ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.27 臓器移植を考える

2010-08-27 05:53:45 | 日記
 こんな大きなテーマを大上段に構えて論ずるつもりなど全くないのだが、最近、脳死判定後、本人の意思確認がないまま、家族の承諾だけで臓器移植が実現したというケースが続いたことで、我が家でも夕食の時に話題にのぼった。

 残念ながら、私は再発乳がん治療のため抗がん剤治療中である身ゆえ、臓器提供はできない。
 かつて職場で意思確認のための小さなカードが配られたことがあったけれど、机の中に眠っている。
 夫に聞いてみたところ「(あげられるものは全部で)いいんじゃない?」とのこと。息子は「目ん玉以外はいいよ。」だそうだ。(なぜ眼だけは嫌なのかは具体的に言っていなかったけれど・・・ゲゲゲの鬼太郎のお父さん効果だろうか。先ほど確認したら「もちろん死んでしまえば目は閉じているかもしれないけれど、もし誰かがふとまぶたを開けたときにがらんどうだと気持ち悪いじゃん!」だそうだ。なんとも不謹慎な!怪奇漫画の読みすぎではないか。)
 ちょっと意外な感じもしつつ、二人の気持ちは一応分かった。
 けれど、万一、実際にそんなことが起こったら、私は冷静な判断ができるだろうか。・・・とても自信がない。

 もうこのまま決して助かることはない、と頭では解っていても、実際にはまだ温かい体にメスを入れ、動いている五臓六腑を取り出す、ということは遺された家族にとって一体どれほど辛いことだろう、と思う。
 それでも、どなたかの体の一部となってでも生きていてほしい、どなたかの役に立ってほしい、そうした気持ちでのことだという。

 私はもとから貧血気味だったから、病気になる前も献血すらできなかったけれど、こうしてみると、今や毎週の治療で所属する共済組合に多額の医療費の負担をして頂くばかりで、本当に誰かの役に立つことが何も出来ていないなあ、と唇を嚙む思いだ。

 ずいぶん前に「孤高のメス」という映画を見たことを思い出した。元気だった青年が不慮の事故で脳死状態となる。執刀医が「汚れのない肝臓でした。」と母親に告げるシーンがあった。監督はその台詞を主人公の医師に言わせるかどうか最後まで迷ったとのことだった。
 また「七つの贈り物」という映画もあった。7人の人を交通事故で死なせてしまった主人公の贖罪の話だった。臓器を待つ7人に対して、その人たちが善人だと判断した上で、主人公が生きながらひとつずつ自分の臓器を贈っていく、最後には生きた心臓を愛する人に送るため、自ら命を落とすというショッキングなストーリーだった。

 やはり、私にとって、今はまだあまりに重く、答えは容易には出せない課題だ、と思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする