平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ワンナイト・スタディ~男の娘。ありのままの自分を生きる。

2011年03月31日 | バラエティ・報道
 深夜番組「ワンナイト・スタディ」。
 これは田原総一朗さんのジャーナリスト精神にのっとり、オードリーや平成ノブシコブシさんらが、<現代の新人類>を取材・レポートするというもの。

 そこで取り上げられていた<男の娘>(オトコノコと読む)。
 彼らは男性だが、女装を楽しむ。
 女装をするから、彼らの恋愛対象は、ゲイやニューハーフの方々の様に<男性>かというとそうではない。
 心は男性で、しっかり女性の彼女がいたりする。
 あるいは女装をしている時だけ、プリクラや可愛い服が好きだったりして、心は女性になるのかもしれない。
 この様に人の心は実に複雑だ。
 というより、<男らしさ><女らしさ>というのは文化的・慣習的なことなので、実は男性がスカートを履くことはフツーのこととも言える。
 実際、現代女性はパンツを履いているわけですからね、男性がスカートを履いてはいけないという理由・根拠はない。

 ジェンダー論はここまでにして、この番組を見て思ったのは「今の人は自由でいいなぁ」ということ。
 昔だったら女装をすることに世間の目はすごく厳しい。
 今でも厳しいのかもしれないが、<男の娘>たちはそれを気にすることなく、楽しんでいる。
 自分の気持ち、願望に素直で<ありのままの自分>を楽しんでいる。
 そう言えば、テレビドラマ「相棒」で、女装趣味の部長さんがそのことで脅迫されるというエピソードがあったが、今の若者はそんなことを超越している。
 部長さんより数倍自由だ。

 自分の気持ち、願望に素直で<ありのままの自分>を楽しむこと。

 これって実はすごく素晴らしいこと。
 別に犯罪を犯しているわけではないのだから、社会の常識や制約にとらわれず、どんどんやればいい。
 番組では他にも<AKBに人生のすべてを捧げた男>など、様々な人々が取り上げられていたが、彼らは皆<ありのままの自分>を生きて楽しんでいる。

 この点では、現代はすごくいい時代だ。
 逆に解放され過ぎて、タブーがなくなってしまうとどうなってしまうんだろうという興味もあるが。


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本当にいたAKBAD~マニアックであること

2011年03月30日 | アイドル
 SMAP×SMAPでやっていた『本当にいたAKBAD』

 草なぎ剛さんが、AKBファンのAD草山になって稲垣吾郎さんとやりとりをするというコント。
 「好きなメンバーとかいるの?」と稲垣さんに聞かれて、AD草山は、AKB・SKEのメンバーの名をマニアックにあげる。
 別にわれわれ普通のAKBファンにしてみれば、当たり前のメンバーでマニアックでも何でもないのですが、稲垣さんは?マーク。
 そしてオチ。
 最初の小オチは「タモさん」。
 稲垣さんに「携帯の待ち受けには誰を入れてるの?」と聞かれて、AD草山はAKBのメンバーでなく、タモリさんを上げる・笑。
 そして最後のオチは、AD草山がSMAPの稲垣さんの名前を知らないこと。
 「天然パーマの男前で」と草山に言われた稲垣さんが「稲垣だよ!」と叫んで終わる。
 このAD草山、AKBのメンバーのことはマニアックに知っているくせに、大メジャーの稲垣吾郎さんのことを知らないんですね・笑。

 ということで別にコントのギャグを解説しても仕方がないので、本日の本題に入ります。

 つまりAKBの世界は深いんです!

 このAD草山がそうである様に、どんどんマニアックにのめり込める。
 かくいう私も、草山が名前をあげていた<研修生の市川美織さん>と<SKEの秦佐和子さん>にチェック入れていましたし。
 また、AKBは人を選別する。
 <はるごん><らぶたん><きたりえ><亜美菜>……これらの名前を聞いて顔や性格が思い浮かぶ人とそうでない人。
 AD草山が、これらのメンバーを知らない稲垣さんを鼻で笑ったように、知っている人間は優越感を抱ける。
 これぞファンの醍醐味! ファンであることの楽しさ!

 エンタテインメントって、こういうふうにマニアックに楽しめることが大切なんじゃないかと、このコントを見て思いました。


※追記
 そう言えば、同じSMAP×SMAPの『ワンピース王決定戦』も同じコンセプトですよね。
 マニアックVSそうでない人。
 そうでない人は、ここでも稲垣さんがやっていましたし。 

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3年B組金八先生・ファイナル~金八先生の言葉を刻み込んで

2011年03月29日 | 学園・青春ドラマ
 この作品は論評よりも金八先生たちの言葉。

 まずは、すっかりオヤジになった直江喜一さんの加藤君。
 景浦裕也(岡本圭人)の面倒をみてやってくれと頼む金八先生に
「そいつは出来ねえな。そいつには先生がいるじゃないか。そいつは先生に見てほしいんだ。なぜ、そいつは学校で暴れるのか? 先生にお前の居場所はここだ、って言ってほしいんだよ」

 これを受けて金八は、桜中学の教師達に説く。
「生徒と向き合うのに古いも昔もありません! 教師がやるべきことは、生徒達に生きていく技術を教えてやること! 今の生徒は、人の心の痛みに無関心。ゲームみたいに簡単にリセットして切り捨ててしまう。今、教師がやるべきことは、(生徒達に)君たちは間違っている!と伝えることです!」

 金八先生は最後まで生徒と真っ正面から向き合う人だった。
 全体の利益のために異質なものを排除するのではなく、異質なものに時間をかけて向き合い、救う人だった。
 金八先生は、景浦を排除しようとする3Bの生徒達に語る。

「社会には価値観が合わない人はたくさんいる。自分と同じ人間というのは世界にひとりもいない。(大切なのは)相手がどんな人間か理解しようとすること。嫌なやつを殺せばいい、いなくなればいいという考えは戦争に繋がる。排除する方もされる方も決して幸せにならない」

 そして最後の言葉。

「一隅を照らす者になってください」

 考えてみると、金八先生の主張というのは、首尾一貫していたんですね。
 そして、生徒達と向き合うのに決して器用ではない。
 迷いに迷ってウロウロし、最後の最後は、叫び、頬を叩き、抱きしめる。

 確かに金八さんは<ウザいオヤジ>ではあります。
 でも、金八先生がしてきたことは、今きっと一番必要なこと。
 そんな金八先生が退場。
 これから一体どうなるのだろう?
 金八先生は「君たちのスタートラインだ」と言ったが、これからは金八先生の言葉と行動を刻み込んで、僕たちが金八先生にならなければならないのであろう。
 加藤君が現在そうである様に。


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江~姫たちの戦国~第11回「猿の人質」

2011年03月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 ううむ……。
 要は、<好色オヤジが若い女の子に悪さを仕掛ける>って話ですよね。
 今どき時代劇でもこんなことしない。
 時代劇ならまだ許せるんですよ。パターン化、パロディ化しているし、時間にしても短い時間。
 それがリアルにネチネチと描かれると、気分が悪くなる。
 こんな好色オヤジを「愛嬌がある」と言って笑う京極龍子(鈴木砂羽)も逆に不気味だ。
 作家は、秀吉(岸谷五朗)をどう描きたいんだろう?
 <好色であること、権力を求めることは人間的だ>とでも言いたいのだろうか?
 そのこと自体は否定しないが、あまりにも描き方が稚拙で下品。
 何しろ鼻の下が伸びるんですからね。
 いくらスウィート大河ドラマでもこれは見たくなかった。

 その他のマズい点。

・江(上野樹里)が全く成長していない。
 「サル!」と言って乗り込んでいって終わり。
 ここには何の深みもない変化もない。
 上野樹里さん、演出の方、何歳で役作りをしているのかわかりませんが、そろそろ演技を変えたらどうでしょう?
・三姉妹の人間関係が同じ。
 江と初(水川あさみ)が喧嘩して、茶々(宮沢りえ)が諫めるというパターンの繰り返し。
 もう飽きました。
・市(鈴木保奈美)が亡霊で登場!?
 「何でもあり」なんですね、この作品は。
 亡霊で出ることに、物語上の必然があればいんだけど。
 よもやピンチの時に登場して姉妹を助けるみたいなご都合主義はしないでしょうね。
・もうひとつ亡霊の市。
 茶々は、江が「あちらの世界でまた会えますか」と言ったことで、母は安心してあの世に旅立つことが出来た、と語ったが、全然成仏出来ていないじゃん。
 細かくてどうでもいいことですが、45分の1話の中にこんな矛盾した話を入れてほしくはありません。

 今回、三姉妹のドラマがいよいよ本格的に始まると思って期待していたんですけどね。
 <三姉妹が協力し合って乱世を生き抜いていく女のいくさ>
 これって、すごくいいドラマになると思った。
 しかし、今回の様では…………。


 最後に<ありのままの現実を有り難いと思って生きていくこと>は、仏教の考え方。
・美味しくお茶を飲めることは有り難い。→お茶が飲めない人だっているんですから。
・三人姉妹であることが有り難い。→もし、ひとりだったらもっとつらく心細かったはず。
・母が亡くなったことが有り難い。→母の死により学べることがあったから。
 この様に、物事の価値観って相対的なんですね。
 だから、現実を悲観するのではなく、肯定して前向きに生きていきましょうというのが仏教の考え方。
 最近、僕は仏教関係の本を多く読んでおりまして。

・生きているだけでも有り難いし、素晴らしい。

 今回は、このことをもっと全面に出して描かれればよかったのに。


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わが家の歴史~いくつかの人生のことについて

2011年03月27日 | ホームドラマ
 再放送の「わが家の歴史」。
 この八女家の歴史を通して、三谷さんが描きたかったことは何だろう?
 以前に書いた記事を抜粋して考えてみます。

★人生には時々いいことがある。
 愛人、内縁の妻としての結婚生活。夫の志半ばの早過ぎる死。
 政子(柴咲コウ)の人生って、つらいことばかりだったんですね。
 だが人生には、ときどき幸せの瞬間がある。
 たとえば、息子が運動会で一位を獲った時。
 あるいは房子(榮倉奈々)の結婚式で家族が揃った時。
 この時、政子は言う。
 「家族全員が集まって、わいわい言いながらみんなが幸せな顔をしている。今日、この日のためにわたしは頑張ってきた気がします。お姉ちゃんは幸せです。有難う」
 人の一生はこのわずかな時間の幸せのために存在している。
 だから、常に幸せでありたいと思うのは傲慢だし、つらいことは永遠に続くわけではない。

★人間は不公平だ。
 手塚治虫(藤原竜也)に才能がないことを指摘される房子(榮倉奈々)。
 そう、人間はもともと不公平に作られている。
 どんなに努力しても、大きな才能の前にはかなわない。
 才能のない凡人にはつらい現実だが、それを認める所から、その人の人生が始まるのだと思う。
 実際、房子は結婚して幸せを手に入れたわけですしね。
 ずっと漫画にこだわって手塚治虫と競っていたら、この幸せも手に入れることが出来なかったかもしれない。
 人間は不公平だと知って、自分をしっかり見つめること。
 なかなか出来ないことだが、それが大切なことなのだと思う。

★人生の成否を分けるもの。
 父・時次郎(西田敏行)のフラリング。
 <フラリング>と大ヒットした<フラフープ>の差はごくわずかなこと。
 アメリカで流行ったものをそのまま作るのではなく、日本人の体に合わせて小さくして素材も軽くしていたら、きっと大成功していた。
 人生の成否を分けるのは、こうしたちょっとした差、少し立ち止まって考えてみることなんですね。

★幸せとは?
 波子(堀北真希)の編集長就任。
 このことは波子にとっては人生で一番喜ぶべき瞬間。
 だが、彼女はクールに受けとめる。
 それよりも波子が心から喜んだのは、夫の阿野(山本耕史)が小説を書き上げた時。
 こちらの方が波子にとっては幸せだったのだ。
 人の幸せとは案外こういったものなのかもしれませんね。
 そして波子は本当に阿野を愛していたんですね。

 人生論とは少し違うが、こんなことも考えた。

★宗男(佐藤隆太)は三谷さんの分身か。
 コメディアンとして舞台に立って人を笑わせたかったのに自分にはその才能がないと気づく宗男。
 それは三谷さんも同じ?
 三谷さんも実は喜劇役者になりたかったのではないだろうか?
 しかし、自分のまわりにいる役者さんたちと比べてしまうと、才能の違いを感じてしまう。
 宗男はこうした三谷さんご自身の投影?
 
 それとつるちゃん(大泉洋)。
 彼もまた三谷さんの憧れなのだろう。
 あのサバイバル能力。どんな境遇でも生き抜く力。
 それと同時におっちょこちょい。
 アメリカかぶれのジョニー(寺島進)にすぐ感化される。
 警察予備隊を警察に入るための学校と勘違い。
 でもいろいろな所に頭をぶつけながら、方向は房子に向いている。
 まっすぐなドンキホーテ。
 僕も好きですね、こういう人。

 まとめます。

 人はいろいろなことに頭をぶつけて、失敗して、バカなことをしながら生きている。
 でも生きていること自体が素晴らしい。


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三年B組金八先生~明日、金八先生は何を語るのか?

2011年03月26日 | 学園・青春ドラマ
★明日ファイナルを迎える「金八先生」。

 「金八先生」と言えば、僕の場合は第2シーズンの「腐ったミカンの方程式」。
 学校というシステムからこぼれ落ちた子供たちを「ワル」のレッテルを貼って色眼鏡で見る教師。
 <腐ったミカン>は他の善良な生徒に悪影響を及ぼすからと言って排除する教師。
 そんな学校を占拠して、加藤君は叫ぶ。
 「あやまれ!!」
 そして占拠した加藤君たちを捕らえるために警官隊が突入。
 それを必死に止めようとする金八先生。
 バックに流れる中島みゆきの「世情」。

 学校というシステムからこぼれ落ちた子供たち。
 彼らは<反抗>したり、<不良>になったり、<引きこもったり>する。
 彼らはマイノリティ(少数派)でもあり、マイノリティは排除される。
 そして、学校というシステムのひとつである教師はマイノリティを救うことが出来ない。 

★ハードなんですよね、金八先生は。
 この他にも<中学生の妊娠>や<ドラッグ><性同一障害>の問題などを扱って来た。
 そして、学園教師ドラマが魅力を失ってしまったのはいつからだろう?
 僕は「GTO」や「ごくせん」も好きなんですけど、この「腐ったミカン」ほどの衝撃はない。
 「美咲ナンバーワン」に至っては、「またか」という感じで、第一話で見る気をなくしてしまった。
 しかし、その金八先生も老い、力を失い、明日退場していく。
 これは時代のせいなのか?

 いずれにしても教師物は息詰まっている。
 これから新しい魅力的な教師は生まれないのか?
 かろうじて「女王の教室」が、今までの教師の真逆という<ウルトラ変化球の教師像>を描いて新鮮だったが、それ以後は生まれていない。

 さて明日、金八先生は何を語るのか?
 そのことに注目したい。


※追記
 予告に出ていた加藤君役の直江喜一さん。
 太ってハゲて……。
 あんな加藤君、見たくない!!

※追記
 他に第2シリーズに登場した方と言えば、川上麻衣子さんに伊藤つかささん。
 まさに同世代という感じで、好きでした!!


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めぞん一刻~感動のプロポーズシーン!

2011年03月24日 | コミック・アニメ・特撮
★明石家さんま師匠の憧れの女性は、「うる星やつら」のラムちゃんであり、「タッチ」の南ちゃんだそうだ。
 僕の場合は、「めぞん一刻」の音無響子さん。
 真面目でしっかり者で、亡くなった総一郎さんを一途に想い続け、それでいて嫉妬深くて怒ると怖い。
 そして、五代くんのような<ダメ男>にやさしい。←この<ダメ男にやさしい>という所がポイント!!

★さて、この「めぞん一刻」で五代くんが響子さんにプロポーズするシーンを覚えていますでしょうか?
 僕は、このシーンを読みたくて、毎年一回は「めぞん一刻」を読み返します。
 「めぞん」を全巻未読の方は、将来読まれた時に感動が薄れてしまうので、この先は読まないでほしいのですが、それはこんな感じ。

 以下、ネタバレ。



 五代くんは響子さんにこう言う。
 「結婚してください…。泣かせるようなことは絶対しません。残りの人生をおれに…ください」
 響子さんは、少しの沈黙の後、こう答える。
 「ひとつだけ、約束…守って…」
 これを受けて、五代くんはギャグせりふ。
 「浮気なんか絶対にしません。付き合い酒はひかえます。貧乏もなるべくしません」
 すると響子さん。
 「…そんなことじゃ泣きませんよ。怒るけど」
 そして、こう続ける。

 「お願い…、一日でいいから、あたしより長生きして。もう、ひとりじゃ、生きていけそうもないから…」

 このせりふの瞬間、僕はドドドッと涙を流す。
 最愛の夫・総一郎さんを亡くして、ひとりで生きてきた響子さんだから言える渾身のせりふ!
 五代くんは年下でもあるし。
 そして、響子さんが五代くんと一生を共に生きていくことを意思表示したせりふ。


 この様に登場人物が、心の底から振りしぼるようなせりふを語る時、僕たちは激しく感動するんですね。


※追記
 ちなみに響子さんの「…そんなことじゃ泣きませんよ。怒るけど」というせりふも上手いですね。
 「怒るけど」とつけ加えている所が、響子さんのキャラクターを的確に表現している。


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風の谷のナウシカ~自然治癒力と共生

2011年03月23日 | コミック・アニメ・特撮
 <腐海>は汚れた世界を浄化する装置。

 この「風の谷のナウシカ」の設定について、先日放送された「スタジオジブリ物語」では、こんな裏話が語られていた。
 この設定のインスピレーションを与えてくれたのは、水俣病で汚染された海。
 水銀で汚された水俣病の海は、水銀を分解する新種のバクテリアによって、数年後再生されたのだそうだ。
 汚れた海はバクテリアによって浄化されたのだ。

 この事実は、あることを示唆してくれる。
 つまり<自然には自然治癒力がある>ということ。

 ヨガや東洋医学などにも<自然治癒力>という考え方がある。
 発熱や咳は、体に入った病原菌を駆逐するためのもので、無理にそれらを抑え込もうとしてはならない。
 体の自然治癒力に任せればいい。
 癌だって、単なる老化現象。

 西洋科学を基本とした現代科学が息詰まっている中、僕たちは考え方を見直すべきなのかもしれない。
 自然に逆らうのではなく、自然に任せる。
 核は人類を含めた地球上のすべてを滅ぼす力を持ち、二酸化炭素の増加は地球温暖化を招いている。
 ある学者さんが言っていたが、現在、人間が行っていることは自然の<自然治癒力>をはるかに越えたものなのだそうだ。
 昔なら、水俣病の海のように多少汚れても、自然治癒力で再生することが出来た。
 しかし、現在は自然治癒力のキャパを越えた破壊、汚染がなされている。

 同じ「スタジオジブリ物語」で高畑勲さんはこう言っていた。

 いい加減!

 これは悪い意味でのいい加減ではなく、良い加減の意味。
 「なぜ一番なんですか。二番じゃダメなんですか」といった政治家がいたが、この発言はわりと本質をついている。
 一番を目指して、みんながキリキリがんばるから、地球が汚れる。ストレスで体が壊れる。
 今回の震災の節電で、切った便器の保温。過度の便利さ快適さ。
 最初は冷たかったが、慣れれば何でもない。ほんの十年前まではそれが当たり前だったわけだし。

 そろそろ<発展><競争>という考え方をやめたらどうか?
 自然と共存し、自然治癒力を越えない程度に、日々を楽しくいい加減に生きればいいのではないか?


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スタジオジブリ物語~宮崎駿さんの創作姿勢

2011年03月22日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 昨日放送された「スタジオジブリ物語」は、作品を作る上で大切なことを教えてくれた。

★まず、作品は時代へのメッセージであること。
 宮崎駿さんは「環境問題を抜きに作品は作れない」と語った。
 環境問題への言及なしに作られる作品というのは、どこか空しいもの、ただの娯楽であり、現実逃避、あるいは慰め。
 これについては様々な意見があるだろうが、クリエイターの姿勢としてはわかる。
 そして、作られたのが「風の谷のナウシカ」。

★次に語られたのが、作品は自分探求の手段であること。
 「となりのトトロ」は、宮崎さんの心の奥底にある<日本的なるもの>への探求であったという。
 その<日本的なるもの>とは、森や田園風景。豊かな水や気持ちのいい風。
 これらは都会に住んでいる人でも、実は日本人ならDNAにしっかり刻まれている。
 確かに「トトロ」の大ヒットを考えれば、このことはうなずける。
 僕たちは「トトロ」の映像によって、心の奥底に仕舞われていたものがよみがえったのだ。
 宮崎さんはこんなことも言っていた。
 「ファンタジーとは深層心理の扉を開けていくものである」
 「トトロ」だけでなく、僕たちは宮崎駿作品を見ることで、自分の中の無意識の風景を見ることが出来る。
 「千と千尋の神隠し」なんかでも、あのシュールな建物や事物が、どこか懐かしく感じられましたからね。

★宮崎さんの探求は続く。
 「もののけ姫」は、<答えを見つけることが出来ない問題をそのまま描いた作品>だという。
 通常、作品には結論・答えがある。
 <自然を守りましょう>とか<お金に変えられない価値がある>とか<愛って素晴らしい>とか。
 だが、宮崎さんは「もののけ姫」で答えを出すことをしなかった。問題を問題としてそのまま投げ出して描いた。
 「もののけ姫」の提出した問題とは、番組に拠れば<現代人の心の空洞><不条理な差別><人間と自然><憎悪と殺戮><合理主義と神秘主義>。
 どれも実は正解のない問題だ。
 たとえば、<差別をなくしましょう>と言ったって、自分の心の中を正直に見つめれば差別している自分を否定できない。むしろ差別するのが人間の本質の様な気がする。
 <自然を守りましょう>と言ったって、今の便利な生活は捨てられない。ほとんどの人間は地球を汚して生きているし、「明日から地球を汚す仕事は廃止」と言ったら多くの人が失業してしまう。
 クリエイターは、テーマを突きつめて考えれば考えるほど、実は何も発言出来なくなってしまうのだが、宮崎さんは「それでいい」と決めた。
 主義主張を押しつけるのではなく、観る人が何かを感じて考えてくれればいいとした。

★あとは、高畑勲さんとのライバル関係。
 「トトロ」と、高畑さんが監督をした「火垂るの墓」は、二本同時上映の公開だった。
 当然、比較される。負けたくない。
 なので、近藤喜文さんという優秀なアニメーターの取り合いをしたし、「火垂るの墓」の上映時間が80分になったと聞けば、「トトロ」も80分の作品にした。(当初、両作品とも60分の作品として制作されていたらしい)
 そして、80分の作品にするために妹のメイちゃんを登場させた。(当初は、さつきちゃんとトトロの物語であったらしい)
 面白いですね。そんなことで、80分の作品にしてしまうなんて。
 プロデューサー鈴木敏夫さんのご苦労が目に見えるよう。
 でも、クリエイターの原動力として<負けず嫌い>というのは不可欠なんですね。


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江~姫たちの戦国~第10回「わかれ」

2011年03月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 まずはあらためまして、被災された方へのお見舞いを申し上げます。
 10日間、ブログを休みましたが、これからは<歌>や<ドラマ>や<お笑い>が力を発揮する時です。
 笑いは免疫力を増すと言いますし、歌やドラマは癒しや力になるでしょう。

★さて、「江」。
 鈴木保奈美さんの市が凄いですね。
 ある番組で、侍女の須磨役の左時枝さんが語っていましたが、どんどん誇り高く強い女性になっていく。
 それが最高に極まったのが、石田三成(萩原聖人)に言ったせりふ。
 「秀吉に伝えよ! もし三人の娘に触れるようなことがあれば、この市と信長が許さんと!」
 実に苛烈。
 考えてみると市の人生って、浅井長政が亡くなった時点で終わっていたのかもしれませんね。
 愛する夫との死別。
 この絶望の中、本来なら長政の菩提を弔って世を捨てて生きる所を、娘達のために再び厳しい現実に生きた。
 この雄々しさ。
 同時に母であり、妻である顔も持つ。
 この集大成が、今回の市でした。

★勝家(大地康雄)には共感。
 秀吉(岸谷五朗)との駆け引きの中で、おごり焦った勝家。
 その結果が敗北。
 悔しさと憤り。
 特に敗れて、自分の将としての<器の小ささ>を認められる所が凄い。
 そして市に言う。
 「そなたと娘たちにひと目会いたくて戻ってきた」
 勝家は、自分のダメな所も弱さもさらけ出す。
 実際の戦国武将なら、「ひと目会いたくて戻ってきた」なんてことは言わないでしょうが、好きですね、こういう男。
 勝家はこんなことも言う。
 「(そなたたちと)過ごした半年間が、わしの人生の華だった」
 これも戦国武将にあるまじき発言で、現代のホームドラマ的歴史解釈だが、嫌いではない。
 幸せは、こういう家族と過ごす日常の中にあると思うから。
 今回の勝家も、これまでの集大成でしたね。
 勝家のいろいろな思いが詰まっている。

★そして江(上野樹里)。
 江は<希望>。
 確かに、浅井家滅亡という<死にゆく者>の中で、<生まれた命>というのは<希望>でしょう。
 命は引き継がれる。
 長政も、信長も、光秀も、勝家も、市も、苦しみもがきながら生きて死んでいったが、新しい命というのは救い。
 新しい命に託して死んでいける。

 市の言葉に拠れば
 茶々(宮沢りえ)は浅井の遺伝子を
 初(水川あさみ)はその絆を
 江は織田の遺伝子を
 引き継ぐ存在らしい。
 そして、引き継がれるのは遺伝子だけではない。
 長政、信長、勝家、市……、彼らの生き様や考え方も引き継がれる。
 こうして、信長や市たちは、江たちの中で永遠に生きていくのだろう。

★さて、次回からはいよいよ本格的な三姉妹の物語。
 特に茶々は難しい役回り。 
 宮沢りえさんの演技のしどころだ。
 江も今までと同じスタンスでは、主役として弱くなってしまう。
 脚本と演技とも、どう変わってくるか?
 初も新しい面を見せてほしい。
 まだ、初ではなく、水川あさみさんを見ている感じがしている。


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