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シューベルトが食べたかもしれないお菓子

2024-05-06 21:04:00 | ロマン派
3日は私は家でギターと合わせでしたが、夫と次男は和束町まで行っていたようです。

和束町ホームページより
和束町は「茶源郷」
宇治茶の里です。宇治茶の4割を生産しているそうです。

鎌倉時代に海住山寺にいた高僧「慈心上人」

が、茶業興隆の祖と言われる「栂ノ尾の明恵上人」から茶の種子の分与を受け、鷲峰山山麓

に栽培したのが始まりであると言われています。

また、天正年間(1573~1592年)には、和束郷原山の地に57アールほどの畑を開き、茶の実を蒔いたと言う記録が残されています。その当時は自家用に使われていたと言われています。

和束町原山の円形茶園
1700年中期からはお茶の栽培が増え、煎茶を専門にする農家が出始め、江戸時代中期からの茶保護施策により、和束茶業も一層発展し今日に至っています。
(和束町ホームページより)

ということで、

新茶の季節です。

茶団子は、煎茶、ほうじ茶、玄米茶味の3本。
もちろん、

バラして、刺しなおして三色団子にして

和束町の新茶と頂きました。

極楽、極楽…。

フランツ シューベルト(1797-1828年)神聖帝国オーストリア大公国リヒテンタール生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
ヴィルヘルム・アウグスト・リーダーによって描かれたシューベルトの肖像画(1825年)
がウィーンで通ったというレストラン
Restaurant zu den drai Hacken
 
今も営業しています。

お茶というより、カフェでもあるので、当時大流行りしていたコーヒーを飲んでいたと思われます。

お菓子のメニューの1番目には

キャラメリゼしたウィーン風カイザーシュマーレン、ローストプラム添えと書いてあります。今のカイザーシュマーレンは凝っています。

もともとのウィーン伝統のお菓子カイザーシュマーレンは、薄いパンケーキで、小麦粉、卵、砂糖、塩、牛乳を混ぜ合わせた甘い生地をバターで焼いて作ります。

卵白と卵黄を分け、卵白を固くつのが立つまで泡立てから、小麦粉、砂糖と混ぜた卵黄、ラム酒に浸けた干しぶどうを入れます。

パンケーキを焼いて固まりかけたら引き裂いて小片にして、粉砂糖をふりかけ、アップルソースやプラムソース、またはスモモ、コケモモ、イチゴやリンゴといった果物のコンポートを添えて温製でだされます。

シューベルトも食べたかもしれない…と思ってここまで書いたら、新事実発見!

カイザーシュマーレンのカイザーは皇帝の意味で伝説によるとフランツヨーゼフ一世皇后エリーザベト
新婚の皇帝夫妻

エリーザベト
が太らないために低カロリーのデザートばかり食べるのを気にして作らせたのがカイザーシュマーレン。

エリーザベトはこの栄養豊富なデザートを見て、やはり食べるのを拒否。
怒った皇帝は「「即席」シュマーレンshmarrnで作ったのか?」と皮肉を言ったそうです。
が、結局のところこのデザートを気に入り2人分を食べたそう。
たがらカイザーシュマーレンと名がつけられたとか。
この話は本当かどうか?わかりません。

本当ならシューベルトは食べたことがないです。フランツ一世が生まれる2年前に亡くなったから。

シューベルトは、お料理を作るのが好きで、野菜くずと牛肉とうまく炊いて友達に振る舞ったりしたそうです。
美味しいけれど余り物で作ったのを恥じてかレシピを教えなかったそう。

きれいに焼いたパンケーキをわざわざちぎってグダグダにして作るシュマーレンはシューベルトに似合っているように思えて…。

ハンガリーでは庶民がお菓子としてではなく、食事の代わりに食べていたそうなので皇帝の話しは後付けのような気がします。
知らんけど😅💦

シューベルトが天国の女神よりも現世のラウラの微笑みの方が嬉しいと歌う曲を作っています。
カフェでシュマーレンを彼女とたべながらシューベルトも至福の時を味わっていたのかも。

歌詞はルートヴィヒ ヘルティ(1748-1776年)神聖ローマ帝国ハノーファー生没


「至福」
数え切れないほどの喜びが
天国の広間に咲いている!
天使や聖者もいると
神父さんは教えてくれた
ああ、そこへ行って
永遠の喜びを得たいものだ

天国の女神が
だれにでも微笑みかける
ハープがなって、
みな踊り、歌うんだ
ああ、そこに行って
永遠の喜びを得たいものだ

でも僕はこの地上にいる事にする
ラウラが僕に微笑みかければ
一度のまなざしで
僕の嘆きは消え去ってしまう
だから僕は彼女と幸せに
永遠にここにいるんだ