5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県北杜市須玉町小倉です。
「小倉の棚田」です。
この地には八ヶ岳山麓の清里に源を発し、釜無川に注ぐのが須玉川が流れています。
この流域にほ場整備した棚田が規則正しく並んでいます。
八ヶ岳連峰の権現岳(標高 2715 m )が見えて来ました。
山頂に八雷神(やついかずちのかみ)の権現社が祭られていることから、権現岳という名前がついたとされています。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県北杜市須玉町小倉です。
「小倉の棚田」です。
この地には八ヶ岳山麓の清里に源を発し、釜無川に注ぐのが須玉川が流れています。
この流域にほ場整備した棚田が規則正しく並んでいます。
八ヶ岳連峰の権現岳(標高 2715 m )が見えて来ました。
山頂に八雷神(やついかずちのかみ)の権現社が祭られていることから、権現岳という名前がついたとされています。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県北杜市明野町浅尾です。
「浅尾の棚田」です。
ほ場整備された大きな田んぼが横たわり、八ヶ岳連峰が見えます。
頂上が見えるのは八ヶ岳連峰の最南端に位置する標高2,524mの編笠山だけです。
裾野が長いです。
ほ場整備された大きな田んぼの畔に稲床が長く置いてあります。
今日にも田植えを行うでしょうか!
本来であれば甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山が見えるのですが、雲の中。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県・甲斐市・吉沢(きっさわ)です。
「吉沢の棚田」です。
田植えが終わったばかりです。
この地区には「亀沢の棚田」、「御領の棚田」そして「吉沢の棚田」の三つの棚田が1本の並んでいる。
それぞれ趣きのある棚田である。「吉沢の棚田」はひっそりとした棚田です。
お隣 (約200m)の棚田は保存会が田植えや草刈り、稲刈りなど棚田での水稲耕作に加え、
過去には野外コンサートや舞踏公演などのイベントを開催し、
この棚田を知ってもらうための活動にも力を注いできました。
なかでも、毎年お田植え後に開催している「棚田ろうそく祭り」は、
一夜限りのイベントにも拘らず市内外から多くの人が訪れ、その美しさに心を和ませています。
「亀沢の棚田」は綺麗な石積棚田です。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県・甲斐市・亀沢です。
「亀沢の棚田」です。
徳川幕府から許可をもらって開墾したと言われる歴史のある棚田です。
亀沢川沿いの傾斜地には古くから小さな田んぼが何枚も作られ、
千枚田とも呼ばれています。
かつて「3町歩800余枚」を超え、その規模と景観の美しさは関東随一と言われ、
観光の名所として昇仙峡と併せて広く知られていたと言われています。
立派な石積みの棚田です。
今まさに、代掻きの最中です。
茅ヶ岳(かやがたけ)(標高は1,704m)の凸凹が見えます。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県・甲斐市・吉沢(きっさわ)です。
「御領棚田」です。
山梨県甲斐市の北部、昇仙峡入り口にあり、天正11年(1583年)に徳川家康より天沢寺に賜った
「御朱印」を受けて急斜面の地帯を開発した歴史を持ち「御領」の田と呼ばれました。
農民による困難な急傾斜の山林の開拓により今の棚田が生まれました。
幕府の検地による年貢米の取り立ては大変に厳しく、 棚田は年貢の取り立ての区分は「下々田」
(田の肥沃度で上田、中田、下田、下々田に区分)でした。
現在は約800枚。耕作放棄が増えたため、2003年に地元の山梨県庁職員とOB、
旧敷島町役場職員が中心となり「NPO法人敷島棚田等農耕文化保存協会」が設立され、
景観の保全、周辺の耕作放棄田の整備、地主への耕作再開の呼びかけなど活動の結果、
現在約70%が棚田として復活しています。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県韮崎市穂坂町宮久保です。
「宮久保の棚田」です。
釜無川を渡り、茅ヶ岳南麓に来ました。
茅ヶ岳の緩斜面に大きな長方形の田が並んでいます。
甲斐駒ケ岳と鳳凰三山が見えるのですが・・・・・。
薄らと富士山が見えました。
電線が邪魔!!
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは 山梨県・韮崎市神山町北宮地です。
「わに塚の棚田」です。
山梨県北西部、韮崎市の釜無川の右岸、
なだらかに棚田の広がる一角に「わに塚の桜」があります。
推定樹齢約330年、幹周り3.6メートル、樹高17メートルの見事なエドヒガンザクラの1本桜。
「わに塚」を取り巻く田んぼは、田植えが始まりました。
田植えを終えた田んぼや、時期をずらして今から注水して 田植えをする田んぼもあります。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県韮崎市神山町鍋山です。「釜無川沿いの棚田」です。
釜無川沿いに緩やかな棚田が広がっています。
茅ヶ岳 (かやがたけ)が見えます。
大きな裾を延ばしている休火山である。姿が八ヶ岳に似ているので、「ニセ八ツ」とも言われている。
武田氏の初代当主・武田信義が、神山町に館(現:武田信義館跡)を構えたと伝わる場所。
つまり、韮崎市は「武田家発祥の地」です。
韮崎は武田家のルーツを語る上では欠かせない場所(武田八幡宮、新府城等)があります。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県南アルプス市上宮地(かみみやじ) です。
「上宮地の棚田」です。
ここも富士山が見えるのですが・・・・・あいにく・・・
甲府盆地が見える棚田です。
甲府盆地を囲む形で、北および北東側に関東(秩父)山地、その南側に御坂山地(みさかさんち)、
西側を赤石山脈の前山である巨摩山地(こまさんち)と、2000~3000m級の山峰がその高さを競うように並び立ちます。
甲府盆地内には赤石山脈を源流とする釜無川が北西から、関東山地を源流とする笛吹川が北東から、
この他にも多くの中小河川が流入して、たくさんの扇状地を形成しています。
5月の終わりに山梨県の棚田を巡った。
その報告です。
ここは山梨県南アルプス市平岡です。
「平岡の棚田」です。
この一帯は台地です。「市之瀬台地」と呼びます。
櫛形山の裾に広がる扇の形をした台地です。段丘になっています。
どこからでも甲府盆地を一望できる市之瀬台地。
櫛形地域は市之瀬台地周辺にしか水田がありません。
田植えが終わったばかりです。
捕植用の苗の束があり、秋の収穫した後に稲架(はさ)掛けの竹、
木を保管するトタン掛けがありました。