ユーミンがどこかで言ってたけど、私の歌は商業高校を出た人の感覚では分からない、ミッション系お嬢さん学校の人なら分かるのではないかと…
こういうことを言って人に叩かれないのは、彼女の歌の世界を誰も真似できず、悔しいけどそうなんだと世間に思わせるだけの力があるからだろう。
若いころの恋、おしゃれして遊んで、時は移り、あの頃の子たちとはもう会わないけど、楽しかった思い出はいつまでも…誰もが感じる切なさ、懐かしさ。
歌の中の彼女たちはたぶんお嬢さん大学に進み、仕事をしても結婚してもずっとおしゃれに生きているのだろう。
「子供の学校なんてどこでもいい」なんて言う人がたまにおられるけど、そうではありません。どんな学校でどう過ごしたかは、その後の交友関係、生き方、とても大きな影響があります。
元は城下町、県庁の隣にある県立高校。旧制中学校と旧制女学校が戦後併合してできた私の出身高校、おしゃれでもなんでもなかったけれど、今振り返ると大きな影響を受けたと思う。
好きなもの、廊下の曲がり角のちょっと暗くなったところ。校舎は女学校時代の木の床、濃い茶色の腰壁、上はベージュのしっくい壁。三階から見下ろす中庭。イチョウの落ち葉のじゅうたん。何々君と何々さんは付き合ってるんだあ。一緒に歩いてるからとか、そんなことを観察していた日。クラスが変わってしまった男の子との文通。メールでなくて便せんに書いて、封筒に入れる文通!!!
女学校時代からおられる家庭科と古文のおばあちゃん先生、悠揚迫らぬ物腰、人が歴史を体現しているその風貌。提出物にも厳しかった先生たち。
生徒の急増期で新任の先生多数。先生とはいまだに子弟関係を続けさせていただいています。
学校帰りによる県立図書館、うどん屋、書店、洋品店。自転車で通学して、自転車で寄り道してちょうどいい大きさの街。
基本は「勉強していれば大丈夫」という地方の学校の実直さ。
おしゃれでもなく、遊ぶところもそんなにはなく、でも今につながる楽しいことをいっぱい教えてもらった。
考えてみれば、私は私立という名の学校へは一度も通ったことがありません。
この年でこの地味~~な暮らし。もう治りそうにないですね。
こういうことを言って人に叩かれないのは、彼女の歌の世界を誰も真似できず、悔しいけどそうなんだと世間に思わせるだけの力があるからだろう。
若いころの恋、おしゃれして遊んで、時は移り、あの頃の子たちとはもう会わないけど、楽しかった思い出はいつまでも…誰もが感じる切なさ、懐かしさ。
歌の中の彼女たちはたぶんお嬢さん大学に進み、仕事をしても結婚してもずっとおしゃれに生きているのだろう。
「子供の学校なんてどこでもいい」なんて言う人がたまにおられるけど、そうではありません。どんな学校でどう過ごしたかは、その後の交友関係、生き方、とても大きな影響があります。
元は城下町、県庁の隣にある県立高校。旧制中学校と旧制女学校が戦後併合してできた私の出身高校、おしゃれでもなんでもなかったけれど、今振り返ると大きな影響を受けたと思う。
好きなもの、廊下の曲がり角のちょっと暗くなったところ。校舎は女学校時代の木の床、濃い茶色の腰壁、上はベージュのしっくい壁。三階から見下ろす中庭。イチョウの落ち葉のじゅうたん。何々君と何々さんは付き合ってるんだあ。一緒に歩いてるからとか、そんなことを観察していた日。クラスが変わってしまった男の子との文通。メールでなくて便せんに書いて、封筒に入れる文通!!!
女学校時代からおられる家庭科と古文のおばあちゃん先生、悠揚迫らぬ物腰、人が歴史を体現しているその風貌。提出物にも厳しかった先生たち。
生徒の急増期で新任の先生多数。先生とはいまだに子弟関係を続けさせていただいています。
学校帰りによる県立図書館、うどん屋、書店、洋品店。自転車で通学して、自転車で寄り道してちょうどいい大きさの街。
基本は「勉強していれば大丈夫」という地方の学校の実直さ。
おしゃれでもなく、遊ぶところもそんなにはなく、でも今につながる楽しいことをいっぱい教えてもらった。
考えてみれば、私は私立という名の学校へは一度も通ったことがありません。
この年でこの地味~~な暮らし。もう治りそうにないですね。