いつも愛読している毎日新聞の香山リカさんのコラム。今回もなるほど!と思うことが多かった。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
香山リカのココロの万華鏡
生きていること楽しもう /東京(毎日新聞2019年6月25日 地方版)
精神医学の学会に来た。「虐待をどう防ぐ」といった福祉に関連した話題から、iPS細胞を使った研究の話題まで、「こころの医学って幅が広いな」と改めて驚かされる。
この分野でも注目は「ゲノム解析」、つまり遺伝子に関する研究だ。そう聞くと「えっ、うつ病のようなこころの病気もやっぱり遺伝なの」と思う人がいるかもしれないが、話はそう簡単ではない。最先端の高度な技術で「ゲノムの変異が起きていないか」と分析をしてある結果は出ても、それと実際の症状や疾患との関連はさだかではない、という場合も多いようだ。
そう言うと、今度は「では、人間のこころは育て方などの環境で決まるのか」と考える人がいるだろうが、そうとも言い切れない。同じシビアな環境で育っても、重いこころの病気になる人もいれば、元気なままの人もいる。
いまのところ、「遺伝子の影響と環境の影響の両方が複雑に関係して、人間のこころが決まっていく」としか言いようがない。
それにもかかわらず、書店に行くと「子どもの脳はこうして決まる」というような決めつけをする本がたくさん出ている。私の患者さんの中でもそうした本を読んで、「私のうつ病が子どもに遺伝したらどうしよう」と悩んでいる人や、「3歳までの環境が大切と聞いて、子どもには音楽、英語、体操を習わせていて、もうヘトヘトです」などと言う人もいる。
これは私の経験から言うのだが、子どもにとって何より大切なのは、親がストレスを感じすぎず、ゆったりと生きていることなのではないか。遺伝を心配しすぎたり、環境を整えようと必死になりすぎたりして親が疲れきっている、というのが、いちばんよくないように思う。
もちろん、誰もが生活に追われるいま、完全にストレスから解放されるのはむずかしい。とはいえ、そういう中でも子どもといっしょにたまにはおいしいものを食べたり、好きな歌を歌ったりを忘れない。「みんながいてよかったね」という雰囲気が漂えば、それで多くの問題は解決するのではないだろうか。
人間のこころは遺伝だけで決まるのでもなければ、環境だけで決まるのでもない。やっぱり「どれだけ生きていることを楽しめるか」が大切なのだ。学会で最先端の研究に触れながら、そんなことを考えたのであった。(精神科医)
(転載終了)※ ※ ※
子どもを何人も育てたわけではないし、ようやく一人息子が新入社員として働き始めた、という私が偉そうなことは何も言えないけれど、子育てってやっぱり大変。そして同時に本当にエキサイティングな経験だった。
人を一人産み育て、社会に送り出すということは莫大なエネルギーを持っていかれるとともに、それに余りあるエネルギーをもらえることだと、今、振り返って思う。
息子が小学校3年生の時に病を得、6年生の時に再発転移をし、ここまで生き長らえることが出来たのは他でもない、息子という存在のおかげだとも思っている。彼が高校、大学と進み、成人式、大学卒業、社会人、ひとつひとつステップを上げていくのをこの目で見届けたい、という思いがあったからこそだろうと思う。
決していい母親であったとは思えない。最初で最後の子どもだったし、何分初めての母親業。一人っ子だったから、自分より小さい子の面倒を見たという記憶だって殆どない。従弟妹の数も少なかった。仕事と子育てを両立させようという思いだけは強かったけれど、一時は本当に共倒れ、という感じでもあった。
それでもいつも必死に環境を整えよう、出来ることはやってあげたい、と奮闘した(つもり)。
病気の治療が大変になってからは、息子にかかりっきりとも言っていられなくなったし、八つ当たりすることもあったと反省している。けれど、思うに、私が生きていることを楽しめるようになってからは事が上手く運ぶようになったとも思えるが、どうだろう。
可能な限り一緒に食卓を囲む、たまには美味しいものを食べる、一緒に旅行する、そして、家族揃ってよかったね、と言える。これはいつも有り難く思っていたことだ。もちろん仕事と同様に、家庭をとても大切にしてくれていた夫や、孫を慈しんでくれた両親、義母らの存在も大きかったことは言うまでもない。
人生、楽しんだ者勝ち!という標題にはしたが、もちろん人生に勝ち負けなどない。けれど、一度しかない人生、楽しまずして終えるのはどう考えてももったいない。楽しまずして何が人生ぞ。病気だってなんだって今、この瞬間の人生を楽しむことは出来る。
夫が、「貴女の家系はがん体質だね(母が直腸と腎臓、母方の祖父が胃と肺、そして私)。」と言うから、まあ遺伝を考えれば息子のことも心配ではある(いつだったか、息子が中学生の頃、胸になんだかしこりを見つけて、「僕もお母さんと同じなのではないか。」と涙ぐんで夫に相談した、と聞いた時は胸が潰れそうになった。もちろんなんでもなかったので、今の彼があるのだけれど、その時は決して笑い飛ばせなかった。)。
けれど、かたや夫の一族郎党にはそういう体質遺伝はなく、テロメアが非常に長いと感じる、長寿で頑強な家系である(皆が90の大台を楽にクリアしつつある。)
それを考えると、息子にはこと健康に寄与する夫の遺伝子が強く作用してほしい、と願うばかり。
何はともあれ、遺伝も環境も、生きていれば心配事は多々あるけれど、それもひっくるめて我が人生なり。
相変わらずお腹はいつも緩いし、手足の痺れや痛みはあるし、家にいてスリッパが脱げそうになって躓き、足の爪にひっかかって剥がれそうになったりというトホホなこともある。
けれど、だからこそこれからも一日一日をいとおしみつつ、楽しんでいこうと思う夜である。
件の息子、昨日初めての泊まり勤務を経験して午前中に帰宅したという。そして先日受験した簿記の試験(1回目のみ会社が受験料を負担してくれるそうだ。)を無事クリアしたというサクラサクメールのスクリーンショットが届いた。良かった、良かった。
帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。真紅の薔薇が6本、ラベンダーのような紫色のモンタナが2本、ソケイが1本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「変わらぬ愛」、「可憐」だという。背の高いガラスの花瓶に差したらとても綺麗。
薔薇は1本別にして洋花が好きだったという義父の仏壇へ一輪挿しにして供えた。