく話。
 藩や組織にとらわれない龍馬だからこそ生まれた発想ということだろうが、その気づき方は乱暴。
 商人たちの麻雀と中国将棋の駒で気づくなんて。

 まあ、それはまだいいとして、龍馬の下地にあるものが伝わって来ないのだ。
 つまり<倒幕>なのか<鳥かごの中で争っている場合ではない>なのか。
 前回までの文脈では、高杉晋作(伊勢谷友介)と西郷(高橋克実)に語った様に<鳥かごの中で争っている場合ではない>だった。国内で争っているのではなく、ひとつにまとまって日本を守るべきというのが龍馬の根幹にあるものだった。それは勝(武田鉄矢)の考えでもある「海軍を抑止力にする」という考えにも通じる。
 ところが、今回は<倒幕>。
 国内の争いを鎮めるどころか煽っている。
 まあ、幕府と長州の緊張が高まり戦争は避けられない情況なのだとしよう。
 だとしたら、むしろ争乱の火種である長州をこそ倒すべきではないのか?その方が早く確実に日本がまとまるのではないか?
 まあ、おそらく幕府は腐りきっていて、国難にあたれる力がないと龍馬は理解したのであろう。そして長州にその潜在力を見出した。
 でも、その結論に至った過程の描写があまりにも少なすぎる。
 シーズン2で龍馬の描写をさぼったツケがここに来ている。
 シーズン2ではもっと腐敗して国難にあたれない幕府を描くべきだった。勝の失脚や海軍繰練所の廃止など、幕府に幻滅した龍馬を描く素材はいくらでもあったはず。ところがそれらは上っ面でしか描かれていない。
長州の潜在力も、高杉が上海、伊藤らがイギリスに留学していたというだけで納得していいのか?

 また、今回の龍馬の描写も情けない。
 生活費を稼ぐためにカステイラを作ろうとするなんて。
 シーズン3では国造りのために奔走する龍馬を見たいのに、再びその日暮らしの龍馬に戻っている。
 我々はそろそろ<広大な構想で日本の仕組みを作り直そうとする龍馬>を見たいのだ。
 将棋で言えば、何手も先を読んで行動している様な。
 だから今回の高杉との将棋のシーンも高杉に押し切られるのではなく、逆に差し返す描写がほしかった。
 大浦慶(余貴美子)ら長崎の商人との麻雀でも、龍馬の才気・凄さを見せてほしかった。
 ところが龍馬が慶に言われたことは「大きな手をしている」と「大きな運を持っている」である。
 こんなふうに評される様では英雄・龍馬はまだ遠い。


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ゲゲゲの女房 やさしい世界

2010年07月24日 | ホームドラマ
 水木プロを設立した茂(向井理)。
 お祝いの宴会で盛り上がる中、戌井(梶原善)は外でひとり酒を飲む。
 そこへやって来る布美枝(松下奈緒)。
 木曜日のエピソード。
 「ゲゲゲの女房」の世界はやさしい。日に当たらない部分もしっかり描く。
 戌井は水木漫画を信じ、同じ夢を見、いっしょに苦労をした人間だった。
 茂の成功は心から嬉しいが、同時に遠い世界に行ってしまった様な寂しさもある。
 未だに日の当たらない世界を歩いている戌井には、豊川(眞島秀和)ら漫画界の一線を走っている人間の中にいるのは居心地悪い。
 そのせりふが「バナナなんか持ってきて気が利かないですね」という戌井のせりふに集約されている。
 上手い。

 やさしいと言えば、本日・土曜日の菅井(柄本佑)。←顔が似てるけど柄本明さんの息子さん?
 絵が下手くそな使い物にならない菅井について茂は言う。
 「根気の良さなら誰にも負けない。それに見とって面白い」
 どんな人間にも存在意味はあるんですね。
 誰もがみんな同じである必要はない。オンリーワンで自分らしくあればいい。
 この菅井について茂が言ったことは、まさに水木漫画そのもの。
 水木漫画は、たとえば妖怪の様な<差別された者><虐げられた者>に目を向ける。
 彼らこそがヒーローだと言う。
 水木漫画と「ゲゲゲの女房」、このやさしい世界に我々は心地よさを見出す。
 
 その他はエンタテインメント論。
 今週はこんなせりふがあった。
 「真実を見せられて誰が喜ぶんだ?」
 「抵抗が大きければ大きいほど当たれば大きい」
 エンタテインメントとは虚構で夢を見せるもの。夢の世界に浸った者がエネルギーをもらって現実世界に帰ってくるためのもの。
 そして、当たる作品とは特異なもの。「こんなもの誰も見ないよ」と評価されるもの。

 作劇では三人のアシスタントの登場の仕方が面白かった。
 お稲荷さんでヒゲぼうぼうの画家・小峰(斎藤工)に出会う。 
 一方、布美枝がゼタの事務所で出会った大阪の看板屋・倉田(窪田正孝)を連れてくる。
 すると玄関で茂が誰かと話している。
 視聴者は前シーンの経緯から茂が話しているのは、ヒゲぼうぼうの小峰だと予想する。
 ところが話しているのは菅井。
 見事な予想の裏切り方だ。視聴者はお稲荷さんの小峰はどうしたんだろうと思う。
 そして……布美枝が家に入ってくると仕事を手伝っている小峰がいる。
 人物の出入りこそがドラマの妙。
 視聴者の予想を見事に裏切ったこのシーンは実に上手い。


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GOLD 野島伸司の挑発

2010年07月23日 | ホームドラマ
 このドラマは視聴者を挑発する。たとえば、第三話の次のせりふを我々はどう考えるか?

 「社会に出たら誰も助けてくれない。たったひとつ、自分の得意なものを見つけなさい。大食いでも何でもいい。他の子よりも得意なものを見つけなさい。それを見つけたら命がけでやりなさい。一番になるために、金メダルを獲るために命がけでやりなさい。適当にやって親のスネをかじって、大学に入って、サークルに合コン、そんなやつは腹が立つだろう?今がチャンスなんだ!草食系の柔なやつなんか食いつぶせ!そして最後の最後に決して弱気になるな!弱気になればすぐに負け犬になる」

 これは真実なんですね。勝っていくための真実。
 僕を含めて、こういう厳しい世界に身をおけない人間が大半だから、世の中は中流生活者がいっぱい。金メダルを獲る様な人間はごくわずか。
 「格差社会をなくせ」などと言っているのは、命がけでやっていない甘えた人間のたわごと。
 もちろん人はスタートラインが違う。金持ちの家に生まれた人間や美男・美女は有利だろう。
 だが「自分は金持ちの家に生まれていないから」「あの人はきれいだから」と言い訳をして自分を甘やかすのはやめろと言っている。

 これは丈治(反町隆史)と悠里(天海祐希)のせりふを借りた脚本・野島伸司のメッセージだ。
 あまりにもメッセージが前面に出過ぎていてドラマとしてはどうかと思うが、野島さんは甘えた現代社会を挑発している。
 「あなたたちはこのメッセージに対してどう考えるのか?」「自分を甘やかすのはやめろ」と。
 野島さんは、これまで悠里をどうとらえているのかわからなかったが、実は肯定的に描いている。
 悠里のせりふを借りた野島さんの挑発は他にもある。
 
 「人間には向き不向きがある。資格と覚悟のない人間に子供を産む必要はない」

 女性が子供を産むことが当たり前だった時代には考えられなかったテーマだ。
 昔の女性は「自分に母性はあるのだろうか」「子育てに向いているんだろうか」なんてことは考えもしなかった。
 生きる選択肢として、子供を産み育てるというものしかなかったから。
 現代はそれだけ自由な時代になったと言えるが、自由であるということは不安でもあるということ。現代人は「自分は子育てに向いているんだろうか」なんてことを考えなくてはならなくなってしまった。
 さて、この悠里のメッセージを我々はどうとらえるか?
 リカ(長澤まさみ)は視聴者目線の登場人物。
 <今までボーッと生きてきた>リカは「寝る前に昼間社長が言ったことをいろいろ考える様になった」と言っていたが、視聴者もリカの様に考えなければならないのだ。

 「GOLD」はドラマとしてはどうかと思うが、視聴者に問いかけ挑発しているという点で評価する。

※追記
 「人の善行の始まりは偽善。人にほめられたい、偉いと言われたいというのが始まり。だがやっていくうちにそれが普通になる。やらないと気持ち悪くなる。それが本当の善になる」
 というのも真実。僕も募金とかする時、「偽善だよな。恥ずかしい」とか思いますし。

※追記
 恒例の悠里とリカのかけ合い漫才議論。
 前回はメロスがメロコになったが、今回は<丸山くん>が<バツ山くん>になった。 


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ホタルノヒカリ2 君はゴーヤをかばうのか?

2010年07月22日 | 恋愛ドラマ
 ゴーヤだけで1時間持たせるとはさすが。
 しかもちゃんと『結婚生活にはお互いの<我慢>が必要なこと』が描かれている。
 山田姐さん(板谷由夏)の言葉も結婚生活の本質。
 「ドラマや小説では結ばれてハッピーエンドになるけど、現実は想いがかなってからが大変なのよ」
 関係を維持していくためにお互いが努力する。
 これが結婚生活なんですね。
 そしてゴーヤをめぐってふたりが努力することで、蛍(綾瀬はるか)と部長(藤木直人)の絆はいっそう強くなった様子。
 恋愛ドラマとしても成立している。

 というわけで「ホタルノヒカリ」は<変化球の恋愛ドラマ>。
 ひかれ合う男女の間に行き違いや障害が生じてハラハラドキドキするというのが、恋愛ドラマの定石で、その障害が恋のライバルというのが<直球の恋愛ドラマ>だろうが、この作品は違う。
 何しろ障害が<ゴーヤ>。
 直球のドラマの代表作「冬ソナ」と比較すると、「冬ソナ」の場合、障害となるのは<幼なじみのサンヒョク>であったり、<反対する親>であったり、<兄妹という血の問題>であったり、<病気>であったりするのだが、「ホタルノヒカリ」の場合は<ゴーヤ>。
 見事な作劇である。
 バカバカしいが、それが逆に新鮮さになっている。
 観客は今までに見たことのないドラマを見たがっているのだ。
 「ゴーヤのことをそんなに悪く言わないで下さい!」
 「君はゴーヤをかばうのか?」
 こんなせりふを聞けるのも、障害が<ゴーヤ>であったから。
 通常の恋愛ドラマなら、このゴーヤの部分に恋のライバルの名前が入る。
 「ヒロシのことをそんなに悪く言わないで下さい!」
 「君はヒロシをかばうのか?」
 みたいな感じで。

 最後に今回の名シーン。
 我慢していたゴーヤをやけ食いする蛍。
 そこへ部長が帰ってきて、蛍はバレない様に庭に隠れてゴーヤを全部食べようとする。
 口いっぱい頬ばって、むせて。
 それを部長は勘違いして「泣いているのか?」
 そして自分の気持ちを告白。
 これも変化球の告白シーンである。
 一番ロマンチックな部分をぶっ壊す。
 やはり新鮮だ。


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夏の恋は虹色に輝く あまりに薄っぺらな……

2010年07月21日 | 恋愛ドラマ
 輝く夢の様な恋愛を描いてきた月9。
 でも、この不況の時代には合わない。
 裏番組でやっていた「たけしのTVタックル」を見てしまう。
 「タックル」には乗客が激減したタクシー運転手や潰れそうな町工場、商店街などの現実がある。
 テレビドラマは夢であり、視聴者はありのままの現実など見たくないというのはドラマ論として正しいだろうが、少しは現実に被っていないと自分達とは違う共感できないウソの物語になってしまう。
 この作品の主人公の楠大雅(松本潤)の悩みは<親の七光り>。
 よくもまあ、こんな設定を持ってきたなぁと思う。
 実に軽い悩み。
 詩織(竹内結子)が言った様に「親が光を照らしてくれるんだから有り難いと思いなさい」という言葉で解決してしまう。
 そんなことで不満に思ったり悩んでいるより、自分が自分の力で輝ける様努力すべき。
 視聴者は輝くために努力する人間に感情移入する。
 まあ、これから大雅はその方向で行動していくのだろうけれど、詩織に指摘されるまで気づかないのはおバカすぎる。
 それに今の現実の若者って、就職難やニート生活であったり、もっと深い所で悩んでいるのでは?
 今回の参議院選挙でタレント候補が落選したのも皆が真面目に生活や将来のことを考えているから。月9が描く浮ついた世界などに生きていないから。
 というわけで僕は大雅に勘定できないのであります。
 スカイダイビングにも海辺のお洒落なカフェにも。

 作家はもっと現実を知るべきである。
 現実をそのまま描けとは言わないが、現実を踏まえた上でのファンタジーが必要。
 前クールでの「月の恋人」はそれこそ別世界の物語だったし、月9ではないが「素直になれなくて」は若者の実態を表面的になぞっただけ。
 現在は現実に根ざしたもっと深いものが求められている。
 具体的に言うと「コードブルー」の様なしっかり仕事をしていて、それでいて「生きるということ」「死」「別れ」「親と子」「ライバル心」「満たされない恋心」といった様々な悩みを抱えている主人公たちの物語。
 「親の七光り」だけで悩んでいる大雅とは大きな違い。
 厳しい現実に生きている我々は、薄っぺらな夢の世界を見せられるとたちまち興ざめしてしまうのだ。
 それが難しければ、思いっきり笑わせてほしい。

※追記
 この第一話の視聴率は15.7%。一方、第二話の視聴率は10.9%。
 この急落は第一話の内容を見れば明らかだが、僕は第二話は好きだった。
 滑舌のいい子供に向きになったり、授業参観に教科書届けたり、大雅に共感できた。


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