チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

テイチク「クラシック・ベスト・コレクション」~知られざる指揮者たち(1971年)

2015-01-18 17:54:47 | メモ

昭和46年の『日刊レコード特信』(レコード小売店向け雑誌)から、テイチク洋楽グループの広告です。
クラシック・レコード界に「1000円ブーム」を到来させたテイチクの大攻勢!



でも曲目は確かにみんな人気曲ですが、指揮者の名前を見ると、下のほうの「歴史的名盤」を除いては自分が知っているのはギュンター・ヴァント、ハンス・シュミット=イッセルシュテットくらいで、残りは??

ネットでちょっと調べたくなりました。


まず、この広告で一番多く名前が出るハンス=ユルゲン・ワルター(Hans-Jürgen Walther, 1919- )。廉価盤の王?

↑ ワルターの白鳥の湖



ヴィルフリート・ベッチャー(Wilfried Boettcher, 1929-1994)はブレンデルとモーツァルトの協奏曲などを録音しています。

↑ ヤノヴィッツの伴奏をしています!

 


ミラン・ホルヴァート(Milan Horvath, 1919-2014)は、クロアチアの指揮者。Wikipediaに「幽霊指揮者名義での演奏を実際に指揮している一人として知られている」とありますが、指揮界の新垣さんみたいなもん?

↑ マーラーの復活と悲劇的。ちゃんとご自分の名前を出されています。

 


ハロルド・ニューマン(Harold Newman) 詳細がわかりませんでした。

↑ 体が地面に完全に埋まってしまうのも時間の問題?

 


ナポレオーネ・アノヴァッツィ(Napoleone Annovazzi, 1907-1984)はイタリア出身。


主にスペインで活躍したオペラ指揮者。

 


アルトゥール・ヴァインベルク(Arthur Weinberg)。この指揮者についても情報があまりありませんでした。

↑ ハイドンの交響曲



ランドルフ・ジョーンズ(Randolph Jones)

↑ 自作の交響曲第1番"Southern Scenes"と"Prelude To Night"を録音しています。



ジョージ・ハースト(George Hurst, 1926-2012)はイギリス生まれの指揮者です。

↑ このCDの中でハチャトゥリアンの「チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ」を指揮しています。

 


ガボール・エトフォス(Gábor Eötvös)

↑ モーリス・アンドレとの録音。

 


アタウルフォ・アルヘンタ(Ataúlfo Argenta, 1913-1958)はスペインの指揮者。

これから、という時に事故(一酸化炭素中毒)で亡くなってしまったそうです。残念。


ロバート・シュテーリ(Robert Stehli, 1930年チューリヒ生まれ)。

↑ ニューイヤーコンサートの広告。



ワルター・マルティン(Walter Martin)

↑ このCDの中でエフゲニー・オネーギン、ホフマン物語からの数曲を指揮しています。



ヴィルヘルム・ブリュックナー=リュッケベルク(Wilhelm Brückner-Rüggeberg, 1906-1985)はドイツの指揮者です。

↑ クルト・ヴァイルの三文オペラ。このCD、有名ですよね!



フランコ・ヴェルテッツァ(Franco Vertezza)もあまり情報ないです。

↑ カルメンを指揮したCD。



最後に、ヴィンフリート・ツィリヒ(Winfried Petrus Ignatius Zillig, 1905-1963)はドイツの指揮者・作曲家で、Wikipediaによるとウィーンでシェーンベルクに個人的に教えてもらったそうです。相当すごい人!

↑ ツィリヒが大きいのか、シェーンベルクが小さいのか。。



。。。ということで結局、残念ながらどんな指揮者たちなのかネットではあまりわかりませんでした。ただ、無名な音楽家の録音を集めてきた「安かろう悪かろう」的なシリーズではないということはわかります。さらに情報を加えていきます。こうやって少しでも調べると録音を聴いてみたくなってきますね。

ちなみにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のヴィルヘルム・メルヒャー(Wilhelm Melcher, 1940-1995)はメロス四重奏団のヴァイオリニストでした。ソロとしても活動していたんですね。


第一回大阪国際フェスティバルのオープニングとレニングラード・フィル(1958年)

2015-01-17 00:08:35 | 来日した演奏家

大阪国際フェスティバルの記念すべき第一回目は「大阪国際芸術祭」という名前でした。


1958年4月10日(木)午後7時、朝比奈隆指揮、ABC交響楽団と関西交響楽団演奏の「君が代」で開幕。新築の新朝日ビル・フェスティバル・ホールには内外の3000人が詰め掛けたということです。

↑ 全員起立で君が代。

 

↑ 君が代に続くオープニング・コンサートでは近衛秀麿指揮で「マイスタージンガー序曲」が、朝比奈隆指揮で「皇帝円舞曲」が演奏されました。

オープニング・コンサートに続いて、ニューヨーク・シティ・バレエ団による「檻」(The Cage)上演。音楽はストラヴィンスキーの「弦楽のための協奏曲」。


↑ わーぉ。主演はメリッサ・ヘイドン(Melissa Hayden, 1923-2006)。


↑ メリッサらは再三のアンコールに挨拶しました。大成功!



さて第一回フェスティバルの最大の呼びものはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の演奏会。4月15日(月)夜、フェスティバル・ホールにてアレクサンドル・ガウク(Aleksandr Gauk, 1893-1963)の指揮でグリンカ「ルスランとリュドミラ序曲」、チャイコフスキーの交響曲第4番等が演奏されました。

↑ ↓ ガウクの指揮。



↑ 第4交響曲が終わって鳴り止まない拍手にチャイコフスキーの「雪姫」、「白鳥の湖」よりアンコール曲が演奏されたということですが、当時のソ連のオーケストラにはアンコール演奏の習慣はなく、異例なことだったようです。

なお、このときの演奏がCD化されたようです。ちょっと高いけど聴いてみようかな?

 

↑ 辻久子さんから花束を受け取ったコンサート・マスターのシュピールベルク。

朝比奈隆さんの感想:「従来のスラブ民族の大陸的なノンビリした感じでなく、むしろ西欧的、近代的な厳しさを感じた」。



↑ 朝日ジュニア・オーケストラの演奏する日ソ両国国歌に迎えられる、ソ連のジェット機2機で来日したレニングラード・フィル。

◎印左からアルヴィド・ヤンソンス、ガウク、団長ポノマリョフ、ロストロポーヴィチ。ガウクの右のクルト・ザンデルリング(ですよね?)が何故か無印。。

 

。。。第一回目のフェスティバル、なんかすごく熱気がありましたね!(以上『アサヒグラフ』1958年4月27日号より)


実現直前までいったシゲティとギーゼキングの日本での共演(1953年)

2015-01-13 22:10:39 | 来日した演奏家

1953年(昭和28年)にシゲティとギーゼキングの二人は偶然、同時に来日していました。

まずヨーゼフ・シゲティ(Joseph Szigeti, 1892-1973)は毎日新聞の招きで1953年2月28日午後2時、ピアニストのカルロ・ブソッティ(Carlo Bussotti, 1922-2002)と共に羽田に到着しました。21年ぶり、(おそらく)3度目の来日です。
3月5日初演奏を皮切りに2か月間各地で演奏会を開きました。

↑ 演奏第一日のシゲティ。3月5日日比谷公会堂。『藝術新潮』1953年4月号。

この1953年3月5日にモスクワでプロコフィエフが亡くなっています。(スターリンの命日でもある)

シゲティはプロコフィエフの大の友人であり、プロコフィエフの追悼のために東響との演奏会での曲目を変更し、故人のヴァイオリン協奏曲第1番を演奏したそうです。追悼にはピッタリの曲!自分が聴衆の一人だったら冒頭から泣いちゃいますね。この日の録音は無いんでしょうか?(演奏日調べ中→4月7日だということが沼辺信一様のコメントで判明しました。ありがとうございました!)


一方、初来日のヴァルター・ギーゼキング(Walter Wilhelm Gieseking, 1895-1956)は読売新聞の招きによりアンナ・マリア夫人とマネージャーのアンドレ・プリア氏を伴い、パリからSAS機で3月13日午後6時10分に羽田に到着し、マンフレート・グルリット氏らの出迎えを受けました。

3月16日の日比谷公会堂が初演奏です。

↑ 『音楽芸術』1953年5月号より

 

そしてなんと、この二人の共演が実現しそうになったそうなんです。(ブソッティさんの立場は。。?)


以下、音楽之友1953年6月号の記事です。

「シゲティ、ギーゼキングの両氏が"世紀の二重奏"の名の下に九分通り実現するところまで行きながら、あと一息というところで壊れ、全国ファンを失望させた。

二人の巨匠は、もともと国籍を異にしているが旧知の仲、25年前ニューヨークで共演して以来絶えて顔合わせの機会がなかったが、たまたま日本で落ち合ったので、この企画が持ち上がったものである。

朝日麦酒社長の山本為三郎氏(1893-1966、1955年に東響の理事長に就任)が、最初から非常に熱を入れて交渉した結果、初め難色を示したシゲティ氏も承諾し、曲目もベートーヴェン作曲「クロイツェル・ソナタ」他と決まった。10日夜日比谷公会堂からラジオ東京が中継、中部日本、新日本放送にも流すこととなり、宣伝の手はずもすべて整い、切符やポスターも出来上がって、発表するばかりになっていたところへ、シゲティ氏は毎日新聞を通じて、出演を断ってきた。理由は各地の演奏旅行で非常に疲れたこと、練習の時間がないことの二つである。その裏には両氏を招いた毎日、読売両新聞社の複雑な事情がありと一部で取り沙汰されている。」


。。。世紀の二重奏が実現しなかったのは残念ですが、偶然同時に来日しているからって共演が企画され実現直前までいったこと自体が驚きです。

 

↑ ブダペストのシゲティとバルトーク(Szigeti, Bartók)


1957年に来日する予定だったショスタコーヴィチ

2015-01-10 20:59:04 | 来日した作曲家

「音楽之友」1956年8月号にショスタコーヴィチが来日を承諾したという記事がありました。

↑ 当初は1956年の年末に来日予定だったんですね。

 

同10月号では翌1957年の4月頃と、早くも予定が延びています。

各地で講演会やピアノ・リサイタル。。楽しみに待っていた人も多かったでしょうね。

 

若干暗雲が。「日ソ親善協会の不手際」とは? 『音楽芸術』1956年12月号。

 

 

ですが、『音楽之友』1957年3月号ではけっこうまだ期待で盛り上がっています。こりゃ来るわ~!

 

↓同じ号の年表には気が早いことに既に来日予定が入っています。

 

↓ 関連書籍も普段よりは売れたんでしょうね。。

 

 

。。。それなのに、残念ながらショスタコーヴィチの来日はとうとう実現しませんでした。

日本でピアノ演奏してもらいたかった。(どっちにしろ自分は生まれてなかったけど。。)

たぶん「当分延期」のままフェードアウトしちゃったんでしょうね。

↑『音楽芸術』1957年5月号。これ以降来日に関する記事は探した限りありませんでした。


属啓成著『ベートーヴェンの生涯』(1942年)

2015-01-10 17:11:23 | 音楽の本

音楽学者・評論家の属啓成(さっかけいせい、1902-1994)氏の『ベートーヴェンの生涯』(三省堂発行)という本です。根性すわってる表紙に惹かれて古本屋で1,080円で買ってきました。安いのか高いのか?

本を開いてまず驚いたのは72ページもある口絵の121枚の写真。属氏が自ら撮影した写真もけっこうあります。


↑ 第九を書いた家。著者撮影。

↑ 第九を完成した家。現在でも様子は変わっていないんでしょうか?

この本のいいところは単なる伝記ではなく、テーマ別に章が分かれているところです。読みやすい。
(家族、師、交遊、聾者となるまで、ベートーヴェンが演奏した演奏会、風貌と肖像画、ベートーヴェンと自然、住所と遺跡、年代表、ベートーヴェンの伝記についての各章)

このうち、「住所と遺跡」の章は属氏の実地取材による独自の研究であり、旅行者のためのガイドブックにもなっています。

それぞれの記述がかなり詳細にこだわっていて、まるでベートーヴェン百科事典です。属さん、もう完全にベートーヴェンおたく!



初版発行は昭和17年。戦時下の紙不足のなか、よくもこんな立派な本が出せたものです。紙の質も悪くないです。しかも、この本は「発売一週間にならぬ中に、既に倉を空にした」(再版の序より)そうです。戦争中なのにベートーヴェン本の熱心な読者がたくさんいたんですね。