日記

日々のあれこれ
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東千田公園の春

2023年03月07日 | 広島案内

暖かくなりました。午後から外出。

こちらです。フェニックスは菰巻き中。

今は公園に。元は広島大学東千田キャンパス。

東広島へ統合移転の後は、二部と通信制が残っています。

メタセコイヤと旧理学部一号館。

もうすぐ咲きそう。

もう咲いている。ムラサキナバナ。

高層マンション。

コンビニもあります。

ビオトープは公開空地になっています。

大学時代のアメリカフウの並木はそのまま残っています。

あちら旧理学部一号館。

古色。戦争中は中国軍管区本部が置かれていた。

掲示板?

倒れないように。

塗装なし。釘で止める。

一部広場に。

若いお母さんたちが小さなテントを張って子供を遊ばせていた。

春到来。

桜。

高層マンションができて7年。

外が気持ちいい季節。

日赤付近。北京亭といづみ書店。

いづみ書店は小売りを止めて卸だけらしい。

あおぞら薬局の場所は喫茶店があった。割烹着のママさんがおいしいコーヒーを出していた。建物は同じだと思う。

日赤の入り口は南側に移動。こちらは救急車の入り口。

姑が腕を骨折して手術したのは2015年秋。92歳の時。

あれから8年目を迎える。

退院後はまだ歩けたし頭もしっかりしていたけど、間に合わないことが多いのでオシメに替えてもらった。

本人にしたら不本意だったと思う。自分でオシメを買いに行ってたけど、恥ずかしそうだった。

老いを受け入れる・・・誰しも難しいことです。

最後は要介護度4で自宅で介護していたので、市からの補助が毎月2万6千5百円分?(詳細失念)あり、助かった。お金もさることながら、ひと月分まとめて配達してもらえるのがとても助かった。

短歌、染色、読書、花づくりなどが趣味の人でした。花はお茶花のような清楚な花が好みでした。

若い時の写真見たら、女優の木暮美千代みたいな顔。

「お義母さん、若い時きれいですねぇ」と言ったら「若いときは誰でもきれいでしょ」と言われた。いえいえ、誰でもというわけではありません。と密かに思う私でした。


機織りはあと少しで停滞している。

終われば遊びたい。あちこち出かける予定。

今年の春は、確定申告、マイナカードの受け取り。

水彩画の合同展と機織りのロビー展。

別件で機織り作品の応募。東京へ送る。落選予定。

友達とワカメ採り。ナマコとギザミ(標準和名はキュウセン)もいたら少しだけ獲る。

50周年の行事少々。

友達との旅行。などなど。久しぶりに忙しい。

マスクは取りたいけど、お化粧がめんどくさい。いっそ、顔全体を隠すマスクを推奨してくれないものでしょうか。もう人に顔を見せたくない。夏のシミの予防にもなるし。

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広島、石に歴史あり

2022年06月13日 | 広島案内

先日、京都で17世紀の道標を見たので、地元のも写真撮ってきました。

さる神社。本日午後。

至誠貫乾坤 功徳垂無窮と読めばいいんでしょうか。

戦前のではなく昭和41年に有志が建てています。

これは明治時代の広島県令で、広島港の整備に私財を提供した千田貞暁を顕彰する神社。

言葉は軍国主義っぽいけど、千田貞暁の功績をたたえたものと思われます。

立派な銅像。

港の設計図を持って西(朝鮮半島、中国)を眺む姿。

近くに正岡子規の句碑が。

戦前地元有志が建てたらしい。

日清戦争の従軍記者として、1895年広島の宇品港から出るときの気持ちを詠んだもの。

い可婆我 筆の(変体仮名)花散る處ま傳・・・「行かば我 筆の花散る處まで」かな?

「い」がどうしても「り」に見えるし、達筆すぎて読みづらいです。


参考までに中国にある子規の句碑

こちらは中国、大連市近くの金州にある句碑。2011年8月、大連、旅順、金州へ旅行したときに写す。

金州城にて 子規

行く春の酒をたまはる陣屋哉

日清戦争の従軍記者として金州に来て、旧松山藩主にごちそうされたとき詠んだそうです。
愛媛県出身の満蒙開拓団が作った句碑が、近年、工事中に土の中から見つかり、日中友好の証として金州の公園内にありました。


広島は戦前は軍事都市だったので、どうしても軍関係の石碑が多い印象です。

さらに北上します。

広島港から御幸通りを北上、右、駅方面へ行くとさらに左右に分かれています。

緑地帯の入り口に二つの道案内があります。

大手町通りは広島城大手門へ続く通り。ここからは左へ、御幸橋経由、鷹野橋を通って広島城へと通じています。

右は東松原停車場通り。広島駅への道です。左右の道はここで一本になり、南下して広島港へと向かいます。

明治29年に立てられたようです。

寄附した人の名前はコンクリートで消した形跡があります。

広島では、削ったり消したりしている石碑が他にもあります。消したのは戦後のことと思います。

後ろに鳥の羽ばたく大きな塔があります。

多分、八紘一宇とか刻まれていたのでしょう。鳥は神武東征のときの金の鷲・・・?

広島駅裏の広島東練兵場、今のそごう北にあった西練兵場から兵士たちは行進してここまで来て、この塔に見送られて宇品の港へと行進して出征して行ったことでしょう。

今は平和の搭と名前が変わっています。

換えられたのは1947年の8月6日。

原爆投下からちょうど2年後、戦争はもうこりごり、二度と戦争はしない、という決意のようにも思います。

年上の友達の話。15年くらい前。

原爆の日は、私は小学校の一年生で(この近くの)お寺で勉強することになっていて、本堂に入ろうとしたときに、本堂が原爆で崩れて、目の前で潰れてしまった。先に来ていた友達は下敷きになって死んだ。私ももう一分早く行ってたら死んでたと思う。。。。

1947年、平和の搭に替えたときには、まだ原爆の記憶も鮮明だったことでしょう。


広島は、街を歩いていると、原爆の記憶に行き当たることも度々。思わず知らず、厳粛な気持ちになって帰宅。

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阿佐山へ登る

2012年08月16日 | 広島案内

子供たちの帰省は、昨日の夕食後、次男が帰っておしまい。きょうはお盆休み最後、北広島町の阿佐山へ。島根県との県境の山です。

8:41自宅発 中国道加計→R186→R40→大暮養魚場方面へ左折→大暮川沿いに進み尾関神社で車を停めていざ出発

10:44 家から2時間かかりました。

10:55 登山口通過

スギの暗い樹林帯を黙々と歩く。勾配は緩やか。大暮川上流、何度か川を横切る。丸木橋あり、川床の岩伝いに向こう岸へ行く場所ありとスリル満点。

12:09 尾根筋の二十丁峠につく。ブナの幹に字が刻まれている。毛無山からの縦走路と合流。二十丁とはどこから?

いつの間にか流れも消えて、ブナの明るい林を歩く。

12:49 山頂着 何かのアンテナと機械小屋?

庇の下はベンチになっていて楽に食事ができる。展望はほとんどない。

登山口からはゆっくり登って約2時間。途中人影が一切ないし、道案内などもほとんどない深い山だけど、勾配が緩いので殆ど疲れない。けっこうでした。

山の向こうは島根県。スキー場へ降りるルートもあるが、長いコースらしい。ここは来た道を引き返すことにする。

13:18山頂発。下山途中で本日初めての登山者と出会う。あちらも夫婦らしい二人連れ。山で人と会うとホッとして懐かしい。聞けば同じところに車を停めているらしい。

14:44 堰堤は2つ。これは下の第一堰堤。ほとんど土砂で埋まり、木が生えている。2、3日前の豪雨のためか、水量豊富。あの水が太田川へと注ぎ広島までやってくる。ここは水源の森。何か神々しい気分になる。

川へ降りて顔を洗う。冷たくていい気持ち。

14:55 阿佐山橋のガードレールには登山口の文字が。ミゾソバの生い茂る橋のたもと。

上山2時間、下山1時間半、深い山でした。

15:07 車まで戻って出発。

帰りはR40を東へ→R79→大朝IC→浜田道→中国道→広島道→西風新都IC→西風トンネル→(広島市内城南通り大渋滞)→自宅17:10

涼しい山歩きの一日でした。

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深入山(しんにゅうさん)に登る

2012年07月29日 | 広島案内

昨夜は孫娘とお嫁ちゃんが地元花火大会を見に来ました。息子は学会準備で多忙とのことです。右端は「ばあたん」の靴です。

花火見て、御指名により一緒に風呂に入って、そのあとしっかり遊んで、やっと寝ました。


 

朝出るのが遅くなったので近場の山へ。考えるのが面倒で、安芸太田町の深入山へ

いこいの村ひろしまに車を置き、11:45いざ出発。

昔はたたら製鉄の燃料を切り出していたので木は少な目。その後、放牧地を経て、現在は観光用に毎年草焼きをします。

山の景観に歴史あり。

ブナの木が少々。あとはススキなど。日陰がなくて暑いです。

こんな日は涼しいところでじっとしているのが賢明。賢明でないので、暑さこらえて登ります。風はさわやか、からりとしたいいお天気ですが、それにしても暑い。

わき起こり、形を変える雲。夏空、草原、ブナの疎林。人影なし。

赤い屋根がいこいの村ひろしま。あそこから登ってきました。

頂上が見えてきました。オミナエシがもう咲いています。

オオバギボウシの群落

キスゲ(別名ユウスゲ) 夕方に咲き、昼間はしぼんでいる。咲いたのを未だ見たことなし。

着きました。ゆっくり歩いて1時間。誰もいません。

すぐ向こうに臥龍山が。浜田の女子大生の遺体の一部が見つかった山。あれからは一度も行っていない。

違うルートで下ります。振り向けば頂上が(左側)

帰りはゲートボール場の方へ下山。下では人が多かった。


 

暑い一日でした。日陰のない山へ昼前に登り始めるなんて酔狂の極み。熱中症にならなくてよかった、、、

 

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竜王山(広島県庄原市)へ登る

2012年07月22日 | 広島案内

本日は山へ。六、七年前に登った庄原市の竜王山です。(その時は西城町だったかも)

家はまあまあ早く出たけれど、途中いろいろ寄り道して登山口へ着いたのは11時。熊野神社の境内から登ります。

建物は社務所。境内、スギの大木多数。「ここで寝て待ってるから一人で登ってきて」と言うも完璧無視されました。

標高差600メートル、二時間の登山です。

30分ほど行くと「那智の滝」が。滝つぼの前は寒いくらいの涼しさ。一息入れます。スギの暗い樹林帯が続きます。

エゾアジサイ

ヤマジノホトトギス

スギはやがてブナの明るい森へと変わり、さらに登ること一時間、キャンプ場の施設が見えてきました。人口の建造物を山で見るとホッとします。

 

頂上手前はササから草原へ。山は、夏の盛り。

今年も会えたオオバギボウシ。高原の夏の花。

ヨツバヒヨドリ

イブキトラノオ

向こう比婆山方面。オオバギボウシの群落。

曇り気味の涼しい頂上でお弁当を食べ始めたらもう13時。結局2時間かかりました。


 

同じ道を降りてきます。下山は75分で。境内には御神木の老杉多数。これは広島県で4番目の大きさ。

こちら2番目

3番目

風格ある御神木群。朝は地元の方たちが境内の草刈りをしておられました。お疲れ様です。

バスは一日三便、平日のみ。マイカー必須。

ゴギの焼き物もいざなみ茶屋では食べられます。数は多いのかも。体に斑点のある大きめの魚でした。


 

夏山スタート。夕方、次男が来る。一緒にご飯食べていろいろ話して、お中元の食べきれないものを持って帰ってもらう。

夏の花たちには出会い、息子も来ていい一日でした。

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観音寺のアジサイを見る(へろへろ)

2012年06月24日 | 広島案内

梅雨です。今にも降りそうな空。でもなんとか持ちこたえそうなので午前中佐伯区坪井の観音寺へアジサイを見に行きました。

こちらです。http://kannon-temple.com/

車で行くのは団地の中を通るので道が不安、バスで行くことにしました。

市役所と電車通りの交差する、R2沿いから9:59発東観音台行に乗ります。バスは旭橋からバイパスに上がり、井口台、鈴が台などの団地を経由して30分で東観音台入口へ。そこから徒歩5分の予定が・・・・

あれれれれれ??????なんかおかしい。しばらく歩いて、街角の広告用の地図で見ると全然違う場所に降りたらしい。正しくは観音台入口でした。バスの路線が全然違うんですね。観音台と東観音台、ちょっと似てるが全然違う

人に道を尋ね尋ね、団地と農家の混ざった複雑な道を上へ上へと上がりつつさ迷い歩くこと30分、やっとたどり着きました。

地図は極楽寺様のサイトより拝借し、私が加工を加えました。

行きを赤、帰りを緑で入れてみました。畑仕事をしているのは地元民ではなくて、遠くから来て貸農園を耕している人。道を聞いても「さあ?」と首をかしげるばかり。

結局、地元の年配男性が地面に棒で道順を描いて、親切に教えてくれました。やれやれです。この付近は極楽寺山のふもと、かなりの急斜面です。そこを上ります。あへあへ。大きな病院の横が公園に、そこを過ぎたらすぐ。お寺は山陽道のすぐ下です。

1999年(今から13年前)の6月29日、広島市西部は豪雨により土石流が起き、県内で32人の方が犠牲になりました。観音台も被害が大きくて、大変だったようです。

何日かして三男の高校の懇談会に行くと、この団地からきていたお母さんが、子供の成績そっちのけで豪雨がいかにひどかったかを話し、私たちも子供の成績そっちのけで話に引き込まれたものです。私はその日は実家へ行ってたし、「えっ、いつの雨のこと?」という感じ。被害の大きさは実際に体験した人から聞くまではよくわからないものです。

団地の中を大岩が濁流と一緒に流れていた。JR、電車、バスすべて止まり、タクシーも行ってくれない。徒歩で自力で団地の一番上までたどり着くと真夜中だったとか、そんな話です。あれから砂防ダムも整備されたと思うけど、またあの豪雨の日が巡ってきます。

「お父さんーーー、今までありがとうねーーー」とご主人に感謝の言葉を言いながら、家と一緒に流された人もいたそうです。私ならどういうでしょうか。ありがとうでも子供を頼むでもなく、「私だけ流されるなんて悔しい!!!すぐに再婚したら、許さんけんね」と言う感じでしょうか。見苦しい断末魔の叫び。我欲の塊。人間は極限で性格が出ます。

つまらない話はこれくらいにして、アジサイがいろいろ咲いていました。

お祖母さんと孫?

 

裏山が遊歩道になっていて、極楽寺山の登山道へと続きます。1999年の年末、別のルートで登ったら、登山道が流されて消滅、崖をよじ登るようにしてやっとたどり着いたのは住職の家の庭。

住職夫人が、「あなたたち、どこから来られたの!!」と驚かれていました。

幻の八重咲き山アジサイ「シチダンカ」。幕末、シーボルトがヨーロッパに紹介して以後、日本では絶滅したと思われていたが、1959年、六甲山中で再発見。今では各地で植えられています。

装飾花がちょっと変わった形

境内、お地蔵様多数。

このあと観音台入り口へ戻るも30分くらい時間があるし、その系統はJR五日市が終点。またしても団地の中を大体の見当をつけて歩いて東観音台下のバス停にたどり着く。1分もしないうちにバスが来たので飛び乗った。やれやれ。次は1時間40分後。民家しかないところでそんなに待てるわけがない。間に合ってよかったーーー。

離合も難しい山道とばかり思っていたけど、お寺まで道はいいです。今度は車で行こう。

行きと同じルートで帰宅。夕方から雨になったので、思い切って行ってよかった。アジサイもそろそろ終わり。

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野呂山へ行く

2012年05月13日 | 広島案内

本日の目的は山菜採り。東側から登る予定だったけど、昨夜あまり眠れなかったので、林道郷原野呂山線で十文字ロータリーまで。そこから山の上を歩くことにする。

山の上は施設多数。でも野呂山神社や旧開拓集落付近は人がいません。畑もほとんど放置、萱やワラビが跋扈しています。

野呂山神社参道で。チゴユリ。鳥居には天保年間の文字があり。昔から集落があったらしい。拝殿は朽ちかけてビニールシートで覆っている。いずれ崩壊するのかも。

畑一面に小さな赤い花。スイバの仲間らしい。

瀬戸内沿岸では六甲山に次いで高い山。標高は839.4m。まだ桜が咲いていた。

名前不明。鮮やかな色のつぼみ。まだまだ知らないことがたくさん。

上と同じものかもしれない。

頂上には池もあり。アヒルが遊んでます。今日は登山しないので、スニーカーです。

東端の弘法寺は真言宗の古刹、静かな山寺です。

境内からは東方向眺めが抜群。下蒲刈、上蒲刈などなど。

立派なイワガラミ。花のころはさぞきれいでしょう。

がんばれ、NHK!!

星降る展望台から南方向。うっすら四国の山も。

名残のマムシグサ。

氷池。昔子どもと来たころはこんなにきれいに整備されてなかった。もっと前、1969年1月、高校の先輩とドライブ来たときはただ池があるだけで、人気もなくてとても寒かった。池は凍っていたかもしれない。T島さん、お元気でしょうか。

東映の映画に誘われたり、あまりに趣味が違いすぎてお付き合いにまで行かなかったけど、きょうは思い出してしまいました。

シャガは好きな花。子供のころ、家の東側に小川があり、その向こう岸、S川さんの庭先に川に向けてたくさん咲いていました。5月のさわやかな花です。

本日の収穫。右上から時計回りに。

イタドリ、ミツバ、サンショウ(人家が古くからあったためか山中に普通にある)、ワラビ(大量)、ヨモギ、イタドリノ穂先、サルトリイバラ、タラの芽 カラスノエンドウ。

三つ葉はおシタシに。ワラビは煮物。サンショウは薬味に。あとは天ぷらにする予定。

夕方息子が荷物を持ってくる。ほとんどが本、冬用タイヤ。要らない電気釜とポット。来月から新しい職場へ行く話だったけど、連休明けから来て欲しいと急に言われ、いったん我が家へ持ってきていた本を再び新しい職場に運んでいた。

母の日なので、お花貰った。ありがとね。証拠写真を携帯で撮っていた。あとで嫁さんに見せるらしい。

「あんたがいると花の美しさが際立つ」ですって。フン!!もっと母親を喜ばすようなことは言えんのかい!!!

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連休スタート

2012年04月28日 | 広島案内

いい季節になりました。午後から一人で車を運転して呉ポートピアパークまで。子供たちが楽しそうに遊んでいます。

入場料も要らず、お金の要る遊具もなく、遊園地だったころより遊びやすいかも。

以前はスペインをイメージしたテーマパークでした。建物はそのまま残っていますが、レストランも閉店。

写真屋さんがあります。子供が振袖を着て写真を撮ってもらっています。

海はキラキラときれい。カキいかだが浮かんでいます。

花もきれい。昔はキンギョソウと言ってたけど、今はなんて言うのかな。

サクラソウの園芸種

初夏らしい色合い

向こうは噴水

帰ってから近くの山へ腐葉土の材料の朽木を採りに行く。

木の間にたくさんのオオゴキブリが。

これは家に棲みつくゴキブリとは違い、森の中で朽木や枯葉などを餌として生息。暖地性のゴキブリだそうです。擦り切れるのか退化するのか、羽根は殆どありません。

初夏の陽気でした。

明日は長男一家が来るし、あさっては別の息子も帰省するとのこと。急に言われてびっくり。何も言ってこないので、こちらから行くつもりにして、JRとホテルまで予約したのに。。。。男の子はしつこく連絡すると嫌われるし、難しいです。

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三原へ梅見に

2012年03月26日 | 広島案内

いつまでも寒い日曜日、三原市の梅園へ。山陽道尾道ICからR55で三原方面へ。如水館高校近くです。

時折みぞれの降る寒空の下、けなげに咲いています。観光梅園ではなく、収穫用を栽培。花は地味です。

でも風に乗ってどこからとなく香ってくるのは梅ならではこそ。

六月?には梅もぎができるそうで。キロ350円、5キロ買うと1キロおまけだそうです。入園料は500円。

地元産品の販売も。

帰りは三原バイパスにできた道の駅に。駐車も順番待ち。

いい眺めです。

帰りはR2で自宅まで一時間くらい。小旅行でした。まだまだ寒い広島県。来週には桃も桜も一緒に咲くのでしょうか。

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春のホテル

2012年03月03日 | 広島案内

特に用事はないのだけど、写真撮りに出かけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつできたんだったかしら?20年近く前?嫁に来たころは造船所があった。ある時、「**造船、潰れたげなよ」とうわさが風のように町を駆け巡っていた。それはもう40年近く前。その頃は殺風景な何にもないところだったけど。

  

ロビーの天井。下は噴水のある浅い池。その真ん中に祭壇が作られて

結婚式が行われていました。

留袖、訪問着、ドレス、女性たちが華やかです。つい裾模様を見る私。呉服屋さんでいろいろレクチャー受けたけど、みなさんけっこう派手目。お寺模様なんてどこにもありません。年配の人でも赤色多用の留袖。要するに好きなもの着ればストレスも少なくて済みます。

留袖の柄付けに二種類あるらしい。染料と顔料と。黒一色の上にインクジェット方式で顔料を吹き付けるのが最近の主流らしい。手間暇かけて糊を置いて手染めをしたようなのは本日は見かけませんでした。留袖って制服だから、黒くて裾に何か模様があればOK。あとは自己満足の世界でしょう。

何はともあれお目出度い場面に行き合わせるのは幸せなこと。普通に人が行きかうロビーの式も今風なんでしょうね。

ドレスいろいろ

ブライダル相談室

ヤシ?棕櫚?

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大河ドラマ

衣装、小道具、台本、そのほかにあらすじ、俳優のパネル展示。土産物各種。まんじゅう、クッキー、キィーホルダー、Tシャツ、ノート、便箋などなど。今年年末まで。入場無料。

向こう厳島方面。ホテルから高速艇が出ています。海上30分くらいだったかな。

雲。暖かい一日でした。

 

 

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故地再訪

2012年02月27日 | 広島案内

昨日は用事で郊外へ。ついでに足を延ばして、35、6年前に住んでいた場所へ行ってみる。

のうが高原と極楽寺のふもと。冬は山から吹き下ろす風で寒かった。ここへ行って初めて、1mくらいのツララを見たのでした。

ベビーバギーに長男を乗せ、この川を渡ってほぼ毎日近くのスーパーへ買い物に。河口近く。今は満潮らしい。

河口では春になると潮干狩りをして遊んだ。

当時、R2の向こうは繊維工場だったかが立ち退いて、向こうの堤防までは広い空き地。歩き始めた長男を遊ばせるのに好都合だった。その後住宅地として分譲され、道路沿いはいろいろな商業施設が。

向こう広島方面。すっかり広島と一続きの街になってしまった。

立派になって。。。。

すぐ裏に電停までできてる。いつの間に。

電車は山陽本線と並行して走る。

茶色い二階建ては、私の記憶が正しければ看護師(当時は看護婦)さんの寮。その向こうの白い建物のあたりに住み込みの二軒長屋が10戸前ほど並んでいた。

電停から見上げる。ホテルみたい。

浦島太郎の一日でした。あの時の皆さん、お元気でしょうか。二年間だったけど、よくしていただいて楽しい思い出がいっぱい。

同世代で子供も同じ年頃で、家を行き来して遊んだり、一緒に習い事をしたり。若かったなあ・・・何しろ20代ですもんね。

この間孫娘が来たとき、「おばあちゃんはね、はじめからおばあちゃんじゃないのよ。初めは★★ちゃんみたいで、だんだんにこうなったのよ」と話しました。だって最初から年寄りだと思われたらいやだもん。本人ですか・・・キョトンとしてましたけど。

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阿武山へ登る

2012年02月05日 | 広島案内

きょうは二週間前に上った権現山の隣、阿武山に登ります。権現山山頂近くに車を止めていざ出発。

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木曜日にとても寒かったので雪が残ってます。霜柱は五センチくらいあります。南国育ちの私は霜柱など昔は見たこともなく、「麦踏み」の意味も分からず。

鞍部の鳥越峠に向かって下って行きます。この時はまだ道が違うとも思わず。

どんどん雪が深くなります。タヌキらしい足跡。靴跡は前を行く夫のもの。

何の木か、小さな種が落ちてます。

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結局この楽しい雪道はただの遊歩道、元へと戻ります。本当の登山口は車道を車で少し降りたところにあり。

 

下りの急カーヴでスリップ脱輪した車が放置されてます。我が家の車も吸い寄せられるように滑って行くので焦りましたが、何とか脱出。これだから道に雪が積もるのは大嫌い。山の中はいくら積もってもいいけど。

あの山に登ります。立派な山容です。ここからの標高差は250mくらい?

以前は直登する険しい山でしたが、いつの間にか展望のいい遊歩道が頂上まで整備されてる。蛇行する太田川と手前は山陽道。ガスって展望はイマイチだけど、気持ちいい眺めです。道が歩きやすくなって家族連れなども登っています。

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山頂で必殺手抜き弁当+コッヘルで沸かした湯で作ったスープ、味噌汁などでお昼を食べる。グループで来た人、家族連れ、アマチュア無線をする人とけっこう人が多い。

雪の里山もまた楽しい。いい一日でした。

 

 

 

 

 

 

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海辺のウェディング

2012年01月31日 | 広島案内

近所に昨夏、結婚式場とライブハウスが出来ました。平安閣グループが作ったのはきょう見学会に行って初めて知りました。

ここです。以前は港湾施設がいろいろあったところ。今はウォーターフロントとして再開発中。

海と島を背景に記念写真を撮るそうです

式場はモダンでシンプル。天井が高いので荘厳な雰囲気が漂います。

披露宴も海が間近。季節ごとに表情を変える海も大切な舞台装置。

花嫁控室・・・だったかな

シンプルな家具。

同じく控室

花嫁さんは着付け前に風呂にも入れるそうです。

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マンツーマンで案内していただき、コーヒーを飲みながら家族構成などを話して営業が始まります。

「すみません、入りません」とさっさと撤収。そのあと見学会に合わせたフリマと古本市を覗いて布ガムテープ100円、遠藤周作の文庫本10円を買う。

絵付けの作品をたくさん売っている人がいたので、しばらく話をする。先日作ったワイングラス風のフリーカップ800円など。

ヴォーグでインストラクターの資格を取り、窯を買えば人に教えることが出来る。でもそれで元をとるのはなかなか難しいようで、結局自分がエンドユーザになるケースが多いのでは。この食器のあり余った時代、なかなかねぇ。でもいい陶土は有限、古い陶磁器を回収する取り組みを以前テレビで見たけど。。。

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本日は月末支払いのあと、返品する色留をクロネコのセンターまで車で持っていく。部屋の片づけ。そのあと織り用の毛糸を買いに行くけど、結局買わず。

ついでにSCの中の呉服屋のディスプレイの留袖を見る。ものすごく稚拙な柄、仕立て代込みで157,000円ですと。柄が悪いので高いでしょ。留袖の柄って豪華と下品は紙一重、上品と地味も紙一重。芸術にしても職人技にしても、作る人の主張が現れていなければ。アイテムてんこ盛りでも主張がなければうるさいだけ。

振り袖もね。今の洋花てんこ盛りが新しいのだろうけど、おばさんには分からないのでした。

寒いけれど、日もずいぶん長くなって、明日はいよいよ二月です。

 

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権現山へ登る

2012年01月22日 | 広島案内

きょうの午前中、近場の、緑井の権現山に登りました。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1173163715201/

頂上付近から広島市街を望む

急な遊歩道を降りると緑井毘沙門天があります

多宝塔は中国っぽい

里見の岩の上に立つ

山裾に広がる住宅団地の数々

 

誰が刻んだか歌碑ひとつ

「初春の山にまします啄木碑」 

「ふるさとの山に登りて啄木の句碑に出会うも春のめでたさ」

「ふるさとの山に登りて問うことあり句碑を刻むは誰の仕業かと」

頂上展望台から阿武山を見る。きょうは朝出るのが遅かったのであちらは断念。

また次の機会に。

頂上よりの下山路

「うしろすがたの時雨れていくか」 

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広島の脱走事件に思う

2012年01月13日 | 広島案内

一昨日、広島の吉島刑務所から脱走した受刑者が、54時間後に2キロほど離れた場所で捕まった。

刑務所の落ち度はこの際横に置いといて、私が改めて思ったのは、広島の市街地から逃げ出そうと思ってもなかなか難しいということ。旧市街地は全てデルタ。遠くへ行くためには必ず橋を渡る。橋は道路と違って数が限られている。

橋のところで見張っていれば、川を泳がない限り、隣のデルタには行けない。きょうは織りのお稽古の日、いつも通る橋の一つの袂にパトカーが見えた。あとで分かったのだけど、今日は刑務所と捕まった場所の間を車で通った。

発覚するまでの45分で川を二つ越えて観音まで行ったのでは?結局その三角州から出ることなく逮捕された。

うーーーむ、広島では悪いことしちゃいけんといういことじゃね。我が家のあるデルタを脱出する橋は13、道路に比べていかにも少ないことに驚いた。広島駅も我が家からだと駅前大橋というネックがある。普段は気にせず渡っているけど。

もしか何かの災害で橋が落ちたら、逃げられないということ。原爆の時も通れる橋を伝ってたくさんの人が郊外へと逃れたとか。橋の場所を知っておくことも大事だなと、事件のあとで考えさせられた。

写真は太田川放水路に架かる己斐こい橋。旧山陽道の通る古くからのルートです。

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