日本の棚田

日本の棚田・長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください

九州東部の棚田巡り(大分県・別府市の「内成棚田」

2019年03月30日 00時00分29秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは大分県・別府市・内成です。

「内成棚田」です。棚田百選の一つです。

日南市から一気に別府市に戻ってきた。

別府市の南端の内成棚田はとにかく広く、太郎丸、勢場、梶原、中の迫など
9集落に広がっており 棚田の枚数は千枚。
まさに千枚田。これを三十戸で維持する。
広くて全体を写真では写せない。

高齢化も進む地である中、営まれている棚田の農業です。

長い間「九州東部の棚田巡り」を見て頂きありがとうございました。

今日で終わりです。

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・日南市の「坂元棚田」

2019年03月28日 00時00分26秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・日南市・酒谷甲・坂元です。

「坂元棚田」です。棚田百選の一つです。

昭和3年から10年にかけて開田され、田は整然とした長方形であり近代的なイメージであるが、
石積は小さな石と大きな石を割って積み上げられ荒削りで、素朴な温かみがある馬耕を前提とした棚田である。
人間と動物(牛・馬)の共同で、激しい労働の中に耕作したものであり、
日本で最後の形態であり重要な文化遺産として高い価値と云える。

この地に来たのは12年ぶりである。

第12回 全国棚田(千枚田)サミット」が、平成18年10月6日-7日に開催された。

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・日南市の「飫肥城跡」

2019年03月26日 00時00分11秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・日南市・飫肥(おび)です。

「飫肥城跡」です。

南北朝時代、土持氏によって築城されたとされる城。戦国時代は伊東氏と島津氏の間で城の覇権争いが続いた。

1588(天正16)年に豊臣秀吉の命で、伊東祐兵が入城。

初代藩主となって城下の建設に取りかかり、伊東氏は明治初期まで約280年間、14代に渡って飫肥藩を治めた。

日本百名城のひとつです。

武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・西米良村の「向江棚田」

2019年03月24日 00時00分23秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・西米良村(にしめらそん)・上米良です。

「向江棚田」です。棚田百選の一つです。

起源は奈良時代にさかのぼるという。

西米良村は平家の落人伝説があり、南北朝時代の懐良親王にもゆかりがある古い歴史をもつ土地だが、そのはるか以前から、この棚田は人々の暮らしを見つめてきたのだろう。

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・西米良村の「春の平棚田」

2019年03月22日 00時00分17秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・西米良村(にしめらそん)・竹原です。

「春の平棚田」です。棚田百選の一つです。

椎葉村から隣の西米良村に来た。宮崎県内では最も総人口の少ない自治体である。

谷が深く平地が無いため、集落は尾根の緩斜面を見つけるように形成されている。

平安末期、「壇ノ浦の戦い」に敗れた平家が椎葉に逃れたことは有名ですが、その一部が米良に入山し隠れたといわれています。

この時の流れを引き継ぐ姓が、「那須」、「右田」と言われています。

はるかな古代に思いをはせながら、営々と耕されてきた石積みの棚田を見ていると、悠久の時の流れを感ぜずにはいられない。

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・椎葉村の「鶴富屋敷」

2019年03月20日 00時00分15秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・椎葉村・下福良です。

「鶴富屋敷」です。

那須大八郎の妻となった鶴富姫の住まい「那須家住宅」です。

およそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士たち。追っ手を逃れて、各地のふところの深い山奥へ。

道なき道を逃げ、平家の残党がようやくたどりついたのが山深き椎葉だった。
しかし、この隠れ里も源氏の総大将頼朝に知れ、那須与一宗高が追討に向かうよう命令される。
が、病気のため、代わって弟の那須大八郎宗久が追討の命を・・・

こうして椎葉に向かった大八郎、険しい道を越え、やっとのことで隠れ住んでいた落人を発見。
だが、かつての栄華もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念。

幕府には討伐を果たした旨を報告した。

普通ならここで鎌倉に戻るところだろうが、大八郎は屋敷を構え、この地にとどまったのです。

やがて、平清盛の末裔である鶴富姫との出会いが待っていました。・・・

いつしか姫と大八郎にはロマンスが芽生えました。

 

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・椎葉村の「八重の棚田」

2019年03月18日 00時00分17秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・椎葉村・松尾・下松尾・八重です。

「八重の棚田」です。

「仙人の棚田の展望台」から見えた棚田です。渓谷を渡って来ました。棚田の枚数は約150枚。棚田自体は、約150年ほど前、当時の庄屋と地域住民が一体となって、 約4Kmにも及ぶ水路を開拓したそうです。

八重地区の家々は密集しておらず、ポツリポツリと点在。
なぜこんなに離れて住居を構えたのだろうと思うほど、家々は点在。
本当に平家の落人が隠れ住んでいて、いつでも逃げれるようにしていたのかなぁ?と想像してしまう

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・椎葉村の「仙人の棚田」)

2019年03月16日 00時00分35秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・椎葉村・松尾です。

「仙人の棚田」です。

日本三大秘境と呼ばれる、宮崎県・椎葉村です。

「仙人の棚田の展望台(標高約750m)」から、対岸に見える棚田の風景は、天空に浮かんでいるように見え、まるで仙人が住んでいるかのように思われることからいつしか「仙人の棚田」と呼ばれるようになりました。
150年ほど前まではこの近辺でも嫁に行かすなと言われたほどの、生活困難んな場所だったようです。

元々が、平家落人がたどり着いた人里離れた深い深い山中。

この展望台までの道のりは、急坂で道幅が狭く約6Kmで半端ナイ。

 

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・椎葉村の「十根川の棚田」)

2019年03月14日 00時00分11秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・椎葉村・下福良・十根川です。

「十根川の棚田」です。

利根川集落の上に棚田がありました。

険しい斜面に石垣の棚田があります。

 

利根川集落の下にある棚田です。

稲刈りが終わり、天日干しの最中です。

椎葉村では古くから、農作業をお互いで助け合う「かてーり」という相互扶助の精神があり、こうした絆が田畑や森林、文化を守っている礎となっています。

 

 

 

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九州東部の棚田巡り(宮崎県・椎葉村の「十根川重要伝統的建造物群保存地区」)

2019年03月12日 00時00分34秒 | 九州地方の棚田

昨年9月のマンドリン演奏会は満席で盛況のうちに終わった。

そのご褒美で9月後半に九州東部(大分県と宮崎県)の棚田を巡りました。

その報告です。

 

ここは宮崎県・椎葉村・下福良・十根川です。

「十根川重要伝統的建造物群保存地区」です。

椎葉村の主要集落から、谷筋を北へと入ったところに利根川という集落がある。標高550メートルほどの山の中腹に位置するわずか十数戸と小さな集落ではあるものの、石垣で築かれた狭隘な土地に「椎葉型」と呼ばれる細長い平面の主屋をはじめ、馬屋や倉といった附属屋などの伝統建築が建ち並んでおり、幾重にも折り重なったまるで城塞のような石垣や、傾斜が緩やかな低地に拓かれた田畑、周囲を取り囲む山林の風景などと相まって、椎葉村を代表する特異な山村景観を目にすることができる。平成10年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

 利根川集落の景観を特徴付ける石垣はいずれも規模が大きく、中には高さ約4メートル、長さが40メートルに渡るものもある。

 

 

 

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