電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

セレモニーホールが使えず寺院葬にしたら

2019年09月22日 06時03分26秒 | 季節と行事
地域の親族の葬儀で、セレモニーホールが予約で一杯で使えないため、やむを得ず自宅で葬儀、寺で告別式を行うことになりました。喪主の希望で、家族親族葬としますので、いつもはセレモニーホールのスタッフが準備やら司会進行をしてくれるのですが、今回は親族の中から受付や司会役、五七日のお斎の準備や後片付け等の係を出さなければいけません。近所の親族で役割分担をして、私は告別式の司会進行をすることになりました。気づいたことをいくつか。

  • 開式前に携帯電話に関する注意をしますが、「携帯電話等をお持ちの方は、音が鳴らないようにお願いいたします」にとどめました。「電源をお切りになるか、マナーモードにしてくださいますようお願いいたします」は、携帯電話が普及しだした頃の、具体的にどうすればよいかわからなかった時代の名残のような気がします。
  • 告別式のみに参加する若干名の友人の方がおられますので、自宅ですでに家族親族による葬儀を終えていることを伝え、告別式の趣旨と儀式の簡素さを理解いただくようにしました。
  • 弔辞を読む方に直接お会いしてお名前等を確認し、祭壇前の動線を理解してもらいました。
  • 「閉式の辞」では、「以上を持ちまして、故○○○○様の告別式を閉式いたします」と簡潔にしました。「閉式させていただきます」は聞き苦しいのでやめました。
  • 葬祭業の経験が豊富で、自宅葬や寺院葬も実施している業者の場合はこうしたケースでも対応できますが、単に貸しホール業の場合、自宅葬や寺院葬のサポートは苦手としていることもあるようです。死亡後に遺体を運搬する依頼をするときにどこに頼むかで、親族の負担の大小はほぼ決まってしまうようです。

開式前に鳴らされる半鐘は複雑なリズムで長く続き、心が鎮まります。個人的には数十年ぶりに経験する寺での告別式。本堂入口の賽銭箱や燭台を移動し、入口に向かって仮の祭壇を置き、左右に分かれて読経、弔辞、弔電、焼香、喪主挨拶と続く一連の流れは簡潔明瞭で、過剰に感傷的だったり時に慇懃無礼なほどに丁寧なホール葬ともまた違った、簡素で好ましい雰囲気でした。新聞等にも訃報を出さなかったので、人数も30〜40名程度となり、寺院本堂での儀式、庫裏でのお斎など、ちょうどよい規模のものでした。経済的にも、だいぶ負担が少なくなったのではないでしょうか。

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