平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

A・猪木 名言集!~今、俺は人生のホームレスをやっております

2013年01月31日 | 名セリフ・名言集
 かつて私、猪木信者でした。
 そこで今回はアントニオ猪木の名言集!(年末の小川直也VS藤田和之戦のテレビのOPで流れていたもの)
 猪木さんといえばビンタの<闘魂注入>ですが、その叱咤の言葉は勇気とパワーを与えてくれます。

★いつ何時、誰の挑戦でも受ける
★元気があれば何でもできる
★今、俺は人生のホームレスをやっております ~受け取る人によって様々な解釈ができる深い言葉ですね。
★猪木の常識、非常識
★馬鹿野郎っ!!
★人は歩みを止めた時に、挑戦をあきらめた時に、年老いていくものだと思います
★馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ
 恥をかけ、とことん恥をかけ
★言い訳はひとつも通用しません。人生に逃げ道なし
★どん底の時こそ過激に生きなければならない
★てめえら、いい加減にしろ、この野郎!
★カラダ張ったことがあんのか、テメエらは!
★相手の力を9引き出して10の力で勝つ
★花が咲こうと咲くまいと生きてることが花なんだ
★坂口とやれば、片手で3分
★危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
 踏み出せば、その一歩が道となる
 迷わず行けよ、行けばわかるさ


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ビブリア古書堂の事件手帖 第3話~私が読めばいいじゃない。私が毎日読んであげる

2013年01月29日 | 推理・サスペンスドラマ
 せっかくなので今回のエピソードを三段論法で考えてみます。

★論法1
 自分は失明する可能性がある。
 失明した人間は周囲に迷惑をかける。
 自分は周囲に迷惑をかける。

★論法2
 失明した人間は本を読めない。
 本は読まれるためにある。読まれなければ意味がない。
 失明した人間にとって本は意味がない。

 これが坂口昌志(中村獅童)の考え方だった。
 でも、人の愛や感情というのは、こんな論理学の理屈なんか簡単に突破してしまうんですね。
 まず、坂口の妻・しのぶ(佐藤江梨子)にとっては、失明した夫は迷惑でも何でもない。世間一般的に迷惑だったとしても彼女にとっては、目の見えない夫に付き添うことは喜び。
 次に、本は読まれなければ意味がないとしても、だったら夫の代わりに自分が読んであげればいい。
 こうして坂口の論法は簡単に論破されてしまった。
 理屈は弱し、感情は強し。
 さらに感情のバックに愛情があれば、それはもう最強なのである。
 愛は理屈ではない。

 さらにもうひとつ、今回のエピソードを論理学的に考察してみる。
 今回、栞子(剛力彩芽)たちに提示された事実はこうだ。

★本を売りに来たサングラスの男
★男は慌てていたらしく、買い取り票に書いた名前がはみ出ている。
★コートのボタンがずれている。
★本の裏表紙に貼られていた私物許可証に拠れば、男は刑務所に服役していたらしい。
★外では脱走犯がうろついている。

 これらの事実を帰納法で考えていけば、大輔(AKIRA)や志田(高橋克実)が導き出した結論<男は脱走犯>になるのは当然だろう。
「警察に追われている人が本を売りに来るでしょうか」といった栞子の疑問など、いささか矛盾はあるが、これが一般的な現状認識だ。
 だが、真実はまったく違っていた。
 男はただ目が不自由だっただけ。
 大輔と志田は単なる勘違い。思い込み。
 このように、人間の<現状認識>というのは、曖昧でいい加減なものなのである。
 これは、ぼくたちの日常生活でも言える。
 直接言われてもいない他人の言葉に一喜一憂したり、マスコミの報道で不安になったり怒ったり。
 だからぼくたちは、目の前の現実や情報を正確に見定めていかなくてはならないのだけれど、これがなかなか難しい。
 最低限、心懸けておかなくてはならないことは、<われわれの認識など曖昧でいい加減なものであること>を知って、振りまわされないようにすることなのだろう。

 最後に、自分のことを話すのが苦手な坂口昌志と自分のことを話し出したら止まらなくなってしまうしのぶ、いい夫婦ですね。


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八重の桜 第4回「妖霊星」~この作品は、あっさりテイストのワイン

2013年01月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 この作品のテイストは<ライト>ですね。
 昨年の『清盛』がハードなフルボディのワインだとすれば、『八重の桜』は口当たりのいいあっさりしたワイン。

 ドラマとは、対立・葛藤である。
 立ちはだかる障害や自分の弱さに立ち向かう所からドラマは始まる。
 では、覚馬(西島秀俊)はどうだろう?
 対立しているのは、藩の保守勢力。
 これで彼は禁足になるのだが、今回、西郷頼母(西田敏行)と藩主・松平容保(綾野剛)によって簡単に禁足が解かれ、藩の重要な役職についてしまった。
 対立・葛藤のドラマとしては実にあっさりしている。
 次回はハードになりそうだが。

 八重(綾瀬はるか)の方もあっさりしている。
 前回までの対立は、父親であったが、今回からは、覚馬の嫁・うら(長谷川京子)に。
<西向いてろって言われれば、一年でも西向いてるようなおなご>であるうらは、八重とは正反対の女性。
 このふたりが激しく対立したら、それはドラマのウソになり、今回ぐらいの距離感がリアリズムなのだろうが、昨年の『清盛』のドロドロした人間関係と比べると物足りない。
 はやく『清盛』を忘れなくては……。

 将軍後継者争いの<慶喜の一橋派>と<慶福の紀州派>の政争も、そんなにドロドロと描かれていない。
 井伊直弼(榎木孝明)が、水戸斉昭(伊吹吾郎)らに
「本日は御三家のご登城日ではござりませぬぞ。押しかけ登城は御法度である事、よもやお忘れではござりますまい」
 と語るくらい。
 そして次回は安政の大獄へ。
 視聴者は『篤姫』でドロドロの政争劇を見てきたから、このあっさりした感じはいささか物足りない。
 島津斉彬(林与一)も登場したと思ったら、すぐに退場してしまったし。
 はやく『篤姫』を忘れなくては……。

 この作品は、神が天上から人間界を見ているように、歴史を俯瞰して見ている。
 もっと人間に近づいて見れば、「本日は御三家のご登城日ではござりませぬぞ。押しかけ登城は御法度である事、よもやお忘れではござりますまい」なんてせりふも、実は、権力抗争のハードなせりふなのにそれが感じられない。
 八重の吉田寅次郎(小栗旬)との関わりも、子供の時に凧揚げで遭遇したくらい。
 それなのに八重が「あの寅次郎様がどうかされたのですか?」と尋ねるのは、どこかウソっぽく聞こえる。

 会津が激しい権力闘争の場から離れているので仕方がないのだが、はやく本格的なドラマを見たい。


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カラマーゾフの兄弟~人間の本質は悪なのか? 極限状態の役者さんの演技にも注目!

2013年01月26日 | その他ドラマ
 録画していた2話までを見ました。
 人間の<負の部分>を徹底的に見つめた作品ですね。
 父・文蔵(吉田鋼太郎)は金の亡者。
 勲(市原隼人)が法学部への大学進学で、金を貸して欲しいというと「お前に金を貸していいことがあるのか?」
「弁護士になって文蔵の役に立つ」と勲が答えると、「確かに顧問弁護士料はバカにならない。だが、お前がその約束を守るとは限らない」
 すごいですね、この人間不信。
 文蔵の凄さはさらに続く。
 勲が年利5%で借りた金を返すという証書を出すと、何と15%に書き換える。
 同じドストエフスキーの『罪と罰』にも強欲な金貸しの老婆が出てくるが、ドストエフスキーは金がいかに人間を狂わせるかを徹底的に描く。

 そして、そんな文蔵に育てられた勲たち三兄弟もどこかおかしくなっている。
「殺意そのものが意思を持ってすべてをのみ込んでいく。何もかも破壊しつくまで暴走し続けるのだ。殺意は成熟し、臭いを放ち、おびたたしい程の血が流れるまで決して消え去ることはない」
「法律など希望ではない。金もうけのためのツールだ」
「悔い改める気のないやつに、国の税金を使って生き永らせるなんてバカげている。極刑だ」
「人間の本質は悪だ。要はそれをコントロール出来るか否かだ」

 さて、ここで考えたい。
 果たして<人間の本質は悪なのか?>
 少なくとも勲は<悪>だと考えている。
 人間は欲望の塊であり、放っておくと、それはどんどん暴走していく。
 その暴走を抑えるために、人は<法律><道徳><宗教>、そして<愛>という概念を作った。
 これが勲の人間観だ。
 あの文蔵に支配され、憎しみの中で生きていた勲だから、こう考えてしまうのも仕方がないが、この人間観は真実なのか、単なる父親の呪縛なのか。
 この作品は、それを問い続ける。
 『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは最後に娼婦ソーニャによって、改心し愛に目覚めてくのだが、果たして『カラマーゾフの兄弟』の場合はどうなのか?

 最後に勲役の市原隼人さん。
 市原さんは『笑っていいとも!』に出た時、勲の役づくりのために、「物をほとんど食べず、何か物音がするだけでも神経がピリピリするような極限の心理状態を作っている」と語っていたが、すごい役づくりである。
 それに三ヶ月の撮影期間、この異常な凄まじい世界に置かれたら、役者さん自身の心も崩壊してしまうのではないか。
 そんなふうに思える。

 この作品は、極限状態の役者さんの演技を見るだけでも意味がある。


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ミエリーノ柏木~複雑怪奇な男女の恋愛に戸惑うゆきりん!

2013年01月25日 | アイドル
『ミエリーノ柏木』、面白い試みの作品である。
 カフェで働き、<別れさせ屋>をやっている主人公・柏木は、恋愛音痴で、男女の複雑な恋愛模様を理解出来ない。
 その主人公像は、そのままAKB48の柏木由紀。
 なぜなら、中学を卒業して、そのまま<恋愛禁止>のAKB48に入ったゆきりんは、恋愛経験があったとしても中学生レベル。
 ステージで歌うAKBの歌も、さわやかな純愛ものが多いし。

 だから第2話で描かれた二股男・田村伸治(伊東孝明)のことは許せないし、田村に妻がいることがわかっているのに交際しているA子、A子とつき合っていることがわかっているのにいっしょに寝てしまうB子のことが理解出来ない。
 おまけに、A子とB子は、自分たちを捨てて妻のもとに帰っていった田村の悪口を言って盛り上がる。
「口臭かったよね」「下手だったよね」
 捨てられた直後のA子は、田村を刺したいと思うほど思い詰めていたのに、今はこんなふうに清々した顔で悪口を言っている。
 柏木にとって、<オトナの恋愛世界>は複雑怪奇で、まったく訳がわからないのだ。
 そしてドラマは、柏木が戸惑ったままで終了する。

 何というリアリズムだろう。
 通常のドラマなら、主人公が二股男にビンタして終わる。
 妻に浮気がバレて、二股男が改心したり、捨てられたりする。
 しかし、このドラマではそんな予定調和などまったくなく、田村は妻と仲良く暮らしている。
 これが現実だと言わんばかりに。
 田村にビンタした主人公・柏木の正義も簡単に否定される。
 それはまるで「そんなお子ちゃまな、ぬるいことをするなよ」とゆきりんに語りかけているようだ。

『ミエリーノ柏木』は既存のドラマの否定だ。
 主人公・柏木と同様に、視聴者は今までドラマで描かれてきた恋愛が<幻想>であることを思い知らされ、複雑怪奇な現実に引き戻される。
 人間は決して<美しい生き物>でないことを認識させられ、醜い現実を前にして言葉を失う。
 このリアリズムに徹したドラマが面白いかどうかは、わからない。
 アイドルファンには「アイドルなんて幻想なんだぜ」と語りかけているようにも思える。


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相棒11 「幸福な王子」~陣川さん、カイトと遭遇! 「彼女いるのか?」

2013年01月24日 | 推理・サスペンスドラマ
 心優しき男の物語である。
 男の名は資産家・野間幸次郎(山下規介)。
 病気で人生の残り時間が少ない。
 幸次郎は、娘・あずみ(足立梨花)の財産相続のために、亡き妻への愛の証しのために<幸福な王子>の銅像を手に入れようとする。
 そして、犯人の代わりに自分が罪を被ろうとする。
 そんな幸次郎の行動論理は、童話『幸福な王子』で描かれた<他人の幸せが自分の幸せになる>という考え方だ。
 人の心がやさしさや愛に満ちている時、人は穏やかに、強く生きられるのでしょうね。
 陣川さん(原田龍二)の場合は、まだ素敵な女性と結婚して自分が幸せになりたいという我欲の部分が強いのだが、その愛が彼の行動力や決してめげない強さになっていることは事実。
 周囲の人も明るくしている。
 きっと陣川は、発展途上の『幸福な王子』なのだろう。

 ドラマ自体のことでいうと、語り口が雑な感じがする。
 おそらく幸次郎は、自分が代わりに捕まるために、わざと証拠を残していったんですよね。
 犯人が使ったコーヒーカップを処分し、自分と被害者のコーヒーカップを残した偽装がそう。
 では、アリバイ工作が崩れる証拠となったお墓の花はどうか?
 床に落ちていた手紙はどうか?
 幸次郎は、わざとお墓に新しい花を置かず、わざと手紙を落とすように仕向けたのか、あるいは、単に抜けていただけなのか、そのあたりがよくわからない。(おそらく手紙は偶然だと思いますが……)
 英国で銅像を買った話も、どうだろう。
 幸次郎はわざと右京(水谷豊)の仕掛けたフェイクに乗ったのか?
 それに最初から自分が捕まるつもりなら、変な偽装はせずに、事故が起きた時に警察を呼んで「自分がやりました」と言えばよかったのは? とも思ってしまう。

 陣川さんとカイト(成宮寛貴)のやりとりは楽しい。
「親のコネ使って、特命係に入りやがって」
「彼女いるのか?」
「特命係の名前を使って彼女作りやがって」
 つまり、この3つのせりふから推理すると、陣川さんは<特命係に入れば彼女が出来る>と考えているのかもしれない(笑)
 そしてカイトも陣川の言動から、しみじみと「特命係って人気の部署なんですね」(笑)

 最後に。
 最近の『相棒』は、魅力的な新人女優さんをどんどん起用してきますね。
 今回のあずみ役の足立梨花さん。
 「アリス」の二百郷朋子役の上野美緒さん。
 将来が楽しみな女優さんたちに機会を与えている。
 視聴率が安定している『相棒』だからこそ出来ることなのかもしれませんが、毎回同じような顔ぶれが並ぶ他のドラマよりずっと楽しいです。


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キンタロー。AKB48と初共演!~顔の大きさとダンスのキレがハンパない!

2013年01月23日 | 監督・俳優・歌手・芸人
 昨日の『火曜曲!』で、前田敦子さんのモノマネで話題のキンタロー。さんがAKB48とついに共演!
 ついに来ましたか。
 まず、キンタロー。さん、顔がデカい!
 もともとAKBを始めとするアイドルの皆さんは小顔ですが、AKBの皆さんと並ぶとその大きさがよくわかる。
 それから、そのモノマネは芸が細かい。
 前田敦子さんが卒業を宣言するシーンでは、「麻里子ありがとう」「ともちん、ちゃんと聞いてて」と小ネタを挟む(笑)
 これがモノマネにリアリティを与えている。
 大島優子さんは、「息づかいや鼻のすすり方とかがあっちゃんに似ている」と言っていたが、キンタローさんが似ているのは、そのディティルへの配慮ゆえだろう。
 そして驚くべきは、ダンスのキレ。
 番組ではAKB48と『フライングゲット』を披露したが、ダンスのキレ、ダイナミックさは本家を圧倒している。
 キンタロー。さん、もともとは社交ダンスの講師をされていたらしいが、体幹が半端じゃない。大きな動きをしても体幹がしっかりしているからまったくブレない。

 少し前に、キンタロー。さんが『行列のできる法律相談所』に出た時には、こんなことがあった。
 番組中、俳優の坂上忍さんが、ある新人の女の子から「声が小さくて悩んでいる」という相談を受けた時のことだ。
 坂上さんは、キンタローさんと比較して、女の子にこんなアドバイスをしていた。
「声が小さいのは自分を守っているだけ。開き直りが甘い。キンタローを見てみろ。腹が据わっている。見ている人のために自分を捨てている。もっと自分をさらけ出せ!」
 新人の女の子に対するアドバイスだが、これはそのまま<キンタロー評>になっている。
 キンタロー。さんは、見ている人を楽しませるために完全に自分を捨てているのだ。
 そのパフォーマンスでAKBファンから「前田敦子をバカにしている」というバッシングを受けることもあるだろう、だが、彼女はやり通す。
 これぞ、芸人魂である。

 さて、今回見事AKB48と共演を果たし、お墨付きを得たキンタロー。さん。
 今後の課題はいかに<前田敦子>を捨てられるかである。
 昨日の『火曜曲!』でも、司会の中居正広さんに「何て呼べばいいの?」と尋ねられて、前田敦子キャラでいくか、地のキンタロー。でいくか迷ったシーンがあったが、いずれは地を出さなくてはならない時が来る。
 ずっと、前田敦子キャラを続けていたら、最後は飽きられて一発屋で終わる。
 キンタロー。さんは、はるな愛さん、渡辺直美さん、福田彩乃さんにならなくてはならない。
 はるな愛さんたちもブレイクのきっかけは、あややであり、ビヨンセであり、綾瀬はるかだった。
 だが、彼女たちは、そういったモノマネを捨てて<地の自分>で勝負し、現在まで生き残っている。

 ダンスのキレがあり、芸人魂をしっかり持っているキンタロー。さん、今後の活躍が楽しみです!


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ビブリア古書堂の事件手帖 第2話~僕たちがお互いに必要としあう間柄になれたら、どんなにいいことだろう

2013年01月22日 | 推理・サスペンスドラマ
 本が人と人を結ぶ物語である。
 前回は、大輔(AKIRA)と栞子(剛力彩芽)が漱石の『それから』によって。
 今回は、『落穂拾ひ』によって、志田(高橋克実)と小菅奈緒(水野絵梨奈)が。
 中年男のせどり屋と女子校生、本来なら絶対に関わることのないふたり。
 道ですれ違って、そのままってくらいのふたり。
 そんなふたりが哀しみを分かち合う。
「もし、よかったら俺に話してみねえか。誰かに話すことで気が楽になることもあるから」
「何かの役に立つということを抜きにして、僕たちがお互いに必要としあう間柄になれたら、どんなにいいことだろう」
 二番目のせりふは『落ち穂拾ひ』の中の言葉らしいが、志田と奈緒の関係はまさに『落ち穂拾ひ』の登場人物たちの関係と同じだ。
 そして、奈緒は涙を流して、自分のつらい胸の内を語り始める。

 物には、人の思いが込められているんですね。
 今回の『落ち穂拾ひ』の本には、志田の思いが。
 奈緒が好きな男の子のために作ったお菓子には、奈緒の思いが。
 だから本もお菓子も決してないがしろにされてはならない。
 それは人の思いを踏みにじる行為。
 むしろ、栞子がしているように、物に込められた思いを想像力で読み取らなければならない。
 そうすれば、人は人にやさしくなれる。
 物は<ただの物>ではなくなる。

 最後に、もうひとつ志田の言葉。
「この話って願望全開だよね。こんな女いねえよ。でも、願望だって分かってて、あえて書いてる。それがはっきりしてるから、いい話なのかなと思った」
 はい、この『ビブリア古書堂の事件手帖』もそうですね。
 願望全開で、栞子さんみたいな女性は絶対にいない。
 作家は「こんな女性がいたら素敵だろうな」と思って、栞子さんを書いている。おそらく。
 そんな作家の願望が、同じように栞子さんのような女性を求めている読者とシンクロする。
 結果、物語世界に引き込まれ、一瞬、彩りのない現実世界を忘れる。
 物語の効用である。
 だが、物語の効用は、このような現実逃避だけではない。
 一冊の本を心から愛せるだけでも幸せであろうし、いつか志田のような状況に出くわして
「何かの役に立つということを抜きにして、僕たちがお互いに必要としあう間柄になれたら、どんなにいいことだろう」
 と誰かに語る日が来るかもしれない。

 だから本は素晴らしい。

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八重の桜 第3回「蹴散らして前へ」~「古い。あなた方は世界を知らぬ。まるで井の中の蛙だ」

2013年01月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 尚之助(長谷川博己)は言う。
「会津は頑固ですから」
 頑固なうえに、会津は葵紋の使用を許された御親藩の保守。
 東北の地にあり情報も入りづらい。
 だから、江戸で新しい世界を見てきた覚馬(西島秀俊)と衝突するのは当然であろう。
 新しいことをしようとする者、改革をしようとする者には必ず<邪魔をする者>が現れるのである。
 なぜなら、既得権者は新しい動きを放置すれば、たちまち自分の拠って立つ基盤を失ってしまうから。
 現代で言えば、それは電力会社かな。
 独占企業で電力料金にも競争がない。こんな美味しい既得権はない。
 だから、そんな既得権者を突破するには、佐久間象山(奥田瑛二)が言うように
「蹴散らして、前に進め!」しかない。

 このように過激な言動の佐久間象山ではあるが、一方で大人でもある。
 国もとでの蟄居生活を「書を読み、思索ができ、学問を深められる」意味のある時期ととらえている。
 時勢から遠く離れた地にいることも、世の中を客観的に見られるとプラス思考で考えている。
 そして、いずれ自分の能力が必要とされる時期が来るとも。
 大人の態度ですね。
 不遇であっても、まったく鬱屈していない。
 現在、自分が何をなすべきかを考え、実践し、あせらずに待つことが出来る。
 こうした大人の態度は見習いたい。
 先程「会津は頑固ですから」と言った尚之助も「世の中にはままならぬことがある」と達観している。
 これも大人の態度。
 心の中に激しいものを抱えていても、捲土重来、決して過激には走らない。

 このふたりに比べると、覚馬はまだ青い。
「古い……。あなた方は世界を知らぬ。まるで井の中の蛙だ」と藩の重役に言ってしまうし(笑)
 怒りにまかせて、槍で大立ち回りをしてしまいますし。←カッコ良かったけど!
 でも、若者はこうして失敗を繰り返して、大人になっていくのでしょう。
 そして大人になった時に忘れてならないのは、若い頃に抱いていた<熱い心>。

 さて、八重(綾瀬はるか)。
 彼女の鉄砲に対する異常なこだわりは何なんだろう、とずっと考えていたのですが、こんなふうに理解しました。
 それは現在の若者がバイクやギターにこだわる感じ。
 バイクを上手く走らせたい、ギターを上手に弾きたい。
 そのためにはバイクの構造を勉強しなければならないし、楽譜も読めなくてはならない。
 八重のこだわりもこれと同じ。
 ただ、八重も<この鉄砲という道具を使って何をするか>についてはあまり考えていない。
 <人殺しの道具>であることも実感としてつかめていない。
 この曖昧な感じは、バイク好きの若者がオートレーサーになろうとか、ギター好きの若者がプロのミュージシャンになって、こんな曲を世の中に発表したい、とかを具体的にイメージできていないのと同じ。
 八重は、現代のバイク青年、ギター青年と同じように、純粋に鉄砲が好きなのだ。
 しかし、彼女もいずれ戦場で、人を撃つ試練が課せられる時が来るだろう。
 その時、八重は<プロの戦士>になる。

 最後に綾瀬はるかさん。
 一途さ、物事に対する好奇心の演技をさせたら、綾瀬さんは一番ですね。
 今回のラストで「わたしにももっとわかりやすく教えて下さい」と覚馬たちに迫った表情などは最高!
 これは『仁-JIN-』の咲さんが、医術に興味を示した姿と同じ。
 それに「はいっ!」と元気に返事をする姿は、『ホタルノヒカリ』の雨宮蛍。
 会津弁の<綾瀬はるかワールド>が全開になってきました。

 西島秀俊さんの肉体美については、女性のブロガーさんが書くと思うので割愛します(笑)


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泣くな、はらちゃん~自分が変わらずに世界は変わらないよ

2013年01月20日 | その他ドラマ
 世界は変えられるんですね。
 どうすれば変えられるか?
 ちっぽけでも、ひとりひとりが変えようと一歩踏み出すこと。
 マンガを描いて鬱憤晴らしをしていた越前さん(麻生久美子)。
 彼女は自分はちっぽけな存在で世界など変えられないと思っている。
 だが、彼女は変えた。
 ギターの弦を6本にし、♪を描き加えることで、はらちゃん(長瀬智也)たちの世界にメロディのある音楽が誕生した!
 みんなが楽しくなった!
 ほらね、世界が変わったでしょう。
 ぼくたちの現実もこれと同じ。
 たとえばギターが弾ける人は街角で歌おう。
 そうすれば、街を歩いている人が、歌詞に励まされたり、楽しくなったりする。
 ひとりでも出来ることはあるのだ。

 作品中には、怖いシーンもあった。
 マンガの中ではらちゃんが「世界なんかどうなってもいいんだよ! 殺せ、殺せ、殺してしまえ!」と機関銃を撃ちまくるシーンだ。
 変わらない世界。
 その中で、はらちゃんは鬱屈して、自棄になり、まわりの人間たちに怒りをぶちまけて機関銃を撃つ。
 越前さんの心がマイナスに振れてしまった結果だ。
 ここで越前さんは、ギターの弦3本と♪を描けばよかったのに、怒りにまかせて機関銃を描いてしまった。
 それはちょうど数年前、『秋葉原連続殺傷事件』で、誰かも相手にされなかった犯人がトラックで秋葉原の歩行者天国に突っ込んだ行為に似ている。

 この作品は、このように現代社会の寓話なのだ。
 寓話にはこんなのもある。
 はらちゃんの歌。

♪人はそれぞれ 違うでしょ?
 だから お願い かかわらないで
 そっとしといてくださいな
 だから お願い かかわらないで
 私のことは ほっといて♪

 真実だと思う。
 人はそれぞれ違うのに、違う人間を排除したり、自分たちと同じようにしようとする。
 人は他人の主体性を変えられないし、変えようとしてはいけない。
 そこには服従と被服従の関係しかないし、こじれたら争いが起きる。
 だから、人はそれぞれ違うのだと思って、お互いを尊重し、放っておけばいいのだ。

 ドラマとしては好き嫌いが分かれるところでしょうか。
 設定と、はらちゃんのキャラについて行けなければアウト。
『ビブリア古書堂』の栞子さんみたいな主人公が好きな人には、はらちゃんはウザすぎる。
 物語の舞台も三浦海岸か。
『ビブリア古書堂』の鎌倉と比べたら、完全に漁業と生活の町で情緒ゼロ。
 堂ヶ島に通じる大きな橋が印象的なくらい。
 面白かったのは、紺野清美(忽那汐里)。
 忽那汐里ちゃんを<悪魔>と呼ぶなんて!
 逆にこれが新鮮。
 忽那さんは根は純だけど、表面はツッパっているという役はハマりますね。


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