ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.21 球児の夏に想う

2010-08-21 22:19:50 | 日記
 中学・高校時代はブラスバンド部に所属してクラリネットを吹いていた。
 当時「都立の星」と言われて甲子園に一番近かったが、設立間もなくブラバンがなかった若い都立高校に依頼されて、西東京大会の決勝戦、神宮球場まで友情応援に行ったこともあった。その時応援した都立高が負けてしまったことだけは覚えていたのだが、調べてみると相手は強豪の私立高校でスコアは15対10だった。
 それにしても夏の暑い盛り、木管楽器を炎天下に晒すなど、本当に暴挙以外の何物でもないのだが・・・。

 どうも“甲子園”と聞くと単純に血が騒ぐ。
 さすがに社会人になってからはテレビにかじりついてずっと観戦するわけにもいかないけれど、高3の夏、受験生であるにもかかわらず、「とにかく今年は高校生最後の年だから、第1試合から決勝戦まで全試合を見よう」と自分に課して、ひたすら朝から夕方までテレビの前に鎮座ましましていた記憶がある。よくその間、何のスケジュールもなく達成できたものだ。部活の練習はどうしていたのだろう。母も何も言わなかったのも凄い。(私が母だったらとてもとても黙っていられない、と思う。)そのせいで、仮性近視が悪化・・・、というとんでもないおまけまでついて。
 受験勉強のためでなく高校野球の見過ぎで視力低下、というのは受験生にとっては恥ずかしいものである。

 今では巨人軍の監督である原さんが、東海大相模で活躍していた頃から高校野球が好きだった。夫と息子は熱烈なジャインツファンだが、私はプロ野球には全く興味がない。とにかく何が起こるか分からない、波に乗ると信じられないような凄い力が出る、そして反対に崩れ出すと本当に脆く、なすすべもなくなるあの高校生っぽさが、たまらなく好きだ。

 今や高1のピッチャーといえば、息子と1つしか違わない。そんな子があれだけの大観衆のマウンドで体中にプレッシャーを受けながら孤独に投げ切る・・・凄いことである(息子と比べては失礼かもしれないが・・・)。
 それにしても、憧れのお兄さんがやっていたものが、いつの間にか同級生となり、弟たちになり、ついに息子になった・・・、とは。時の流れを実感する。

 息子の通う学校もこれまでニ度ほど甲子園に出場したことがある。7月の終わりには全校応援の呼び出しもあるのだが、息子は「暑いしだるいし・・・」と言って出かけたことがない。誰に似たのだか、実に軟弱である。
 息子の在校中に万一甲子園行き、などという快挙があれば、団体バスに乗って私の方が行ってしまいそうである。

 球児の夏に幸あれ、と思う。

 夕方、息子は無事にキャンプから帰還した。仕事を終えた夫と2人揃って出迎えることが出来た。5泊6日は初めてだったので、長いかと思ったけれど、あっという間だったとのこと。宿題も持って行ったけれど、とてもやる暇はなかったそうだ。炊事に買い出し、川遊びに打ち上げ花火、なかなか家では出来ないことのてんこ盛りの6日間だったようだ。それでもリーダーから小さい子たちの面倒を見て、いろいろ頑張ってくれました、と聞いてほっとした。

コメント
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