京都の観光案内の本は無数にあると思いますが、これはそこで生活して喜怒哀楽と共に思い出す、観光地ではない場所への思いをつづっています。
元は雑誌PHPに連載していたコラム記事。20年くらい前の本ですが、京都の路地はそのくらいの年月ではそう変わっていないと思います。
著者は札幌生まれ、大学は東京で、京都大学の大学院に進み、イタリアルネッサンスの文学や文化を専攻。京都の大学で教鞭をとって25年京都に暮らし、この本発刊当時は大阪府に転居しているとのことです。
すべて歩いて辿れる、ディープな路地裏や郊外、神社仏閣など。京都は特に特徴がない場所も歴史的な謂れがあったりして、それを知って歩くと一層楽しい。その手引書として、巻末に分かりやすい地図があり、使いやすい本と思いました。
ここには金閣、銀閣、清水寺、二条城、はたまた嵐山など、有名観光地は載っていません。
暮らしの息遣い、重層的に重なる古都の時間などを、静かに感じたい人向けの一話完結型の紀行文。たいそう面白く読みました。
この本片手に京都の路地裏を徘徊したい私ですが、今は暑い。涼しくなれば一人でふらりと行きましょうか。
この中で特にそそられたのは「壬生・坊城通り、辿る」と「北白川疎水通、静か」の二編。
壬生は新選組の屯所のあった場所。建物を提供した八木家は元は越前の守護大名、信長に攻められて亀岡に落ち延び、八木と名を変え、のちに壬生に移って来たという。
今はこんな感じで壬生屯所旧跡 八木家公開されている。いいなあ、行ってみたい。京都市バス「壬生寺道バス停」より徒歩1分・・・だそうです。バス、どこで乗ればいいのかな。
南禅寺と銀閣寺を結ぶ疎水沿いの道は、「哲学の道」としてあまりに有名ですが、それより北は地元民の散歩道で観光客もいなくて、静かに歩けそうです。
これは人工的に作られた流れ、P119に恐らく琵琶湖からの疎水ではないだろうかとありますが、疎水そのものと私は理解しています。それでいい?
琵琶湖からの水がトンネル通って水路閣に出て、銀閣寺前経由、松ケ崎浄水場まで。そこから上水道が配水されるんじゃなかったですか。
三男が学生時代、松ケ崎に三年くらい住んでいた。その前は白川通の何とか町、続いて大学近くの7畳半という、部屋の真ん中に柱が一本ある部屋。続いて松ヶ崎の学生マンション。地下鉄の松ヶ崎おりて、浄水場のフェンス沿いにしばらく歩くと建物があった。二度くらい行ったかな。懐かしい。
京都は川は北から南へ流れますが、疎水は逆。琵琶湖から水を引いて勾配を付けて浄水場へ流すのではないでしょうか。
つまらない蘊蓄はよろしい。
こちらの学校へ来て最初の春休み、京都の大学に進学した元クラスメイト(男の子)に連れられて、銀閣寺から南禅寺まで歩いたことがある。半世紀以上前で何を話したかもう忘れたけれど、疎水沿いに歩いて来て、目の前にローマ時代の水道橋のようなものが現れたのには驚いた。
「いいわね、京都は。いくらでも行くところがあって」と私は言ったと思う。靴が痛くないかと気遣ってれたのはまた次の時だった。
京都で知り合った女の子とデートして、寒いからと上着を貸したら、自分はとても寒かったと笑っていた。この本読んで、そんなこともずるずると思い出した。
三男が京都にいた六年間はよく遊びに行った。男の子なのであまり一緒には遊んでくれなかったけど、たまに車で高雄や将軍塚へ、最後は信楽まで遠出したのも今思い出した。
京都は一人一人が物語を作れる舞台なのかもしれない。
水路閣の男の子は今も年賀状のお付き合い。もう男の子ではなくておじいちゃん、そういう私はおばあちゃん。同窓会以外で会うことはないのですが、しみじみと年月、長けるのを感じています。