日記

日々のあれこれ
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炎天下、フレンチに行く

2022年06月30日 | クッキング、ランチなど
先日友達と出かけたフレンチ、きようは夫と行きます。
 
駐車場がないので、駅まで電車、あとは徒歩で。
暑い、、、きょうは35度だったそうで。
13時半の予約に5分遅れ。その心は、夫が早く歩かないから。腰痛です。
 
もうすっかり治るということはなさそうです。私は友達からいい接骨医を勧められたので、話してみるのですが行かないって。
自分の体に関しては頑固です。自力で何とか治そうとしますが、餅は餅屋へ。

私の膝ですか?
もうほとんど治りました。半月板の損傷で治らないとネットにあったけど、発症から9か月余り、ほぼ治りました。
 
初めは鎮痛剤を一日三度、湿布、サポーターの三点セット。初めは次の食後が待てないほど痛かったけど、次第に痛い時だけ飲むように。湿布も気が付けば止めていて、サポーターは最後までしていたけど、もう一月以上していない。
 
あとできないのは正座だけ。でも片足を横にずらして正座もどきができるまでになった。やれやれ。
 
不思議なのは山歩きをすると翌日、足が軽くなること。いろんな筋肉を使うからかなとも思います。

話がそれました。フレンチです。

フレンチレストラン

充実の前菜。

手羽先、野菜の固めたもの、生ハムとメロン、グラタン、ホタテのバジルソース仕立てと、これだけでお腹いっぱいに。

メインは鯛のポアレ、豚の煮込みほか。お皿も熱くして提供されます。

この他にジャガイモの冷たいスープ、デザートはオレンジのジュレにプリン、飲み物付き。

店内は女性の三人連れ。以前某女子校の近くにあったそうで、そこの卒業生らしい40代のマダム三人。

雰囲気でわかりますね。私のように地方の男女共学の公立出身とはまた違った雰囲気。

帰りは京橋川の川土手から栄橋、駅西大橋の歩道橋、福屋デパートの店内を通ると近道だった。

今度行くときはそうしましょう。

きょうはとても暑く、外出もなかなか大変でした。

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千巻き、始めました。

2022年06月30日 | 機織り



途中で糸を抜いて別に糸に差し替えたら、もつれる、たくれる、絡まると散々。

両側から思い切り糸を引いて、向こうは椅子に固定、手前の千巻箱に結び付けて本日の根気、使い果たす。

開閉式の粗筬、正規品は1万円近くするので、自作。

夫の工作室から棒をもらって来て、2㎝間隔に釘を打つ。

糸を通して荷造り紐で上から抑え、作業完了の暁には紐をほどいて筬を下へずらせば出来上がり。

織の道具、どれも高価なので、工夫してなるだけ安くあげる。

もちろん正規品が使いやすいけれど、これでもまあ何とか。

午後から、酔狂にも外出予定。詳細はまた。

昨夜は孫二人に嫁ちゃんが来て賑やかだった。いつもは窓を開けて扇風機だけで、我が家の場合は涼しいのですが、窓閉めてエアコンつけました。

来週はまた雨という噂もありますが、どうなんでしょうか。

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「天使突抜367」 通崎睦美

2022年06月29日 | 読書


先日読んだ本の、淡交社つながりで取り寄せて読みました。

淡交社というのは京都にある出版社で、「淡交」という確か茶道の月刊誌を出しているところ。写真のきれいな、京都の暮らしや文化に関する本を出しているらしいです。
 
著者は1967年生まれ、プロのマリンバ奏者ですが、傍ら古いものを集め、特に着物帯のコレクションは約六百点、11竿のタンスに収めていたけれど、家が狭くなっている。
 
たまたま親御さんとの三人暮らしの家から30秒の場所に古い長屋が売り出され、倉庫代わりに買う。
 
今の建築基準法では同じ家は建てられないので、外側は残して大幅に改築。そのいきさつが詳しく書かれています。いわば古民家再生。
 
この本の面白いところは、業者に丸投げするのではなく、仕事を通じて知り合った画家に相談し、建築も詳しいその人の伝手でいろいろな作業をする人が集まり、いわば学校のサークルのようなノリで、著者も関わりながら、一歩一歩、完成に向けて頑張るところ。
 
材料は、絞り問屋の立派な建物の建て替えで出た古材、建具、棚、などの古いもの。それに、著者が骨董市やネットで探した小物、照明器具などを加え、どこにもない建物として再生した、この本はその物語である。
 
お金もかかったはずですが、人の縁の広がりで、相談しながら素晴らしい建物になって行くその過程がたいそう面白かった。
 
たまに差し入れでご飯を作る。「現場メシ」のカラーページは、どれもおいしそうなおかずの数々。手を掛けず、普通の食材で手早く作る。カレーはご飯も鍋もどんと置き、各自好きなだけ食べてもらう。いいなあ。これでこそ現場の士気も上がるというものでしょう。
 
建築の専門的な用語は、分かりやすく説明はありましたが、私のような素人にはちょっと難しかった。でもとても楽しめる本でした。
 
私はもう引っ越すことも新しく家を買うこともないはずですが、今の家で、工夫して楽しく過ごすことならできる。そう思って元気の出る本でした。
 
 
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蚊帳、吊るしました

2022年06月29日 | 日記


故舅様が、軍隊から持ち帰った一人用です。
夜中、蚊で目が覚めて、急遽セット。
大阪支廠調製、レトロ、ここに極まれり。
 
窓開けて涼しいです。60年振りの涼しさ。田んぼのカエルの声が欲しいところです。
 
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夏野菜の収穫

2022年06月28日 | 日記
朝起きたら夫不在。
しばらくしたら、実家屋上から野菜持って帰宅。


うあおぅ🍆🥒😂
 
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「京都の時間。京都の歩き方。」 澤井繁男 伊藤佶

2022年06月27日 | 読書

京都の観光案内の本は無数にあると思いますが、これはそこで生活して喜怒哀楽と共に思い出す、観光地ではない場所への思いをつづっています。

元は雑誌PHPに連載していたコラム記事。20年くらい前の本ですが、京都の路地はそのくらいの年月ではそう変わっていないと思います。

著者は札幌生まれ、大学は東京で、京都大学の大学院に進み、イタリアルネッサンスの文学や文化を専攻。京都の大学で教鞭をとって25年京都に暮らし、この本発刊当時は大阪府に転居しているとのことです。

すべて歩いて辿れる、ディープな路地裏や郊外、神社仏閣など。京都は特に特徴がない場所も歴史的な謂れがあったりして、それを知って歩くと一層楽しい。その手引書として、巻末に分かりやすい地図があり、使いやすい本と思いました。

ここには金閣、銀閣、清水寺、二条城、はたまた嵐山など、有名観光地は載っていません。

暮らしの息遣い、重層的に重なる古都の時間などを、静かに感じたい人向けの一話完結型の紀行文。たいそう面白く読みました。

この本片手に京都の路地裏を徘徊したい私ですが、今は暑い。涼しくなれば一人でふらりと行きましょうか。

この中で特にそそられたのは「壬生・坊城通り、辿る」と「北白川疎水通、静か」の二編。

壬生は新選組の屯所のあった場所。建物を提供した八木家は元は越前の守護大名、信長に攻められて亀岡に落ち延び、八木と名を変え、のちに壬生に移って来たという。

今はこんな感じで壬生屯所旧跡 八木家公開されている。いいなあ、行ってみたい。京都市バス「壬生寺道バス停」より徒歩1分・・・だそうです。バス、どこで乗ればいいのかな。

南禅寺と銀閣寺を結ぶ疎水沿いの道は、「哲学の道」としてあまりに有名ですが、それより北は地元民の散歩道で観光客もいなくて、静かに歩けそうです。

これは人工的に作られた流れ、P119に恐らく琵琶湖からの疎水ではないだろうかとありますが、疎水そのものと私は理解しています。それでいい?

琵琶湖からの水がトンネル通って水路閣に出て、銀閣寺前経由、松ケ崎浄水場まで。そこから上水道が配水されるんじゃなかったですか。

三男が学生時代、松ケ崎に三年くらい住んでいた。その前は白川通の何とか町、続いて大学近くの7畳半という、部屋の真ん中に柱が一本ある部屋。続いて松ヶ崎の学生マンション。地下鉄の松ヶ崎おりて、浄水場のフェンス沿いにしばらく歩くと建物があった。二度くらい行ったかな。懐かしい。

京都は川は北から南へ流れますが、疎水は逆。琵琶湖から水を引いて勾配を付けて浄水場へ流すのではないでしょうか。

つまらない蘊蓄はよろしい。

こちらの学校へ来て最初の春休み、京都の大学に進学した元クラスメイト(男の子)に連れられて、銀閣寺から南禅寺まで歩いたことがある。半世紀以上前で何を話したかもう忘れたけれど、疎水沿いに歩いて来て、目の前にローマ時代の水道橋のようなものが現れたのには驚いた。

「いいわね、京都は。いくらでも行くところがあって」と私は言ったと思う。靴が痛くないかと気遣ってれたのはまた次の時だった。

京都で知り合った女の子とデートして、寒いからと上着を貸したら、自分はとても寒かったと笑っていた。この本読んで、そんなこともずるずると思い出した。

三男が京都にいた六年間はよく遊びに行った。男の子なのであまり一緒には遊んでくれなかったけど、たまに車で高雄や将軍塚へ、最後は信楽まで遠出したのも今思い出した。

京都は一人一人が物語を作れる舞台なのかもしれない。

水路閣の男の子は今も年賀状のお付き合い。もう男の子ではなくておじいちゃん、そういう私はおばあちゃん。同窓会以外で会うことはないのですが、しみじみと年月、長けるのを感じています。

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機織り…粗筬まで

2022年06月27日 | 機織り

6月も終わります。一歩でも半歩でも機織りを前に進めましょう。

道具をいろいろ出して。

とりあえず織る幅に糸を広げる。

配色が何かねぇ・・・

両縁に濃い色足すかも。

ちょっと動くと汗が出るので少しずつ。

午前中、庭のモミジを自分で剪定をしていたら(業者に頼むほどの庭ではないので)、でかい虫が付いていた。

昼休みに帰った夫に駆除してもらう。やれやれ。

夏が来るので葉を透かして涼しげに。

あとはカシワバアジサイを残すばかりとなりました。

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忙しくて楽しい一日

2022年06月26日 | 日記

本日、梅雨の晴れ間、いいお天気です。

朝、フリマへ行く。

男物、紬、袷2枚お買い上げ。

合計100円。上の表地は、冬用のワイドパンツまたはブラウスに。下は裏地の藍色の木綿がいろいろ使えそう。天然藍ではなく化学染料のようですが、色あせしないので好都合。

古いのでしっかり洗ってからほどく予定。

そのあとかねて申し込んでいた講演会&茶話会に。里山暮らしの女性の話、面白かった。広島県でもダイヤモンドダストが見られ、除雪車も出動するとか、知らない話がいろいろ聞けた。

そのあと、茶話会。自己紹介と話いろいろ、和気あいあいととても楽しい集まりでした。それは同郷の人達だから。

お菓子の残り。

うまい棒にもローカル版あり。うどん出汁の味でした。

友達は広島県生まれの広島人、でも過去の参加でとても楽しかったからと快く来てくれた。

解散後、移動して二人でランチを。

★こちら

画像はサイトよりお借りしました。

少しずつだけど日本料理の王道をきちんと押さえている。これなら、結婚式でも出来るねと友達に話して受けた。

原爆の話になり、友達の身内の方(当時は女学生)が、建物疎開で被爆して、似島へ運ばれ、やっと探し出したお母さんにスイカが欲しいと言い、スイカの果汁を口に入れてもらって亡くなったとか。。。。

お骨が混ざらないよう、別に火葬してもらった・・・とか、広島の人はみんな原爆の話を一つは持っている。

話を聞いて涙が出る。これから夏に向かって、広島の人は、死者を思い出すことも多くなるでしょう。広島の辛い経験が、世界の人たちに共有されたとしても、一人のパラノイアの暴走が止められるのか・・・止めないといけないのだけど、どう道筋を付けるのかと、暗澹とした。

唯一被爆国として、日本にしかできない役割があるはず。日本のかじ取りをする立場の人は、アメリカの方ばかり見ずに、その難しい道を模索していただきたいものです。


店は相生通りに面して眺めも良く、食後のコーヒー飲みながらふと気が付くと2時近くになっていたので名残を惜しみつつ解散。

久しぶりに皆さんにお会いできて、友達ともじっくり話せて、里山暮らしのことも聞けていい日になりました。

自己紹介で、私はT高校出身、仲人をしていた叔母によるとT高校なら女の子の縁談は間違いないと言われたのに、こちらへ来ると夫親族からは何の反応もなくて寂しいと話して受けた。

もう一つの話はしそびれた。地元に本店のある銀行の広島支店へ行くと、窓口の若い行員さんが懐かしい言葉で話すので、つい**県出身でしょと聞いたら、「分かりますかあ?」と返され、それがきっかけでこの会に参加した。その話はもっと受けたと思うのに残念。またの機会に。

コロナも納まって、またいろいろなイベントが再開されることを願っています。

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前のブログ、一部復活しました

2022年06月25日 | お知らせ

今年初め、全部を下書きにして8年ぶりにこちらを書き始めたのですが、一部復活しました。

前のは約8年間書いていました。

その間の記事が見られなくなると、その間に何をしていたかもすぐには探し出せない。そうするとまるで生きていなかったようで心もとなかったのです。

きょうは少しだけ復活して、生き返った気分。

きょう見つけたのはこの画像。おや、前のIDが見えている。

この日はなんか急にアクセス数が増えて、最高23位と後にも先にもこんなことはないので驚きました。

あるgooユーザーの方が、**さんがリンク付けてあなたのこと記事にしたからではないかと教えてくれたので見に行くと、それはもう削除されていました。

ちょっと気持ち悪かったけど、記事が消えたのなら仕方ない。

この時には伊藤詩織さんの判決が出たころで、ご本人が涙ながらに記者会見していたので、その事について書いたと思います。

若い女性にこんなつらい思いを味合わせたのは、私達、年上の女性たちが、男性の理不尽に声を上げて来なかったから。と書きました。

**さんという方は、伊藤さんはプロの女性だと、私とは逆の考えの人でした。そのことを書いたのでしょうか。こんなにアクセスが増えるなんて、どんな言葉を連ねたのか、褒めてくれてたのかな。いやいや、記事がないのでわかりません。

そのあともう一度、似たようなことがありました。それは人の病気の治療方針に、素人が横から口出ししてはいけないという記事だったと思います。

あれは少し言葉足らずでした。口出しは慎むべきですが、善意からしてしまうのはままあること。しかし、それを受け入れる入れないは相手次第。受け入れてもらえないなら黙って引き下がればいいだけのこと。

感情的になって、馬鹿だとか阿呆だとかという言葉を公開するのはやりすぎです。

というわけで、過去にはいろいろと楽しい交流もあり、感謝しているのですが、今は御縁が切れています。

きょう、久しぶりに前のブログで仲良くしていた方がアクセスしてくださり、私も不用意に、ご本人の承諾なくこの方の記事にリンク付けたことを思い出したのです。この場を借りてお詫びします。

今少しずつ前の記事を復活しているので、その他の方のリンクも、もしあれば外します。

きょうの教訓

リンクにご用心。

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雨です

2022年06月25日 | 日記
 
午前中、雨が降り出す前に屋上の野菜の収穫。
一日でこれだけ。トマトは今年はよくできるみたい。カラスの被害も今のところなし。
ズッキーニは取り頃が分からないので、夫にお任せ。
明日は友達に会うのでトマトを少し持っていく。
 
屋上は二か所あるけど、東側へは行かない。なぜなら、私の嫌いなクチナシがあるから。花が嫌いというよりも、花につく虫が嫌い。まさか五階まで卵産みに飛んでこないはずだけど、それでも嫌い。想像するだけで嫌なので足を踏み入れない。
 
30歳前後、夫勤め先の職員住宅に二年間住んでいた。一度、中で住まいを替わり、次のは、先住者が入口から玄関までの通路両脇にクチナシを一列に植えていて、季節には死ぬ思いだった。
 
この家に帰ってからも、台所裏口正面に姑様の植えたクチナシが。怖くて外へ出られず、深夜帰宅する夫に駆除してもらっていた。ああ、怖)))))))
 
その後増改築しても、クチナシは残っていたので抜いてもらった。
 
姑様、よほどクチナシが好きだったんでしょうか。姑様は虫はそう苦手でなかった模様。戦争体験者は度胸が据わっているわけでもなく、これはもう持って生まれた性質。いかんともしがたい。
 
私、ヘビは割と平気なんですが。
 
明日会う友達はヘビが大の苦手、歩いていてヘビに遭遇すると絶対その先へは行かないそうで。
 
なんで?ヘビはもう逃げたからいいじゃないのと言われると、「何言ってるの。地球は繋がっているんよ!!」だそうです。苦手なものは人それぞれ。
 
うちの夫は180㎝の大男なのに蛾が大の苦手。部屋で蛾を見つけると、私が外へ追い払うまで固まっています。

すみません、長話になりました。

昼ご飯食べに帰った夫曰く、「あんたもキュウリのくびれを見習いんさい(広島弁)」。
妻返して曰く「なんで人間がキュウリを見習わんといけんのよ(四国なまり似非広島弁)」。
 
その昔、小学生の三男が持つぬいぐるみを笑ったら「謝れ、謝れ、パッちゃんに謝れ」と責められたことが。それを思い出した。
 
この家では、私はぬいぐるみよりもキュウリも劣った人間?・・・なはずはない・・・キッパリ、と雨の中、気を取り直す。
 
梅雨なので雨は仕方ないと言うか、雨もまた楽し。
 
小学生の頃、祖母と私で留守番しているとき、近所のよろず屋へ行き、飴買ってもらって、帰るときは大雨で濡れたことを思い出した。
 
祖母はよくおやつを買ってくれた。夏ならアイスキャンデー、お金貰って近所の店に買いに行く。おとなしい人だった。強気の母に遠慮して、言い返す言葉を持たない人だった。当時、今の私よりも若かったはず。何を考えていたのかなあ・・・
 
でも戦死した叔父の遺族年金がいるらしく、お金は割と持っていた模様。
 
雨でぼんやりしていたら、60年以上前のそんなことを思い出した。

 
ついでにアジサイを採ってきた。
 
スマホで撮って写真イマイチ。でも楽を覚えるといちいちカメラを構えるのが億劫。


機織り、そろそろ次の行程へ。でもなかなか取り掛かれない。織り始めると早いのですが・・・とまたしても言い訳。
 
糸は整経台からすべて外して、フックに掛けている。今はその状態。
 
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生き延びるために・・・男の料理

2022年06月24日 | 断想


出かけた先、植え込みにワルナスビが。
花は可憐だけど棘がきつい。北米原産だったかな。荒れ地に生える。
 
ここまで言うと悪役みたいだけど、乾燥して栄養分の少ない土地に最初に進出する植物は、次のより安定した植生への橋渡し。きちんと役割を果たしている。
 
自然界で起きることはすべてわけがあり、かつ無駄がないということでしょうか。

さて本題に。

さる方が、しばらく連絡ないと思ったら施設に入所したとか。私ども夫婦と同年齢の70代前半の方。

奥様はすでに他界、最近体調崩して入院。退院後、施設入所となったそうです。まだまだ元気ですが、料理ができないので自分から希望してとのこと。介護は受けていないようなので、サービス付き高齢者住宅かなと思います。ご本人が希望したことらしいのでそれもありかなとは思いつつ、同年齢の人が施設に入ったのはちょっとショック。

ご本人、料理ができないからとのこと。奥様亡きあと宅配弁当を取ったりしていたようです。隣に息子さん夫婦が住んでいますが、今の時代、それでも施設に入る選択。なんかねえ、時代はもうそこまで来ているのでしょうか。女性が経済的に自立するのも大切、男性が生活者として自立するのも大切。これからはますますそうなると思います。

夫は一人になっても施設に入りたくないとか。なら、自分が食べたいものが作れるようにならないと、と先日言いました。

今は仕事しているので、私が家事をしていますが、仕事止めたら家事を全部書き出し、分担を決めると言ってあります。

特にした方がいいのは、食事の支度。元々はほとんど何もできない人でしたが、50代から私が旅行で家を空けることが多くなって、何とか出来るようになりました。それをさらにバージョンアップしてもらいたい。

男性の料理、と言っても難しく考えることはないと思います。最小限必要なのはご飯を炊いて具だくさんの味噌汁を作ること。あとは好きなものを足せばいいはず。

野菜、豆腐、油揚げ、キノコ、海藻、肉に魚って・・・鍋でもいいかな。

仕事止めて料理しないといけんのなら死ぬまで仕事する、などと申しておりますが、料理は、何よりも自分が生きるため。一人でも生きて行けるようにするのが老妻の務めかなと最近は思っています。

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「顰蹙文学カフェ」高橋源一郎 山田詠美

2022年06月23日 | 読書

公民館で借りてきた。

2005年から2008年にかけて雑誌「群像」に不定期に掲載されていた文学鼎談を一冊にまとめたもの。

毎回ゲストを呼び、今の文学はどうなっているか、これからどうなるかを語り合う。

ゲストは島田雅彦、中原昌也、車谷長吉、古井由吉、瀬戸内寂聴の各氏。今はもう3名が亡くなられている。生きている間に話を聞き、本として残すのは、亡くなった後ではとても貴重に思えます。

この中で言われていることは、当たり前のこと、人と同じことを書いても文学としてはつまらない。ということ。

もちろん、労働で疲れた一日を癒すための読書も大切、分かりやすく痛快なエンターテインメントも必要と私は思いますが、ここではそれまでの常識を覆し、物の見たかが変わるような作品をみんなで模索し、期待しているのが読みどころでしょうか。

今は書いていない?田中康夫氏が、新しい文学は常に「若者、よそ者、バカ者」がもたらし、顰蹙を買うくらいのパワーのある作品が次の時代を切り開くと言っていたそうで、面白いなと思いました。

田中氏自身、デビュー作「なんとなくクリスタル」は顰蹙の嵐。こんなの文学じゃないと言われ、ついでに人格についてもあれこれ言われるのが長く続いたと思います。でも逆に文学の間口をうんと広げたのは事実。阪神大震災の後も、バイクで神戸へ駆けつけ、スチュワーデスが使う化粧品のキットを避難所で配って感謝されたと、昔著作で読みました。彼らしい。

でこの本から10年以上たち、文学の世界も日々アップテートされているので、もう古臭い感じ。新しい時代の新しい話、読みたいものです。

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「芸術新潮」きものみち 2020年5月号

2022年06月22日 | 読書
 
2年前の雑誌。ちようど東京で特別展「きものKIMONO」に合わせて着物の特集。
その時は売り切れで、図書館で借りて読んだ。最近ようやく古書が出回り始めて、やっと買えました。
 
そのとき読みたかったのは「着物警察なんか怖くない」という記事。着物を着て外出して、他人からいろいろ言われることに対する心構え、対処法など。漫画で。
 
私のような年寄りでも着物警察に遭遇することがあるので、若い人だと一層大変でしょう。
 
この記事では、冠婚葬祭、稽古事などはローカルルールを含む決まりごとを愚直に守るべし、それ以外は自由にしてよしと明快です。
 
着物の決まりにうるさいのはネット上でのこと、着物警察はいつもそこら辺にいて隙あらば文句つけようと待ち構えていると思うのは気にしすぎ、自分のために着る場面では好きにすればいいとのことです。
 
そりゃそうですよね。
 
私の感想ですが、着物着ていない人は、負けたと思うのかしらね。相手二人連れ、こちら一人、私の経験から言ってこの場面が一番危ない。
 
この記事では「ああ、私もキモノいっぱい持ってるのよ。着ないだけで」「着ないよね。着物なんか今どき」と言われて「なぜわざわざ言う」と着ている人が思う場面。
 
息子の小学校の卒業式で着物着ていたら、すぐ後ろのお母さん二人、「私は着物着ない。娘が太って見えるって言うから」とこそこそ話してましたね。
いや、きっと私に聞こえるように言ってたに違いない。
 
「太って見えるって誰のこと?」って聞けばよかったかな。
「そりゃもちろんあなたのこと」って言われたら、今度はどう返す?
 
というわけで、大勢の中の着物一人、危険な技ですが、それでも着たいもん。その心は誰も止められない。
 
この記事読んで堂々としていればいいと改めて確認。

今回はこちらをしみじみと読みました。

筆者の加門七海さんによる、鏑木清方の美人画の着物の解説。

一時間以上じっくり鑑賞したそうで、(2020年当時はどこで見たのでしょう)、着物、長じゅばん、羽織り、履物などの材質を見抜き、季節や人物の設定にまで踏み込んで鑑賞。

なるほど。先日京都で観たばかりなので、画家の描写の的確さ、絵から着物の種類を見抜く筆者の眼力。改めてうなされました。


 
買う本あれば売る本あり。
 
 
最近読んだのや昔のやら。オークション出品予定。
 
 
絵付けの本はたくさんありますが、図がきれいで、分かりやすい手ほどき書。
 
この中から真似していくつか描きましたが、もう卒業したので手放すことにしました。よろしくお願いします。

今朝は頑張って整経の残りをしました。

おやま、ピンボケ。最近はカメラではなくスマホで写して直接画像を投稿。

記事はパソコンでゆっくり書く。写真は手振れした模様です。

色の並びが先日とは逆です。


脈絡もなく、ついでの画像。
 
 
屋上菜園。本日の収穫。
家族は二人、野菜たくさん。
しばらくはこの状態が続きます。
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「家族終了」 酒井順子

2022年06月21日 | 読書

先日の、たぶん朝日新聞の書評欄で取り上げられていたので、取り寄せて読んだ。

読みやすくてよかった。

自分の体験をもとにして、家族のありかた、家族そのものが時代と共に変わって行くことを書いている。

「負け犬の遠吠え」でブレイクしたのはもう20年以上も前でしょうか。未婚の女性が増えた時代をうまく掬い取った好著と思いました。みんな何となく分かっていてもまだうまく言葉に出せないときに、人に先立って言ってしまう。彼女の真骨頂はそこらあたりにあると思います。

この本も、結論から言うと、家族は変遷し、時には消滅するけど、それは誰も抗しがたい。受け入れてよりよく生きていく・・・ということでしょうか。

本書出版の2019年時点で、著者は一緒に住む男性がいる。よかったなと思いました。人と暮らすのはめんどくさいこともあるけれど、それで見えてくるものもある。それが著作に深みとして反映されることと思います。えらそげですみませんが。

冒頭で、生育家族と創設家族という言葉が出てきます。それぞれ、生まれ育って結婚までを過ごす家族、結婚後の家族を指すようですが、私は初めて聞きました。

家族終了とタイトルにあるので、ご両親に次いでお兄様も他界され、その方も独身だったのかと思ったら、ちゃんと結婚して娘さんもおられるとのこと。終了ではなく、家系は繋がっているようです。

冒頭付近、自分がお兄さんに作ったシチューが、お母さんと同じと喜んでくれた、でも兄の配偶者や娘にはあの味は伝わっていない、だからもうあれは自分がいなくなると幻に味になると感慨深そうですが、私は嫁の立場として似たようなことを言われたので、ここで気分悪くなって放り出そうかと思ったのですが、財布開けて買った本なので我慢して読みました。

家系は繋がって行くにしても、生育家族はどの家も必ず無くなって行く。私自身、楽しかった記憶もたくさん、感謝はあるけれど、なくなるのをそう残念とも思わない。それはそういうものだから。

著者は姪御さん一人なので、お墓の継承を心配もしているようですが、今の時代、男系にこだわっていては伝わるものも伝わらない。発想の転換が必要ではないでしょうか。

そして墓地、遺骨へのこだわりは、近代になって、人々が少しだけ余裕ができて墓地を持てるようになったことと無関係ではないと思うのですが、大都市に、自分の世代から出てきた人たちの墓地が十分に供給されているのでしょうか。家に遺骨を置いたままというのがとてもたくさんあると聞きました。

最後の方で、事実婚の今が心地いいので、あえて籍は入れない。この選択はうらやましいなとも思いました。著者の周りでも、子供を産むこともない人、そして自分の収入のある人は同居はしても結婚はしないそうで。

社民党の福島瑞穂さんもたしか事実婚ではなかったでしょうか。一人でも生きていける人はあえて嫁にならなくても。これからはこの傾向はますます進んで行くことでしょう。

人はこうあるべきではなかなか動きません。自分にとって幸せで心地よい選択をその都度しています。その都度自分が幸せになるために家族を作ったとして、その後その家系が途絶えて、庶民の家で本当に困るのかなあと・・・私の個人的な実感です。

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夏が来た・・・藍染でインテリア

2022年06月21日 | 暮らし

昨年亡くなった姑様は60歳代から10年以上、藍染を習っていて、たくさんの作品を残していました。

一部、義弟妹が四十九日に持って帰りましたが、残りは二回に分けて銀行ロビーで展示し、今は私が保存管理しています。

夏は藍染が涼しそう。大事にしまい込まず、使って姑様をしのびたいと思います。

先日の公募展、藍染は小さな作品、あれよりお母さんのが絶対にいい、出そうかしらと夫に言ったくらい。残念ながら出せませんが。


のれん。

姑様の家に、汚れたまま丸めて置いていた。危うく夫が捨てるところだった。洗って広げて遠くから見ると、くっきりと浮かび上がる2本の大樹。

深い森の中、葉擦れの音、鳥のさえずり、かすかな風・・・と物語を作る私。

我が夫は180㎝の大男、のれんは顔に当たるときつくご法度でしたが、先日、夫の服を全部別の部屋に移して、ここへは特に用事もなくなったので、今朝、のれんを吊るしました。

嬉しい。

夏は開け放すことも多いので目隠しも兼ねて。

整理ダンスも上下に分けて、上は夫に貸与。こちらも藍染で。

いろいろなものは切り溜に入れる。20年以上前、骨董市で。入れ子のセットもあるらしいけど、これは一つだけで安かった。

はい、木の容れ物が好きです。無垢板ならなお良し。

大きいのはテーブルかけに。

これも、掛けて遠くから見ると三角が見えてきた。

何度かに分けて染めるんでしょうが、生前は殆ど作品見たことなかったので、作り方も聞いていない。

残念。

テレビ台のホコリ除けに。

白をたくさん残すのが難しいと、藍染をする友達が言っていた。

これは板締めという技法らしい。

きょうはこれだけですが、家の中で使って、またいろいろ紹介したいと思います。


機織り、今日の作業。

要所をひもでくくって。

赤は綾、他は糸が乱れないため、黒で。

切って外して掛けておく。フックはダイソーで。便利。

本日、時間にしたら10分くらいの作業。

きょうは気が乗らないのでとりあえずこれだけ。

気が乗らなくても何か一行程進めると、次が見えてきます。

障子紙は板杼が当たって穴が開き、貼り変えずに応急処置。

狭い部屋の悲しさ。

次は緯糸を2本か3本一緒に織る予定なので、長い板杼で。

織機の場所を窓から離した方がよさそうです。

あせらず、弛まず、無理しない程度に頑張ります。

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団塊の世代

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手織り

機織り

手織り

手織り