平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

24 シーズンⅤ 第11・12話

2006年11月30日 | テレビドラマ(海外)
第11話(17:00)

 まずはロシア大統領暗殺未遂の後フォロー。
 自分を見殺しにしたことで大統領夫人のマーサは夫に完全な不信感を持った様だ。夫に会おうとしない。
 ロシア大統領もローガンを疑っている。理由はマーサの様子が変だったから。

 そしてテロリストの報復。
 テロリストはまず陽動で病院に神経ガスを撒こうとする。
 CTUはロシア大統領暗殺で射殺されたテロリストの所持品から、この病院テロを察知。カーティスら戦術チームを派遣する。
 病院側は患者を避難。
 同時に清掃に扮した見知らぬ男がモニターに映っているのを発見し、カーティスに伝える。カーティスは現場に急行するとテロリストを射殺。後1分で起動する神経ガスを密閉容器まで運び、テロを未然に防ぐ。
 このエピソードは作劇的には、作品を盛り上げるエピソードであろう。
 今回の話ではこの他にアクションシーンがない。

 さてジャック。
 前回からガスを製造したオミクロン・インターナショナル社の副社長クリストファー・ヘンダーソンを追っていた。(ヘンダーソンはジャックのかつての上司でもある)
 ヘンダーソンは神経ガスに関するデータをジャックと共に爆破隠滅しようとした。テロリストに加担していることは明白だ。
 会社のデータを自宅パソコンに転送していることが分かり、ジャックは自宅に急行する。そしてヘンダーソンの妻とのやりとり。ヘンダーソンが逃走のため自宅に戻ってくるを捕らえる。
 ここでのドラマは夫を信じる妻の姿だ。
 テロに加担していないと信じている妻。
 しかし夫のアタッシュケースに入っていた逃走用の金(テロリストから受け取ったもの)を見て、夫の加担を確認する。
 ジャックはヘンダーソンに残りの神経ガスの在処を吐かせる。
 しかしヘンダーソンは元CTU。交渉・拷問に屈しない。
 ジャックはヘンダーソンの妻の足を銃で撃つ。
 自分の痛みよりは愛する妻の痛みの方が痛いというわけだ。
 テロ阻止のためとはいい、無実の一般人を撃つ。
 こういうヒーローらしからぬ行動をとる所がジャックだ。
 しかしヘンダーソンは口を割らない。
 妻よりもテロを選んだヘンダーソンは、妻を裏切ったローガンと同じだ。
 このふたつのエピソードは合わせ鏡になっている。
 ジャックは妻には救急車を呼び、ヘンダーソンをCTUに連行、拷問で吐かせる判断をする。

 なお、今回次の事件の伏線が提示された。
 CTUのキイカードだ。
 これを前々回リンは妹とその恋人により奪われた。

第12話(18:00)
 今回は大きな場面移動がない。
 舞台はCTU。
 リンのキイカードを奪ってCTUに潜入したテロリストが神経ガスをばらまくのだ。
 神経ガス作動までは15分。
 このままではCTUが全滅。
 しかし間一髪、妹が何者かに殺されたことを知らされたリンがキイカードを奪われたことを告白。
 早速、リンのキイカードを使って人が潜入していないかチェックされ、テロリストが換気装置の所にいることがわかる。
 レベル6の緊急事態。
 テロリストはジャックに射殺されるが、神経ガスは作動。
 司令室などを密封してガスを凌ぐが、何とエドガーが間に合わず死んでしまう。
 エドガーは仲間の分析官を心配して換気装置を確認に行き、巻き込まれてしまうのだ。

 パーマー、ミシェル。
 そして今回はエドガー。
 次々と主要メンバーが死んでいく今回のシリーズ。
 それもあっけなく。
 それぞれのキャラクターに思い入れのあるファンにはつらい。

★追記
 このCTUのテロが行われる間に描かれるのは次のような物語。
・CTUにやって来たキム。
 そこでジャックの生存を知らされる。
 父の死に苦しんだキムは言ってくれなかったジャックを受け入れられない。
 ジャックはすべてはキムを守るためだったと説明するが、自分の気持ちなど無視して行動していくジャックが許せない。
 クロエにはジャックの生存を知っていた人間、ミシェル、パーマーが殺されたことを告げられ、釘を刺されるが。
・ミシェルの死を告げられたトニー。
 トニーはテロの大もと、神経ガスをテロリストに渡したのがヘンダーソンだと知らされる。一方、ヘンダーソンは尋問でCTUに連れて来られている。

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ゴシック

2006年11月29日 | 洋画
 鬼才ケン・ラッセルの描くホラー映画「ゴシック」。

 登場するのは天才詩人バイロンと詩人のシェリー、それにシェリーの愛人メアリーとその妹クレア、そしてバイロンに想いを寄せる医者ポリドリ。
 実際にあった事件をモチーフにしている。

 物語の概要はこうだ。
 1816年6月16日、シェリーらはその背徳的な生活ゆえにイギリスを追われたバイロンのスイスの別荘・ディオダディの館にやって来る。
 彼らはメアリー以外、いずれも世の中に退屈した退廃的人物。
 嵐の夜、阿片を吸って狂乱のパーティを行い、趣向として各自が「怪談」を創ろうと言い出す。
 バイロンなどは「どうせ創るなら本物の幽霊を創り出そう」と言って、降霊術を行ったりする。
 そして狂乱の一夜が過ぎて、メアリーとポリドリが物語を創り出す。メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」とポリドリの「吸血鬼」(B・ストーカーのものとは違うもの)だ。
 これが実際にあった文学史上有名な事件「ディオダディの幽霊会議」。
 ふたりはここで得た着想を数年後小説に仕上げ発表する。

 さて、この作品、ジュリアン・サンズ演じる詩人のシェリーが美しい。
 阿片でラリったシェリーは嵐の中にはだかで飛び出し、豪雨と稲妻の光る屋根の上で大きく手を広げて叫ぶ。(フランケンシュタインは雷の力で生命を得るが、メアリー・シェリーはこの姿を見て着想を得たのであろう)
 そしてこんなシェリーをめぐり、バイロンたちが争い出す。
 バイロンはシェリーの美しさに魅了され、メアリーとクレアの三角関係に悩むシェリーにこう言う。
「女ごときの為に君の才能を浪費することはない」
 またバイロンに想いを寄せるポリドリは嫉妬してシェリーにナイフで襲いかかる。
 そしてそれがかなわぬと考えると首つり自殺をしようとする。
 たくさんの蛭を自分の体に乗せて血を吸わせ、自分で自分を痛めつける。
 すべてはポリドリにはないシェリーの美しさゆえ。
 阿片による乱痴気騒ぎにシェリーが加わって、騒ぎはどんどん加速していく。

 この作品の創りだした退廃的でシュールな映像も魅力だ。
 騎士の鎧に絡まったニシキヘビ、修道士のどくろ、首のないピアノを弾く人形、阿片の幻覚が見せる醜悪なモンスター、鉄のペニスをつけて迫り来る騎士。
 美しさはきれいな風景や絵画の中だけにあるものではない。
 グロテスクで怖ろしいものの中にもある。
 それはまるで悪夢を見ている様。

 そしてバイロンらが見ているこれらのイメージは、阿片でラリったバイロンたちの見た幻覚なのか、彼らの狂態が邪悪なものを惹きつけ、モンスターを呼び出したんものか観客にはわからない。
 面白いホラー映画だ。
 バイロンたちが見たイメージはいずれも彼らが心の奥底に閉まっていた苦悩や秘密でもあり、多分に精神分析学的でもある。

 なお、この「ディオダディの幽霊会議」をモチーフにした作品には他にも「幻の城」(バイロン役はヒュー・グラント)がある。
 こちらはバイロンとシェリーの話を正攻法で描いている。

※この記事は以前に雑誌に書いた記事を加筆修正したものです。

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草の花 福永武彦

2006年11月28日 | 小説
 汐見茂思が死んだ。
 結核が死病であった時代。サナトリウムで療養していた彼は肺葉の摘出手術を受け、死んだのだ。
 その死は「自殺」と思えるような死であった。というのは当時、摘出手術は困難なものとされていたのだが、それを汐見は強引に受けたいと言い、執刀を受けている時も手術の中止を主張する医師に「やってくれ」と言い張って続行させたのだ。
やがて死んだ汐見の枕の下から2冊のノートが発見される。

「僕の愛した者たちは何故に去ったか。僕のどこが間違っていたのか」

 こう書かれた彼のノートには、彼が18歳と24歳の恋とその挫折が書き綴られていた。
 福永武彦の「草の花」は、理知にとらわれ過ぎたがゆえに愛する人を失い、人生に挫折した青年を描いた青春文学の傑作である。
 18歳。旧制高等学校の学生であった汐見は後輩である藤木忍に想いをよせる。
 「人生は憧憬にあふれ、生きるに値するもので、魂を美しくすることをひたすら求めた」という理想と熱情に燃える若き汐見は、藤木の中に「美しい魂」を見たのだ。
 汐見は藤木について先輩に語る。
 「藤木の魂を理解しているのは僕だけなんです。僕は美しいもの、純粋なものを(藤木の中に)一度発見した以上、僕自身の魂、この汚れた魂をも美しくし、また他人をも美しい眼で見ていくことができると思うんです」
 藤木を限りなく美しいものとしてとらえ、汐見はふたりの魂のつながりを求めるが、「僕は下らない、平凡な人間です」と考える藤木は、汐見の気持ちに応えることが出来ない。
 藤木には自分を理想化する汐見の気持ちが重荷だったからだ。汐見はこの時期の青年にありがちな哲学青年であり、完全な魂のつながりを説くプラトンの哲学を理想としている。そしてその哲学から藤木を見ている。見ているのは藤木本人ではない。
 それは24歳の恋も同じだった。
 相手は藤木の妹の千枝子。
 藤木はその後病気で亡くなり、藤木の面影を残す千枝子に惹かれる様になる。千枝子も兄の所に出入りしていた汐見をよく知っており、汐見に好意を寄せているが、現実を見ない汐見に自分との隔たりを感じている。
 「汐見さんは呑気な人ね。だってあなたの頭の中にあるのは古典とか文学とかあたしたちに縁のないものばかりでしょう」
 一方、汐見は千枝子の信仰するキリスト教を戦争に無力だったとして否定する。ふたりの関係はすれ違い、やがて傷つけ合うばかりになり、終わりを迎える。
 汐見は藤木や千枝子を愛したのではなく、自分の理想を愛したのだ。
相手を自分の理想に投影して、その幻影を愛した。理想と現実は違うからいずれは裏切られる。自分の理想は自分自身に他ならないから、結局汐見の愛は自分を愛することでしかない。だから自分とは違う異質な人間(例えばクリスチャンの千枝子)が心の中に踏み込んでくると、それを否定してしまう。汐見は愛を求めていながら、結局は誰も愛せなかった孤独な人間だった。
 作品中、汐見が千枝子とショパンの演奏会に行って、千枝子が大喜びする場面があるが、ここで描かれたふたりは本当に心の通った恋人どうしの様に見える。汐見もこのことが忘れられず、他の男と婚約した千枝子に再び演奏会のチケットを送るが、こうしたことに幸せを見出せなかった所に汐見の悲劇がある。

「僕の愛した者たちは何故に去ったか。僕のどこが間違っていたのか」
 汐見はこのふたつの恋をノートに書きながら、自分の挫折の理由を自問する。その理由を問いながら孤独に死んでいく汐見の姿はとてもせつない。

 タイトル「草の花」は聖書の「人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花のごとし」から来ている。
 草である人はいずれ花を咲かすために生きている。
 汐見が「草の花」となった時期はいつなのだろう。
 若き日、「愛を信じ、人生の美しさを信じていた」頃のことを言うのだろうか。 その頃は何もかもが輝き、生命力に溢れていた。

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功名が辻 種崎浜の悲劇

2006年11月27日 | 大河ドラマ・時代劇
 土佐を平定するため、一領具足の頭領たちを一網打尽にする作戦を立てる六平太(香川照之)。
 相撲の大試合、そこで……。
 容認する一豊(上川隆也)、千代(仲間由紀恵)には内緒で。

 家康の圧力が高まる中、どうしても土佐を平定しなければならない。
 できなければ責任を問われ土佐の国ばかりでなく、山内家、一豊までもが失われてしまうかもしれない。政治の非情。
 六平太はすべてを打開するために一切を引き受けた。
 悪役となり泥を被った。
 それが千代の幸せに通じると思ったから。
 昔の約束を全うする。
 
 しかし、それは同時に千代を失うことでもあった。
 自分の行為を決して千代は許さないことを六平太は知っている。
 それでもやらざるを得ない六平太。

 最期に六平太が毒を飲んで死んだのはどんな想いがあってのことだろう。
  ・死んで千代に詫びたかった。
   無惨に殺されていった者たちに詫びたかった。
  ・自分のしたことで千代が失われた今、生きている意味はない。
  ・千代の腕の中で死にたかった。
   腕の中で死ぬことで自分の人生を意味づけたい。
   拒絶されたまま、どこかで死んでいくのはつらすぎる。
 これらすべてがその理由であろう。

 脚本家の大石静さんは、ひとりの人間が死を選ぶのは、こんなに様々な想いが絡み合った複雑なことだと述べている。

 そして一豊と千代。
 千代は功名のために無惨なことを容認した一豊を許せない。
 暇がほしいと言う。
 人生の最終局面で、自分たちが目指してきた「功名」の意味がついに問われる。
 自分たちが生涯を賭けて得たものが、今回の事件でガラガラと崩れ去る。
 自分たちが目指してきたものは、こんなに悲惨なことだったのか?

 一豊にとっては一国一城を得ても千代が失われれば、その人生に意味がない。
 一豊が望んだのは一国一城を得て、千代や家臣たちと共に笑い合うことだ。
 それは千代も同じだったが、悲惨なことをしてしまった夫を許せない。
 夫に悲惨なことをさせてしまった「功名」が許せない。
 こんなことなら、貧乏でも一豊と笑い合える生活の方がマシだった。

 最後の最後に問われる一豊と千代の人生の意味。
 そして功名の意味。
 作者はどう結論づけるのだろう?

★追記
 作者は死にはいろいろあるということも描いた。
 一領具足たちの死。
 新一郎(浜田学)の死。
 それは六平太のそれとは違うあっけない、あまりにも不条理な死。
 この辺、大石さんの目は冷徹だ。
 新一郎の死はその父・新右衛門(前田吟)によって「よくやった。これでお前もひとかどの武士になった」と誉められたが。
 泣きながらこのせりふを言う新右衛門が見ていてつらかった。
「あの世で母上と待っておれ、わしもすぐ行くから」というせりふも。

★追記(12/4)
 功名の意味ということでは、第48回「功名の果て」で結局千代が受け入れるということで決着した。
 功名とは何だったのだろうと疑問を投げかけることで終わった。
 河知山城(高知城)の天守閣に千代と一豊が立つという絵になった。
 千代の論理を貫徹するとすれば、一豊が城を捨て千代の庵に行かなくてはならないが、それでは史実ではない。
 歴史ドラマの難しいところだ。

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野ブタ。をプロデュース 白岩玄

2006年11月26日 | 小説
 原作の「野ブタ。をプロデュース」。
 原作の野ブタは男の子だし、彰もいない。

 ラストもドラマ版では修二は、野ブタに関わっていくうちに他人を受け入れ変わっていくのに、原作では変わらない。
 相変わらず他人に対して演技をしている修二君だ。
 原作のラストはこう。
 まわりから拒絶された修二は転校する。
 そして初めて新しいクラスメイトのいる教室に入る時、こう決心する。
「もう一度やり直しだ。
 敏腕プロデューサー「桐谷修二」なら必ず俺を無敵のタレントにしてくれる。
 暑過ぎず、寒過ぎない、丁度いいぬくいところ。
 そんな場所に今度こそ俺を連れていってくれ」

 修二はゲーム感覚で、「桐谷修二」を演じようとしている。
 それは「桐谷修二」を人気者にするゲーム。
 「もう一度やりなおしだ」というのはゲームでいうリセット。

 誰かを演じるということ。
 他人を自分の心に踏み込ませないということ。
 ゲーム感覚。
 リセット。

 この作品は極めて現代的なテーマを描いている。
 では、原作の結末と180度違うドラマ版はどうだろうか?

 野ブタと彰はどんどん修二の心の中に入ってくる。
 修二の方も最初はゲーム感覚だったが、野ブタ・小谷信子の痛みを知って人しての心を取り戻していく。
 ラスト、信子は笑うことが出来て解放される。
 修二も「演じる」という心の囚われから解放された。
 演じる必要なく、つき合える仲間がいる。
 その喜び。
 自分を見せずに「演じる」ということは孤独なことだ。
 「演じる自分」という虚飾がなくなれば、空虚な自分しか残っていない。
 虚飾であることがわかれば、他人は離れていく。
 修二は野ブタに言う。
「気ぃ抜くなよ。おまえの人気はハリボテの人気なんだからな。映画のベイブだって一歩間違えればただのブタなんだから。おまえは中身がない分、落ちんの速いぞ。まっさかさまだ」
 この様に修二は自分が虚飾の存在であることを理解している。
 それでも演じなければならない修二。
 この孤独。

 人間なんてそんなに変われるものではなく、理解し合えるものじゃない。
 だから自分は演じ続けるという原作。
 理解し合えることを信じて、一歩踏み出してみようというドラマ版。
 どちらに共感するかは読む者・見る者の自由だが、原作をここまでアレンジされた脚本の木皿泉さんは見事。

 原作・ドラマ版、いずれも名作だ。

★追記
 原作の中で語られた修二の心象をいくつか。

 クラスに入ってくる修二。
「一人目をキレイにさばいた俺。しかし雪崩れ込むように二人目、三人目。今日も忙しい。いらっしゃませ、いらっしゃいませ」

 授業前、女の子に自分の席に座られて
「あ~頭痛い。もうどいつもこいつもホントうるせーよ。生温かいし、イス。気持ち悪い。くそっ、臭え。なんだよこの香水。安もんだ絶対。ああ~早く授業始まれ。始まれ始まれ」

 授業を受けている修二。
「誰が何を考えていようと、社会の中でそれぞれが決められた役割を演じれば、何事もなく一日は過ぎていく。俺たちは生徒として席に着き、おっさんは教師として教壇に立つ。誰がどう見ても授業をしていることが、わかれば、世の中は安心し、一日が成り立つ。大事なのは見テクレというヤツだ」

 これらモノローグの表現を読んでいると、修二の孤独がわかる。
・「キレイにさばいた俺」のさばく。
・「うるせーよ」「臭い」
 これらは他人を拒絶する言葉。
・「決められた役割を演じれば、何事もなく一日は過ぎていく」
 これはあまりにも冷めた客観的な分析。

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24 シーズンⅤ 第9・10話

2006年11月25日 | テレビドラマ(海外)
 第9話(15:00) 第10話(16:00)

 この2話では保身で判断能力のないふたりの人物が描かれる。
 CTUではリン・マクギル。
 ホワイトハウスでは大統領のローガン。

 まずはリン。
 リンは命令を無視してテロリストへの手掛かりをなくしてしまったジャックを逮捕・拘束しようとする。
 命令を無視して戦ったジャックの判断は正しかったと反論するオードリー。
 今、現場からジャックを外すのはマイナスだと説得するブキャナン。
 それでもリンはジャックを捕まえろと言う。
 それは自分の威厳を保つため、CTUの指揮官が自分であることを示すため。
 上からの非難をすべてジャックのせいにするため。

 こうしたリンの行動はさらにエスカレートしていく。
 このエスカレートさせていくというのが、物語をどんどん面白くしていく。
 ジャックはテロリストに神経ガスを渡したネイサンソンから取り引きを持ち込まれる。
 ネイサンソンは言う。
 テロリストの情報を提供する代わりに自分の身の安全を保証しろ。
 上の人間は信用できない。ジャックとだけ話をしたい。
 これを受けてジャックはネイサンソンと接触をとる。
 リンの拘束命令を無視して単独行動をとる。
 これに対してリンがキレた。
 おまけにジャックの行動にオードリーやブキャナン、現場のスタッフが自分の知らない所で手を貸していると知って、怒りは頂点になる。
 ヒステリーを起こし、命令以外の仕事をしたスタッフを解雇する。
 現場の端末をすべて自分の所に集め、チェックすると言い出す。
 クロエたち現場のスタッフは、幾多のテロ事件によって培われてきた能力とプライドを持っている。
 当然、反発を喰う。
 リンに上司としての能力がなく、自分たちは信用されていないとわかると独自の行動をとる。
 折しもクロエたちはロシアの大統領が暗殺されようとしているという情報を入手する。
 それをリンに報告するが、不信のかたまりのリンは聞き入れない。
 そこでリンを飛び越えて暗殺の件をシークレットサービスに伝えようとする。

 部下に権力のみをふるい、部下を信用できない上司はダメだ。
 そんなダメ上司をリンは見事に表現している。

 そして大統領のローガン。
 テロリストはローガンに条件を提示する。
「帰国するロシアの大統領の空港までの通行ルートと警備状況を教えろ。
 拒めば神経ガスを撒く」
 またしてもローガンに突きつけられる2つの選択肢。
 ローガンはロシア大統領ひとりの命よりも20万の命を優先してルートを教える。
 もしロシア大統領が暗殺されれば、この悲劇を糧にテロと徹底的に戦うと声明を出すつもりだ。
 ルートを教えたことが露見すればロシアとの大きな外交問題になるが、ローガンは暗殺を容認した。
 しかし、ドラマはさらに発展する。
 ここでも発展だ。
 暗殺のことを知った大統領夫人マーサがロシア大統領サハロフの車に乗り込むのだ。
 それは暗殺を容認した夫への抗議。暗殺容認を思いとどまらせる意思表示だ。
 ローガンは連絡を取ろうとするがマーサは応じない。
 急用が出来たと言ってマーサを無理やり車から降ろすことも考えるが、車を下ろされる時にマーサが暗殺のことをロシア大統領に告げてしまうかもしれない。
 葛藤するローガン。
 しかし車を戻すことは出来ない。何も手を打てないままテロリストの襲撃を待つことになる。

 この様な形で描かれたローガン。
 大を生かすために小を殺す。
 政治家の判断としては正しいのかもしれないが、視聴者の視点からは容認できない。
 視聴者は断固としてテロリストと戦う正義の政治家や捜査官を求めている。
 あるいは露見すればロシアとの外交問題になることを考えれば、政治家としての判断も間違っているかもしれない。
 いずれにしても揺れ動くローガンの姿は、冷静さを失ったCTUのリンの姿と同じである。

 今回の話を見るとドラマはやはり人が描かれていなければならないということがわかる。
 アクション映画であっても、人が描かれていなくては面白くないのだ。
 今回のリンとローガンの描写は見事で、ジャックのアクションや核爆弾の爆発よりも面白い「24」を見せてくれた。


★追記1
 このロシア大統領暗殺を食い止めたのは、クロエたちCTUだ。
 ロシア大統領暗殺の情報をリンに無視されたクロエたちだったが、リンに判断能力がないと判断した上級局員のカーティスが規約によりリンを更迭する。
 そしてブキャナンが復活し、シークレットサービスに連絡をしたのだ。

 リンとローガン、同時並行で描かれていた2つのエピソードがラスト5分「リンの更迭」→「暗殺阻止」で繋がった所も見事だった。

★追記2
 せりふは殆どなかったが、今回カーティスが存在感があった。
 カーティスはヒステリックになっていくリンを冷静に見つめている。
 オードリーらがリンと激しい議論をしている中、冷静に見つめている。
 そしてリンのヒステリーが頂点になった時、ついに規約をもとに彼を更迭した。
 視聴者が一番やってほしいことをやってくれるおいしい役回りである。
 その前まで意見を口に出さず、見つめるだけだったのも効果的だ。

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24 シーズンⅤ 第7話・8話

2006年11月24日 | テレビドラマ(海外)
 第7話(13:00) 

 騙された報復として神経ガスを使おうとするテロリストたち。
 神経ガス奪還に向けて動き出すジャックたち。
 唯一の救いは、神経ガスの起動装置のコードが書き換えられて、今のままでは使えないということだ。
 テロリストの主謀者アーウィックは、ロスラーという男から連絡をもらう。
 ロスラーはテロ組織の上層部から依頼された男で、起動装置をリセットするための指示をアーウィックに出す。
 容器のカットを命じ、自分が作成した再起動のためのチップをはめるように言うロスラー。
 これによりロスラーは報酬をもらうのだ。
 一方、ジャックたち。
 アーウィックとロスラーの電話通信からロスラーの居場所を特定する。
 現場に向かうジャックとカーティス。

 ここまでは今回の事件の概要を視聴者に伝える状況説明。
 ドラマはこの先にある。

 潜入し、ロスラーを確保するジャック。
 ロスラーは人身売買で買った少女を監禁し虐待していた。
 ロスラーはジャックたちをアーウィックの所に案内する代わりに条件を出す。
 条件とは自分の罪を問わない身柄の保証と国外退去、それに少女も自分に同行させるというものだ。
 条件を飲めば、少女は再びもとの地獄の生活を送らなくてはならない。
 しかし条件を飲まなければ、アーウィックへの道は閉ざされる。
 CTUの上層部は条件を飲むことをやむなしと考え、ジャックは葛藤する。
 ここがドラマだ。
 これがあるから視聴者は感情移入できる。
 そしてジャックは少女に必ず助けるから協力してほしいと言って、少女を説得するが、「両親のもとに帰りたい」という少女は隠し持っていた銃で、ロスラーを射殺してしまう。

 第8話(14:00)

 ここでも同じく葛藤のドラマが描かれる。
 ロスラーに扮したジャックがチップを届けるためにアーウィックの仲間に接触する。しかし、チップを受け取りに来たテロリストたちはチップで起動装置が働くかどうか確かめるまで金は渡さないとして、ジャックを連れ去る。
 連れ去る先はロスのショッピングモールだ。
 ここで神経ガスのひとつの容器を使用するという。

 そしてここで葛藤。
 CTUのマクビルは神経ガスをばらまくことを許可する。
 ここで彼らを捕らえてしまえば、アーウィックや残り19個の神経ガスにたどり着けない。
 だからテロリストの言うことに従えとジャックに指示を出す。
 これに反論するオードリー。
 「それは想定で、目の前で人が殺されようとしている現実に対処しなければならない」
 ジャックも同意見だ。

 Aか?Bか?
 前回の少女のこともそうだが、この選択肢が作品をドラマにする。
 結局、判断は大統領のローガンに委ねられるが、自分の信念を持てないローガンはほとんどマクビルに説得される形でOKを出す。
 一方、ジャック。
 テロリストたちに神経ガスを起動させるパスワードを求められ、葛藤の末違ったパスワードを伝える。
 この点が、ジャックが主人公たる所以だ。
 大統領の命令を無視してまで、目の前の命を守る。
 テロリストたちは作動しない理由をジャックに聞き、ジャックは故障だと言ってとぼけるが通用しない。
 結局、テロリストのひとりが別の方法を指示して神経ガスを起動させてしまう。
 それを阻止するため戦うジャック。
 テロリストのひとりは射殺するが、もうひとりは取り逃してしまう。
 ジャックは館内の空調を止め被害を最小限に抑えると、逃げたテロリストを追う。
 チップには追跡装置がついている。
 それを頼りに追うのだが、逃走したテロリストがたどり着いた先はもぬけの殻。
 尾行を察知したアーウィックは既に逃げていなかった。
 ならばテロリストを確保してアーウィックの行きそうな場所を吐かせるしかない。
 だが、逃げたテロリストは「わかってるな」というアーウィックの電話を受け、銃で自殺してしまう。

★追記
 第7話、ロスラーのビルへの侵入は、クロエとの連携で行われた。
 クロエはネットワークを使い、一時的に監視カメラの電源を切る。
 監視カメラが再起動するまでの時間は30秒。
 その間にジャックは警備員のいる1階フロアを制圧しなければならない。
 連携とタイムサスペンス。
 これもこうしたアクションものには欠かせない要素だ。

★追記
 大統領補佐官カミングスは結局自殺した。
 国の裏切り者として裁判にかけられるのを潔しとしなかったのだ。
 自分のせいで神経ガスがばらまかれる危機に陥ったこともその原因だ。
 大統領のローガンは、このカミングスの件を公表するか、隠蔽するかで迷う。
 そして妻のマーサの主張で公表することになるが……。

 国のトップの優柔不断と保身。
 国を動かすエリートの傲慢と挫折。
 国の隠蔽工作。
 ホワイトハウスの側のドラマも見所がある。

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プロデューサーズ

2006年11月23日 | 洋画
 最低のスタッフ・キャストで史上最低のミュージカルを作ろう!
 まず、この発想が素晴らしい。
 史上最低のミュージカルってどんなものなんだ?
 私たちは絶対に知りたくなる。

 そしてリストアップされたタイトルが「春の日のヒトラー」。
 マックス(ネイサン・レイン)とレオ(マシュー・ブロデリック)はこれを書いた脚本家に上映権を取りに行く。
 そこで出会った脚本家はネオ・ナチのフランツ(ウィル・フェレル)。
 次に演出家の交渉に行くが、演出家・ロジャー(ゲイリー・ビーチ)はゲイ。
 おまけにオーディションを受けに来たウーラ(ユマ・サーマン)はセックスアピール抜群のスェーデン人。「ゴッド・ブレス!スウェーデン!」
 これでそんな彼らが作る作品とはどんな作品なんだとますます知りたくなる。
 この盛り上げ方の作劇が見事!
 おまけに主役のヒトラーはオーディションの結果、脚本家のフランツがやることに。
 この行き当たりばったりのいい加減さがまたいい!

 そして舞台初日。
 ここから物語は新しい展開に入る。
 何とヒトラー役のフランツが足を骨折してしまうというトラブルが発生!
 あと5分で開演。
 そこで抜擢されたのが演出家のロジャー。
 理由はロジャーがせりふを全部覚えているから。
 これまた、このいい加減さがいい。
 しかもこの抜擢が思わぬ効果を生む。
 ゲイのヒトラーが登場したことで、作品は「風刺の効いた作品」「悪趣味だが楽しい作品」として評価を受けるのだ。
 主役が骨折するというエピソードが次のゲイのヒトラーというエピソードに発展。
 そして、そのエピソードが作品の大ヒット、脚本家フランツの乱射(彼は崇拝するヒトラーが貶められたと言って銃を乱射するのだ)というエピソードに発展する。
 AというエピソードがBに、BのエピソードがC・Dに。
 このエピソードの発展・連鎖が物語をどんどん盛り上げていく。
 この作劇も見事。

 そして最後のパート。
 ここはバタバタと進行する。
 ここは詐欺でマックスが捕まり、リオにウーラと共に逃げていたブルームが友情のため法廷に駆けつけ、ふたりとも逮捕。
 知事の恩赦が出て、ふたりは再びブロードウェイへ。
 そして新作も大ヒットという内容だ。
 ラストはハッピーエンドにするために無理やりまとめた印象があるが、前のふたつのパートの面白さがあるから気にならない。
 この辺のいい加減さも「プロデューサーズ」にはふさわしい感じがして納得させられてしまう。

 いずれにしても「ブロードウェイの粋」を、「アメリカンエンタテインメントの現実肯定」を見事に描いてくれた作品だった。


★追記
 この作品で楽しいのは何と言っても音楽だ。
 中でも秀逸なのは
「グーテンタッグ・ホップ=クロップ」(マックス・レオ・フランツ)
「キープ・イット・ゲイ」(ロジャー・カルメン・マックス・レオほか)
「持ち物は見せびらかさなきゃ」(ウーラ)
 これらの曲がいいのは、それぞれの曲が「ナチ」「ゲイ」「セックス」を賞賛している所だ。
 これらはいわゆる「健全な社会」ではマイナスイメージのものであるが、これを高らかに歌いあげている。
 これらを自分のアイデンティティとして歌うフランツ・ロジャー・ウーラが素晴らしく見える。
 彼らと比べるとマックスやレオは小市民・大人しく見える。
 特にサラリーマンで上司に抑圧されていたレオとは対照的な人物たちだ。
 彼らは臆することなくイキイキと自分自身を主張する。
 やはりこの作品のテーマは現実肯定・自分の肯定であった。
 これが喜劇・アメリカンエンタテインメントの真髄である。
 そういえば、マックスとレオが歌う「ウイ・キャン・ドゥ・イット」という曲も自分肯定の歌であった。

★追記
 そして他の楽曲では「アイ・ウォナ・ビー・ア・プロデューサー」は傑作。
 サラリーマンとして抑圧されていたレオが解放されていく様を見事に描いていく。
 書類棚から出て来る真珠をまとった美女たち。
 舞台は会社のオフィスから華麗な舞台へ。
 そこでレオは歌い踊る!
 それはレオの妄想であったが、妄想から覚めたレオは会社を辞めて夢であったプロデューサーになる決心をする。

★追記
 脚本・作詞はメル・ブルックス。
 エンディング・ラストで「おしまい」というために彼の姿が現れるが、その楽曲のハチャメチャな詞の様に実に元気。
 この作品はメル・ブルックスそのもの。 
 年老いても「ブロードウェイ」を「コメディ」を体現している人であった。

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プリズンブレイク 第6話・7話

2006年11月22日 | テレビドラマ(海外)
第6話
 今回はどう看守の巡回をかわして、壁に穴を開けるか?がテーマ。
 マイケルと同室のスクレが知恵を貸す。
 囚人には囚人のノウハウがある。
 恐らくこの方法は長年囚人たちによって培われ、伝えられてきたものなのだろう。
 さて、看守の巡回をかわす方法とは?
『空調を壊して、囚人たちをイライラさせる。
 囚人たちは暴動寸前。
 看守たちは下手に囚人たちを刺激したくないので、牢をシャットアウトし放っておく』
 見事な方法だ。アメリカのドラマはアイデアが優れている。

 また、もうひとつの見どころは敵が電気椅子の死刑執行を待たず、リンカーンを刑務所で殺そうと動き始めたことだ。
 敵のボスは言う。「リンカーンを殺す方法は電気椅子だけでないわ」
 シークレットサービスは刑務所の囚人に顔がきく男を脅迫し、中の囚人を動かしてリンカーン暗殺を企てる。
 囚人もそうだが、どこの世界にもマニュアルに載っていない裏のノウハウ、ルートがあるものだ。
 シークレットサービスの脅迫の仕方も気が利いている。
 足を洗って平和に家族と暮らす男にこう言う。
「もし、おまえの車に俺が持っているヘロインを置いたらどうする?俺は有無を言わさず、家族の前でおまえをしょっ引くぞ」

 そしてラスト。
 事態は思わぬ方向に発展する。
 囚人の暴動が予想以上に激化するのだ。
 囚人たちは鍵を奪って、刑務所を占拠。
 看守のひとりは捕まって人質になる。
 ティーバックはマイケルの脱走計画を知ってしまう。
 女医のタンクレディは囚人たちに囲まれて、医務室が突破されようとしている。
 リンカーンは敵の派遣した殺し屋に殺されそうだ。

 スクレの空調作戦が思わぬ形で発展する。
 この発展が見る者をわくわくさせる。
 ドラマの変化は大きければ大きいほどいい。

第7話
 刑務所での暴動が鎮圧されるまでが描かれる。
 この暴動が終わってマイケルを取り巻く状況が大きく変わったのも特徴だ。
 まず、スクレとアブルッチは騒ぎに乗じて壁の穴を広げる作業を進め、マイケルの言っていた古い下水路がみつける。
 これは脱獄には大きな進展。
 一方、マイナスもある。
 まずはティーバッグのこと。
 壁の穴のことがバレて彼も脱獄の仲間に加わえてくれと言っている。
 そうでなければ、穴のことをバラすと。
 ティーバックは結局人質にしていた看守を最後に殺した。
 彼が穴のことを知っているため口封じだとティーバッグは言っているが、彼の様な人間を外に出していいか?とマイケルは悩むことになるだろう。
 そして医師のタンクレディ。
 マイケルは彼女を助けたが、タンクレディはなぜ天井の通路のことをマイケルが知っていたのか疑問を持つようになってしまった。マイケルはカビの除去作業をやって通路のことを知ったと言い訳したが、刑務作業でカビの除去はやられていないことがわかる。
 助けられてタンクレディはマイケルに今まで以上に好意を持ったようだが、彼女はジョーカー。敵になるか味方になるか?

 また、その他の動きとしてはリンカーンは殺し屋を撃退。
 襲うように指示を出した人間は誰かと問いつめるが情報は得られなかった。
 弁護士のベロニカはリンカーンの無実のために調査をするが、犯人がかけたと思われる公衆電話に電話がかかってくる。
 手を引かないと、おまえの命が危ないと。
 そしてポープ所長と看守長のベリックの間の亀裂が広がった様だ。
 ポープは自分を飛び越えて知事に突入する様、具申したベリックに釘を刺す。

 計画が計画どおりに進まず、予想外のことが起きる。
 当然、敵も妨害してくる。
 そして登場人物どうしがぶつかり合う。
 この「プリズンブレイク」の面白さはここにある。

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のだめカンタービレ 第6話

2006年11月21日 | その他ドラマ
 新しい一歩を踏み出していくのが人間だ。
 どんなにいい仲間であっても別れなくてはならない時もある。
 自分が何をなすべきか迷っていた千秋(玉木宏)も自分のやるべきことを見出した。
 清良(水川あさみ)ら若手の演奏者たちと共に行うオーケストラ。
 Sオケをやろうという龍太郎(瑛太)の申し出もあったが断った。
 Sオケでやれることはすべてやった。
 Sオケのメンバーは自分を成長させてくれた仲間だったが、人は前進していくものだ。
 それが千秋の考えだ。

 龍太郎は千秋との演奏が忘れられない。
 またいっしょにやりたい。
 清良もそうだが、千秋との演奏は心を沸き立たせるものらしい。
 龍太郎は「Aオケに入れたらいっしょにやってやる」と千秋に言われて練習を始めた。桜(サエコ)もいっしょにやろうと誘った。
 真澄(小出恵介)はその実力からいっしょにやろうと誘われた。

 シュトレーゼマン(竹中直人)がドイツに帰って、新しい目標に向かって走り出したキャラクターたち。
 一方、のだめ(上野樹里)は?
 千秋の様なラフマニノフを演奏したいと思い猛練習をしたが、千秋とピアノでラフマニノフを演奏したことで満足してしまった。
 4年になったら幼稚園の先生になるための教育実習で忙しくなるという。
 千秋はその才能を惜しいと思うが、のだめには欲がない。
 他のキャラクターたちと足並みを揃えない主人公。
 それも他に出来ない障害があるからやらないのではなく、本人にその気持ちがないからやらないというもの。
 実に面白いキャラクター造型だ。
 まわりは才能を認めているのに自分では自覚のない主人公。
 視聴者はいつのだめが目覚め、その才能を爆発させるのだろうと興味を持つ。
 これがのだめも含め「新しいオーケストラでがんばろう!」で物語が進行してしまったのでは面白くない。
 ここにこの作品の作劇の面白さ・特異性がある。
 どうやらのだめの才能の戸を叩くのは、ハリセン教師の江藤(豊原功輔)の様だが。

★追記1
 今回は他に多賀谷彩子(上原美佐)が描かれていた。
 彩子は自分の声楽の才能に疑問を持っている。
 それゆえ声楽から逃げ、千秋に拠り所を求めるが千秋は音楽と自分のことに一生懸命で相手にしてくれない。
 千秋には「歌に面白さがない。その底意地の悪さが歌に出れば面白くなるのでは」とグサリ。(なかなか含蓄のある言葉だが)
 おまけにのだめと千秋の関係を勘違いして、カラオケ三昧。
 酔ったのだめにパンチを入れて。
 ある意味人間らしい面白いキャラクターなので、ぜひ音楽に目覚めてのだめらと共に活躍してほしい。

★追記2
 よく考えてみると、この作品女性キャラクターが見事に描き込まれ、うまく配置されている。
・天才ののだめ。
・おっとりキャラの桜
 桜は貧乏キャラでのだめを圧倒していたが、貧乏でなくなってフツーのキャラになった。
・正統派の才能ある清良。
・意地の悪い才能に悩める彩子。

★追記3
 ギャグで言えば、中島みゆき「地上の星」がよかった。
 千秋を俗な存在に落とそうとして、カラオケを歌わせようとするメンバー。
 当然、千秋は拒絶すると思いきや「これ知ってる」と言ってマイクをとる。
 しかし、この曲十八番という男にマイクを奪われる。
 次は太鼓の達人。
 ここでも「地上の星」が出て来て千秋が叩こうとするがまたしても邪魔。
 十八番男の妨害は避けられたが、すべての打楽器はあたしのもの、千秋様に捧げますと真澄ちゃんに言われて奪われる。
 これでこの下りは終わりかと思いきや、千秋は宴会が終わった後も「地上の星」を歌えず叩けなかったことにこだわっているというオチ付。

 千秋がカラオケを断るのであれば普通の展開。
 千秋がカラオケOKというリアクションをとって意外な展開。
 かと言って千秋がカラオケを普通に歌ってしまったら作品は台なし。
 妨害されるのは当たり前の展開だが、これをひとつだけでなくふたつ(しかも太鼓の達人で)重ねた所にこのギャグの素晴らしさがある。
 おまけに駄目押しのギャグは千秋が宴会後もこだわっていたこと。

 この作品はワンポイントの瞬間ギャグが多いが、この様に見せてくれたことは画期的だ。 

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