ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.18 ハーセプチン106回目

2010-08-18 20:04:21 | 治療日記
 今朝も早朝から暑い。最近、明け方目が覚めると、その後眠れないのですっかり早起きだ。
 今日は1台早い電車に乗れて病院にはいつもより15分近く早く到着した。それでも最寄り駅に着いた頃には早くも強い日差しが照りつけており、病院に着くと、汗だくだった。
 受付後30分ほどして中待合に入り、それからほどなく診察室へ。今日は女性の研修生さんが一人同席されていた。この一週間特に悪化しているというわけではないが、胸周辺の圧痛と鈍痛は相変わらずであることと、右の肩甲骨周りが痛むことをお話した。五十肩なのかどうか。来週はレントゲン後の診察だ。
 予定通りハーセプチン点滴のために、処置室へ移動。窓側の点滴椅子は既にいっぱいでカーテンに囲まれた内側の椅子を確保。小一時間で薬が到着した。
 先週のシステムトラブルは夜半に復旧し、看護師さんたちは翌日、入力し直したそうだ。化学療法の処置室には看護師さんが4人いらっしゃるが、ここのところ交代で夏休み中の様子。今日は3人体制だった。
 今日は椅子を一番リクライニングして針刺。やはりちょっと痛かった。その後、順調に開始、血圧も普通どおりで無事終了した。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は、橘木俊詔さんの「日本の教育格差」(岩波新書)。「親の『格差』が子どもにも・・・増大する教育費、疲弊する家計 いま、教育の機会は平等か?」という帯。「人がどの程度の教育を受けたかは、その人のその後の人生にかなりの影響を与える。質の高い教育を受けた人は良い職業に就き、高い所得を受ける可能性が高まる。・・・教育機会の格差は、人生における結果の格差につながる問題である。こうした教育に関する格差の実態や要因、それがもたらす問題を検証するものである。」というはしがき。学歴社会の実相、家庭環境の影響力、学校教育の進展と新たな格差、不平等化する日本の教育、教育の役割を問う、という章立て。事実だろうが、やりきれなく思う部分も多々あった。終章の「人が自由に希望する教育を受けたいと望むなら、社会はできるだけそれに応じることの出来るような制度づくりと政策を講ずる必要がある。そこには生まれながらの能力差や努力の差も絡んでくるので、ある程度は教育格差の生じることもやむをえない側面はある。しかし、人が教育を受けたことにより生じる様々な職業、労働条件、所得などの格差は、有能な人が社会に貢献するという事実に敬意を払いつつも、出来るだけそれを大きくしないような体制や政策も必要であると考える。」というのが著者の主張だ。
 2冊目は有川浩さんの「阪急電車」(幻冬舎文庫)。鉄男の母だから選んだ、というよりも有川さんなら面白いに決まっている、と手に取った。「ほっこり胸キュンの傑作長編小説」と裏表紙にあるとおりとても楽しめた。読書好きで有名な俳優・児玉清さんの解説ですべて言い尽くされている感じ。有川さんご本人もお住まいになっていたという阪急今津線のなんともいえぬほのぼの感にとても癒された。
 3冊目は村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」(文春文庫)。帯には「少なくとも最後まで歩かなかった。小説家としてのありよう、創作のひみつ、そして『僕という人間』について、真正面から綴った、必読のメモワール」。よしもとばななさんが日記でこの本についてコメントされていたのを思い出した。小説を書いているとどうしても体を動かさなければいけない感じになる、だから春樹さんが“走る”ことがよくわかる。自分にとってはそれがフラだ、といったことだったと思う。確かにずっとずっと専業作家として書いていくということは本当に大変(これまたボキャブラリーの貧困さが情けないのだが)なことなのだ、と思う。

 今日は会計受付番号がなんとスリーセブン!何かいいことがあるかもしれない、と思ったけれど特に変わったことはなし。先週の未払い分も自動支払機で大丈夫なのかと思ったが、今日の分しか請求がなかったので、再度窓口に行き、清算してもらうことになった。
 病院の外に出ると、本当にじりじりと焦げそうな暑さ。
 今日はランチタイムにしっかり水分もとり、帰宅した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする