クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

早いもので

2008-12-30 05:16:45 | Weblog
早いもので、今日でココを神戸のビートさんのお宅から引取って、2年が経ちました。先程も書きましたように、姉の逝去で神経の80%がそちらに向いてしまい、この大切な日をすっかり忘れておりました。
今日の写真は、先月天に昇られた杏父さんとの2ショットです。杏さんと比べると、ココの小ささが良く分かります。この日のココの体重は920g。今は4.2㎏ですから、4.3倍になっています。最近のココは、顔が真ん丸くなったような気がします。みなさん如何でしょうか。
このブログを書いている今クーとココは、パソコンの前に座り10cmの近さにおります。2年と言う時間はありがたいもので、気難しいクーも、ココの事を完全に家族として受け容れてくれるようになりました。ブログを書きながら取った写真は、元旦のブログでお目に掛ける事にします。
ビートさん、リングちゃん有難う御座います。

『る』と『た』の違い

2008-12-30 02:06:36 | Weblog
僕は姉をみどと呼んでいた。20時間前迄はみどと呼んでいると、現在形で書けたものが、今は過去形でしか書けぬ。このたった一文字の違いは、大変大きい。みどは末期癌に苦しめられたが、ついに神の御許に旅立った。その顔は安らかで美しかった。僕はみどの遺体の前で「ありがとうみど。一杯面倒を掛けたの許してね」と胸の中で話し、十字を切った。
みどの少女期は終戦直後の、お金より物の時代。都会の多くの子供同様に何時も腹を空かせていた。そして母は結核を患い、寝ている事が多く、弟の僕も未熟児で生まれ、病気がちであり、学校から帰れば、二人の看病と言う生活。しかしみどは愚痴を言わぬ。僕が小学生、みどが高校に入学したばかりの頃、母は肺切除で1年間入院し、僕の母親代わりになった。その頃街にアイスクリームが10円で売られるようになった。家計費をくすね、姉と弟は10個位アイスクリームを買い、夢中で食べた。その結果は、翌日僕はお腹がピーヒャララとなり寝込み、みどはその看病となった。母が退院した翌春、両親は仔犬を飼う事を許してくれ、みどの同級生のお宅から、スピッツのポッ子が来た。みども僕も可愛がった。ポッ子はその後18年生きた。社会人になり、酔っぱらって帰宅すると、ポッ子は僕を怒っていた。
大学に進んだみどは、若手の声楽家のトモに見初められ結婚した。トモは常に自分の芸の事しか考えぬ職人で、家の事は全てみどに任せ切りであったが、みどは耐えてある時は子供の盾となった。娘が生まれて間もなくみど一家は我家の近くに新築した。子供を連れてみどが来ると、ポッ子は「みど遊んでよ」と大喜びだった。芸術家には、僕らサラリーマンの常識は通用しない。その狭間でみどは苦労しながら子供を成人させた。トモは十数年前61歳の若さで天に召された。みどは正直ほっとしたようだ。みどは心の救いを酒に求めた。甥の善によれば、料理を作りながら飲み、へべれけになり、とんでもない物が出来上がる事もあったと言う。そんな心の痛みを僕は理解してあげなかったし、みども言わなかった。
還暦を過ぎ、誘われて出掛けた教会で、みどは真の救いを得た。僕は「私今度洗礼を受けます」と言う電話を受けた時、思わず「神様有難う御座います」と感謝の祈りを捧げた。
今日は前夜式(通夜)、明日は葬送式、僕はみどへの感謝を込めて、主に旅立ちの祈りを捧げる。
「主よ、今御許に近づかんとする、姉みどの魂を慰め・癒し給わん事を。イエス・キリストの御名によりて請い願い奉る。 アーメン」