ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

阪神淡路大震災から21年

2016-01-17 16:47:52 | 思い出
今日で大震災から21年。
何年経っても、思い出したくない出来事だ。

震災記念日には、毎年、被災した様子などをブログに書いてきた。

今年はマンション再建について書きたいと思う。

まるで爆発のような地震で、一瞬でボロボロ、ガタガタになってしまったマンション。
隆起したボコボコの道を転びそうになりながら区役所まで歩き、長蛇の列に並んでもらった罹災証明書には、「全壊」と書かれていた。

当時、マンションの理事会の役員が当たっていた我が家は、仕事で出席できないたぬ吉の代わりに、ねこ吉が理事会に出席していた。
1か月に1度開かれていた理事会は、震災で臨時の理事会が何度も開かれ、ねこ吉は忙しかった。
建築や法律など何もわからないねこ吉は、重荷に耐えかねて眠れなくなってしまい、お医者さんで睡眠導入剤をもらった。

マンションは大規模修理で再建することに決まり、施工者の大手建築会社が工事をすることになったけど、現実工事をするのは下請け、孫請けの業者が請け負っていた。
まず、6月から9月まで、マンションの外装を修理、コンクリートの打ち直しなどを行うことになった。

クーラーをはずされ、足場を組んで東側の窓から50センチ内側にベニヤのバリケードをして、外壁を修理する。済んだら西側をバリケードする。
狭くて昼も真っ暗な部屋で風は通らず、連日暑くて辛い日々だった。

9月にやっと、両側の外壁修理が終わって、バリケードが外されたけど、足場は組んだままだった。

夕方、娘が学校から帰ってきて、制服を着替えて、慌ててピアノのレッスンに出かけて行った。
ねこ吉は夕飯の支度で台所にいた。台所からは娘の部屋は見えない。

娘が帰って来たら、制服が無いという。4月に高校に入学して作ったばかりだったのに!

窓が開いていたらしい。
足場を使って入って来た作業員が盗んだようだ。
夏物のセーラー服、半袖、長袖各一枚と、紺の襞スカートを取られた。

犯人の顔は判ってる。何か用事にかこつけて室内に入りたがる変な奴だった。
しかし、証拠が無いから何も言えない。

冬物はクリーニングに出して、娘の部屋に置いてなかったから免れた。

翌日、娘はセーラー服の代わりに何を着て行ったのだろう・・・。思い出せない。

担任の先生に言ったら、「高く売れるらしいで。」と言われかんかんに怒っていた。


他にも、建築関連の業者は、如何に女性を馬鹿にしているか思い知らされた。
工事は雑で、いい加減。
指摘されたら仕方なくやり直す。見つからなきゃ儲け物と思ってる。

ねこ吉は、何度も悔しい思いをした。
工事のやり直しを申し出る時は、たぬ吉も同席してもらうことにした。
黙って座っているだけでも効果があった。

あれから21年。
今や、建築業界にも、多くの女性が進出しただろう。
男目線のあの業界も変わったと思いたい。

マンション外壁修繕費用は、広さに応じて各家が払う。
部屋のリフォームは、それぞれが行うことになっていた。

震災の約2年前に松戸から引っ越してきた我が家は、リフォームして入居したのに一瞬でボロボロになってしまった。
家具、家電もほとんど壊滅状態。出来るだけ安いものに買い替えた。

何とかして、修繕費とリフォーム代を工面しなければ・・・。
被災者があまりに多く義捐金は思ったほどもらえなかった。
頂いた見舞金と義捐金を別の口座でプールして、生活費とは別に管理した。

こんなボロボロのマンションでも、住宅ローンは容赦なく毎月引き落とされる。
被災者対象の金利の安いローンに借り換えるため、書類をそろえて奔走した。

少しでも預金からの持ち出しを減らしたい一心で、脳みそをフル回転させた。
家計簿もいい加減、何でもどんぶり勘定のねこ吉なのに、我ながらよく頑張ったと思う。
その原動力には、「持って行き場のない悔しさ」も有った気がする。


ねこ吉は、地震以来性格が変わったと思う。
震災のお蔭で、ねこ吉は疑り深くなり、人が信じられないようになった。
震災にさえ遭わなければ、今も世間知らずのままのねこ吉だったのではないだろうか・・・。





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