ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.20 お迎えついでのセンチメンタルジャーニー

2010-08-20 06:13:59 | 日記
 明日には息子が帰ってくるし、夫が都心で仕事、ということなので鬼の居ぬ間に都心のホテルで1泊してリフレッシュすることにした。

 ホテルが開業して18年ということでその記念宿泊プラン。もうそんなに経つんだな・・と思う。ちょうどこのホテルが出来て間もなく、大学時代の合唱団の友人の結婚披露宴に出席した。私も既に結婚はしていたけれど、まだ息子がいなかった時代だ。その夏に旅行したタイでオーダーしたシルクのブラウス・スーツを着て行った記憶がある。
 当日のテーブルには同じ合唱団の友人がたくさん。既に3人の男の子のお母さんになっていた同期が隣席だった。お母さんになった友たちは皆、艶やかな着物姿だったのを覚えている。

 彼とはその後、年賀状だけのやりとりになってしまった。本当に達筆で、毎年の年賀状の筆文字を見るたびに感心していた。
 そして、40歳にもならずに亡くなった。多臓器不全だったと聞いた。同期の中では一番の年長で、長身でマッチ棒のように細かったけれど、何かにつけてまとめ役だった彼の死は本当に受け入れ難かった。
 もとから蒲柳のたちで、とは聞いていたのだが、結婚式の時のうんと年下の奥様との華燭の宴を思うと、「元気になってよかったね!本当におめでとう!!」という感じだったから・・・。

 私はあいにく息子の具合が悪く、葬儀には参列できず、夫に代わりに行ってもらったのだが、若くして未亡人になった奥様が気丈に前を向いて、本当に痛々しかったという。

 あれから10年あまり。
 同期に会って彼の話が出ると、「もうそんなに経つんだ・・・、それでもなんだかそのへんから見ているような気がするね。」という話になる。

 さて、遡って学生時代。このホテル近くに可愛いタルト屋さんがあった。通っていた大学から結構な距離ではあったが、休講の時など(自主休講もあったかもしれないが)、お散歩(!)して近くのカテドラルを見学して、お茶してくる、というコースが楽しかった。夫にそのことを話すと、それだけの距離をお散歩するなど、あり得ない、とのこと。そうして人は足から退化するのである。
 貧乏だったから、お茶も頼まず「お水とタルトだけ」という学生ならではの注文。お店からすれば実にご迷惑なお客だったのだろうが、尽きることのない他愛ないおしゃべりは本当に楽しかった。心の中でこの素敵なカテドラルでパイプオルガンの音を聞きながらヴァージンロードを歩きたい、と思った友人もいたに違いない。実際そこで結婚式をあげた合唱団内のカップルもいた。

 今夜はここに泊まった後、明日、近くを散策してみたい。当時を懐かしく思い出すだろう。あのタルト屋さんはまだあるのだろうか。もう場所すら探し出せないかもしれない。

 明日の夕方には、間に合えば夫と一緒に、息子の到着が予定より早くて、夫が間に合わなければ私が一人で息子のお出迎え。
 今回のキャンプの自己紹介シートでは、苦手なものには「お母さん」(!!)と書いてくれた息子は、夫の迎えの方が嬉しいのだろうか。
コメント
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