クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

粉糠雨の朝

2011-04-21 06:15:35 | Weblog
明日はキリスト教では、キリストが十字架上で処刑された事を祈念する、受苦日と言う大斎日。聖公会やカトリック教会では記念礼拝が捧げられる事だろう。
今朝の我が街は、気温も低く、粉糠雨が降り続いている。北関東や東北の被災地にお住まいの方々は、寒さに震える朝を迎えられたと、心よりお見舞い申し上げる。イエスもこの方々に心を思って涙し、雨を降らされたのだろうか。
今の我が国は総節約をし、被災された方々を助け、産業を復興しようと努力している。しかし、その足を引っ張るのが、日頃偉そうな事を言い続ける政治家連中。今朝の朝刊によれば、年間320億円の金が共産党以外の政党に交付されると言う。何んと言う事か。全額返納しろとは言わぬが、4分の3を返納し、240億の金を復興資金に当てても罰は当るまい。1番最初に返納した政党に国民の支持は集まるだろう。国に財源が無いのに、政党だけ良い思いをする事は許されぬ。今迄原子力関連の企業連合等から甘い飴をしゃぶって来た政治家や政党は、バカデカイビルと敷地を売り、身の丈に合った物にし、その益で活動したら如何か。
我々多くの国民が望むのは、写真のように、ねこが居眠りが出来る小さな幸せだけである。

暗くても

2011-04-20 06:06:51 | ネコ
今朝は昨日と打って変わって、朝から青空が広がっている。門灯や中廊下の明かりは5時前に消した。台所は外からの光で電灯不要でこれも消した。
しかし、昨日は雨空で居間は明かりが欲しかったが、朝刊を読み終わり、ニャンブログを見るのには灯りは必要ではなく、クーとココが居間で休んで居たが、彼らは強力な反射板を体に持っているので、薄暗くても人間よりもはっきりと見えると言う事で、居間の照明をOFF。暗さに慣れてくれば人間の目もさほど不自由はしない。パソコンだって庭から入る光で充分見える。取るに足らない節電だろうが、この節約で病院等が少しでも潤えればと思って消灯した。
僕らが子供の頃は、夕食時の停電は日常茶飯事。両親は慌てる事無く灯油ランプに火を点け、薄暗い中で食卓を囲んだものであり、翌日のランプの掃除は姉がぼろきれで丹念にしていたものである。
昭和30年以後の我が国は、電気を無駄に使っていたのではないだろうか。富士川より西に住む方も対岸の火事。「良く燃えている」等と笑ってみていると大変な事になりますゾー。

春の彩り

2011-04-20 05:01:34 | Weblog
我が街の花、つつじが咲き始めた。
小鳥達も春を喜び歌っている。
紫、赤、緑、春の彩が鮮やかに。
梅も葉の陰に小さな実を付け始めた。

暖かければ

2011-04-19 06:11:23 | ネコ
今朝は、雨の音が部屋からも聞こえる程強く降っている。気温も昨朝に比べると少し低い。人もねこも寒く感じるので、温風器のスイッチオン。寒がりクーは、ソファーで盛大に爪研ぎをしてから、居間の本箱の上に登ってマッタリと。寒さに強いココは、可燃ごみ出しの用意をしている、家内の足元をチョロチョロと。予報では昼前には雨も上がり、気温も20度位に上がるとの事。暖かければニャンズは廊下に出て、日光浴やお昼寝を楽しめる。
昨日の東京新聞の朝刊に、避難所で暮らすねこの事が書かれてあった。40歳代の家族が車で避難している時に、津波が迫って来て、ねこを車に置いて逃げたが、翌朝身に行くと、浸水は大した事がなく、ねこも元気で避難所に連れて来たと言う。小学生の娘さんの相手をするだけでなく、避難所にいる子供達のニャンドルとなり、慰め続けていると言う。なんともヌク・ポカの記事であった。

春だから

2011-04-18 06:07:15 | ネコ
今日の天気予報では、我が街の周辺は、昼前頃から晴れて、気温も18度位迄上がると言う。春本番。しかし眠い。お昼を食べたらソファーに横になって、お昼寝タイムとなりそうである。ニャンズはそれよりも前から廊下に出て、庭に咲き始めた、つつじや遊びに来た小鳥達を眺めたり、夫々お気に入りの篭ベッドに籠もってお昼寝をする事だろう。
会社で働いていた頃は、眠くなっても我慢をし、目を開けていたが、隠居生活では、そんな我慢は不要。ねこ達と共にお昼寝が出来る。被災者の方々には申し訳ないが、この小さな幸せに感謝する次第である。

幸せは可愛い仔と共に

2011-04-17 06:23:21 | ネコ
春本番。しかし、今の日本では両手を挙げて喜んではいられぬ。大震災発生の日を境に生活が激変した方々の苦悩は、1ヶ月が過ぎた今も続く。激変したのは、人間だけではなく、人と共に暮らして来たワン・ニャンも然り。多くの避難所では彼らとの生活は認めておらず、置いてきぼりとなり、野犬となって街を彷徨ったり、食べ物が無く餓死し、それが食べ物になったりと、正視出来ぬ状態だと言う。特に原発被害地に多い。置いてこられた方々の悲しみと苦しみは、察して余りある。少数ながら助けられ仮親に預けられたのを見聞すると、少しほっとする。
以前から書いているように、我が家は中年後期、子育てが終わってから仔猫と出会い、寂しくなった家のランプのように慰められている。この大震災でも怯えずに、たえず夫婦の側に居て暮れる。人生の最終幕になり、こんな可愛い仔と共に過ごせるのは幸せである。この幸せのお裾分けで、今回被災したワン・ニャンの保護活動をされておられる団体に、心ばかりの献金をさせて頂く夫婦である。

一言言いたい

2011-04-16 06:05:18 | Weblog
今日は薄曇だが初夏の陽気になるという。我が街、深大寺や井の頭公園の桜は、散り始めたばかり。
一言言いたい。この大震災で死者・行方不明者が数万人で原子力発電所事故も収まる気配が無いと言うのに、馬鹿な政治家連中は、政争に明け暮れ、力を合わせる気配が全く見られない。何んと言う連中だろうか。民主党小沢、自民党谷垣等は、作業服に着替えて瓦礫撤去等を率先して行うべし。誰が首相になっても今の状態が直ちに改善すると思えぬ。それよりも、首相に知恵を授ける方が先である。流石の新聞も呆れ、腹がたったのか、今日の東京新聞のコラム、筆洗では、「いがみ合いは震災対応に区切りがついた後、好きなだけどうぞ」と書かれてある。これが多くの国民の気持ちだ。原子力発電所に大甘の基準を許可し、作らせたのはどの政党だろうか。この政党の幹部は国民に何んと懺悔するのだろうか。今の政府だけに責任を擦り付ける事は許されぬ。
我々は3月11日以後、被災地だけでなく、国全体が節約と我慢の生活をしている。被災者の方々が今望んでいるのは、小さな幸せ、家族が温かな家で過ごしたいと言う事。政治家連中のような野望では無い。これが適う政治を望むのである。写真のようにねこがのんびりと日向ぼっこが出来る家庭をである。

一緒が良いの

2011-04-15 06:04:15 | ネコ
ここ数日晴れが続き、日中は気温も上がり、人もねこも過ごしやすくなっている。晴れていれば、日の光が部屋の中迄差し込み、照明を消しても不自由しない。ただ、昼食時だけは薄暗いと味気ないので、居間の灯りは点けるが。
ニャンズは、9時過ぎには揃って廊下に行き、日光浴を楽しんだ後は、夫々お気に入りの場所で夢の中に。ココは6ニャンの大家族で幼児期を過ごしたせいか、1ニャンで居るのが苦手である。そのためか廊下で日光浴をする時もクーの側。夕ご飯を食べた後も、クーが台所の窓から外を眺め始めると「ぼくも」とばかりに、クーの後ろを静かに付いて行き、昨日は垂れていたクーの尻尾に「チュ」をし、怒られても気にせずに冷蔵庫の上に登って、2ニャン一緒に前の道を往来する人や自転車を眺めていたのであった。ココが日本語を喋れたならば「ぼく、クーちゃんと一緒が良いの」と言うだろう。

可愛い手

2011-04-14 06:20:02 | ネコ
今日も昨日と同じく晴れて、気温も20度位迄上がるとの予報。桜前線も一気に北上し、被災された方々をお慰めする事だろう。
ねこの手は「役たたず」の代名詞となっているが、ねこ初心者の僕は、それは違うと思えてならない。写真のようにぶらりと下げていれば、ついつい握ったり、顔を近付けたくなるし、おねだりする時は僕の脚にそおっと手を掛けて可愛い声で「ミャー」と言われれば、ついつい多少無理な要求でも聞いてしまう。
ねこの手は柔らかく、人の心を解すのに使われているのである。勿論、物を押さえたり、握ったり、ココのように水をすくったりと言う本来の使い方もしているが。本当に可愛い手である。
一寸横道に逸れるが、今日の夕方のNHKテレビ「夕どきネット」に、九州在住のフォーク歌手、本田路津子さんが出演し、あの透き通る声で、被災された方々をお慰めすると言う。彼女とは桜美林高校の同期生。クラスは違っても、同じ文芸誌を作った事もある仲間。今日はどんな声を聞かせてくれるのか今から楽しみである。

春爛漫

2011-04-13 06:05:35 | ネコ
春爛漫。昨日は桜前線が被災地仙台に達したと言う。沿岸部の街々でも生き残った桜は間もなく咲く事であろう。我が家の庭でも、早咲きのつつじがピンクの花を咲かせ、他のつつじにも沢山の蕾が。
それにしても良く揺れる。真に揺れ揺れ列島である。福島県浜通りや茨城県沿岸部にお住まいの方々に何とお見舞いの声を掛けたら良いのやら。原子力発電所周辺の街は無人地帯になってしまうのか。地図から地名が消えてしまうのだろうか。出身の方々の不安を思う時言葉を失う。東京電力も国も口先だけでなく、世界中の英知を集め、この難局を乗り切って欲しい。これを政争の具にしようとする動きも見られるが、首相の首を付け替えても何も変わらない。国会議員諸侯は、前向きな建設的な議論をし、明日の日本のビジョンを国民に示さねばならぬ。それが彼らの仕事である。
しかし、何時まで揺れ続けるのだろうか。こればかりは神様にお聞きするより仕方がない。