平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

遅咲きのヒマワリ 第2話~彩花はツンデレ、かほりはドS、春菜は妹系、丈太郎はハーレム状態!

2012年10月31日 | 学園・青春ドラマ
 この作品の女性たちを<萌え>の視点で見てみるとこうなる!

★森下彩花(香椎由宇)→ツンデレ
 クールで周囲に対してツッパっているのに内面はナイーブ。
 人を求めているのに自分の殻に閉じこもり、他人が近づいてくるとハリネズミのように針を立てる。
 そんな彼女の今回の萌えポイントはここ!
 <バイクがパンクして困った顔をしている彩花>!
 クールな彼女が見せた本当の素顔。
 萌える!
 丈太郎(生田斗真)でなくても助けたくなる!

★二階堂かほり(真木よう子)→ドSキャラ
 『SP』でもそうだったが、真木よう子さんはドSキャラがよく似合う。
 真木さんに怒られたい! ののしられたい!←困ったヤツ
 今回はこんな感じ。
 彩花とのデートが決まって浮かれている丈太郎にかほりは「あまり浮かれない方がいいんじゃない」と釘を刺す。
 これに対して丈太郎、釘を刺したかほりに「もしかして俺のこと?」
 すると
「どうしてそんなにバカなの!? ノー天気なの!?」←言われたい。
 丈太郎が彩花とのデートでどこに行こうかと迷っていると、かほりは「家に呼べば?」とアドバイス。
 こう言われて、家に呼んだ時のことをあれこれ想像する丈太郎。
 するとかほりはすかさず
「妄想すんな!」←言われたい。
 そして彩花とのデートが少年野球の練習に決まった時は
「それってデートなの?」
 素晴らしい!
 丈太郎のボケに的確にツッコミを入れてくる。
 全国のM男性にとって、真木よう子さんは神!!!

★今井春菜(木村文乃)→妹系・幼なじみ系
 丈太郎に恋心を抱き嫉妬する春菜は妹系・幼なじみ系。
 少年野球の朝練。春菜は
「丈太郎さんが早起きする時はわたしも早起きする!」とけなげ!
 ライバル彩花が現れた時は
「ナースってだけでズルくない?」
 極めつけはこれ。
 冒頭、レンタルビデオ屋に連れて行くと言って完全にデートドライブ。
 海を見せて「私もカヌーに乗りたいな」とラブコール。
 丈太郎は「いいよ」と返すが、その後に「貸してあげるよ」(笑)
 丈太郎にとって、春菜は妹や幼なじみみたいなもので、恋愛対象じゃないんですね。
 丈太郎、彼女の気持ちに気づいてやれよ!

 というわけで丈太郎は、萌えアニメでいう<ハーレム状態>なのです!!
 こんなふうになるなら、自分も四万十に行きたい!!←バカ!

 今回のテーマについて語っておくと
 <人は他人の力になると自分も救われる>んですね。
 松本弘樹(柄本佑)は大河内欣治(ミッキー・カーチス)に「リハビリをしましょう」と語りかける。
 欣治は「四番ピッチャー松本弘樹に言われたんじゃ仕方ねえな」とリハビリに応じる。
 そして握手。
 この握手の瞬間、弘樹の中にエネルギーが充填されたに違いない。
 他人に力を与えれば、他人から逆に力をもらえるのだ。
 自分の中だけで堂々めぐりをしている間は、人は出口を見出せない。

 それから今回の丈太郎の対応も立派。
 欣治の心を弘樹しか動かせないとわかると弘樹に頼む。
「いっしょに来てくれよ。俺の力じゃダメなんだ」
 人には出来ることと出来ないことがある。
 出来ないことは出来ないと言い、他人に任せる。
 これが正しい生き方。
 自分の殻に閉じこもっている人間はこれが出来ない。
 プライドなどが邪魔をして、出来ないことも自分の力でやろうとして、結局疲れ果ててしまう。
 丈太郎って、なかなか人間力がありますね。


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MONSTERS~この作品は最初から犯人がわかっている『古畑任三郎』形式にすべき

2012年10月30日 | 推理・サスペンスドラマ
 トリックを見破るミステリー、探偵と犯人が頭脳を競い合うミステリーって難しいんですよね。
 斬新なトリックはそんなにあるものではないし、これだけ視聴者の目が肥えていると探偵が明晰な推理を披露してもどこかツッコミ所が出てしまう。
 最近の『相棒』なども、右京さんが犯人を追いつめる詰めは甘いし、探偵物というよりは警察捜査物になっている。

 さて、『MONSTERS』。
 完全に『古畑任三郎』をねらっている。
 平八(香取慎吾)は明らかに古畑だし、西園寺(山下智久)は今泉君。
 でも、ファンの方はごめんなさい、香取さんの平八は違う感じがするな。
 平八でなく<香取慎吾>が全面に出ているし、変人ぶりも香取さんがどう演じていいか迷ってる感じ。
 山下智久さんも『コードブルー』など一連の主演作が示すとおり、真面目で悩む真摯な青年役の方が魅力を発揮する。
 山下さんにしてみれば、今回の西園寺役で新境地開拓という所か。

 作劇に関してはTBSさんに提案。
 この作品は『古畑任三郎』や『刑事コロンボ』のような<倒述形式>にすべきですよ。
 つまり犯人が最初からわかっていて、探偵役が犯人をジワジワと追いつめていき、最後にトリックを明らかにするという形式。
 第2話だって、大畑幸三(浅野和之)が犯人なのは見え見えじゃないですか。
 これは事件で誰が一番得をするかを考えれば明白。
 秘書の山村省一(山本耕史)を犯人に仕立て上げようとした動機も、大畑の妻との不倫のことを考えれば明白。
 犯人が大畑であることを薄々気づいている平八が、大畑をあの手この手で痛ぶり、翻弄していく方が平八のキャラに合っている気がするし。
 ドラマの方も、もっとムダがなくなり、犯人のトリックをいかに解明するかに集中できる。
 まあ、この作品の制作スタッフとしては、<倒述形式>でやったら完全に『古畑任三郎』の二番煎じになってしまうというプライドがあったのでしょうが。

 第2話の犯人特定手法については『刑事コロンボ』と『古畑任三郎』のエピソードを思い出した。
 探偵が指紋をつけて犯人を断定する方法は『刑事コロンボ』の「二枚のドガの絵」だったかな、コロンボがドガの絵に自分の指紋をつけて犯人を追いつめるということをやっていた。
 風船の色が紫でなく橙(だいだい)に見えたのは、『古畑任三郎』の石黒賢さんのクイズ王のエピソードで黄色のサングラスをつけていたため色が違って見えたという話があった。(この点については「英の放電日記」さんでも同様の指摘をされていた)
 このように現在の探偵物は、2つの作品のエピソードをミックスしなければ成り立たないくらい難しくなっているんですね。


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平清盛 第42回「鹿ヶ谷の陰謀」~共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ!

2012年10月29日 | 大河ドラマ・時代劇
 ラストの頼朝(岡田将生)のナレーションでこんなものがあった。
「清盛は明日を見失いかけていた」
 これはどういうことだろうか?
 キレて西光(加藤虎ノ介)を蹴りまくる清盛(松山ケンイチ)。
 清盛の中に巣喰っていた<もののけの血>が爆発したようだ。
 このシーンは、清盛が頼朝に流罪を命じ<ヒゲ斬り>を突き刺すシーンと共に描かれる。
 作家はなぜここでこの回想シーンを持って来たのか?
 清盛が西光を蹴りまくるシーンだけでもいいはずである。
 これはこういうことではないか?
 頼朝に流罪を命じたシーンでは、清盛は理性を保っていた。
 激情に駆られながらも心の中はクールだった。
 政子(杏)が看破したように、<ヒゲ斬り>を渡すことで頼朝に「武士の魂を忘れるな」と語っていた。
 だが今回の西光のシーンではそれはない。
 自分のやってきたことを<復讐>と言われ、キレた。
 激情に任せて蹴りまくった。
 ここには何の理性もない。
 以前の清盛なら、西光の言葉を理解して、「確かにそういう面もあったかもしれない。行き過ぎだったかなぁ」と兎丸の時のように考えたかもしれない。「西光殿、それは違う」と語りかけたかもしれない。

 清盛の中で、自制したり自己を顧みたりすることが失われつつある。
 今まで理性と理想で抑えられていた<もののけの血>が噴出しつつある。
 それは老いのせいか?
 ほぼ世の頂に立ってしまったせいか?
 白河院(伊東四朗)の「今まで見えなかった景色が見えてくる」という予言がよみがえる。
 清盛は、頂に立った者しか見ることの出来ない景色を見つつある。
 それは愛も明日もない、暴力と狂気だけが支配する荒涼とした景色。
 いつ権力の座から追い落とされるかわからない不安と恐怖に脅える悪夢のような景色。

 一方、明日が見え始めた頼朝のシーンは明るい。
「連れて行ってくれ。私を明日へ」
「連れて行けとは女々しいお方じゃ」
「共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ」
 さわやかな恋愛映画を見ているようだ。
 杏さんの政子がいい味を出している。

 坂道を下っていく清盛と上っていく頼朝。
 このふたりのシーンを交互に描いていったことも劇的効果をあげている。
 巧みな作劇だと思う。


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悪夢ちゃん 第3話~空気を読んで笑うな! 先生はこれからなるべく無理に笑わないようにします。

2012年10月28日 | 学園・青春ドラマ
 KYという言葉があるように日本人は他人との同調力が強い。
 明確な自己主張をせず、空気を読んで他人に合わせてしまう。
 これがいいことか悪いことかはわからないが、過度の同調は心をむしばむ。

 自分が変だなと思っていても、他人が良しとすれば、自分も追認する。
 完全な自己否定。
 結果、起きるのは<自己喪失>あるいは<自己嫌悪>だ。

 あるいは過度の同調は、今回の赤根祐輔君のように人を<透明人間>にする。
 他人と合わせているうちに、自分はONE OF THEMになり、カメレオンのようにまわりの景色と同化する。
 同調は他人から自分を守るための行為だが、同時に心は悲鳴をあげる。
 <透明人間>であることに耐えられなくなって、「自分はここにいるんだよ!」「みんな見てよ!」と叫びたくなる。
 赤根君の場合は漫画という形で。
 漫画で描かれていることが現実に起これば、まわりが騒ぎ出す。
 この漫画を描いているのは誰だ? とウワサになる。
 これは<透明人間>にとって心地よい存在確認だ。
 それは劇場型犯罪の犯人が、警察やマスコミが騒いでいるのを見て喜ぶのと似ている。
 そう言えば、<酒鬼薔薇聖斗事件>の少年Aは自分のことを<透明な存在>と呼んでいた。

 描いたことが現実に起こるというのは、「20世紀少年」でも描かれたが、根本は<オウム真理教事件>だ。
 彼らはハルマゲドンという予言を実現するためにサリンを撒いた。

 この作品は現代の心の病理を描いているんですね。
 それが<サイコパス>という言葉に集約されている。

 では、こんな病理に対する処方箋は何か?
 彩未(北川景子)は叫ぶ。
「先生はここにいます! 先生はサイコパスです!」
「あのブログに書いてあることは全部本当です!」
 まずは、本当の自分をさらけ出すこと。
 こうすることで、<透明人間>から<ここにいる人間>になることが出来るし、本当の自分に戻ることが出来る。
 「自分は、みんなが言っていることは間違ってると思います!」と叫ぶことや、空気を読んで笑わないことや、極端な所では「自分はヘンタイです!」と宣言することで、心は解放される。
 本当の自分をさらけ出すことによって、離れていく人もいるだろう。
 しかし、本当の自分を受け入れてくれる人もいる。
 そんな人たちとの繋がりこそが本当に繋がりだ。
 偽りの自分で繋がっている関係なんて本当の繋がりではない。

 そして彩未はさらに深いことを語る。
「先生は笑いたくもないし、泣きたくもない。みんなに嫌われないようにしているけど、好かれたくもない。殺したいけど殺さない。さて、どっちの先生が本当で、どっちがウソでしょう?」
 人間とは矛盾した存在なのだ。
 善もあれば悪もある。弱さもあれば強さもある。崇高な部分もあれば卑しい部分もある。
 彩未はこの矛盾する両面を認めて、折り合いをつけながら生きていけと語る。
 これが次のせりふ。
「人間はどこへ逃げようと自分から逃げることなんてできないのよ! ウソと本当がクリームのように溶け合って生きているのが人間だからです!」

 さて、われわれは彩未の言葉から何を考えるだろう?
 彩未は生徒達に語っているが、実はわれわれにも語りかけている。
 <本当の自分をさらけ出すこと>と<矛盾した自分に折り合いをつけながら生きていくこと>。
 こうすることで、人は<透明人間>でない<本当の自分>を生きていくことが出来るように思う。

 この作品、次に彩未が何を叫ぶのか、楽しみになってきた!


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朝まで生テレビ!(10/20)~尖閣が大事と答えた人間が7割!?

2012年10月27日 | 事件・出来事
 一週間遅れになりましたが、先週の『朝まで生テレビ!~激論! 瀬戸際の日本外交』
 ラストの視聴者アンケートにがく然とした。
 <尖閣諸島>と<中国との友好>、どちらが大事ですか? という質問に、<尖閣諸島>と答えた方が何と7割!
 おいおい大丈夫ですか? こんなことじゃ何年か後には戦争になりますよ。
 番組の設問の仕方もおかしい。
 <尖閣諸島>か<中国との友好>かの二者択一。
 両方とも大事だというのが、ほとんどの日本人が納得する答えだろう。

 番組では評論家の東浩紀の意見に共感した。
「他国と仲良くするにはどうしたらいいかが国民の総意ではないか。政治家は仲良くするために何をしたらいいかを考えるべき」
 まとも過ぎる正論である。
 ところが、これが新鮮に聞こえてしまうこの国の現在って何なんだろう?
 7割が<尖閣>が大事ですからね。

 民主党の辻元清美さんはこんなことを言っていた。
「政治家の仕事はナショナリズムを抑えること」
「ナショナリズムの世論が強くなると政治家は抑えられなくなる」
 これも正しい。
 <中国は嫌い><中国憎し>の感情が高まり、暴走して制御不能になれば、行き着くところは戦争。
 なのに一部の政治家や識者と呼ばれる人たちは、それに火をつけている。

 現在、石原慎太郎氏の新党結成でマスコミは騒いでいるが、なぜ、あんないびつな<暴走老人>に注目するのか?
 石原氏の<中央官僚の支配打破>については理解出来るが、その他の言動については理解不能。
 街頭インタビューでの街の人の声もどうなんだろう?
 ひとりの中年女性はこんなことを言っていた。
「石原さんは国のことを真剣に考えてくれるからいい」
 でも、石原氏の政治が行き着く所は戦争ですよ。
 自分の子供や孫が戦争に行って、命を落とすことをよしとするのだろうか?
 そこまで想像力を働かせて語っているだろうか?

 右傾化している日本。
 扇動する政治家の勇壮な言葉に決して乗ってはならない。
 原発事故でもわかるとおり、ひどいめに遭うのは一般市民。
 上のやつらは安全な所にいて、金もうけのことを考えている。
 先述の東浩紀さんの言葉の一部を借りれば、<国民は仲良くするために何をしたらいいか考えるべき>。


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相棒11 ゴールデンボーイ~人を殴り殺した瞬間、あいつは何をなくしたかがわかった。

2012年10月25日 | 推理・サスペンスドラマ
 甲斐享(成宮寛貴)のキャラクターが少しずつ作られている。
 たとえば、こんなやりとり。
 享が推理を披露。
 すると右京(水谷豊)が「おや、君も気づいてましたか」
 享が返して「一応、警察官ですから」
 前回も書いたように、享って最初の推理は鋭いのに、その後が続かない。
 推理の詰め方は右京さんの下でしっかり学んだ方がいいですね(笑)

 享は、やさしく強いキャラクターでもあるようだ。
 ラスト、右京と甲斐峯秋(石坂浩二)は、ボクサー・荒木淳(趙和)を助けられなかったことに悩む享について次のように語った。
「自分の無力さを忘れない」「償えもしないことを忘れない」
 享は自分を責める。
 もし荒木の心の中を理解していたら、彼の自殺を食い止められていたのではないかと悔やむ。
 こうして享は刑事として成長していくんですね。
 荒木を救うために自分に何が足りなかったのか、このことを享は自分に問いかけているはず。
 <忘れない>ということも大事。
 普通の人間なら、自分を苦しめる出来事は忘れてしまおうと思う。
 しかし、享は心に刻む。自分への戒め、教訓とするために。荒木の死を無駄にしないために。
 これは享の強さでもある。

 享はいい刑事になりそうですね。
 気持ちや情熱の面では申し分ないし、右京の下で推理力・捜査力を鍛えられれば最強の刑事になるだろう。
 右京が享を引っ張ってきた理由はここにある。

 それから<甲斐享編>の特徴として、毎回彼の見せ場のシーンを作るようだ。
 前回はオークション。
 今回はボクシング。
 次回は何か?

 事件については、純粋な者が欲望まみれの邪悪に翻弄され、滅びてしまう話。
 ボクシングを愛し、チャンピオンになるためにひたむきに努力する荒木は<純粋>なんですね。
 しかし、邪悪な者たちはこれにつけ込む。
 愛とかやさしさもつけ込む要素。
 そして、世の常として、純粋な者は邪悪な者より無力。
 金、名誉、性、脅迫、暴力、さまざまなものを駆使して、邪悪な者たちは純粋な者を取り込もうとする。
 普通の弱い人間なら、そのアメとムチに拠って取り込まれ、純粋さをなくしていく。
 しかし、荒木は強かった。
 それに屈せず、肉体的にも強かった彼は、純粋さを奪おうとする者を殴り殺してしまった。
 完全な悲劇である。
 甲斐享が荒木に感情移入したのも、享に<純粋さ>があったからだろう。

 今回の事件はなかなか面白かった。
 事件の動機が賭博がらみであることはすぐにわかったが、密室・偽装を見破った右京の推理はさすが。
 荒木やジムの会長を救えなかったのは、右京さんのミスかな。
 時間経過の問題はあるが、ジム会長がビル会社社長・柳田康夫(若杉宏二)を殴り殺そうとする所で駆けつける、なんて感じでもよかった気がする。


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遅咲きのヒマワリ~自分を受け入れてくれる場所を見つけた時

2012年10月24日 | 学園・青春ドラマ
 こういう作品、好きです。
 地に足がついていて。
 もっとも現実はもっとシビアでモノトーンなんだろうけど、現実と虚構のブレンド具合が絶妙でいい感じ。
 たとえば派遣切りされる小平丈太郎(生田斗真)。
 派遣切りされた若者の姿が程よく描かれていると思う。
 つき合っていた彼女には別れを告げられ、市役所に勤める弟の同僚からは「派遣」と聞いて下に見られる。父親も堅実な弟の方を評価している様子。
 そこで丈太郎のモノローグ。
「俺は人生を選べる立場にない。俺を受け入れてくれるところに行くしかない」
 月9の『PRICELESS』の主人公・金田一も職を失う人間であるが、リアリティでは丈太郎の方がはるかに上。(まあ『PRICELESS』はコメディなんだと理解しましたが)

 大村郁子(倍賞美津子)を喪った後の、丈太郎の気づきもいい。
「俺、ここでの仕事、ただの雑用だと思ってました。だけど俺が雑用だって思ってた仕事は、この町の人が生きていくためにすっごく重要なことで……」
 丈太郎はすごく真面目でやさしい。
 それは、二階堂かほり(真木よう子)も、森下彩花(香椎由宇)も同じ。
 かほりは郁子の死で「この待ちの人の命を預かることの怖さ」を知り、彩花は「人間、死んじゃう時は死んじゃうんですから」と割り切っていながらもアパートに戻ると彼氏の前で「患者さん、死んじゃった」と泣く。

 脚本は橋部敦子さん。
 登場人物と真っ正面から向き合っている。
 丈太郎が引っ越して来て、はじめて郁子らお年寄りたちと心を通わせていくシーンなんかは、さりげないが実に上手い。

 この作品の見所は、登場人物たちのドラマであろうが、個人的にはあとふたつある。
 ひとつは女優さんたち。
 真木よう子さん、香椎由宇さん、そして今井春菜役の木村文乃さんが好き。
 真木さんがイスの上に片足を立てて、姉・さより(国仲涼子)と話すシーンなんかはカッコ良かった。
 同時に臨床経験のない医者の弱さやダメダメ具合、都落ちして傷つけられたプライド、何もない故郷に対しての反発など、さまざまなことを表現していた。
 また香椎さんは相変わらずミステリアスできれい!
 木村文乃さんの出番は少なかったが、不動産屋として丈太郎に家を受け渡した後、わざわざふり返って「バイバイ」と言うシーンなんかは最高だった。
 木村さんはこういう田舎の垢抜けない女の子がよく似合う←失礼!
 逆に香椎さんは逆に田舎とは不釣り合いな感じ。これがキャスティングの妙!
 そして、ふたつめの見所は何と言っても四万十の風景。
 この風景の中で描かれる青春群像劇。
 作品のロケーションというのは大事なんですね。


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PRICELESS~炊き出しやホームレスを安易に扱われたことに怒りすら感じる

2012年10月23日 | その他ドラマ
 甘っちょろいドラマである。
 以下、批判なので読みたくない方はスルーして下さい。

 物語は、いきなり不条理な状況に落とされた金田一二三男(木村拓哉)が七転八倒する物語。
 今までの木村さんのイメージを逆手にとって、<カッコ悪い木村拓哉>を描くというのが企画意図だろう。
 だから木村さんを<野宿者><空き缶拾い>に。
 しかし、少しもこの金田一にまったく感情移入できない。
 金田一自身は、この状況から抜け出すために大きな努力はしていないんですよね。
 行きつけのバーのマスターはいい人で働かせてくれるし、たまたま出会ったアパートの一厘(夏木マリ)は500円で朝食付きの宿を与えてくれる。
 木村さんがホームレスをやるというから期待していたけど、<野宿者><空き缶拾い>はドラマのためのただの素材でしかない。
 上っ面の表面だけをなぞっただけ。
 ここから現代の<貧困問題>に切り込むのかと思ったら、まったくそんな気配はない。
 まあ、月9ですからね、そんな問題は扱わないか。
 だから湯浅誠さんの貧困問題の本などを読んでテーマにしている僕としては、炊き出しやホームレスを安易に扱われたことに怒りすら感じる。

 この作品の言いたいことは
★500円稼ぐのって大変! だとか
★お金よりも大切なものがある! だとか
★貧乏になって見えて来る本当の人間関係 とかだろうが、テーマとしては実に甘っちょろい。

 クライマックスの<ビールか景品のブルドーザーか>という選択だって、カイジくんなら迷わずビールを選んでいますよ。
 ブルドーザーを選んだ金田一よりビールを選ぶカイジくんの方が、現代ではずっとリアリティがある。
 ちなみにカイジくんとは『賭博黙示録カイジ』の主人公のことです。藤原竜也さんで映画にもなった。
 較べること自体が意味のないことなのかもしれませんが、『カイジ』と較べてみれば、この作品がいかに甘っちょろいかがよくわかる。
 『カイジ』の世界がハード過ぎるのなら、せめて『嫌われ松子の一生』を書いた山田宗樹さんの『ジバク』くらいの内容にしてほしかった。
 『ジバク』は一歩間違えばどんどん転落していってしまう非情な現代を描いているが、『PRICELESS』は完全に<お子様ランチ>の世界。
 未来の見えない閉塞した現実に生きている人が見れば、鼻で笑ってしまう内容だろう。


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平清盛 第41回「賽の目の行方」~賽の目はめまぐるしく変わるものぞ、上がりじゃ!

2012年10月22日 | 大河ドラマ・時代劇
 清盛(松山ケンイチ)は、<賽の目を自由に出せる>ようになったようである。
 西光(加藤虎ノ介)の息子たちに対する強訴。
 結果、息子たちは流罪、西光の発言力は弱まり、後白河法皇(松田翔太)の力も削がれた。
 この強訴の背後で糸を引いていたのは清盛。
 清盛の陰謀は見事に成功した。
 ついに清盛は、5+6=11という賽の目を、自らの力で出すことが出来たのである。
 清盛は、福原に都をつくることで<加茂川の水>を、延暦寺を取り込むことで<山法師>を、そして今回陰謀によって<賽の目>を支配した。
 すべてを掌中におさめた。
 だから重盛(窪田正孝)にこう言う。
「賽の目はめまぐるしく変わるものぞ、上がりじゃ!」

 では清盛は完全に勝利したのか?
 清盛が出した賽の目は11。
 一方、後白河法皇はラストで賽の目1を出した。
 この賽の目1とは何を意味するか?
 おそらく伊豆の頼朝(岡田将生)のことを指すのであろう。
 頼朝は政子(杏)に言われる。
「立ち上がれ、源氏の御曹司! 明日はいかようにも変えられる。明日を変えるのは今日ぞ。今この時ぞ!」
 この言葉では、まだ「悲しみと憎しみから無縁に生きたい」頼朝の心に火をつけることは出来なかったようだが、小さな一歩に繋がったことは確か。
 だから賽の目は1。
 今後、頼朝が挙兵し、義経(神木隆之介)が加われば、賽の目はもっと大きな数になるはず。
 清盛も、平家と並ぶもうひとつの大きな武力=源氏のことを意識しなかったことは大きな誤算。

 すごろくの賽の目で語られる物語。
 なかなかお洒落な作劇だと思う。


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悪夢ちゃん 第2話~「親に恵まれなかった子供はね、自分で生きていくしかないのよ!」

2012年10月21日 | 学園・青春ドラマ
 彩未(北川景子)では心を閉ざしている。
 本音を隠し、いい女教師を演じ、やさしい素敵な女性を演じ。
 それが、母親に捨てられ孤児院で生きてきた彼女が、自分を守るために身につけてきた処世術だったのだろう。

 しかし、本音が堰を切ったように現れる瞬間がある。
 今回の場合は、スナック”うわばみ”のママ・ナミ(高橋ひとみ)に言い放った言葉。
「親に恵まれなかった子供は自分で生きていくしかないのよ! 人に幸せを求めたら傷つくだけなの。そういう自分を自分で助けていくしかないのよ。大人だったら大人らしく、そこに導いてやれよ!」
 本音をはいた時、彩未は本当の自分になれる。本当の自分を取り戻せる。

 この作品は、彩未が自分を取り戻していく作品である。
 事件を通して、彼女は怒ったり、悲しんだり、心から笑ったりすることを取り戻していく。
 彩未は事件を解決して、他人を助けているが、同時に自分も助けられている。
 それは自分を守るために覆ってきた殻を少しずつはがしていく行為に似ている。
 そして、本当の自分を取り戻した時、彩未の心の中はイキイキとして、世界は彩りのある面白いものになるだろう。
 夢の世界に逃げなくてもいいような。

 あと面白いのは、保健教師・琴葉(優香)との関係。
 お互いを嫌い反発し合っている。常に相手をおとしめようとしている。
 そんなふたりが事件の際には協力し合う。
 琴葉の方が彩未に半ば強制されてという感じではあるが。
 この協力関係、下手な友情や同志意識で結ばれているよりずっと面白い。
 お互いを嫌い、おとしめようとする関係だからこそ、協力し合う時に何とも言えない味がうまれる。
 これが普通の友情関係だったら、琴葉というキャラがフツーのキャラになってしまう。

 最後に、サイコパスのホームページを作っているのは甘澤校長(キムラ緑子)?
 校長は、本来の自分を取り戻させるためにホームページを作って、彩未の心を揺さぶっている?
 『今のあなたはサイコパスなんだから本来の自分を取り戻しなさい』と語りかけている?
 そして校長は、彩未の母親もしくは母親に縁のある人物?
 これはあくまで予想ですが……。



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