平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ロンドンハーツ 石田純一プロポーズ

2009年09月30日 | バラエティ・報道
★<伝説を作れる>というのは番組にとって名誉なことでしょうね。
 たとえば「古畑任三郎」。
 何とイチローが出演。それも単なる顔出しでなく、犯人役で。これは<伝説>。
 今回のロンハー、石田純一さんのプロポーズも<伝説>のひとつでしょうね。
 こんなシーン、普通なら絶対に撮れない。

★それにしても芸能人というのは大変ですね。
 私生活の切り売り。しかも大切なプロポーズの場面を売ってしまうとは!
 お相手の東尾理子さんは怒らなかったようだが、父親の東尾修さんはどうだろう?
 娘の大切な瞬間まで切り売りして「ふざけるな!」と思っているのではないか。
 婚約をしてふたりは幸せそうだったが、逆にお父さんの怒りことを心配してしまう。
 まあ、今回の放送を見て石田さんって本当に<いい人><素直なウソのつけない人>に見えたので大丈夫だと思うが……。
 父親に「お嬢さんを下さい」と言うリハーサルをやってダメ出しされる石田さんはなかなか可愛かった。
 とても50歳を越えているとは思えない。

※追記
 今回はロンブー淳さんのつぶやきが味があった。
 幸せな石田さんに対し、「俺ってこのまま一生ひとりなのかな」とつぶやく。
 その後「自分に<遊び人>のイメージがついたのはロンハーのせい」とギャグにしていたが、「このまま一生ひとりなのかな」は結構ホンネ。
 こういう所があるから淳さんは憎めないんですよね。
 番組で結構過激なことをしてもいたずらっ子のしていることだからということで許されてしまう。
 石田純一さんもそうだが、人には<子供っぽさ>が大事。
 それが人を魅きつける。

 ロンブー淳さんは、今までにいないタイプの司会者芸人になりそうですね。
 今後の活躍が楽しみ。


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ユナイテッド93

2009年09月29日 | 洋画
 現実は何よりも雄弁だ。

★9・11の同時多発テロ。
 ニューアーク空港発サンフランシスコ行き「ユナイテッド93便」。
 物語はその乗客とテロリストが描かれる。
 飛行機を乗っ取られた乗客たちは最初、普通のハイジャック事件としてテロリストの言うことに従う。
 しかし飛行機の電話などで他の飛行機が乗っ取られ、ビルに突っ込んでいることがわかると、抵抗を開始する。
 消化器などの武器を調達し、戦う意思のある者を伝言で集める。
 テロリストのパイロットの代わりに飛行機を操縦できる人間も必要だ。かろうじてプロペラ機を操縦したことがある乗客がいて、彼にジェットの操縦をさせようとする。

 そしてテロリストとの戦い。
 柔道が出来る巨漢が先頭を切ってテロリストにぶち当たる。
 テロリストが身につけていた爆弾は偽物であることが判明。
 操縦士のコックピットをぶち壊す。
 これらの戦いの描写は少しも格好良くない。
 アクション映画だったらヒーローが華麗にキックやパンチで倒す所だが、そんなことは全然ない。
 もつれ合い、もがき合い、引っ掻き合う。
 これが現実の戦いなのだ。

★そして作品はラストまでその現実を徹底させる。(以下ネタバレ)

 9・11のことはご存じだと思うが、このユナイテッド93は墜落して地面に激突する。
 乗客は全員死亡。
 生きるために戦った乗客達は飛行機がターゲットに突っこむことは阻止したが、結局助からなかったのだ。
 これがフィクションのアクション映画なら飛行機は何とか着陸して、めでたしめでたしになる。
 ところが現実は正反対。

 これが現実だ。
 勇気を出して雄々しく戦っていった乗客達が死んでしまう。
 ウソの世界でヒーローが正義を行うのは映画として面白いが、やはり心に伝わってくるものはウソでない現実だ。
 乗客全員が死んでしまうことで<テロの悲惨さ><人生の不条理>が伝わってくる。
 これはウソのヒーロー物語では描けないこと。
 
 物語は今後こうしたノンフィクションの方法で描かれていくのかもしれない。


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天地人 第39話「三成の遺言」

2009年09月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 「三成の遺言」

★これまでの物語の流れで言えば、兼続(妻夫木聡)たち上杉は家康(松方弘樹)と戦わなければならない。
 悪漢・家康に頭を下げることは、人としての美しい姿である<義>に反することだから。
 しかし歴史事実としては上杉は家康と戦わない。
 この点をどう納得いくように説明するかが今回のポイント。

 そこで持って来たのが三成(小栗 旬)の遺言。
 「生きて、我らの正義を後世に伝えよ」
 まあ、説明としてはぎりぎり合格点の60点でしょうか?
 兼続が「生きて、我らの正義を後世に伝えよう」と言ったら不合格でしたけどね。

★今回は作劇としては見事だった。
 斬首の三成。
 最期に初音(長澤まさみ)に叫んだ「兼続に伝えよ」と次に三成は何を言おうとしていたのか?
 「生きて、我らの正義を後世に伝えよ」なのか「毛利と共に家康と戦え」なのか?
 この辺がミステリー仕立てになっている。
 おまけに三成の遺言が初音→福島正則(石原良純)→小早川秀秋(上地雄輔)と少しずつ語られていくのもいい。
 なかなか上手い作劇。

 そしてこれは三成の心情描写にもなっている。
 三成は最期の最後まで豊臣家のことを考えていたんですね。
 福島に秀頼のことを頼み、秀秋に「自分を逃がせ」「毛利を動かして共に戦い、流れを変えること」を促す。
 特に秀秋とのことは印象的。
 三成は最後の最後まで家康を倒すことを考えていた。
 何という不屈の思い! 普通なら諦めてしまう。
 これで三成というキャラクターが<不屈のキャラ>になった。
 そして秀秋が「自分はそんなことの出来る器ではない」と断ると、考えを切り替えて「生きて、我らの正義を後世に伝えよ」と兼続に託す。

 今回はというより前回の関ヶ原も含めて主役は三成でした。
 この作品は兼続以外が主役の時は、いい話になるんですよね。
 それは直江兼続という主人公を選んでしまったせいなのか、脚本のせいなのか、妻夫木さんの演技力のせいなのかよくわかりませんが。

 さて次回はいよいよ家康との対面、対決。
 主人公としての腕の見せ所!
 主人公になって下さいよ、兼続!


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国連総会と友愛外交

2009年09月27日 | 事件・出来事
★国連総会が終了。
 まずは一歩前進。いい成果があがったと思います。

 内容は当たり前のことなんですけどね。
・核軍縮……核戦争が起こったら人類や地球の生物は滅びてしまう。
・地球温暖化……地球温暖化で起こる様々な弊害。海面上昇、異常気象、砂漠化、ウイルス。
 人が幸せにあるいは当たり前に暮らしていくために必要なことなのだが、なぜ出来ないのだろう。
 小さな子供でもわかること。
 というよりこの場合、大人より子供の方が賢い。
 大人は経済などの自分の利益、宗教や国の差異に固執して、核軍縮、CO2削減が出来ないでいる。
 それで自分達が滅びてしまったらおしまいなのに。
 愚かとしか言いようがない。

 こんな単純な真実に気づかない、あるいは気づいていても行動に移せない世界のリーダーはリーダでいてほしくない。
 そして、この点で今回のオバマさん、鳩山さんの言葉は正しい。
 もちろん現実という問題があるだろうが、現実にとらわれることなく政治家はまず理想を語れ。
 理想なくして希望はない。
 希望がなければ生きることはつらいだけだ。

★<日本人の誇り>ということが言われる。
 世界から尊敬される日本人。日本人として世界中から賞賛される。
 いいですよね、大変気持ちのいいこと。
 ではそのために何をするか?

 ペルシャ湾の給油。
 前政権によれば、この活動である程度感謝はされているのだろうが、それ以上ではない。
 それよりも、核軍縮、CO2削減のためにリーダシップを発揮した方がずっと世界中から感謝される。賞賛される。
 アフガン問題にしても、見方を変えればペルシャ湾給油は<戦争の後方支援>でしょう。
 争いは争いしか生まない。憎しみは憎しみしか生まない。
 やられたらこの野郎と思うだけ。
 だからもっと別の方法があるはず。
 まず憎しみや怒りに凝り固まっている人達の心をほぐしていくことから始めるべき。

 国連での鳩山さんの発言。
 それらはこんな所から出ているような気がしている。
 鳩山さんは<友愛>を世界に広めようとしているのだろう。 


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7人のマッハ!!!!!!!!!

2009年09月25日 | 洋画
 お薦めのアクション映画!!!!!!!

 何しろ95分の上映時間のうちほとんどがアクションシーンなのだ。
 特に後半は45分はノンストップ。
 ひたすら村を占拠したテロリストと戦い続ける。
 普通のアクション映画だったらひとつの戦闘シーンは長くても5分ですよね。
 5分の戦闘シーンがあって会話などがあって次の戦闘シーンに移る。
 ところがこの作品は、戦闘、戦闘、戦闘の連続で会話や心情描写のシーンはない。
 戦闘シーンだけ。
 
 そして観客はこれだけ徹底されると感動してしまう。よくやるよと思ってしまう。
 エンタテインメント作品ではこの「よくやるよ」と観客に思わせることが大事。
 それが新鮮さに繋がる。何しろ45分ノンストップの戦闘シーンなど今まで見たことがないのだから。

 もちろん、それを飽きさせない工夫も必要。
 そこで「七人のマッハ!!!!!!!!!」はこんな工夫をした。
 村に慰問に来ていたアスリートの慰問団。
 彼らはテコンドー、セパタクロー、サッカー、ムエタイ、器械体操などのエキスパートだ。
 テコンドーなどで戦うのはよくあるが、サッカー、器械体操で戦うって?
 サッカー選手はともかく物を蹴る。
 果物を蹴って命中させて敵を倒す。
 時には手榴弾を蹴る。
 蹴る物がなくなると木に実っている果物を蹴る。
 このバカバカしさ。
 器械体操は家の柱を鉄棒のようにして戦う。大車輪で蹴り倒すのだ。
 柱は平均台の役割もする。柱の上で無類のバランス感覚で敵を倒す。
 これらが戦いにバリエーションを与えている。
 これらが45分の戦闘を飽きさせない楽しさになっている。

 作品づくりで大切なのは徹底すること。
 バカバカしいことでも徹底すると<神>になる。


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「野獣死すべし」の文体

2009年09月24日 | 小説
 大藪春彦「野獣死すべし」。
 主人公・伊達邦彦を紹介する文章でこんな文章がある。

★「華やかに雅やかな挙措と、内に荒れ狂う暴君の血。
 己れの破滅にまでみちびく絶望にとりつかれ、悪行の中にのみ生きがいを感ずるペチョーリンの姿は邦彦の偶像にまでなる。
 人生は芝居だ。幕間喜劇にすぎないとふれまわって、芝居の方法論を学ぶ。
 誰もがたどるスタニフラフスキーやダンチェンコやクレーグの演出手法の丸覚え。それは頭の中で、一つの物へとすり変えられる。計算されつくされた自然さだ。
 文芸部で知り合った連中の紹介で演劇部にもぐりこむ」

 以上は邦彦が大学で演劇部に入る下りだが、何とすごい文章だろう。
 <華やかに雅やかな挙措><内に荒れ狂う暴君の血>といった体言止め。
 <ペチョーリン><スタニフラフスキー><ダンチェンコ><クレーグ>といった固有名詞の羅列。
 <人生は芝居だ。幕間喜劇にすぎない>といった警句。
 短い文章。乱暴な文脈。溢れる情報。
 これで邦彦の荒々しい心の中が伝わってくる。
 丁寧な秩序だったきれいな文章では伝わって来ない。
 
 こんな文章もある。
 敗戦の子供時代の邦彦を描いた文章だ。

★「邦彦は昼は青空市場で次々と味見をしたり、くすねたりして腹をみたす。
 脂にとけて焦げるニンニクと、唐ガラシと様々な肉のむせかえる様な煙。
 夜は軍の食料倉庫に米や豆を盗みにいく。
 銀砂をばらまいたような星空にむけて、衛兵が威嚇射撃の短機関銃から発射された、緑や赤の曳光弾のえがく弾道が、夜空にくっきり映えて美しい」

 これもすごい文章。
 <脂にとけて焦げるニンニクと、唐ガラシと様々な肉のむせかえる様な煙>。
 非常に具体的な描写で臭いまでもが伝わってくる。
 一方で<銀砂をばらまいたような星空><緑や赤の曳光弾のえがく弾道>といった表現は幻想的ですらある。
 具体的な現実と幻想が共存している世界。

 最後はこれ。

★「試験など茶番に等しい。下宿に寝転がってアメリカン・ハードボイルドの探偵小説にとっくむ。己の苦痛を他人事として受け取り、己のみを頼みとするニヒルでタフな非情の男の群れ。耐えて耐えぬくストイシズムの生む非情の詩。
 部屋には安っぽい表紙にかざられた二十五セント判のポケットブックがたちまちのうちに数百冊読み飛ばされ、うず高く積まれていく」

 物に例えて人物を表現する手法だが、この場合はハードボイルド小説。
 <己の苦痛を他人事として受け取り、己のみを頼みとするニヒルでタフな非情の男>とは邦彦自身のことだ。
 <二十五セント判のポケットブックがたちまちのうちに数百冊読み飛ばされ、うず高く積まれていく>
 という描写もすごい。
 鬱々として心の中に野獣を秘めてひとりペーパーバックを読む邦彦の姿が浮かんでくる。

 こんなすごい表現が凝縮されているのが「野獣死すべし」だ。


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ターミネーターのメカニズム

2009年09月23日 | キャラクター
 「ターミネーター サラ・コナークロニクルズ」で明らかになったターミネーターのメカニズム。
 第2話~5話で紹介された内容は……?(以下ネタバレです)


★頭部だけ胴体だけで起動できる。
 第2話では何と胴体が自分の頭部を取り戻しに来る。
 つまり胴体は頭部がなくても思考でき、動けるんですね。
 頭部も動けはしないが、眼が光ったりして思考をしているよう。
 この発想はトカゲから来ているのでしょうか?
 いずれにしても斬新な発想!

★再起動するためには刺激が必要。
 同じく第2話。
 戦闘でターミネーター・キャメロンが動かなくなってしまった。
 そこでジョン・コナーがしたことは……何とビルの3階からキャメロンを放り投げる!
 下の車にぶつかった衝撃でキャメロンは再起動。
 精密機械のターミネーターも割と単純な所があるんですね。
 車が動かなくなったら蹴っ飛ばせというのと同じ。そこにユーモアを感じる。

★ターミネーターには人工の血が流れ、肉や皮膚は再生できる。
 これは第3話で明らかになったこと。
 なるほど、そういう仕組みになっていたのか。
 再生は遺伝子技術の応用?
 このように万能なターミネーターだが、唯一眼だけは再生できないらしい。
 また希望の顔になるには整形手術が必要とのこと。
 眼が再生できないこと、整形技術が必要なことという設定は同じくユーモアを感じる。

★ターミネーターは目的を達成すると次の目標が設定されるまで動かなくなる。
 これも起動に関する設定。第4話で描かれた。
 ターミネーターには目的を達成するプログラムが設定されていて不眠不休で突っ走るが、目的を達成すると動かなくなってしまう。
 一応、危険を察すると反応するが、危険が去ったと思えば動かない。
 ターミネーターはやはり機械なんですね。
 自分の意思で動いているように見えるが、実はプログラムに制御されている。
 これは驚きでした。

★頭部のチップを外すと動かなくなる。
 これは第5話で描かれた弱点。
 キャメロンは敵ターミネーターを取り押さえて工具セットを持ってくるように言う。
 そして何をしたかというとペンチで頭部のチップを抜き取ってしまう。
 これでターミネーターは動かなくなってしまう。
 先程の胴体でも動けるという設定と矛盾しているようだが、きっと胴体と頭部は特殊電波か何かで繋がっていて、頭部が胴体にやって来るように命令しているのだろう。
 だから命令チップを抜き取られてしまうと胴体とくっついていても動かない。
 なるほど、そういうことか!

 このように細かく設定されているターミネーターのメカニズム。
 これが回を重ねるごとに明らかになっていくというのも、このドラマの楽しさ。
 視聴者はストーリーを見ていると同時にターミネーターというキャラクターを見ている。
 よくできたキャラクターというのはそれだけで作品の魅力になるんですね。


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官僚たちの夏 最終話

2009年09月22日 | 職業ドラマ
 最終話。物語の図式はこう。

 沖縄返還の交換条件として繊維の輸出規制。
 この総理側の動きと戦う風越(佐藤浩市)たち。

 この戦いでどちらが正しいかどうかはドラマの本質とは違うと思うので、割愛しましょう。
 敢えて一言言えば、立場によって正しいかどうかは決まってくるということ。
 沖縄住民や国家の大局を考えれば総理側が正しいし、繊維業界の立場に立てば風越たちが正しい。
 もっとも須藤総理(長塚京三)にしてみれば、沖縄返還を成し遂げた総理としての実績・名声がほしかったという気持ちがあったと思いますが。

 さてドラマの本質。
 作者が描きたかったのは<弱者のために生きる人間><私欲を捨てた人間>ということでしょうか。
 それを象徴しているのが亡くなった鮎川(高橋克実)。
 官僚の世界で言えば、鮎川や庭野(堺雅人)の生き方はおバカさんと言える。
 発展の余地のない炭坑のことなど斬り捨てて自分の出世を考え、他のことで実績を作ればいいのにそれをしない。
 片山(高橋克典)の太平洋ベルトライン構想や大阪万博の方が実績として華やかだし官僚として賢明。
 それを敢えてしないで<弱者>にこだわる風越たち。
 また風越たちは<強者>と戦っている。
 その象徴は総理(池内もそうだし、変貌した須藤もそう)。

 熱い生き方ですね。
 自分の理想を信じ必死に戦っている。
 思えば風越たちの時代は、作品中では十分に描かれなかったが、安保闘争やベトナム平和運動があった。
 日本中が熱かった時代。
 官僚も含めみんな夏の季節を生きていた。

 ところが現在はどうであろう。
 すっかり冷え切って他人のことに干渉しない。
 昔はベトナムの痛みを感じることが出来たが、今はイラクの痛みを感じることが出来ない。
 情熱は自分のために使用され、内に閉じこめられた情熱は凶悪犯罪として表に出る。
 「この国はどうなっていくんだろう?」
 と風越がラストにつぶやいたように、視聴者は風越たちの時代と現在を照らし合わせて考えてみる必要がある。

 ドラマとしてはいまひとつだったが、これらの問題を提起したという点でこの作品は評価できる。

※追記
 繊維会社の社長はこう言った。
 「行政を頼ってた自分が馬鹿だった。通産省なんかいらない」
 行政を信じて裏切られた社長の痛恨の言葉。
 彼らのために生きてきた風越たちにしてみれば、今までの人生を否定されたかのようなつらい言葉だったでしょうね。

 このせりふはその他にもいろいろな意味を持つ。
 国は情勢によって簡単に個人を斬り捨てる。
 したがって企業や個人は国に頼らず自立しなければならないということ。
 すべては自己責任、個人の時代が来たということ。
 深いですね。

 敢えて言うとこの自立・自己責任社会は小泉政権が目指したもの。
 その小泉政権の反動として登場したのが、<友愛>の鳩山政権。
 風越たちの主張は鳩山政権に近いですね。
 

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天地人 第38回「ふたつの関ヶ原」

2009年09月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 「ふたつの関ヶ原」

★人生には明暗を分ける一瞬、言葉がある。
 三成(小栗旬)の小早川秀秋(上地雄輔)への説得。
 「勝利の暁には関白の地位を」
 <関白>、まずかったですね。
 前関白は切腹させられているから、それに立ち会ったのは三成だったし。
 一方、家康(松方弘樹)は秀秋に<二カ国の加増>を誓紙付きで約束。
 <関白>と<二カ国の加増>
 三成と家康の人間力の差が出たエピソードです。

 島左近(若林豪)と三成のやりとりも興味深い。
 もし秀秋の説得に左近が行っていたら?
 左近は<関白>とは言わなかったかもしれない。

 人生には明暗を分ける一瞬、言葉がある。
 たったひとつの行動の間違い、言葉の間違いが人の行方を左右する。
 そんな人生の怖ろしさを感じさせてくれたエピソードでした。

★この作品だけでなく、関ヶ原の時に僕がいつも考えるのは三成の<絶望>だ。
 秀秋に裏切られ、毛利は動かない。島津も動かない。
 その理由が自分の人望のなさゆえと思ったら、これはかなりつらいことでしょうね。
 まして敗北で自分が信じていた正義が打ち砕かれる。
 これほどの<絶望>はないだろう。
 今回はその三成の絶望が伝わってきた。
 やはり小栗旬さんは上手い役者だ。

 あとは歴史では清いもの、純粋なものは悪意や欲望に総じてしてやられるんですね。
 というのは人間は欲望で生きているからで、欲望で生きる人間が大多数だからで。
 毛利が動かなかったのはそのせい。
 どっちが得かを考えている。
 三成は人望もそうだが、人間の欲望に負けたのだ。
 また三成の人生が示すように人が純粋に生きることはなかなか厄介。
 清涼な水でなく、少し濁った水の中でも生きられるようなしたたかさがないとたちまちおぼれて死んでしまう。

 こうして考えると三成の人生はなかなか深いですね。
 次回、兼続(妻夫木聡)たちはどう動くか?行動に破綻がないことを願う。

※追記
 いくさのシーンの俯瞰の映像はいいですね。
 戦術や情況、規模などがよくわかる。
 CGの時代ならではの利点。


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官僚たちの夏 第9話

2009年09月20日 | 職業ドラマ
 一週間遅れの9話のレビュー。

★今回描かれたのは様々な官僚の姿。

 炭坑事故の対応をする鮎川(高橋克実)。
 いがみ合う労組。いまだに炭坑に残された人。
 発生するメタンガス。注水活動をしなければガスに引火して炭坑自体がなくなってしまう。しかし、注水すれば炭坑に残された労働者が死んでしまう。
 労組の対立の間に入り、炭坑で救助されていない人の命を奪う<注水>をぎりぎりまで粘って決断する鮎川。
 鮎川にそうさせているのは炭坑救済法案を通せなかった官僚としての責任感がある。
 もちろん人間として見過ごせないという思いも。
 熱い人物ですね。実に立派。
 「ここまで来たのがあんただったのがせめてもの救い」と遺族に言われたのは鮎川にとって救いだったでしょうね。

 一方、丸尾(西村雅彦)。
 中東開発石油に天下って通産省が押し進める<生産規制>を撤廃させようとする。
 撤廃できないと知ると報復として、大蔵省に手をまわし炭坑救済法案を反故にしようとする。
 官僚が天下る意味がよくわかるエピソードですね。
 企業の利益のため、OBとして官庁に圧力をかける。
 これが天下りの意味。

 官僚のマイナスのプライドを描いたのが片山(高橋克典)。
 「鮎川との次官争いに破れることは屈辱だ」と口にする。
 片山には出世しか頭にない。
 玉木(船越英一郎)に「お前は何のために入省したんだ? この国を豊かにするためじゃないのか?」と問われて先程の「屈辱」発言をする。
 以前は風越(佐藤浩市)の保護政策に反対する国際派の官僚だったのに、少し安っぽくなってしまった。

 このように鮎川から片山まで官僚もそれぞれなんですね。
 誇張もあるだろうが、具体的な官僚の姿を見せられて大変勉強になる。
 これからは世の中の構造を描く社会派のドラマがもっとあるべき。
 木村拓哉さんが総理をやった「CHANGE」のようなお子様ランチじゃなくてね。

★今回の風越はまさに<理想の上司>でしたね。
 注水の決断をしてしまい悩む鮎川に
 「俺がお前だったとしても同じ結論を出していただろう。自分を信じろ。俺はずっとお前の味方だ」と言ってくれる。
 野党議員に鮎川の責任を問われると「じゃあ、あんたたちは何をした!? この中に鮎川を責められる人間は誰もいない!」と弁護してくれる。
 いずれの言葉も魂がこもっていますよね。
 僕は今フリーでやっていますが、こんな上司がいたらきっとついていく。あるいはこんなせりふを言いたかった。

 この作品、いろいろな意味で勉強になります。


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