音楽の喜び フルートとともに

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2024-05-16 21:00:00 | バロック
知恩寺の手作り市に行ってきました。
MさんとGさんと行くはずだったのですが、前夜にGさんからLINE。
風邪ひいたのでお休みします。ということでMさんと私の2人で行くことになりました。




にぎわいはすっかり元に戻っています。


本物そっくりの食品サンプルのお店。
Gさんに頼まれた剥きかけみかんのキーホルダーを買って…任務完了。
イケメンの長ネギコースターをいつものGさんお気に入りのお店でおみやげに買いました。早く風邪治して欲しいです。
鴨川を渡って、高島屋でGさんの帰郷のためのお土産を買って、いつものコース、ブックオフに寄って帰りました。
今日の収穫。

昭和ガラスのフレーム、トマトのピクルス、ちりめん山椒、ウィリアム モリスのエコバッグ、老舗のたわし、パンダの背中バッチ、肉球フィナンシェ、イヤリング、スマホ入れ、楽譜バッグ、スクエア小物入れ、ペットボトルホルダー。これだけ買っても、大台に乗らず。楽しかった。

Mさん曰く。
「今のうちにやりたいことやって、欲しいものを買っておかないと、さきの事はわからないから。」

確かに!

マラン マレ(1656-1728)フランス帝国パリ生没

アンドレ・ブイの肖像画、1704
パリ南の貧民街で見習い靴職人の子供として生まれ、幼少の頃から音楽の才能を認められて1667年にはパリ第一の音楽教育機関だったサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の聖歌隊に入り、1672年までフランソワ・シャプロンなどのもとに教育を受けます。

聖歌隊を出た後、ヴィオールをサント=コロンブ( 1640-1700 年頃)のヴィオラ・ダ・ガンバ

ヴィオラ・ダ・ガンバ、フランス語でヴィオール
の著名な名手、作曲家)などに師事して、名手として知られるようになりました。

おそらくはリュリ門下の作曲家ジャン=フランソワ・ラルウェット

ラルウェット1651-1729年
などの手引きもあって、1676年にはパリのオペラ、そして1679年8月1日からはルイ14世(1643-1715年)


の宮廷のヴィオール奏者に任命されました。

作曲家としての名声も高くなり、1693年に最初のオペラ『アルシード』を発表し(リュリとの共作)、パリのオペラの作曲家、そして後には指揮者としても成功をおさめています。
晩年には、ヴィオールの優れた教師として知られました。

1676年9月21日に結婚した妻のキャトリーヌ・ダミクールとの間に生まれた19人の子供のうち、数人は音楽家として名声をなしました。

「パリの聖ジュヌヴィエーブの鐘」は、マラン・マレがヴィオール、ヴァイオリン、通奏低音付きチェンバロのために1723年に書いた作品です。

D、F、E のベースラインが繰り返されるパッサカリアまたはシャコンヌと考えることができます。

これはおそらくマレで最も有名な作品で、彼がサント・コロンブ氏の学生として学んだ楽器であるヴィオールのさまざまなテクニックを探求したものです

ヴィオールのパートは、マレがその楽器を熟知しているため、非常に困難です。
中心となるのはメロディーやヴァイオリンではなく、ヴィオールです。彼の作品は、必ずしもメロディーを持っているわけではありませんが、ヴィオラ奏者のスキルを披露するものであると考えることができます。

お寺には古今東西「鐘」が切り離せないもののようです。