平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

新報道2001 農水業が世界を救う

2008年12月31日 | バラエティ・報道
 日曜日の「新報道2001」でこんな特集が組まれていた。
 <農水業が世界を救う>

 具体例としてあげられていたのが人材派遣業の(株)パソナ。
 農業への人材派遣。
 農業の経験のない人用に研修も行っているという。
 最終目標はこれらの人による農家としての自立。

 日本の食料自給率は40%。(計算の仕方により違ってくる様だが)
 流通の問題、外国から入ってくる安い食料などにより国内の農業が厳しい状況なのはわかるが、やはり自給率をあげるべき。
 将来、食料の輸入が止まったらと考えるとゾッとする。
 子供たちを飢えさせてはならない。
 食料を輸出するということも考えられる。
 外国では日本の米は「こんなおいしいお米を食べたことがない」と評価されている様ですしね。
 だったら自動車に代わる日本の主力商品として売ればいい。
 あるいは現在アフリカなどで飢えて死んでいる人々に対しても。
 米の価格維持のため減反政策がとられているらしいが、余った米を別枠で政府が買い上げ供給したらどうか。
 お金だけを渡すわけの分からないODAの予算をこちらにまわすのだ。

 もうひとつ番組で取り上げられていたのは、アマゾンの魚・ピラルクの養殖。
 短期間で育つこの巨大魚を食用にする。
 ピラルクは養殖しやすい魚らしい。
 エラ呼吸だけでなく空気呼吸もするので水槽の水に空気がいらない。
 アンモニアをあまり出さないので水を頻繁に替えなくてもいい。
 またこの排泄物の入った水は有効な肥料になるらしい。
 この養殖事業をブラジルでやっているのは日本人。

 そしてこれらのことを見て思うのは、日本政府はこれらのことをやっている人々にもっと投資すべきだということ。
 番組では花畑牧場の田中義剛さんも出ていた。
 その田中さんの事業で400人の村のうち100人の雇用が創出されているという。
 政府の景気対策は定額給付金である様だが、2兆円のお金をこうした起業の人達に援助した方が絶対に将来のためになる。雇用も創出される。

 政府は相変わらず道路にこだわりその一般財源化は骨抜きにされている様だが、日本の将来を考えれば投資すべきは道路でない気がする。(もちろん本当に道路がなくて困っている地域は別だが)
 投資すべきは農水業、医療・福祉、エネルギー。
 海の向こうのオバマ新大統領はCO2を出さないエネルギー事業に力を入れるみたいですしね。

 戦後60年。
 もはや今までのやり方ではダメ。
 その意味で前例主義と保身しか考えない官僚はダメ。
 変わることの出来ない自民党はダメ。
 民主党も頼りないし。

 農水業、医療・福祉、エネルギーに力を入れるみたいなビジョンを持った政治家、政党が出て来れば、僕は一票を投じます。

関連記事
 海士町の町おこし


コメント (5)
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砂漠の鬼将軍

2008年12月30日 | 洋画
 <砂漠の狐>と呼ばれたドイツの名将・ロンメルの物語。
 連合軍優勢の中、彼は様々な選択を迫られる。

1.退くべきか、退かざるべきか
 エル・アライメンの戦い。劣勢のドイツ。
 ロンメル(ジェームズ・メイスン)は燃料補給をベルリンに求めるが、ベルリンは東部戦線の対応で精一杯で手がまわらない。
 ならば撤退とロンメルは考えるが、ヒトラー(ルーサー・アドラー)からの司令は「勝利か死か」「一歩も退くな」。
 退かなければ部隊は全滅する。しかし総統の命令に背けない。
 どうするか?

2.軍人か政治家か
 ロンメルはドイツ国民を苦しめている元凶はヒトラーにあることを知っている。
 連合軍が上陸してくると思われる大西洋の守りは穴だらけ。
 占星術で決められる戦術。
 V6ロケットでロンドンを攻撃すれば形勢は逆転するという思い込み。
 違った意見を言う者には「私を信用していないのか!」とヒステリックに怒鳴りまくる。
 自分に盾突く者は排除。
 ロンメルは旧友のストゥットガルト市長カール・ストローリン(セドリック・ハードウィック)に反ヒトラー運動に協力する様に求められるが、「自分は政治家ではない。軍人だ」「もし兵が勝手をやったら軍はどうなる?」と迷う。

3.生か死か
 そして3つめの選択。
 意見を具申したロンメルは<反ヒトラー>だと思われる。
 政敵は排除。
 ゲシュタボはロンメルに死を選ぶ様、毒薬を持ってくる。
 ロンメルは「自分は反ヒトラーではない。毒は飲まない」と拒否するが、毒薬を飲んで死ねば名誉の戦死として扱われ、家族の命も保証すると言われる。

 さて、この3つの選択、皆さんならどうするだろうか?
 人生は葛藤と選択の連続。
 様々な局面でどれを選ぶかでその人の人生が決まってくる。
 また、その人のキャラクターが決まってくる。

 この作品は「退くべきか否か」「軍人か政治家か」「生か死か」という選択肢を主人公ロンメルに課してその人物像を描いた。
 同時にロンメルを通して大戦末期のドイツの矛盾・戦争の愚かしさを描いた。
 それは次の様なもの。
・全滅してしまうのに退却を許さない愚かしさ。
・占星術に頼る様な指導者のもとで戦争をしている愚かしさ。
・国のために戦った軍人が毒を飲んで死ななければならない愚かしさ。

 戦争は愚かしいものですね。
 あるいは大きな時代の流れの中で個人の力は無力ですね。
 そんなことを感じさせてくれる作品でした。


 関連記事
 「白バラの祈り ゾフィ・ショル、最期の日々」
 「ヒトラー最期の12日間」
 「アドルフの絵画」
 「スターリングラード」
 「史上最大の作戦」


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ティファニーで朝食を

2008年12月29日 | 洋画
 マンネリのカップルにはこんなデートをしてみるのもいいかも?
 それは<やったことのないことをするデート>!
 相手に人生でやったことのない体験をさせたら1点。
 その1日の合計点数を競う。
 刺激的なデートになること間違いなし!

 これはこの作品「ティファニーで朝食を」でホリー(オードリー・ヘップバーン)とポール(ジョージ・ペパード)が行ったデート。
 楽しいこと、刺激的なことが大好きなホリーの性格をよく現している。

★この作品で注目すべきは、ホリーのキャラクターだ。
 彼女はニューヨークの宝石店<ティファニー>にいる時が一番落ち着いて幸せというキャラ。
 お金と楽しいことが大好きで自由奔放。
 田舎の生活が大嫌い。

 でも……。
 表があれば裏があるのが人間だ。
 ホリーという名前は実は本当の名前ではない。
 田舎には夫と子供がいて彼女は昔の名前を捨ててニューヨークに出て来た。
 ホリーというのはニューヨークでの名前。
 彼女が田舎を捨て新しい名前になったのは<自由>を謳歌するため。
 彼女は<束縛>を嫌う。
 でも<自由>の裏返しは<孤独>なんですね。
 派手な生活の中、彼女は<愛>を求めている。
 でも<愛>とは劇中のせりふを借りれば『束縛し束縛されること』。
 ホリーは自由を求めつつも愛を求め揺れ動いている。

★ホリーの象徴のひとつは<ティファニー>。
 自由と華やかさ。
 もうひとつの彼女の象徴は彼女が飼っている<名前のない猫>。
 何者でもないという孤独。愛のない孤独。

 人生とは厄介なもので、<自由>と<愛>、この両方を手に入れることは出来ないんですね。
 <愛>には<束縛>という代償がかかる。
 ホリーがそのどちらを選ぶのかが物語のテーマだが、そのラストシーンは感動的だ。
 雨の中、ホリーが抱き締めるのは……。
 これが恋人ポールであれば当たり前だが、彼女はポールでない別のものを抱き締める。
 ホリーは<もうひとつの自分>を見出したんですね。
 ネタバレになるので書かないが、このラストシーンでこの作品は名作になった。

※追記
 <自由>と<愛>。
 実に重いテーマを扱っているが、この作品の基本はロマンチックコメディ。
 ティファニーという場所の小道具も見事だが、アパートの上の階と下の階というシチュエーションをうまく使っている。

※追記
 <ティファニー>と<名前のない猫>。
 この様にキャラクターを何かに象徴させて描くというのも見事な手法。

※追記
 階上に住む日本人(ミッキー・ルーニー)の描写は!
 出っ歯で眼鏡。
 これが当時の日本人のイメージ?


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北北西に進路を取れ

2008年12月28日 | 洋画
★「北北西に進路を取れ」と言えば……?と問われて思い出すのは
①複葉機に襲われる主人公ロジャー(ケーリー・グラント)のシーン。
②ワシントンら偉人の顔が刻まれているラシュモア山の岩壁での追跡シーン。
 明らかにわかる合成、セット。
 現在の技術から見ればチャチだが、なぜか記憶に残る。

 <タイトルを言われて特定のシーンが思い出される>
 これって名作の条件ではないでしょうか?
 自分の感性が鈍くなったせいかもしれませんが、最近で記憶に残るシーンがあった作品ってありませんものね。
 敢えてあげると最初の「インディ・ジョーンズ」で大きな石が転がってくるシーン。
 「マトリックス」で背中を仰け反らせて弾丸をよけるシーン。
 「タイタニック」の船の舳先で空を飛ぶポーズをするシーン。
 これらの作品も随分古いですが。

★その他、この作品では様々なサスペンスの要素が詰め込まれている。
・二重スパイ
・実在しない架空の人物の作り上げ。

 冒頭のロジャーが人違いされて殺されそうになるシーンもそう。
 ぐでんぐでんに酒を飲まされて交通事故死を装わされるが、何とか脱出。
 翌日ロジャーが警察を連れて酒を飲まされた敵の屋敷に行くと、屋敷の悪党たちは口を揃えて「ロジャー、昨日あんなに飲んで運転大丈夫だったの?」ととぼける。

 これらひとつの要素だけでもひとつの作品が出来そうだが、それを惜しげもなくひとつの作品に詰め込んでいる。

 確かに古典は今見るとテンポは遅いし古くさいですが、エンタテインメントの密度は濃い。
 現在の映像作家はこれら古典を勉強して応用し、作品を作っているわけですからね。
 古典は飲み物のカルピスの原液。
 これからカルピスソーダも作れれば、カルピスオレンジも作れる。
 これからは名作と言われる古典をどんどん見ていこうと思います。


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ドリフターズの芸!

2008年12月27日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 「8時だよ!全員集合」年末SP。

 懐かしい。
 以前にも書いたがドリフターズの芸というのは『タイミング芸』。
 そして音の芸。発展の芸。

 例えば今回オンエアされた女優・仙道敦子さんと加藤茶さんと志村ケンさんのコント。
 仙道さんの琴の音が外れる。
 すると志村さんたちがコケる。
 また外れる。
 すると障子に突っ込む。
 それはどんどん発展していって志村さんたちは庭に行き、燈籠を倒し塀をぶち破る。
 まさに<タイミング>と<音>と<発展>のコントだ。
 単なるコケが最後には塀をぶち破るまで発展する。
 見事!!

 しかしこうした芸には終わりが来る。
 芸人さんの体が動かなくなった時だ。
 この番組後半では80年代の「全員集合!」のコントが流されていたが、明らかに体のキレが悪い。
 タイミング芸だから、体が動かないことで起こるタイミングのズレが笑いに繋がらない。
 逆にシロウトさんの投稿面白ビデオの方が笑える。子供の体はやわらかいですしね。
 だから後半の「全員集合!」のコントはもうひとつの要素である<発展>の方に力を入れることになった。
 泥棒お化け屋敷のコント。
 最初は階段から手が出るだけだったが、最後には壁中から手が出る。(発展①)
 最初はおじいさんひとりだったが、最後にはドクロの仮面をつけたお化けたちが群れをなして登場。(発展②)

 「全員集合!」終了の原因にはマンネリもあるが、ドリフターズの体が笑いのタイミングについていけなくなったこともあると思う。

※追記
 <タイミング>と<音>の芸。
 まさにこれは<音楽>ですね。
 こんな芸が生まれた背景にはドリフターズがミュージシャン出身であったことがあるだろう。
 タイミングと音に敏感なミュージシャンの耳が作り出した芸。
 もうひとつの<発展>も彼らがジャズミュージシャンだから?
 ジャズは演奏の中でどんどん発展していく。
 そう言えば、クレージーキャッツもミュージシャンでしたね。

※追記
 ドリフターズの芸が<タイミング>の芸だったから高木ブーさんは目立たなかった。
 動きが鈍いブーさん。
 きっとブーさんの役割は加藤さんや志村さんのタイミング芸を引き立たせるものだったのだろう。
 仲本工事さんもそう。
 仲本さんの動きは体操。
 コメディアンの動きと違う。
 仲本さんも加藤さんたちを引き立たせる役割だったに違いない。

※追記
 客席と舞台の間に楽団。
 楽団の生演奏。
 実におしゃれ。
 昔はこれが当たり前だったんですね。
 歌手の人は演奏の音を拾えなくて音を外したりしていた。

※追記
 1回限りの生放送の魅力もある。
 観客と一体。観客の空気を読めなくてはならない。
 ハプニングも起こり、それを笑いにしなくてはならない。
 お笑い番組で現在これをやっているのは「笑っていいとも!」ぐらいかな?
 あとは収録物ばかり。
 この点で「いいとも!」は偉大ですね。

 ドリフターズについての過去記事はこちら


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タモリさんの美学

2008年12月26日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 笑っていいとも!クリスマス特大号!

 オープニングトークのタモリさん。
 今年一番印象的だったニュースはという話題でこう話した。
「北海道でキャンプをしていた女の子。ヒグマが来てテントを揺らしたが、妹がいたずらをしていると思いテントの中からキック。クマは退散した」

 一番印象的だったニュースがこれ。
 世界同時不況でもオバマ大統領就任でもオリンピックでもない。
 ここにタモリさんの基本的な考え方がある。
 すなわち
 『深刻よりも笑い』
 『政治よりも笑い』
 『メジャーよりはマイナー』

 ニュースは深刻な問題を重々しく語るが語るだけで何も救えていない。
 でも笑いは一瞬でもイヤなこと、つらいことを忘れさせてくれる。
 政治も下らない。結局政治家それぞれの立場・利益で語り、行動しているだけ。
 笑うしかない。
 メジャーなオリンピックもそう。
 平和の祭典を行っている国が他民族を圧迫している。
 オリンピックは国威発揚、経済効果を狙ったものでもある。
 もっともらしいことの裏には何かがある。

 タモリさんの中には『深刻なこと』『政治』『メジャーなもの』に対する不信がある。
 そんな生きにくい世の中で対抗する手段は『笑い』。
 この考え方はたけしさんや爆笑問題さんにもあるだろうが、彼らと違って直接政治を語らないタモリさんに美学を感じる。

 毎年恒例のタモリさんのオープニングトーク。
 今後も注目だ。

※追記
 日曜日の午前中は象徴的ですね。
 「笑っていいとも!」増刊号の裏で、ハードな田原総一朗さんの「サンデープロジェクト」をやり、半分お笑いの爆笑問題の「サンデージャポン」をやっている。


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ドラマ 日米開戦と東条英機

2008年12月25日 | その他ドラマ
★番組で描かれた戦争までの過程は次の様なもの。

・世界恐慌→国民の困窮
・それを打開するための満州国の設立→満州事変
・国民の支持→満州は希望
・満州事変の成功に拠る陸軍の暴走→日中戦争
・日中戦争に対する米英の干渉
・日本の中国での利権を確保するためには米英と戦わなければならないが、米国との戦力差は大。
・外交努力を続けるが、中国からの撤退を主張するハルノートで外交を断念→戦争をしかけたかったアメリカ。
・日清戦争、日露戦争で負けていないという日本軍の不敗神話。アメリカとは精神力が違うという思い込み。
・中国から撤退すれば、今までの陸軍の行動(戦死者を含めて)が無になる。それは陸軍として認められない。

★戦争の原因のひとつは<世界恐慌に拠る困窮><時代の閉塞感>。
 やはり経済の要素は大きいですね。
 現在も世界恐慌が叫ばれ失業者が出ているけれど、状況としては似ている。

 ふたつめの原因としては<日本軍の不敗神話>という思い込み。
 何かを信じること、信念を持つことは素晴らしいことですが、間違った思い込みは避けたいですね。
 しかし自分のことはなかなか客観的に見えないもの、<信念>と<思い込み>の違いを見極めるのは難しいですね。

 三つ目の原因としては<持っているものを手放すこと>の難しさ。
 資源溢れる満州や中国大陸を持っていれば、それを手放すのはなかなか難しい。
 これを手に入れるために沢山の人の血も流れたわけだし。
 英国など西欧各国は殖民地を持っているのになぜ自分たちだけが取り上げられなければならないんだという想いもある。

 この様に大きな時代の流れの中で戦争に突入していった日本。
 想像するにこの流れに逆らって生きることは大変なことだったでしょう。
 今回の主人公・東条英機もそうだった様に。

 でも戦争は愚行・悲惨。

 それを避けるために我々がなすべき事は
・みんなが生活を楽しみ希望を持てる様にすること(他の国を侵略するということでなく)
・当たり前になっていることを疑ってみること
・時代の主流を疑ってみること
・歴史から学ぶこと
 ではないでしょうか? 


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ダイ・ハード3

2008年12月24日 | 洋画
★しかし汚いおっさんですね、マクレーン(ブルース・ウィリス)は。
 頭はハゲてて、ひげボウボウ。
 タンクトップで血だらけ。

 この後で「北北西に進路をとれ」のケーリー・グラントを見たのですが、彼はキチッと髪を整えてネクタイスーツ姿。いわゆるジェントルマン。
 この違い! 50年のアメリカンヒーローの変化を見た感じ。

 転機は70年代、ベトナム戦争ですかね。
 クリント・イーストウッドの「ダーティハリー」。
 彼も街中で銃をぶっ放しながらハンバーガーを食べるなど紳士とはほど遠いキャラクターでしたが、スーツは着ていた。
 それがどんどん崩れていって現在は血だらけのタンクトップ。
 アメリカの社会が大きく変化していったことが、このヒーローの変化でわかります。
 ケーリー・グラントの様な優雅な俳優はもう現れないんですかね。
 
★その他では「ダイ・ハード」らしさがいっぱい。
・テロ事件の裏に隠された本当の目的。
・マクレーンを助ける相棒の登場。今回は家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)。
・マクレーンと妻ホリーとの物語。

 その他、第4作に顕著になって現れるメチャクチャ強い女性の敵も登場。
 このメチャクチャ強い女性が登場するというのも時代の変化でしょうね。

※追記
 後半はひねり過ぎ。
 金塊強奪→実は金塊テロ。アメリカ経済に打撃→でも実はテロに見せかけた金塊強奪。
 マクレーンのキャラの様に物語としてクドい!


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イノセント・ラヴ 最終回

2008年12月23日 | 恋愛ドラマ
 「殉也……」「聖花……」
 そこへ楽譜がヒラリ。
 その楽譜を弾いてよみがえる記憶。
 殉也(北川悠仁)は佳音(堀北真希)のもとに走り出す。
 ご都合主義ですね。
 まあ、<楽譜がヒラリ>以外やり様がないとは思うのですが。

 残された聖花(内田有紀)のフォローもご都合。
 やって来る昴(成宮寛貴)。
 傷ついた者どうしが結び合ったということだろうけど、やはり救われない。

 美月(香椎由宇)もラスト、教会で子供に囲まれていたけれど救われていない。

 この作品のテーマは<愛することは罪>。
 愛するが故に他人を傷つけてしまい、時に罪を犯してしまう。
 愛するが故に心に嵐が吹き荒れる。
 兄・耀司(福士誠治)がそう。
 美月も昴も聖花を憎んで殺そうとまで思った。
 佳音はある意味ストーカー。
 殉也も美月や昴の気持ちに気づいていないことで傷つけている。

 <愛することはエゴなのだ>。
 <ひたむきに愛すること><純粋に愛すること>、すなわちイノセント・ラブはエゴであり罪。

 この作品から教訓を得るとすれば『中途半端が一番』ということかな。
 『中途半端』に愛して「お前バカだけど可愛い所があるなぁ」ぐらいの感じがいい。
 まあ、<身も心も焼き尽くす>みたいな愛も人生の醍醐味ではありますが。
 もっともこんなふうに考えてしまうのは自分にエネルギーがなくなったからでしょうか?
 その意味ではこの作品の登場人物たちは実に<エネルギーに溢れた人たち>であったと思います。

※追記
 人が心穏やかに生きるには一度憑き物が落ちる必要がありますね。
 兄・耀司の様に。
 記者・池田(豊原功補)の様に。


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M-1グランプリ NON STYLEの凄さ!

2008年12月22日 | 監督・俳優・歌手・芸人
M―1優勝は路上出身「NON STYLE」(スポーツニッポン) - goo ニュース

 NON STYLEはすごいですね。
 ぼくはナイツのファンだったので応援していたのですが、それを圧倒してすごい。

 何しろしゃべりの中で<映像>が浮かんで来る。
 最初の漫才は川での救命救助。
 決勝ではお化け屋敷病院。
 特にお化け屋敷病院ではわれわれもいっしょにそこにいる様。
 廊下にカルテ(←カルタではない)があって、手術室(←うまく言えた)があってガラスを割って外に出る時には網戸がある。
 聞いているとこの映像が浮かんでくる。まるで落語を聞いている様。

 これに比べるとナイツは<音>の芸。
 ヤホーから始まる言い間違い、勘違いへの細かいツッコミ。
 これはこれでひとつの完成された漫才の形なのだが、ラジオとテレビの違いみたいにNON STYLEのビジュアル芸の方が人を惹きつける様だ。

 2位のオードリーの漫才でも<映像>は見える。
 決勝の選挙演説の漫才。
 春日さんの動きで演説を聴いている聴衆の姿が見える。
 しかしNON STYLEのお化け病院の様な場所の移動がない。
 しかも選挙演説の漫才での春日さんは<効果音>のボケ。
 やはり音の芸だ。音で笑わせている。
 確かに春日さんのキャラクターは強烈だが、この辺に差が出た様に思う。

 その他で勝負を分けたのは<ギャグの数>。
 4分間にどれだけのギャグを詰め込めるかが得点のポイント。
 そのためにはギャグの前フリは短ければ短いほどいい。(審査員評)
 しかも後半に向かってギャグが加速していくことが必要。(審査員評)
 この点で4分間に37個のギャグを詰め込んだナイツはさすが。

 これからの漫才は<映像><ギャグの数>がポイントになってくるだろう。


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