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日記

日々のあれこれ
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「麻生で総選挙は戦えない・・・」

2008年11月20日 | 歴史、社会、家族
と自民党内部でも思う人が増えたんじゃないでしょうか。
ものを言うとぼろが出るんだから言わなきゃいいようなものですが、首相だから黙っているわけにいかないしね。

自分の能力がどの程度かよくわきまえ、あまり勇み足にならないように。何かやろうと思ったら、まず周りとよく相談しましょう。自分にしていることがおかしくないかよく確認しましょう。

首相ってこんな人でも務まるんでしょうか。日本ってそんなゆるい国だったんでしょうか。
医師不足と、麻生さんと気の合わない医師が多いということには何の関連性もありませんね。それだって言い逃れ。気の合う医師がいたら、そっちのほうが心配です。

昨日は私一人で怒ってましたけど、夫は「別に怒る気もない」と申しておりました。でも一応抗議はしとかないとね。

勉強の苦手な人は世の中にはいっぱいいるし、それ自体は人に迷惑をかけるわけじゃないから悪いわけではないけれど、首相になってはいかんですね。
麻生の言葉では「民は首相になってはいかんわなあ」と言うのがありますが、私に言わせれば「基礎学力のないものは首相になってはいかんわなあ」ですよ。全く。

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私は麻生の医師への差別発言を許さない

2008年11月19日 | 歴史、社会、家族
麻生発言

この人は医師不足の原因も分かってなければ、それをどう解決したらいいかも全く考えていない。全部他人事。国として、首相としてどうしたらいいか、なあんにも考えてませんね。
医師不足を「医師が社会的常識が欠落しているせい」と本気で思っているようですね。原因と結果が実証的に全然結びついていません。

医師が社会的常識が欠落しているなんて、言いがかりもいいところ。自分の経営する病院にどんな先生がおられるのか私は知りませんが、自分の狭い見聞から安易に結論を出す態度を、無知とか蒙昧とか世間では言います。

それにどんな先生がいるにせよ、自分のところで働く人を世間にそんな風に言って、当人達がどう思うか考えたのでしょうか。いいえ、何にも考えてませんね。

本当にどうしたのでしょう、この人?誰が首相にしたのでしょう。少なくとも私は頼んだ覚えはありません。
無知な人が権力を持つと本当に怖いです。麻生財閥のお金を国民に配るのなら勝手にどうぞですが、国のお金を二兆円も無駄遣いして、医師の養成にでも廻せばどうですか。病院だっていくつも建ちますよ。

私事でまことに恐縮ですが、息子の一人は医師です。夫も医師です。
息子は自分の仕事を責任感を持ってやっています。時間外手当も十分にいただいていません。休日も殆ど仕事です。それも患者さんを思っての責任感からです。
あんたのように漢字もろくろく読めない偏差値の低い(独断です。どう考えても高いと思えません)人に性格を云々されたくありません。悔しいです。

それぞれの人の資質を見ずに、医師はとか、何々はとかとまとめて否定的に言うのは差別発言です。
あなたは以前被差別を差別する発言もしました。人権意識のかけらもないあなたこそ、常識がありません。

国の首相は、医師の性格で医師不足なんてトンチンカンなことを言わず、しっかり施策を考えるべきです。

というか、これ以上変な事を言ったりしたりする前にさっさとやめたらどうですか。無知な人が権力を持つと本当に怖いです。
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被爆者の話に泣く私

2008年11月18日 | 歴史、社会、家族
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きょう電車で顔見知りの方と話をした。名前は存じ上げない。ただ公民館活動でいつもお世話になる方、公民館祭りでは毎年、バザーの総指揮をされる方。電停であったので、今年もよろしくと仁義を切り、別れるつもりがずっと話す羽目になって。。。。。

被爆証言の話をしていたら、五年生のときに被爆した。両親は勤労奉仕に出かけて被爆、八月中に二人ともなくなった。姉は背中に大やけどをして、今も元気だけれど、絶対に温泉には入らない。私も左頬をやけどして、ワンピースの左半分が血だらけ、今も体の中にガラスが入っている。
原爆の話をこの二、三年でやっとできるようになったけれど、それまでは口に出せなかった。

子供だったけど鮮明に覚えている。祖父が両親が大河小学校に収容されているのを探し当てて迎えに行った。父親はもう死んでいて、太いウジがたかっていた。母親は腕の骨が見えるくらいに焼け爛れて、鼻や口から料理箸の太さくらいの大きなウジが出たり入ったりして、それでもまだ生きていた。意識はあった。四人の子供の名前を呼んでいた。四日くらいして死んだ。今みたいに殺虫剤があるわけじゃないし、どうしょうもないですよそりゃ。

ここで私はつい涙が出てしまう。

早くから被爆したと話している人は、本当にこの人被爆者かなと思ったこともある。
でもおかげで元気でいます。しばらくはガラスが入って腕がまっすぐ伸ばせずに女学校で怒られて、先生と言い合ったものです。

広島に以前から住んでいる人は、身内、知人、必ず原爆でなくなった人がいるのでしょう。原爆反対と口にすればたった一言。でも、本当に苦しい思いをしている方はその一言を言うのも大変なのではないでしょうか。

私達の活動で、こんな人を拾い上げる事ができなくて残念です。会も解散してしまったし。


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麻生さんの言い間違い

2008年11月17日 | 歴史、社会、家族
麻生さんって、子供の頃は一を聞いて十が分かる子じゃなくて、ニコニコして人柄のいい子だったのかもしれない。本を読むのも苦手で、ちょっと引っ込み思案だったのかな。

首相就任後も、何か変な言い間違いや読み違いを連発しているそうで。
先日「恐慌になった」と言ったのもご本人には深い意味はなかったのかもしれない。
かの国の大統領も笑ってしまういい間違いをよくするそうですし。

麻生氏は、役人の作った原稿には振り仮名を振っておこうとある方にサイトで拝見。危機管理がなってないと。

麻生氏には何か大きなことをしようと頑張らないで欲しい。何もしないで欲しい。
といっても、何ですか、国民に二兆円とかのお金を配るそうで。するに事欠いて、とはいえ、こんな変な政策も珍しいのでは。
人にお金を配るのは大変です。現場がどれだけ大変か、実感として全然分かっておられないのでしょう。

それよりも何よりもビジョンがない。景気の刺激にはならないと私は思う。砂漠に水をまくようなものです。ビジョンは言葉で語るしかない。語れない人は語るものを持っていないからでしょう。
私は、学歴をどうこう言うのは好きではありませんが、何事にも基礎学力は大切。
しっかりお勉強して、物事を広く深く考えましょう。大丈夫ですか、二世、三世、四世議員の方々。

後援会のみこしに乗って楽な選挙をせずに自分のビジョンを自分の言葉で語ってくださいね。言葉には言霊が宿ります。人の心を生かすも殺すも言葉次第。
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思いと技術・・・小説の場合

2008年11月16日 | 読書
そのあと、地元の文芸作品募集、小説部門の審査員を何度かお受けしたことがある。地方だということもあって、私のようなものにも順番が回ってくるのである。

一度目だったか、佳作だった若い女性から「たくさんの作品から選ぶのは大変でしたでしょう」とねぎらいの言葉をもらったことを記憶している。

が、選ぶのは全然大変ではありません。読むと自然に順位が付けられる、というか、二十年近く前にはまだ手書きが主流、原稿の体裁を見ただけでどの程度のものか分かるというものです。

字は下手でも丁寧に書いていること。誤字、脱字は論外。文頭の一字下がり、段落切れなど、日本語表記の基本を押さえることも大切。

内容と体裁は連動しています。丁寧な原稿は内容もよろしい。例外はありませぬ。
ワープロ打ちでも同じ事。印字した原稿全体から立ち上ってくる雰囲気ですかね。

男性の小説は大体において「いい気なもの」が多かったです。
定年退職して旅に出て、たまたま若い女性に出会って好かれて、家庭を取るか女性を取るか悩む。
同居の兄嫁が自分を好きになってくれたので、自分から旅に出る。しばらくしたら兄嫁も家を出たと知る。そのあと劇的な再会とか。
脳内妄想?見果てぬ願望。下手な小説を書いて時間と紙を浪費する前に、人生にもっと苦労しなければなりません。

女性の作品は恋愛の苦労、家庭内の事、介護の事など、どうしても書いておかずにはおれない思いの深さで、読ませるものが多かったです。表現はまだまだこなれていないところもあっても、その思いの深さに打たれるのです。

苦労はしないに越したことはなく、幸せに一生を終えればそれでいいのだけれども、書く場合には不幸こそが財産。まだまだ女性の人生は大変、と寄せられた作品を読みながら思ったことでした。

思いの深さと書き続ける意思、それさえあれば技術はあとからついてきます。書いて書いて書ききってみましょう。能力は誰にでもあり、スタートしたときにはそれをいまだ十分に出し切っていないだけです。

この間言ったことと矛盾するようですが、ネットでばかり作品を発表してはいけません。活字媒体にも応募してみましょう。初めは引っかかりもしないでしょうけど、続けているうちに自分のテーマ、文体などが定まってきます。時には一行、論評してもらえる事もあります。
人はけなされたり、褒められたり、評価されたりする中から伸びてくるものです。

男性の小説の、自分中心に物事が進んでいく、そのストーリー展開のご都合主義に思わず笑い出したのも何度かありました。ごめんなさい。でもあのときの人たちも落選から何かを学んでいただけたと思っています。

作家にならなくてもいいんです。書くことは自己啓発であり、自分の解放。
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友人と出かける

2008年11月14日 | 広島案内
この間、五時間も市内をさ迷っていたという友人を誘って紅葉見物に出かけた。
うーーーん、なんというか、すでにリタイアされているご主人がとても優しい人で、どんな所へも車で送り迎え、それで市内の地理に疎くなったのかもしれないと思い、電車バスに乗る練習のつもりで呼び出したのである。

おせっかいな私。でも友達とは、お互いいつまでも元気で楽しく遊びたい。

駅から紅葉の寺までは10分程度、緩やかな上り坂。歩けなくなって一休みする私達の傍らを、年配のご夫婦が追い抜いていかれる。きょうは彼女に付き合うつもりなので、ゆっくり歩く。

入り口横の多宝塔でお弁当を食べて、「ここがもうおしまい?」ときかれたので、「ほんの入り口、まだまだ上がある」と少しずつ歩いて本堂まで行った。めでたし、めでたし。入山料を取らない心優しい寺院、平日の昼間、年配の人が多かった。

ほんとうはここが宗箇山の登山口。一時間も登れば頂上。でもきょうは脇の尾根から広島市内も見えてよかったよかった。

これからも時々遊ぼうねと言って広島駅で別れた。彼女はご主人に電話してpick me upと頼んでいた。一緒に帰ろうと誘われたが、ご夫婦二人の車に乗るのは遠慮した。

いつも一人で行って、それはそれで楽しいけれど、友達と出かけてやっと世間並みになれた私。
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「いい国」?「悪い国」?

2008年11月12日 | 歴史、社会、家族
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前航空幕僚長が、全国各地の駅前に増殖中、庶民的お値段で泊まれるホテルグループの出す雑誌に奇怪な論文を発表してやめさせられたのがついこの間。
しかし、やめたからいいというものではない。やめ方も全然おかしい。文民統制が全然効いてない。慄然とした。

論文は読んでないけど、もれ聞こえてくるところでは彼の人は「日本は悪い国じゃない」と言っているとか。

国には、いい国も悪い国もないと私は思っている。「いい」とか「悪い」とか、小学生のけんかのような言葉で歴史を語るのは、歴史の素人だからだろう。

今回の論点に即して言えば、わが国には強い武力をもってほかの国へ攻め込んだ歴史があるだけ。
被害を受けた側の苦しみから学ぶことは多いはず。どんな国も等しくこの地球の上に存在する権利がある。
遠くさかのぼること大航海時代とそれに引き続く欧米の長い植民地支配の歴史。遅れて国際社会にデビューした日本が、より露骨に周りの国々を虐げたことなど、長い長い苦難の歴史を乗り越えて、やっと世界中が曲がりなりにも共通の認識を持つようになったのだから、前幕僚長は開き直るような言い方はやめたほうがいいと思う。

歴史学者もこんな素人の評論ともつかないものはまともに取り上げる気もないのだろうが、それは怠慢だと私は思う。学会の中だけで意見を言い合っては駄目。時々、こういう大きな声であほな事を言うは人が出てきたら、学問的立場からきちっと論破しておかなければならないと思う。話法が違うので、もぐらたたきみたいなものだが、やってもらわねば。そのための学者であり、大学の先生の肩書きである。

物事を考えず、歴史から学ぼうとしない人は、必ずや大きな声で分かりやすいスローガンを繰り返す人になびいていく。自分に自信のない人に限って、中国人や韓国人より自分がえらいと思っている。私の身近にもいますよ。ふだんは普通のおばさんです。韓流ドラマと細木数子の大好きな。暗澹とします。

少しずつ世の中の中心軸がずれている。何とかしなければと強く思う。
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同人雑誌の時代の終焉

2008年11月11日 | 読書
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11/18(火)10:00より広島ブログのブロガーが集まり、市民球場で野球大会をします。広島市民球場は今年限りで閉鎖され、来春は現在の場所からJR広島駅近くへ移転してプロ野球の公式戦が始まります。

最後の市民球場をこの目で見たいと言われる方、コメント欄でお知らせください。
一緒に参加しましょう。スタンドで応援だけでもOKです。

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文藝春秋社が出す文芸雑誌「文學界」…(旧字体にこだわる会社。入力に手間かかります)の巻末には毎月、同人雑誌評というコーナーがある。
文芸評論家が、送られてきた全国の小説の同人雑誌を読み、なるだけたくさんの作品に一言ずつの論評を加え、毎月今月のベスト5を選ぶ。

34歳から39歳までの五年間、私は地元の小説同人雑誌に入り、毎月のように、読者が殆ど得られない小説を書いていた。上の子が小学一年生、続いて幼稚園児、下は生まれたばかり。それは暗い夜の海に向かって、声を限りに叫んでいるような物悲しくも空しい、しかしやれずにはおられない切羽詰ったものだった。。。。って、アレアレ、比喩がいつのまにか純文学チックに。。。

年に一度、多くて二度、会員がお金を出し合って雑誌を作り、全国の同人雑誌の結社や、地元新聞、東京の文芸雑誌の編集部などへ郵送する。
曲がりなりにも、その中から優秀な作品を拾い上げようと言う姿勢を見せていたのが唯一「文學界」だった。文藝春秋は芥川賞、直木賞の選考をする「日本文学振興会」を外郭団体として持っているので、同人雑誌評のある限り、建前としては地方の書き手も中央文壇とつながっていることになっていた。

同人雑誌評にたった一行、自分の作品名と筆名が載ったときの天にも上る心地。次の同人会のとき、誰が一番におめでとうと言ってくれるかと考えるときの嬉しさ。
無邪気でしたね。あの同人雑誌評は、同人雑誌に書いている人しか読まないコーナー、読者サービスなんですよね。でもあの時は文学の価値を今よりずっと信じていたので、嬉しかったですねえ。

で、今朝の朝日新聞によると、その同人雑誌評がなくなるという。昔は自分達で発表の場を作るしかなかったけれど、今は書いたものは簡単にネットに公開できて、そんなサイトもたくさんあるらしい。
同人会で人にあれこれ批判されたり、書き直させられたりと面倒な事をしなくても、とりあえず発信できる。そんなのは文学じゃないと頑張っても、その声もネット上での小説の書き手達には届いていないんだろうなあ。最近はケータイ小説と言うのもあるらしいし。

しみじみと時代の流れを感じてしまった。同人雑誌の書き手は今や絶滅危惧種、あの小説の同人雑誌内の独特の文化と言い回しなど、なかなかに濃い空間でした。
筒井 康隆の「大いなる助走」の世界そのもの。最近再販されたらしいので機会があれば読んでみましょう。

私など生意気だったのでいじめられる事が多かったですね。着ているものでいじめられ、夫の職業でいじめられ、子供が三人いることでいじめられ、もちろん書いた内容では大いにいじめられ、それを跳ね除けて続ければよかったのですが、次第に中央の文芸雑誌に応募する方が面白くなって…いろいろあって…さらにいろいろあって…今に至っています。

三男には「お母さんまた小説書いたら」と言われてますが、お金をもらって書き、お金を払って読むのが私にとっての小説と思っているので、どこかから注文が来たらまた書く気になるかもしれない。

わずか五年間の嵐のような時代で、今は記憶も薄れがちだけど、まあ、やらないよりはやってよかったと思っている。
三男は幼稚園にいるくらいまでの五年間、殆ど遊んでやってないです。いつもワープロを打つ私の膝にちょこんと乗って一人で遊んでいました。

いつも書いていることが頭の中でぐるぐる回っていて、日常生活は上の空。もっと子供達と遊んでやったり、面倒見ればよかったと思っているが、そのときは私も必死で。

文芸誌が増えて、新人賞も増えて、作家への道は60年代までの頃よりは開けていると思う。
「純文学」の世界に苦節何十年なんていうのはないと私は思っている。元々がとても狭い業界、書く気があって才能があれば、必ずや見出されると私は思っている。

同人雑誌に書くのは作家になるためでもなく、もちろん徒労ではなく、自己啓発。それ以上でもそれ以下でもない。作家気取りをやめれば、もっと風通しのよい集団になると思います。うわあ~~、きょうもきつい言い方。としばし反省。

写真は六甲山頂のアキグミ
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サークル活動とジェンダー規範

2008年11月10日 | 歴史、社会、家族
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私はあるサークルを主宰している。というほどたいそうな活動ではありませんが。
五年間女性ばかりだったが、もちろん男性も歓迎、とうたっていたところ、先日初めて男性の参加があった。

どんな方かはまだよく分からない。私が望むのは、どんな人とも協調性があって、嫌な仕事、こまかな仕事も分担してくださる方。

サークルは男性会員の会社でも、ましてや家庭ではない。女性会員は男性会員の手足となって働く存在ではない。女性の会員がやる事は何でもやっていただきたい。そういう風に役割分担を持って行こうと思っている。せっかくご縁があって入会してもらったので、あまり男性風を吹かす方でないことを願うばかり。

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話し変わってある知り合い。頭の先から爪先まで、男という意識のいっぱい詰まった人。不可思議なエピソードの数々。

会社で係長だか、課長だったかの時、女子社員から業務外のトイレ掃除をしたくないと言われたとか。
そのときの知り合いの返答
「自分達が使うのだから自分達でしたらどうか」とのこと。
私の考え
どんな構造のトイレか私は分からないけれど、上に立つものも一緒にしてローテーションを組んだほうがよかったのでは。男子トイレは男子で、女子トイレは女子でとか。女だからして当然はまずいでしょ。

これは20年以上前だけれど、「社員旅行の宴会で女子社員が浴衣を嫌がって服を着ていた。旅行の気分が出ない」とほざいていてた。
私の考え。
 温泉旅館の浴衣は大きすぎて着付けが難しい。胸元がすぐ開く。その姿で、お酌でもさせたかったのか。セクハラもいいところ。今こんな事してる会社はもうないと思いますが。

知り合いというのは身内の年下男性。
これも昔、私が実家で赤ん坊だった息子にミルク飲ませていて、目の前のタオルを「ちょっと取って」と頼んだら烈火のごとく怒られました。何で怒るのかと不思議だったけど、「自分の主人のようにこき使うな!!!」ですと。
女にものを言いつけられるのがそんなに屈辱だなんて。。。それじゃ、却って生きるのに窮屈でないかい?男という鎧を脱いだら、案外楽な人生が開けているかもよ。

きのうはお昼を外で食べました。ちょっと変わったお皿です。
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嫌音な私

2008年11月07日 | 歴史、社会、家族
旦那からは「あれが嫌い、これが嫌いと言うな。聞いてるほうは感じが悪い」とよく怒られるので、最近はあまり言わないようにしています。

が、先日遭遇した年配女性四人連れはちょいと強烈でした。

新幹線に久しぶりに乗ったら、同じ車両に京都へ旅行する四人の年配女性が。(何で行き先を知ってるかって?だって彼女達大声で話しているから全部聞こえたんだもん)
私が神戸で下りるまでの1時間あまり、ずっーーーーーーと大声で笑い、しゃべり、片時も黙っていることがありません。テレビでないので、他人様の声のボリュームを絞るわけに行かないし。

手洗いに行くとき、ちょっと見たら、何ですか、お一人は豹柄のスカート、残り二人は真っ黒なワンピースの裾と首周りに赤やピンクの大きな花模様のとてもゴージャスないでたち。もう一人はそれ以上見たくなくて、つい見逃してしまいました。

着るものはまあよろしい。ご本人達の趣味だから。
しかし、不特定多数の人がいる場所、しかも移動できない空間にいる場合はお互いマナーというものがあります。まるで誰かの家にいるように大声で喋り、周りに一切配慮しない人は、社会的にはとても未熟に見えますよね。
人の振り見て…という言葉もあるとおり、私も友達と出かけるときは気をつけようと思いました。

あんな元気な女性達が大挙して、韓流ドラマのロケ地のツアーに行くんだろうか。
あちらはご商売なので、一応ウェルカムの態度だと思うけど、韓国人が一番嫌いなのは日本人だとか。
秀吉の時代、近代以降のことをつらつら考えると、私は無邪気に韓国には行けません。
がしかし、ロケ地巡りのツアーは、子供のように無邪気で元気な日本人女性でいっぱいなんでしょうね。

先日登った六甲山。この日は合同登山大会だとかのイベントで、たくさんの人でした。この後さらに人が集まり、広場はいっぱいになりました。
主催者挨拶、拍手、続いて誰かの挨拶、拍手、、、私達がお弁当を終えても延々集会は続いていました。ご苦労様。
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「太郎が恋をする頃までには・・・」その後

2008年11月07日 | 読書
さっきアマゾンを見たら新しいカスタマレビューが投稿されていた。
私はこちらの意見に賛成かな。出版社が悲劇的な結末にして欲しいと注文をつけたそうな。出版社、何考えてんだあ。通俗のきわみ。そこまで世間に迎合することもなかろう。本を出すということはそういうことではないと思う。世間のちょっと先を行くのが出版の意味、私はそう思っている。

この本、早く古書店に売りたいのに、なかなか行くチャンスがない。広島ではアカデミィがちょっと目利き、でも自転車では近寄れない、歩くには遠い、往復電車ではそのためにだけ行くのもバカらしいし、、、明日は英語を習いに行く日なので、ついでに寄ろう。

今では何だかこの本が嫌になった。
私なら、結婚相手を差別して親子の縁を切ると言った親とは、自分から縁を切ると思う。小説の中では、自分のせいだと、倒れた母親の面倒を見ている。
人様の事ではなく、自分の事として言いますが、親はいずれ死んでいく。そのあと、子供が寂しくないよう考えるのが親だと思いますが。
看病する部分は、夫婦関係よりも親孝行を奨励しているようで、嫌ですね。
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これが出来上がりです

2008年11月05日 | 暮らし
転写紙を水でぬらして台紙からはがし、配置を考えながら器に貼り付けます。
興味のある方はぜひいらしてくださいね。
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絵付け体験会のお知らせ

2008年11月05日 | 暮らし
先日お知らせした絵付けの一日体験、開始時刻が間違ってました。ごめんなさい。
11/8と11/9の両日とも10:00~17:00です。国道二号線沿い、産業会館西館(南区図書館の建物)1Fです。私が習っている先生がします。


手芸の見本市のような大きな催しで、いろいろな材料もそろいます。興味のある方はぜひどうぞ。

去年はマグカップ、または小皿がそれぞれ焼成費込みで千円でした。
別途送料が500円かかります。

専用の転写紙をカットして器に貼り付け、乾いたら釜で焼きます。あとは普通の食器として使えます。柄もいろいろ、今の時期だとクリスマス柄が楽しいですね。

たくさんの方の参加をお待ちしています。
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ルポ 貧困大国アメリカ 堤未果 岩波新書

2008年11月02日 | 読書
アメリカの貧困の実態が強烈である。貧しいものと富めるものと、とても同じ国とは思えない。

食券をもらって暮らす人、医療費が払えない人、学歴をつけていい職につくつもりが借金だけ残った若者。
規制緩和と自由化で、本来国がやるべき事が民営化され、儲からない部分はどんどん切り捨てられていく。

職につけない人は究極の派遣の仕事、軍隊へ。

貧しい人は限りなく収奪されるこの構図。サブプライムローンの破綻とは、その収奪が限界に来たということであろう。

自由と民主主義を世界中に押し付けるアメリカ、自国の食えない人を救済するのが先ではないですか。乳児死亡率が先進国中最低なのも恥ずかしい。医療保険は抜本的な改革が必要なのでは。
日本の医療もアメリカのようにならない事を祈るばかり。

写真は古きよきアメリカそのもののような帯の柄。
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ちなみに「太郎が恋をする頃までには・・・」をググッたら

2008年11月02日 | 読書
このブログが最初のページに出てくるので焦りました。今はもう少し順が落ちてると思いますが。(落ちてた。よかったーーー)

本の注文をするサイトがほとんどで、感想というのはほんの少し。
アマゾンは例外として、「なんか大変そう」「衝撃的な内容」などという感想がほとんど。

悪しき因習がいまだ隠然とあることを知らしめたということでは意義があったと思うが、愛情というのは強いもの、本当の愛情とは何でも乗り越えるものと私は思っています。

作品の中で、母親は娘の結婚にショックを受けて脳梗塞になったのではないと思う。それはたまたま。このあたりはドラマティックによく書けてるけど、テレビドラマの台本みたい…ってもともとテレビ番組を作る人らしい。(もちろんテレビ番組が悪いと言っているわけではありません)

限りなくノンフィクションに近いフィクション、出版社的には「ホームレス中学生」、それからなんでしたか、両親の離婚した落語家の手記などの系統なんでしょうか。

もちろん書かずにあれこれはどうでも言える。書く場を与えられて、勇気を持って書いたのは偉いと思う。結末の別れ方が唐突で…作品の中の二人には分かれずに幸せになって欲しかったです。
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なんて偉そうな事を書いていると、返す刀で、自分を切る羽目になるわけで。
「じゃあんたは人を差別などしない立派な人間なのか」と言われそうで。

そうしたいとは思っているけれど、気がつかないうちに人にそう思われることはあり、在日の方に強く抗議されたこともあります。
やわなヒューマニズム、同情など吹っ飛んでしまう強烈な体験でした。

人は何によって生きるか…と言えばきょうの命をつなぐパン、それから自分が自分であるというプライド。プライドなしには人は生きられません。また人のプライドを踏みにじるような事はしないように気をつけなければいけません。
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幼稚園の頃、ほかの子は週に一度は菓子パンをお弁当に持ってくるのに、私は買ってもらえませんでした。
秋になってやっと「パン買って欲しい」と親に言うと、祖父が朝、自転車で幼稚園の近くまで送ってくれてお店で買ってくれました。マーブル模様、長いパンを輪切りにしたパンでした。でもお弁当もちゃんと持たされました。

母は何を思ったか、私を町の幼稚園に入れたんですね。地元の保育園ならこんな事なかったと思うのに。

その他、他の子はその頃流行った子役のようなパーマを当てた髪形、冬でもタイツに短いスカート、蓋のついた通園バスケット。私は普通の髪型、冬はズボン、ふたのない買い物籠のようなバスケットと田舎くさいいでたち。今思い出してもけつこう辛いかも。
おとなしいのでよくいじめられたし。(今は全然おとなしくありませんが)

私が得意なのは絵や字を書くことだけ。卒園の時にはクラス代表で、園に残す絵を私だけが書きましたが、あの絵、さすがにもうないと思う。
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本の中で主人公の夫が、子供のころ、習字の道具が買ってもらえず、家のすずりを持って行くと学校でいじめられる場面があります。よおく分かります。
町の幼稚園に行っていたときの疎外感って強烈だったもの。

学校現場は参考書、学用品、上履き、体操服…と指定されたものがたいそう多いのですが、大昔、私が他県で学校の教師をしていたとき、業者からのバックマージンをプールして教師の宴会に当てていましたね。もう時効だから言いますけど。そして今はもうそんな事はしていないと思いますが。

学校の道具など、上の子のお下がりで間に合うものもたくさんありますが、微妙にデザインが違っていたりして、いじめられたらかわいそうと親はつい買ってやるんですよね。
小学校一年の算数セット、アレって今でもあるんだろうか。細い竹ひごの一本ずつに名前を書いて。一年終わってもほとんど新品。それにあんなものないほうが、数字ってすんなり頭に行ってくるのじゃないかと思うのですが。(それもバックマージン?まさか)
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買えないものは買えない。それで子供が寂しい思いをしないよう、みんな同じものと言う風潮はほどほどに。
そうそう、その学校では野外活動のときの軍手も学校で一括注文。何百組なんですもの、こちらももちろんバックマージンあり。
野外活動の反省会にはもちろん私も参加したので、同罪です。

最近帯を買いました。いつまでもクリスマス大好きです。
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