折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

泳いだのは何時の事

2020年09月02日 | 


「植木鉢のサルスベリ」





夜この記事を書いていたら、突然書きかけの文章が消えてしまい大慌てで探していました。やっと見つけた時にはすでにアップされていて「コメント」や「いいね」までいただいていました。中途半端な記事を見ていただいた方、ごめんなさい。改めてアップさせていただきました。大連のスケッチが見つからなくて、あせっていたようです。結局目的の絵は見つからず、スケッチブックに残っていた絵をアップしました。

では改めて。
猛暑が一服してホッとするとともに、今年の夏は山にも海にも行かなかったなぁと思っていました。
そんなことを考えていたら古い友達から電話がありました。
「こっちにいいプールがあるから泳ぎに来ない?」と言います。
「ずっと泳いでないし、水着もないわ」と私。
「買ったまま着てない水着があるの、痩せたから着れないの、よかったら着て」
「Lサイズじゃ私には無理よ、ムーミンママスタイルなんだからLLよ」
彼女は大笑い。昔の私しか思い浮かべられなくて信じられないようです。
昔々高校生の時、水泳部でもないのに学校のプールで彼女とよく泳いでいました。運動神経ゼロの私なのに平泳ぎだけはできたのです。痩せて真っ黒でスタイルなどはちっとも気にならず泳ぐことが楽しくて仕方がなかった頃です。
「窓から男の子が見てたよね」
「そうだったかなぁ~」というのは私。覚えている彼女はモテモテの人でした。
それからも夏になると泳ぎたくてたまりませんでした。
それなのに泳ごうと思わなくなったのはいつからかしら。太ってしまい今迄の水着が着られなくなっても買い直すほどの気持ちがわかなくなった頃、60歳をいくつか過ぎた頃のようです。


最後に泳いだのは多分2004年の夏、夫が赴任していた大連の海水浴場だと思います。有料の海水浴場でしたが朝7時までに入れば1日いても無料。7時を過ぎると高額の外国人料金を請求されます。近所の中国人のご夫婦と一緒に宿舎で水着を着てワンピースを羽織って、そのままバスで2区先の星海公園の海水浴場へ。戦前は日本人専用の海岸だったとか。そんなことを聞くと少し心が痛みます。無料の時間は脱衣場が無いので交代で持ち物の番をして、泳いでは流れて来る昆布を拾ってみんなで分け合って、宿舎で醤油と砂糖で煮て食べましたが、懐かしい日本の味でした。中国人のオバサンが煮た昆布を届けてくれたものは油と香辛料がせっかくの昆布の味を消してしまっている気がしました。

友人の電話を切ってから、久し振りに懐かしい想い出に浸ってしまいました。





2003年大連の海 海水浴場はもう少し町に近い所・後ろの黒い小さなボートは漁船
桟橋らしいものは無くて付き出た岩に横付けして積み下ろししてました

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