平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

24 シーズンⅣ 第8話

2006年09月30日 | テレビドラマ(海外)
 第8話(14:00)

 今回は前回登場したトニーと前回ブレイクしたエドガーをさらに描く。

 トニーの家のコンピュータを使ってオードリーの目撃した人物の照合を行うジャック。
 しかし、トニーは捜査官として牙の抜かれた状態だった。
 すべてに対して無気力。
 ジャックから電話が来るまでガールフレンドとセックスをしていた様だ。
 トニーの復活はなるか、という所で視聴者を引っ張る。
 こういう人物の見せ方もいい。

 そしてオペレーターのエドガー。
 6機以外の原発の制御に成功した彼だが、さらに彼は活躍する。
 マリアンは自分がスパイだと疑われないため、サラをスパイだと陥れるのだ。
 ジャックからCTUにスパイがいると告げられたヘラーはドリスコルに相談せず、その捜査にシークレットサービスを使う。
 そのシークレットサービスが仕込んだ罠をマリアンは逆手にとって、サラに罪をなすりつけたのだ。拷問にかけられるサラ。ほくそ笑むマリアン。
 だが、エドガーがそれを不審に思った。
 まずサラがスパイだと疑われた事実(サラのパソコンからジャックの居場所についての情報が送られた)は簡単に偽装できること。
 マリアンの動きがCTUに来た時からおかしいこと。
 マリアンを疑ったエドガーは、マリアンに対してある罠を仕掛けた。
「極秘回線へのアクセスラインを作っておいたから」とマリアンに告げるエドガーはマリアンが極秘回線にアクセスするのを利用して彼女のパソコンを覗く。
 そしてテロリストに連絡したのが彼女であることを見つけ出す。

 このスパイ発見に至るエドガーのエピソードは巧みだ。
 まずサラがスパイと間違われることで、視聴者はハラハラする。
 おまけにサラは自白のため拷問にかけられるし。
 無実の者が捕らえられるほど、視聴者を感情移入させるものはない。
 そしてエドガー。
 当初、エドガーのサラ無罪の主張は、ドリスコルらに受け入れてもらえない。
 人の持っているイメージというのは重要だ。
 ある人間なら耳を傾けてもらえるのに、あるマイナスのイメージを持つ人間の意見は聞き入れてもらえない。
 そしてエドガーは独自でマリアンを罠にはめるという行動に出るのだ。
 このエピソードは優れた組織論でもある。
 硬直化した組織ではマリアンをスパイだと見抜けなかった。
 見抜けたのは個人の力(エドガーの力)。
 それはジャックの行動にも言える。
 組織のルールに従っていては、巧妙なテロリストには立ち向かえないのだ。

 さて、これらのエピソードと共に描かれるのが、アラス家のエピソード。
 撃たれてベルースの母親はしぶしぶ病院に行くが、銃創であることから(母親は庭仕事で倒れたと主張)警察に通報される。警察に捕まった方が父親の手から逃れられるとベルースは主張するが、母親は「一生刑務所で暮らしたいの」と国外に逃亡することを主張し、逃げる。
 一方、ベルースの父は逃したことでボスに責任追及される。
 アラス家のエピソードはどんどん発展していく。

 そしてラスト。
 照合の結果、オードリーの目撃した人物はヘンリー・パウエルであることが判明。ヘリで高跳びしようとしていることを突きとめると、ジャックとトニーは現場に向かう。(ここでトニーはジャックに「同行したい」と言う。トニーの心に捜査官としての火がついたのか?)
 ジャックとトニーは間一髪でパウエルを確保するが、パウエルはテロリストに狙撃されて、命を落とす。
 一方、正体がばれたマリアンも逃げる。
 マリアンは自分の車に乗り込もうとして取り押さえられるが、車にはドアを開けると爆発する爆弾が仕掛けられていた。
 爆破に巻き込まれるマリアン。
 パウエルとマリアンが捕まって事件解決が大きく進展したかに思われたが、また一歩後退。
 「24」では、3歩進んで2歩下がるというエピソードの作り方が多く見られる。

 
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24 シーズンⅣ 第7話

2006年09月29日 | テレビドラマ(海外)
 第7話(13:00)

 第6話で事件(国防長官拉致)が解決し、新たな事件(原発メルトダウン)が発生。
 第7話はそれを発展させる。

 ジャックは、拉致現場でオードリーが目撃した人物の照合を行う。
 テロリストに繋がる唯一の手掛かりだ。
 オードリーがその人物を目撃したのは、あるパーティ。
 その警備映像を警備会社にオードリーと共に見にいく。
 警備映像はビデオ(オフライン)であるため、CTUに送れないのだ。

 「24」はリアルタイムで進行していくから、ジャックたちが警備会社に行く間、何かのエピソードでつながなくてはならない。
 そこでアラス家のエピソード。
 スパイ・マリアンがテロリストのボスにジャックが警備会社に向かったことを伝えるエピソード。
 ジャックとオードリーの恋、オードリーの夫との確執エピソード。
 エドガーがオーバーライドの制御を外し、一部の原発のメルトダウンを食い止める4つのエピソードが描かれる。

 そして4つのエピソードのひとつ、アラス家のエピソードはグングン動く。
 ベルースは母親に電話して、父親が自分を殺そうとしたことを告げる。
 息子を守ろうとする母親は自分たちの使命と葛藤する。
 結局、母親の思惑は父親に見抜かれ、ベルースとの待ち合わせ場所にいっしょに行くことになる。
 そして父親は殺し屋も連れてきて。
 母親はベルースを守って撃たれる。

 そしてジャック。
 ビデオを調べているうちに不審な様子に気づく。
 警備会社の監視ビデオに警備員の姿が映っていない。
 敵の襲撃だ。
 さすが捜査官。危険に関する感度は鋭い。
 壮絶な撃ち合い。
 CTUには自分たちの行動を伝えたスパイがいるから助けの連絡が取れない。
 唯一、信用できるという人間に電話をかけるジャック。
 それはトニー・アルメイダだった。
 弾切れの危機一髪の時、トニーは現れ、ジャックたちは逃げ延びる。

 今回の面白い所は人物の登場だ。
 「24」では実にいいタイミングで人物が出て来る。
 今回はトニー。
 「一番信用できる人物に電話する」というジャック。
 その時には誰に電話したのか視聴者にはわからない。
 そして危機一髪の時にトニーが現れるから、登場が引き立つ。
 ちなみにトニーはシーズンⅢで行った背任行為で刑務所に入れられていると視聴者は思っているから、その登場は衝撃だ。

 そして今回はオペレーターのエドガーを立てた。
 太っていて愚鈍な感じのするエドガー。
 気に強い同僚の女たちにびくびくしていて、いいように使われている。
 そんなエドガーが国防長官ヘラーに対してがんばる。
 オーバーライドの制御をなくすコードを発見したエドガーはその作業を自分にやらせてほしいと言うのだ。
 緊張して要領を得ない説明にイライラするヘラー。
「そうすることのデメリットを言ってくれ」とヘラーに言われて、「失敗すればメルトダウンが早くなること」を告げるエドガー。
「自信があるのか」と聞かれても口ごもって、やっと「自信があります」と言う。
 そんな頼りないエドガーに任せられないとヘラーが言うと、「こんな自分が自信がありますと言うから、大丈夫なのです」とエドガーは言う。
 この小心な男をここで見事に立てた。
 そしてエドガーは一部の原発に対して制御することに成功する。
 マイナスのイメージがプラスに転じる。
 見事なキャラクターの立て方だ。

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カザリとヨーコ 乙一

2006年09月28日 | 短編小説
 乙一の「カザリとヨーコ」から短編小説を分析する。

 まずは書き出し。
「ママがわたしを殺すとしたら、どのような方法で殺すだろうか」
 つかみは十分。
 そしてこう続く。
「たとえばいつものようにかたいもので頭を殴るかもしれない。時々そうするように首をしめるかもしれない。それとも自殺にみせかけてマンションから落とすだろうか。きっとそうだ」
 これによって母による虐待がいつも行われていることを描き出す。
 冷静に分析的にヨーコが告白しているだけに怖さが増す。
 そして、この殺し方「マンションから突き落とす」はクライマックスの事件に結びつく。
 以下、第一章では虐待されているヨーコの境遇がヨーコの語りで描き出される。
 ヨーコにはカザリという双子の妹がいる。
 母はなぜかこの妹の方を可愛がり、ヨーコは台所で寝かされている。
「あんたはわたしが産んだんだ。生かすも殺すもわたしの自由なんだ」と母親に言われて、「わたしの子じゃない、と言われるよりはきっとましだ」とヨーコが語るところはつらい。

 第二章ではヨーコの学校での生活が描かれる。
「掃除の時間、クラスメイトに話しかけられた。クラスメイトと会話するのは実に三日と六時間ぶりだった。ちなみに三日前にかわした会話は、「エンドウさん、消しゴムかして」「……あ、ごめん、持ってないの」「ちっ」というたったそれだけだった」
 すごく孤独な表現だ。
「わたしは学校でも孤独だった」と表現するのとではえらい違い。
 孤独なわたしを具体的に砕いて、描くことに小説の面白さが出て来る。
 三日と六時間ぶりとヨーコが把握しているのも哀しい。

 そして展開。
 これまでが起承転結の「起」であるとすれば、「承」になる。
 ヨーコは犬を助けたことから、持ち主のスズキさんというおばあちゃんと親しくなる。ヨーコのことを大好きだというスズキさん。本を貸してもらい、いつでも遊びに来られる様に鍵を渡される。スズキさんにはヨーコと同じぐらいの歳の孫がいるらしい。
 孤独なヨーコの生活に射す光。希望。
 ここで作者は物語を少し明るくする。

 第三章では、妹のカザリが描かれる。
 数学の教科書を忘れてしまったから貸してほしいというカザリ。
 カザリとはクラスが違うのでヨーコは教科書を貸すが、その授業が過ぎても戻ってこない。カザリの教室に行ってもカザリは不在だ。そして、ヨーコは次の時間、担任教師に数学の教科書を持って来なかったことを問いつめられる。ヨーコは「
妹に貸しました」と言うが、先生は嘘を言っていると言って信用しない。
 ここでもヨーコの孤独が描かれる。
 ヨーコは少しもそのまわりの世界と調和していない。
 母や妹の「悪意」、先生やクラスメイトの「不信」。
 それだけだ、唯一の救いは「自分のことを好きだ」と言ってくれるスズキさんだけだ。

 第四章はさらに展開。
 クライマックスに至る大きな事件が起きる。
 妹のカザリが花瓶をひっくり返し母のノートパソコンをダメにした。カザリはそれをヨーコになすりつけようとするのだ。
 自分のせいにされたら今度こそ殺されると思ったヨーコはスズキさんの所に逃げるが、何とスズキさんは亡くなっている。
 逃げ道のなくなったヨーコはある機転を利かせて、危機を乗り切る。
 これはネタバレになるので書かないが、カザリとヨーコが双子であることを考えればその答えは容易であろう。
 危機を乗り切るためのトリック自体は作者にとってそれほど重要ではない。
 作者の主眼は、次の点を描くことにある。
 ・ヨーコの孤独と調和していない世界。
 ・ヨーコを取り巻く世界の狂気。
 ・それらの恐怖。

 乙一は、モノローグの語りで主人公の孤独や狂気を描くのがうまい。
 ヨーコが哀しいとかつらいといった感情を加えずに、非常に冷静に物事をみていること。
 スズキさん、カザリといった具合に人の名前がカタカナであることなどは、逆にすごい怖さになる。
 モノローグは孤独や狂気を描くのに適している。

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「結婚できない男」のせりふ

2006年09月27日 | 研究レポート
 「結婚できない男」の信介のせりふには様々な名言が散りばめられている。
 これぞ21世紀の男の名言集だ。

★結婚観
 「好きなときに好きなもんが食えるのが独身のいいとこだろ」
 「妻と子供と家のローンは人生の三大不良債権だ」
 「家事をさせるためなら 家政婦を雇えば済む話だ」
 「独身なら稼いだ金は全部自分のもんだ。
  結婚すれば稼いだ金は妻と子に食いつぶされるだけだ」
 「結婚なんかしたら、親や親戚とのつきあいが単純計算で倍に増える。
  自分の分だけでも面倒なのに」
  職場で宅配便を受け取って
 「うちだと昼間受け取れないだろ。
  帰ったとき不在票が郵便受けに入ってると気分悪いし、
  再配達の指定すると、うちで待ってないといけない。
  独身生活の数少ないデメリットと言えるな」
 「自分が結婚するからって人を道連れにしないでください」
  一匹の金魚に話しかけて
 「やっぱりひとりがいいだろ……な……」

★金銭観
 「人が金持ちかどうかはな、収入の額じゃない。
  自分が自由に使える額、いわゆる可処分所得がいくらあるかで決まるんだ」
 「平均年収が600万超えるのは40歳過ぎてからだ。
  1000万の男と結婚したかったら
  カミさんに先立たれた50男でも探すんだな」

★死生観
 「食べたいときに食べたいものを食べる。それで早死にしたって本望ですよ」

★恋愛観
 「恋は落ちるんじゃない、上がるんだ、上に」

★生活哲学・こだわり
 「俺は自分の部屋に人を入れない主義なんだ。
  なんか他人がうちに入ると空気がこう、淀む感じがするんだよな」
 「僕は、仕事がどんなに忙しかろうが、家の中が散らかってると我慢
  できないたちでしてね。決められたものは決められた場所にあって、
  清潔、かつ機能的。そういう状態をいつも保っています」
 「俺はな、そうめん茹ではじめてから生姜がないことに気づいたら
  買いに行かなきゃ気が済まないタチなんだ。
  しかもチューブの生姜じゃダメなんだ」
 「花柄は俺がこの世で嫌いなものトップ5に入るんだ」

★社会時評
 「チョイ悪オヤジ」という言葉に対して
 「何チョイ悪だ。悪いかいいかどっちかにしろ」

★毒舌
 恋に臆病な自分を車庫から出られない車に例えた夏美に対して
 「……もう錆び付いて動かなくなっているかもな」
 妹の圭子に
 「結婚する時、いくら仕事が忙しくても月に1回は家族でお出かけするって
  条件をつけたの」と自慢されて
 「日米和親条約なみの不平等条約だな……独身でよかった」
 20歳代の女性との交際を夏美に冷やかされて
 「ま、若い子は素直でかわいいですよ。
  ひとが言うことにいちいちチャチャ入れたりしないし。
  あなたも70くらいのじいさんから見ると素直で可愛いのかもしれませんよ」
 「人間の子供は成長すれば、親にこづかいくれるようになるけど、
  犬は死ぬまで無駄飯を食らい続けるわけだな」
  ストーカーに忠告する様に言われて 
 「アナタは人の世話を焼いていれば、そりゃ、
  自分の寂しさがまぎれるからいいかもしれませんけどね!
  付き合わされるこっちの身にもなってほしい」
 「どうしても私を寂しい女にしたいらしいですね」
 「図星だから怒るんでしょ」

★個人主義
 バーテンに誕生日のカクテルをすすめられ
 「余計なお世話だ。あと客の話を聞くな」
 ジムに通う理由を問い詰められて
 「自己実現というのは 自分のなかだけで完結することもあるんです」
 ストーカーに忠告する様に言われて
 「栄治さんに頼もうと思ったんだけど、
  逆キレして刺されたら大変だからって沙織さんが……」
 「俺は刺されたっていいってのか……」
 「桑野さんが行かないなら私一人で行きます」
 「まったく!いつも変な事に巻き込まれる!
  ちっ!だから人間関係って奴は!!」

 「常識通り生きるなんて誰でもできますよ。
  たとえ常識から外れても自分を貫き通すことに価値があると思いますね」
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2006年 7月期ドラマをふり返って

2006年09月26日 | 研究レポート
 7月期でヒットしたドラマは「マイ★ボス マイ★ヒーロー」と「結婚できない男」。
 この状況は既存のドラマが飽きられてきたものと見るべきであろう。
 考えてみれば、現在テレビには「ゴリエ杯」や「甲子園」など、ドラマ以外にも様々な感動がある。
 視聴者はその真実の姿に感動するようになり、ドラマの感動を嘘だと思うようになってきた。

「ダンドリ」は実話をもとにして描かれているというが、どうもよくできた話。嘘っぽい。
 最終回、要は足を負傷しているにも関わらず、何とか治って大会に出場してしまう。こんなエピソードもあった。
 さやかがコスチューム代を稼ぐために夜、交通整理のバイトをする。そんなさやかの思いを知って仲間たちが退学取り消しに動く。
 どうも嘘っぽい。
「レガッタ」になると非常にそれは顕著。
 倉田(窪塚俊介)が死んで、八木(松田翔太)は大会を前に怪我。

 ということで、
「ドラマはどうせ嘘なんだからいいじゃないか、この野郎!」と開き直って作られたのが「マイ★ボス マイ★ヒーロー」。
 この作品は日本テレビの土曜9時が目指していたドラマの完成形とも言える。
 明らかにあり得ない設定。
 このあり得ない世界に視聴者をギャグなどの力業で無理やり引き込んでおき、主人公の心のドラマを見せてしまう。
 視聴者は最初から嘘から入っているのだから、中で描かれていることが嘘でも許せてしまう。
 例えば、真喜男の純愛。
 ヤクザの若頭が小娘に恋をするなどということは現実にはあり得ない。でも設定自体が嘘だとわかっているから、そんなこともあるかなと思ってしまう。
 今の時代、「本物らしく見せかけること」が一番しらける。
 甲子園などでリアルな感動があるのだから、作り物は作り物に見えてしまう。
 ドラマは嘘。
 そこから始まることで、新たなドラマが見えてくる様な気がする。

 そして「結婚できない男」。
 このドラマは今までのドラマの反対をやっている。
 まず、信介と夏美は全然接近しない。
 回を追うごとにふたりの亀裂は広がっていく。
「あんな人だけは嫌だ」と夏美は言う。
 しかしラストはハッピーエンドなのは、「嫌い嫌いも好きのうち」「人は自分がいいと思っていることの反対のことを望んでいる」という心のあやをうまく取り入れているせいだ。
 またこんな既存のドラマの反対もやっている。
 主人公たちを結びつける大きな障害がない。
 普通は主人公たちの間に様々な障害があって、ふたりはなかなか結びつかないというのがセオリー。
 「花嫁は厄年っ!」では、隠しカメラの取材や母親との確執。
 しかし、「結婚できない男」の場合、障害となるのは本人のキャラクターだ。
 信介の変人ぶりがドラマを作り動かしている。
 分かりやすいのは、はとバスツアーで信介と夏美が偶然隣同士になってしまうエピソード。
 はとバスで隣同士になるのは事件でなく状況だ。
 「偶然、隣同士になったら信介と夏美はどんな事件を巻き起こすか?」
 シナリオライターは、こんなふうにしてドラマを書いている様に思える。
 これは「タイヨウのうた」で主人公の病状がどんどん悪化していって、ドラマが進行していくという事件先行型のドラマ作りではない。
 アンチドラマという点では、月9の反対もやっている。
 月9で花火のシーンといえば、美しいシーン。
 しかし「結婚できない男」では違う。
 信介はビルの一番高い所に昇ってひとりで花火見物。それを見て夏美たちは呆れている。花火のうんちくをたれて、ひんしゅくを買ったりもしている。これらは今まではギャグメーカーの脇役がやっていたこと。

 この様に7月期のドラマは既存のドラマ作りを打破した作品が成功している。
 視聴者は新しい作りのドラマを求めている様だ。
 その点で10月のドラマはどうなるのだろう?
 楽しみだ。

★追記
 「下北サンデーズ」の堤幸彦演出。少々飽きられてきた感じがする。

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桑田ラスト登板・移籍

2006年09月25日 | スポーツ
桑田 巨人ラスト登板、移籍で現役 (スポーツニッポン) - goo ニュース

 桑田らしい無器用な意思表示。
 巨人批判と相まって波紋を呼んでいる。
 だが、その無器用さが好きだ。
 自分に対する誠実さが好きだ。

 スポーツ選手は個人業であるから、その力を認められ場を与えられる所に行くのは当然。
 それを個人として意思表示しただけのこと。
 発言の反響や球団に与える影響などを考慮すべきという意見もあるが、それはオトナの対応。
 そして、そんなオトナの対応がプロ野球をつまらなくしている。
 プロ選手は組織の思惑などを気にせずに自分を表現すべき。

 通常、オトナの対応をした選手には球団のフロント入りやタレント・解説者活動、OB界での地位などが見え隠れする。
 そんな引退後のメリットをかなぐり捨てて自分の気持ちを表現した桑田は純粋すぎる。愚かだ。
 だが、今の時代、こんな純粋で愚かな人間はいない。

 さて桑田はこう語った。
「目標に向かって努力するのが男の美学。達成できなくて辞めるかもしれないけど、そのプロセスが大事」
 桑田はまだ燃え尽きていないのだろう。
 たとえ目標の200勝が達成できなくても、ボロボロに打たれても自分が納得いくまでやってほしい。
 プロスポーツが人々の心に何かを伝えるものだとしたら、今後の桑田の登板はがんばっている人の力になるはず。
「目標に向かって努力するのが大事。プロセスが大事」
 このメッセージをその登板で表現してほしい。

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24 シーズンⅣ 第6話

2006年09月24日 | テレビドラマ(海外)
 第6話(12:00)

 テロリストのアジトに単身乗り込むジャック。
 タイムリミットは10分。10分を過ぎれば、戦闘機がミサイル攻撃をする。
 国防長官が殺害されるのをインターネットで流れるのを阻止するためだ。
 ジャックは国防長官ヘラーの所までたどり着き、ヘラーとアイコンタクト、ヘラーも協力して奪回に成功する。
 ヘラーの長官オードリーにもジャックは事前にナイフを渡しており、一時人質にとられたが、ナイフで危機を乗り越えた。
 その様子を見て攻撃中止命令を出す大統領。
 ジャックたちはそれでも多人数のテロリストと戦わなければならなかったが、危機一髪海兵隊員が駆けつける。
 タイムサスペンス(ミサイル攻撃)+伏線(ナイフ)+ディティル(アイコンタクト)+危機一髪(2人対多数)など、いくつものテクニックが組み合わされたアクションシーンの作りだ。

 そしてアラス家。
 ベルースのガールフレンドの母親が娘と連絡が取れないと言ってやって来る。
 ベルースの父親は来ていないと言って変えそうとするが、ガールフレンドの携帯が鳴る。その着信音は特徴のあるもので。母親は娘がいると言ってわめき出すが、ベルースが機転を利かせる。母親は帰っていくが、ベルースの母は警察に届け出ないか尾行する。(この念の入れよう!同時に母親も殺されるのではないかというサスペンスも)
 しかし、アラス家のエピソードは別の形で発展した。
 やって来たテロリスト側の殺し屋タリク。
 ベルースがガールフレンドの死体を埋めに行くのを手伝うという。
 しかし、これには裏が。
 タリクはベルースを殺そうとしているのだ。失敗をし気持ちの弱いベルース。アメリカに住み気持ちがアメリカ人になってしまったと考えた父親はベルース殺害を認める。ベルースは自分たちのこれから行うことのほころびになるとも考えた様だ。
 しかし、ベルースはこのことに気づいて。
 アラス家のエピソードはどんどん発展していく。

 この第6話の大きな特徴はヘラー長官拉致の事件が解決したことだろう。
 一段落して次の事件に移る。
 次の事件とは?
 テロリストたちは、長官を奪還されたのも関わらず、計画は順調に進行していると言う。そして謎のアタッシュケース。
 ジャックたちはそのアタッシュケースからテロリストたちの計画を突きとめる。
 アタッシュケースの中身は原子力発電所のオーバーライド(強制制御装置)。
 元々は事故が起こった時に原発を外部から操作してメルトダウンを食い止める装置だが、その逆利用も可能らしい。しかし、それを使うには強力なファイアウォールで守られたメインコンピュータまでたどり着く必要が。
 そのたどり着く方法が、ヘラー長官の公開処刑だった。
 全世界からアクセスが集まりパンク状態になり、原発のファイアウォールも突破され……。
 ついにテロリストの計画の全貌が明らかに。
 今まではせりふや小道具のアタッシュケースで語られていた断片がつなぎ合わされて姿を現す。ジグソーパズルの様だ。
 このジグソーパズルの手法は、エンタテインメント作品に必須のテクニック。
 面白い。
 さらにこんなテクニックも。
 白が黒にひっくり返る。
 CTUに雇われた野心家マリアンはテロリストのスパイだった。
 内部の敵。
 ジャックたちに新たな困難が降りかかる。
 アラス家のベルースは逆に黒が白に変わった様だが。
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24 シーズンⅣ 第5話

2006年09月23日 | テレビドラマ(海外)
 第5話(11:00)
 敵との駆け引き・読み合いというのは面白い。
 テロリスト(ハッサン)を衛星映像を使って気づかれないように追うジャック。
 ハッサンの先にはヘラー長官がいる。ジャックはドリスコルから尾行を委託された。
 しかしトラブル。
 信号で動かない前の車にハッサンがクラクション。
 前の車の男たちは車から降りてきて因縁。
 おまけにハイウェイパトロール。因縁のトラブルは解消されたが、ハイウェイパトロールはハッサンの車が盗まれた車ではないかと照合を始める。
 実際、ハッサンの車はハッサンが盗んだ物だった。照合をされれば拘束され、ヘラー長官への道は閉ざされる。
 ジャックはハイウェイパトロールの本部を動かして、何もなかったことにするが、これからハッサンは疑念を抱いた。
 自分が捕まらないのはおかしい。自分は尾行されている。
 もともとハッサンは強盗を装ったジャックをその手際の良さと行き届いた神経から「ただ者ではない」と見破った男だった。失敬が細かく洞察力に富んでいる。
 ジャックは拘束することに方針を切り替えるが、後の祭り。
 ハッサンは対向車のタンクローリーに突っ込んで、ガソリンが炎上して自殺。
 息詰まる駆け引きだ。
 その後、ジャックはこのまわり5キロの熱探査を行って、敵のアジトを築堤する。
 そして同時並行の事件。
 ヘラー長官と娘のオードリーはインターネットを通じて裁判をされ、処刑されるのを潔しとせず、ガス自殺を考える結局はガス漏れで気づかれ、未遂で終わるが。
 そしてアラス家。
 ベルースの父親が戻ってきた。ベルースの母親は薬で死んだデビーの体を銃で撃ち、その銃をベルースに持たせる。ベルースがデビーを殺せなかったことを父親に知らせたくないため、ベルースがデビーを銃で殺したことにするためだ。
 アラス家はこの親子3人の気持ちの描き方が面白い。
 一方、CTU。
 クロエは命令違反をしたことで拘束。一方、新規募集のオペレーター・マリアンが暗躍。「クロエに協力したことをばらす」とエドガーを脅して、上級者しかアクセスできない情報ラインにアクセスできるようにする。
 この様に「24」ではジャック以外のエピソードも見逃せない。
 これらのエピソードがどんどん発展していって、事件解決の障害になったり、糸口になったりするのだ。
 また個々のエピソードにはサスペンス・謎があり、愛憎のドラマがある。
 「24」の成功はこの同時進行のエピソードを大事に描いたことになる。
 単線でない複線のドラマ。
 実に魅力的だ。
 ラストは大統領。
 ヘラーの居場所を突きとめたというCTUからの報告を受け、大統領は判断を迫られる。テロリストが裁判を開始するのは12時。その数分後にはヘラーの処刑が行われる。それまでに海兵隊は間に合わない。

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六番目の小夜子 恩田陸

2006年09月22日 | 小説
 新潮文庫の100冊を読む。
 第4弾は「六番目の小夜子」(恩田陸)。

 紹介文にはこう書かれている。
「あなたも赤い花を活けにきたの」少女はゆっくりとそう言った。
「津村沙世子。とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年にわたり奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがて失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包み込んだ、伝説のデビュー作」

 「サヨコ」に選ばれるということはどういうことなのだろう。
 自分が選ばれた特別な存在・主人公になる。

 高校時代とはどんな時代だろう。
 子供でも大人でもない端境期。(「この三年間の時間と空間は奇妙に宙ぶらりんだ」~P21)
 社会的な存在になっていく過程。(「淡々とこなされていく行事の間に、自分たちの将来や人生が少しずつ定められ、枝分かれしていく」~P86 「いじめて、過剰に接触して、屈服させて、免疫をつけて、自分たちの中に取り込もうとするわけね」~P64)
 そう、サヨコは大人になること、社会的な存在になることに抵抗する存在だった。
 サヨコは社会という海へと至る川の流れに逆らう。
 サヨコは社会の歯車のひとつになることを潔しとせず、社会の「特別な存在」「主人公」になろうとする。
 その強烈な自尊心。

 津村沙世子が「六番目の小夜子」になりたいと思ったのもそのためだった。
 頭が良くて活発な転校生、おまけに美人。
「謙遜や恥じらいが自分に似合わないことを知っている」「すんなりと自分が優秀であることを認め、あの屈託のない笑顔で周囲を自分のペースに引き込んでしまう存在」
 そんな人一倍の自尊心を持つ少女は、主役サヨコになりたがった。
 そして津村沙世子が創作した演劇「六番目の小夜子」は、全校の生徒によって演じられるもの、クライマックスで自分が主人公サヨコとしてスポット浴びる芝居だった。

 人は誰でも自分がちっぽけな存在であることを認めたくない。
 特別な存在であると思っていたい。

 沙世子のクラスメイトの関根秋もそう。
 カメラが好きな秋は、自分を撮らず、「いつも世界の外側のファインダーのこっち側」にいる。それを津村沙世子はこう批判する。
「要するにいつも第三者でいたいのね。他人が怖いの?他人が自分の中に踏み込んでくるのがイヤなの?それとも、自分がその他大勢になるのが嫌なのかしら?関根秋のプライド?」
 秋も沙世子の指摘を認める。
「他人が自分の中に踏み込んでくるのが怖い。他人の中に踏み込んでいくのも怖い。自分は他の大勢の人間とは違うのだ。自分の心をちょっと掘り返せば、そういう感情が転がり出て来るのを秋は知っている。自分の傲慢さ、薄情さ、小心さが自分の撮る写真を通してバレるのを彼は何より怖れているのだ」(P157)
 高すぎる自尊心が彼をファインダーのこっち側にいさせているのだ。
 高い自尊心はこんな所にも現れる。
 秋に盲目的な恋をした美香子は、失恋を認められず学校に火をつけて、こう思う。
「彼女は生まれて初めて味わうとろけるような高揚感でいっぱいだった。世界は彼女のものだった。今なら何でもできるような気がした」

 「六番目の小夜子」はこうした自尊心の扱いに戸惑う青春時代の若者の姿を描いている。
 津村沙世子は頭がよくとびっきりの美人で、それゆえに「六番目の小夜子」になりたがったのだが、同時に自分をこう分析している。
「ねえ、雅子、あたしはそんな雅子が思っているようなたいした人間じゃないのよ。少々気が強くてハッタリがきくだけのことよ。あたしが雅子のことをどんなに羨ましく思っているか、雅子にはわからないでしょうね。雅子には絶対わからないところが、あたしの一生雅子にかなわないところ」
 また、沙世子は自分と同じ高い自尊心を持つ秋をこう見ている。
「秋くんなんか、あまりに輝かしい未来と可能性が彼を待っているのが見えて、羨ましくて、ねたましくて、ぶんなぐってやりたくなるわ。彼の未来を分けてほしくて、あたしは彼にまとわりいているのかもしれない」
 一方で「輝かしい未来と可能性」を持っている秋は自分のことをこう見ている。
 これは美香子の告白に対する返事。
「オレ、君の思ってるような奴じゃないよ。すごくつまらない奴なんだ」
 
 自尊心と劣等感。
 特別な存在でありたいが、そうなれない現実。
 それを若者たちに認めさせる高校という場所。
 この作品は、こんな青春の一時期を描いて見せた。

 小夜子の演劇がずっと演じ続けられているのも、いつの時代にもこんな若者の心象が学校に存在しているからだ。

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インテリア

2006年09月21日 | 洋画
「生きることははどうしてこんなに厄介のだろう?」
 この問いがウディ・アレンの作品には共通してある。
 「インテリア」はこの問いをコメディなしで描いた作品。
 母親をめぐり、人物たちの人生の苦悩がそれぞれに描かれる。

 家族を自分の完全な秩序の下に置いてきたイヴ(ジェラルディン・ペイジ)。
 インテリアデザイナーでもあった彼女が作った家は白を基調とした部屋。
 その好みを娘に押しつける。
 冒頭、イヴは娘の家に自分の好みの花瓶を買ってくる。高価な花瓶。しかし、娘にとっては不要のもの。似たような花瓶は既にイヴからもらっている。
「だったら返品する。似たような安い花瓶を買う」とすねるイヴ。
 イヴはこんな形で家族と関わってきた。(この段階の彼女は少し精神を病んでいると描写されていると描写されているが、その前の段階ではもっと支配的な母親だったのだろう)
 しかし、そんなイヴの下で家族は自由に呼吸ができない。

 まず悲鳴をあげたのは夫のアーサー(E・G・マーシャル)だ。
 彼女といっしょでは息苦しい。
 彼女の作った秩序ある白い部屋は冷たい。
 イヴの援助で法律家として成功したアーサーは「イヴに創られた人形」。
「自分自身に戻りたい」と言ってイヴに別居を申し出るアーサー。

 長女レナータ(ダイアン・キートン)は詩人として名をなしているが、両親に愛されなかった子供時代を引きずっている。両親は、特に父親は次女のジョーイ(メアリー・ベス・ハート)を愛した。レナータは両親に愛されるために自分の才能を磨き世に出た。
 しかし、彼女はそれで喜び。満足を得られたわけではない。
 苦悩はつきまとう。
 父親は依然としてジョーイを愛し、ジョーイは対抗意識、敵意もある劣等感を自分に対して抱く。そんなジョーイを、レナータも「芸術意欲が才能に見合わない」と評し、おとしめる。
 自分に対して劣等感を抱いているのはジョーイだけではない。
 レナータの夫もそうだ。夫は小説家。しかし自分の作品を書けずに批評家をしている。レナータの才能を羨ましく思い、レナータに劣等感を感じる夫。
 夫はレナータの末妹のフリンを抱こうとしてこう言う。
「引け目を感じない女とは久しぶりだ」
 レナータは母と同じ気質があることに気づいている。
 自分の存在が他人を息苦しくさせてしまうという気質。
 レナータは母のような孤独な人生を歩むのではないかと思い、精神科医に通っている。作品では自分の苦悩を精神科医に話すシーンに精神科医は映し出されない。それが孤独な独白のように聞こえる。

 次女のジョーイの苦悩は、自分に芸術の才能がないこと。
「この生命の喜びをどう表現したらいいの?」
 芸術家を志向しながら表現できない苦悩。姉への劣等感。
 普通であることに甘んじられないジョーイ。
 この普通であることに満足できない気質は、完全主義者の母親の影響を受けている。母親は娘たちに普通でないことを要求してきた。レナータは応えられたが、自分はできないその苦悩。

 三女のフリン(クリスティン・グリフィス)はテレビ映画の女優をしている。
 彼女はレナータやジョーイほど抑圧されておらず、人生を楽しく過ごそうとしているが、姉たちや母に劣等感を抱いている。撮影で飛びまわっているせいもあるが、なかなか家に寄りつかない。

 物語はこれらの人物たちの描写を描き、クライマックスに向けて進行していく。
 父親に恋人が出来たのだ。結婚をしたいと思い、娘たちに紹介する。
 恋人・結婚相手の名はパール(モーリン・スティプルトン)。
 赤い服。
 イヴの創った白い部屋とは対照的な色彩。
 実際、イヴとは正反対で人生を楽しむことに貪欲な人物だ。
 彼女はよく食べ、よくしゃべり、よく笑う。
 陽気にダンスをする。
 レナータたちが政治の議論を始めると自分にはわからないという。あるいは簡単な言葉で自分なりに納得してしまう。
 彼女は今ある自分の人生を満足して受け入れている。

 自分たちの世界に、母親の創った世界に異物が入り込んだと感じるレナータたち。
 パールはイヴの創った白い部屋を改装するとも言う。
 そして娘たちの違和感は爆発した。
 アーサーとパールの結婚パーティ。
 陽気に踊りまくるパールが母親の花瓶を落として割ってしまうのだ。
「気をつけてよ! けだもの!」
 ジョーイが叫ぶ。

 そしてイヴの自殺。
 イヴは自分の置かれた現実を受け入れられないでいる。
 別居をしているがいずれはアーサーといっしょに住めると信じている。
 娘たちは父親の言動から無理であることを知っているが。
 そしてアーサーからの離婚の申し出、パールとの再婚の話。
 一時は気持ちを整理できたかにみえたイヴだったが、皆が寝静まった頃、結婚パーティの家にやってくる。
 信じたくない現実が目の前にある。
 たまたま目を覚ましていたジョーイからは、自分の苦しみの理由はすべてイヴにあったということを告げられる。
「完全すぎるのよ!感情の入りすぎる余地がない」

 夫と娘。
 自分の愛していたもの、自分が良しとして創り上げてきたもの、すべてを失ったイヴ。
 このすべてを失ったイヴが呆然として海岸を歩く顔はすごい。
 人間、こんな顔ができるのかというくらいに絶望にとらわれている。
 狂気にとらわれている。
 海に入っていくイヴ。
 ジョーイは追いかけるが母親を助けられない。
 ジョーイは夫に助けられ、パールに人工呼吸をされる。

 ウディ・アレンの人生観はシニカルだ。
 まずはレナータたちによって描かれる「人は決して人生に満足することがない」という人生観。
 そしてイヴによって描かれた人生観。

『どんなに愛して創り上げてきたものも永遠ではない。
 いずれ壊れて、なくなってしまう』

 ちょうど夫と娘を失ったイヴのように。
 イヴが創り上げた完璧な部屋が変わっていくように。
 そして唯一の救いは記憶。
 ジョーイは幸せだった子供時代を思い出す。
 母がいて父がいて、みんなが笑っていて。
 この楽しかった記憶こそが、「イヴの人生の意味」だったとジョーイは思う。
 
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