日記

日々のあれこれ
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「石田節子のきものでおでかけ」 石田節子

2009年09月27日 | 読書
石田節子という人は、アンティークの呉服屋さんのスタッフから着物スタイリストになった人で、業界では有名な人らしい。NHKのお洒落工房にも出演するとか。テレビ、殆ど見ないので知らなんだ。お恥ずかしい。

この人の提唱するのは、紐も少なく、楽に着ること。
雑誌の撮影の場合、モデルさんにものすごく補正をして、あちこちピンで留めたり、洗濯ばさみで摘んだりして、皺一つ寄らないように着付けるそうです。
時には着尺を折りたたんで巻き付けただけで、まるで着物のように見せてしまうこともあるそう。

そんな着付けと普段の着付けは、違うもの。楽に楽しくと言われると、味方が出来たようでちょっと嬉しい私でした。
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「奇縁まんだら」 瀬戸内寂聴・・・昭和の作家達の面影 

2009年09月26日 | 読書
今はもうなくなった作家、評論家など21名との交流を綴ったエッセイ集。好奇心旺盛、若いときから積極的な著者にして初めて書けた人物評になっている。
大女流作家から、いきなり「徳島出身だからみんなの前で阿波踊りをしなさい」と言われると、ちゃんとやって見せる。エライ!!それも作家修行のうち。

大作家と呼ばれる人々の意外な一面が生き生きと蘇る。瀬戸内さんはどうもイケメンがお好みらしく、遠くから見た島崎藤村!!(1943年にはなくなっているのに)の端正なたたずまいから始まり、最後の、先年なくなった水上勉まで、合計21人の人たちとの交遊録。生きる昭和文学裏面史。
21人とは島崎藤村。正宗白鳥。川端康成。三島由紀夫。谷崎潤一郎。佐藤春夫。舟橋聖一。丹羽文雄。稲垣足穂。宇野千代。今東光。松本清張。河盛好蔵。里見。荒畑寒村。岡本太郎。檀一雄。平林たい子。平野謙。遠藤周作。水上勉。

素晴らしい面子です。

写真は9/21の浅間山。左上「トーミの頭」へ今から行きます。クリックで浅間山の全景が現れます。
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「信濃の国」・・・長野県歌

2009年09月25日 | 旅行
今回長野県へ行って初めて知ったのだけど、長野県には立派な県の歌「信濃の国」があるのだそうです。

信濃の国
「信濃の国」大合唱

師範学校の先生が作ったこの歌は明治以来延々と歌い継がれ、戦後、県歌となったものだそうで、長野県の風物、産業、偉人が満遍なく歌われています。
歌うと長野県人であることの誇りと一体感を感じるのでしょう。

わが広島県にも県歌ってあるのでしょうか。聞いたことないけど、あるのかも。
それにしても県民みんなが歌える歌って、凄いですね。

写真は上田駅前で流されていたDVD。
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信州に行ってました

2009年09月24日 | 旅行
好天に恵まれ、いろいろと遊びました。追々こちらでも報告します。
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「タンポポの綿毛」 藤森照信  朝日新聞社

2009年09月18日 | 読書
朝日新聞日曜版に連載していたエッセィを一冊にまとめたもの。1946年生まれの藤森氏が、諏訪湖近く、長野県諏訪郡宮川村高部(現在は茅野市)での子供時代を振り返って、遊び、暮らし、宗教行事、習慣など、自然と一体化した昔を語る。
今は中央道諏訪インター下りてすぐの便利な場所。が、信じられないような昔話の数々。

友達のおじいさんは山で暮らす仙人だったとか、バットは木の枝、ボールも短い枝のボーベース(棒ベースボールの意味?)など、昔の山里の暮らしがとてもおもしろい。なかでも諏訪大社のオンバシラ、六年に一度山から合計16本の巨木を引き出して境内に建てる祭りにはびっくりする。

山と言っても村中総出で八ヶ岳の中腹から六日かけて二十キロも引いてくる。学校はオンバシラ休み。
山の斜面を落とすとき、木に上がって掛け声をかけるもの、引くもの、それはたいそう豪快な行事。一度テレビ番組で見た記憶がある。

転がり落ちた人のあとから巨木が襲う。が、毎回死ぬのは一人か二人…って、それ大変でしょと思わず突っ込みたくなった。

学生時代、研修旅行で諏訪大社へ行ったことがあり、郷土史家の方から境内で話しを聞いた。柱を建てるのは伊勢神宮の遷宮のように、神様が移る場所を何年かごとに新しく造営していた名残ではないかとのお話だった。
「前のオンバシラは、さあ何人か死んだようですが…」とごく普通の顔をして言われるので一同唖然としたものです。

お祭りというのは岸和田のだんじり祭りのように、ためていたエネルギーを発散して死ぬ一歩手前まではめをはずすのが快感かもしれない。が、広い世界のどこに命と引き換えにするようなお祭りがあるのだろうか。恐れ入りました。

藤森氏も若い頃は近代人としての自意識が高まって恥ずかしかったが、結婚後は家族や友人まで誘って参加しているとか。一度味をしめると、ミコシや山車なんか、ばかばかしくて見る気もしないそうで。

もうひとつ面白かったのは、集落のご先祖は伊那谷との間の守屋山にいると信じられ、お盆には家に帰ってくるという。守屋山へは杖突峠まで登り、山へと分け入る。峠を越えると伊那谷、古代の東山道もここを通っていたそうで。

写真は二年前の五月、守屋山登山口で。ここから山頂までは二時間もあれば充分登れます。山国の遅い春は桜がきれいでした。
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志和堀の造り酒屋

2009年09月17日 | 旅行
東広島市志和堀は茅葺民家で知られるところ。造り酒屋「千代乃春」さんは現在製造はやめていますが、立派な本宅と製造施設などがそのまま残っています。
現在、「志和堀DNA」というイベントが開催中。本宅の座敷へも上がって見学できます。
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東広島市志和堀へ

2009年09月17日 | 旅行
現代アートと古い町並みのコラボ「志和堀DNA」に行きました。
志和堀は白木~八本松と中野~福富の街道の交わるところにあり、昔は近在の交易の中心、裕福な土地だったようです。
立派な茅葺の家が点在しています。
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呉服屋さんの座敷

2009年09月17日 | 旅行
店の横を回りこむと立派な庭が。振り返ると立派なお宅が。座敷の一部が庭にせり出し、縁側の籐椅子から池が望める仕掛け。この広さが、街中に住むものには何よりの贅沢に思う。
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呉服屋

2009年09月17日 | 旅行
豪壮な商店です。上がりかまちの材木は厚さ30センチほど、裏に回ると立派な庭があり、でっかい鯉が悠然と泳いでおりました。

客「奥さん、どこから来ちゃったん?」
私「広島からです。ちょっと建物を見せてくださいね」
客「私、この服買ってもう着たんよ。あなたも何か買いんさい」
私「いえ、服はちょっと。この家は何年くらいになるんですか」
店主「えーーと、**ちゃんが生まれる前じゃけえ、60年か70年くらい前?」
私「立派ですねぇ」

服は広島にもたくさん売っているが、こんな立派な商店は広島にはない。体育館のように広くて立派な木造建築。素晴らしい。
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囲炉裏

2009年09月17日 | 旅行
志和堀は内陸で寒い。囲炉裏は暖房と煮炊きの一挙両得、昔の団欒がしのばれます。
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木彫りのクマ

2009年09月17日 | 旅行
実家にもありました。昔はどこの家にもありました。北海道旅行が、今の海外旅行みたいにありがたかった時代。
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カレンダー

2009年09月17日 | 旅行
カレンダーです。壁の補修に使っています。
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志和堀DNAに行く

2009年09月17日 | 旅行
現代アートと、古い町並みのコラボ、志和堀DNAが開催中。車を運転して出かけてきました。
現代アートはよく分かりませんが、古い町並みを平日の昼日中からキョロキョロ歩いたり、茅葺の民家の座敷に上がり込んだり出来るのはイベントがあればこそ。

古い民家は中が広く、庭もとても立派で裕福だった昔がしのばれます。珍しいものも見てきました。
1961年、女優山本富士子の和服姿のカレンダー、北海道土産、鮭を咥えた木彫りの熊の置物on古い下駄箱、いろり、昭和27年の反当り米の収穫量広島県一に輝いた表彰状など。

写真は志和堀小学校横にある昭和24年頃に作られた旧農協会館。昔は階下はマツタケの選別、会場は集会(結婚式)として利用。現在は集会場、学童保育の保育所として使われているそうです。

日陰のない道を歩くうち、暑くて疲れてしまい、最後はパス。

商店街の呉服屋さんに入ると、普段着やパジャマなどが前の方にあり、着尺は奥のほうに。居合わせたお客さんから、ブラウスを買え買えと勧められましたが、服よりも立派な家のつくりに感動して帰ってきました。
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「死を想う」 石牟礼道子 伊藤比呂美 平凡社新書

2009年09月16日 | 読書
「苦界浄土 わが水俣病」を読んだのは20歳代のはじめだった。公害の被害を声高に告発するのではなく、水俣の地でひどい目に遭った人に寄り添い、言葉で癒そうとする語り口が独特だったのを憶えている。

散文でもなく、詩でもなく、それらの分類以前の、遠い昔の人の声とでも言おうか。

この本では詩人の伊藤比呂美のインタビューに答える形で自らの死生観を語っている。死は怖くない、いずれは仏になる身といささかの揺るぎもない。

子供の頃の家族、若い頃の地域社会の話がはじめにある。人格者だった父母、病の祖母、家に居場所のなかった祖父。終戦前後の世相。
人の生き死にも大きな自然の巡りの中の一こま、石牟礼氏にとってはそうなのだろう。私はなかなかそこまで達観できないけれど。いやあ、まだまだ修行不足です。

梁塵秘抄からの引用がしみじみと心に染みます。

写真は極楽寺本堂。8/30撮影。戦国時代の永禄5年(1562)毛利元就が本堂を再興したことが棟札にあり。現在の建物は18世紀に古材も使って再建したとのこと。
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「老化で遊ぼう」 赤瀬川原平 東海林さだお

2009年09月14日 | 読書
「老人力」という言葉を作った赤瀬川さんはえらい。それまで、人間の最終段階「老人」は、やがて死を待つだけというnegativeなイメージだったが、老人でなければ出来ない事、見えないものがあると教えてくれた。

爾来、末尾に「力」を付けるだけであら不思議、ありとあらゆるものがパワーアップ、この世に存在するものはどんなものにも価値があると気づかせてくれた。
ついにはさる政党の党首が「責任力」なんて珍妙な造語まで作るありさま。でも「責任」にはつけない方がいいのでは。つけるとしたら無責任力の方がいいのでは。彼の方にはその言葉こそ似つかわしい。

それはさておき、東海林氏はサラリーマンの哀愁溢れる漫画を得意とする人。こちらも脱力感で笑わせてくれる。

昭和10年代生まれのその二人が、老人になって初めて分かることを語り合う。面白くないはずがない。
建築家の藤森照信氏、数学者の藤原正彦氏などが登場する章もあり、賑やか。

でも面白いだけではなく、ドキッとするような箴言も。読み終えると、凝っている肩の力が抜けたような心地よさが。
何もかもがうまくいかない、と煮詰まったときに読めば道が開けるかも。座右に置き、時々好きなページから読んでみようかな。

写真は昨日の自作のお弁当、ありあわせ。あわてていて、ゴマのかけすぎ。ご飯の隅にあるのは富山名産「ほたるいかの沖漬け」。立山の帰りに買い、あまりに美味しかったのでネットで再度買いました。でも生きたまま調味液につけるそうで、ちょっとかわいそう。それがおいしさの秘密だそうで。合掌。
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団塊の世代

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