日記

日々のあれこれ
前のはこちら→https://blog.goo.ne.jp/kawashima134

学校と人格の深い関係

2008年01月30日 | 歴史、社会、家族
ユーミンがどこかで言ってたけど、私の歌は商業高校を出た人の感覚では分からない、ミッション系お嬢さん学校の人なら分かるのではないかと…

こういうことを言って人に叩かれないのは、彼女の歌の世界を誰も真似できず、悔しいけどそうなんだと世間に思わせるだけの力があるからだろう。

若いころの恋、おしゃれして遊んで、時は移り、あの頃の子たちとはもう会わないけど、楽しかった思い出はいつまでも…誰もが感じる切なさ、懐かしさ。
歌の中の彼女たちはたぶんお嬢さん大学に進み、仕事をしても結婚してもずっとおしゃれに生きているのだろう。

「子供の学校なんてどこでもいい」なんて言う人がたまにおられるけど、そうではありません。どんな学校でどう過ごしたかは、その後の交友関係、生き方、とても大きな影響があります。

元は城下町、県庁の隣にある県立高校。旧制中学校と旧制女学校が戦後併合してできた私の出身高校、おしゃれでもなんでもなかったけれど、今振り返ると大きな影響を受けたと思う。

好きなもの、廊下の曲がり角のちょっと暗くなったところ。校舎は女学校時代の木の床、濃い茶色の腰壁、上はベージュのしっくい壁。三階から見下ろす中庭。イチョウの落ち葉のじゅうたん。何々君と何々さんは付き合ってるんだあ。一緒に歩いてるからとか、そんなことを観察していた日。クラスが変わってしまった男の子との文通。メールでなくて便せんに書いて、封筒に入れる文通!!!

女学校時代からおられる家庭科と古文のおばあちゃん先生、悠揚迫らぬ物腰、人が歴史を体現しているその風貌。提出物にも厳しかった先生たち。
生徒の急増期で新任の先生多数。先生とはいまだに子弟関係を続けさせていただいています。

学校帰りによる県立図書館、うどん屋、書店、洋品店。自転車で通学して、自転車で寄り道してちょうどいい大きさの街。

基本は「勉強していれば大丈夫」という地方の学校の実直さ。
おしゃれでもなく、遊ぶところもそんなにはなく、でも今につながる楽しいことをいっぱい教えてもらった。
考えてみれば、私は私立という名の学校へは一度も通ったことがありません。
この年でこの地味~~な暮らし。もう治りそうにないですね。
コメント

楽しい餡餅

2008年01月30日 | 暮らし
あ~~、あんこもちが食べたい。それも今すぐ。といってもお正月以外、あんこ入りのお餅はそうそう売ってない。
そういうときの奥の手、「なんちゃってあんこもち」をご紹介します。

用意するもの
①お正月の残りのおもち
②冷蔵庫から発掘したいつ買ったか忘れた黄粉…クンクン、まだいけそう
③年末に買った缶詰の小豆餡

お皿に黄粉を敷き、その上におもちを乗せます。こちら西日本、お餅は当然丸餅。
黄粉を乗せるのはお皿のおもちがくっつくのを防ぐのと、風味をつけるため。
コメント

楽しい餡餅2

2008年01月30日 | 暮らし
レンジで温めモードにして最後まで。お餅は膨らみすぎて最後、ペッチャンこになります。その上にあんこを乗せます。熱いので気をつけてね。
コメント

楽しい餡餅3

2008年01月30日 | 暮らし
伸びたおもちをギューとお箸で引っ張り、あんこを包みます。
うっすら餡の色が見えて、高級和菓子のよう♪
アツアツを黄粉でまぶしていただきます。ニコッ♪
コメント

被爆証言のまとめ、よれよれのへろへろ

2008年01月29日 | 歴史、社会、家族
いゃあ、四本目の証言、テープ起こしを文章にまとめる作業。もう少しだ。
今朝は朝からずっと。おなかいっぱいだと眠くなるので、朝はコーヒーとパン一口。昼は人参、ちくわ、里芋、クレソン、ネギ、卵、それにうどんが五本くらい入ったおつゆを丼鉢に一杯。それで夕方まで頑張った。空腹なのもすっかり忘れ、夕方「たかもり」が肉の日=29日だからでちゃりんこに乗って買い出し。

ついでに夕食はごはん、ステーキ、サラダ、ほうれん草のおしたし、ワタリガニの味噌汁、納豆などなど。そのあとチーズと麦チョコを肴にワインを飲む。

ひゃあ、何だか疲れてしまった。寒いし、つくづく地味ぃ~~なことをしている私。美容院にも行けず、化粧もばばっとして、グルメも宝石も買い物からも縁遠い毎日。社交ダンスなんて恥ずかしくてめんどくさくてとんでもない世界。
毎日毎日パソコンに向かい、文章の構成。しかも自分の言いたいことではなくて人の話をまとめる。その先に平和があるのかないのか。

考えても分からないのでひとまず判断停止。分かりやすくまとめることだけに心を砕こう。
昔、小説を書いている時は今よりずっと大変だったけど、書きたい放題、楽しかったなあ。今はもう体力も気力もついて行かない感じ。

最後の証言者は広島高等師範付属小~高校、広島大学と進んだ人。同窓生の結束の固さに驚いた。校風が人格に与えた影響も多いにある。話を聞いてそう思った。

私の学校は男65%に女35%、勉強さえしていれば何とかなるという学校で女らしさに磨きをかけることもなかった。女の子は並み以上なら並み程度にはもてた。
う~~む、何の話でしたか。人生の一番いいところがあのあたりだったとしたら、あとは下り坂のさみしい人生。いい歳しておしゃれもせず、一日パソコンに向かう。あーーーやっぱり地味。
コメント

カメラ付き携帯

2008年01月28日 | 暮らし
やっと買い替えた。カメラがついてる。メールもやっと始めた。字が大きくなって入力が格段にやりやすくなった。

きのうは呉へ絵付けの展示を見に行く。当然作品は撮影禁止。東京で習ったそうで、本格的にやるのはなんでもお金がかかる。十年、百万円かけないと人に教えられるようにはならないとよく言われるが、それも豊かさ、文化のバロメーター、見せていただくだけでひとときいい気分を味わいました。ありがとうございました。

写真はつい先ほど、椅子に座って携帯でパチリ。何だか若い人のようで…とおばさんが一人で悦に入る。
コメント

見識が命を救う

2008年01月25日 | 歴史、社会、家族
というのは平和な時代にはあまりないが、戦争中だと盲目的に軍部や政府の言うことを信じるよりは、広い視野に立って冷静に物事を考える方がいい結果を生む。
私にはそう思える。

現在四本目の被ばく証言の編集中。当時、広島高等師範付属中の教師が一人だけ、軍部に楯つき子供たちを建物疎開に出さなかった。その代り田舎へ行って農作業の手伝い、それもお国へのご奉公と言われれば軍としてもうんと言わざるを得ない。
「それで私たちの学校は助かったんです」

どこかの小学校も徒歩で現地へ行って、また帰る、非効率きわまりないと子供たちを行かさず助かった例もあったと何かで読んだ。

広島だけが八月になってもまだ大規模な空襲を受けていない。これは何かあると普通なら考えるはず。しかし戦争中にあってはそんな正常な状況判断も出来なかったのだろうか。

「しかしずっとそのことは言えませんでした。小学校が同じだった友達がたくさん死んだので生きているのが申し訳なくて」
やがて「何があったかを死ぬ前に言っておくのは生き残った者の役目」と思いなおし、最近やっと話をするようになったとのこと。

この思いを「庶民の素朴な原爆反対」と切り捨ててはいけない。一人の力は小さくても、この思いが曲がりなりにもこの62年間、日本が戦争をしなかった原動力ではないだろうか。

果たして読んでくれるかどうか…なんてことは考えず活字にする。ネットに上げておく。どこかで誰かが読み、何かを考えてくれればそれでいい。ということで、きょうは朝からテープ起こしの原稿の編集を。

きのう法定調書はすべて提出。きょう源泉票も渡した。前々からやろうと思っていたのだが、ようやく夫に給料の計算方法とネットでの振り込み方法も教えた。
「晩御飯のあとやろうね。エクセルのファイルをあんたのパソコンに送っておいたから」と言うと黙って目を閉じ追い詰められた表情をするのがおかしかった。
そう、昔、三男がピアノのレッスンに行く前の顔とおんなじ。親子ですなあ笑。

写真は小豆島で。オリーブの実の塩漬けが付いています。
コメント

投資と性格の深い関係

2008年01月24日 | 暮らし
今年初めから世界の株式市況は不調、特に今週に入ってドミノ倒しのようにバババババアーーーーーと世界同時株安。
いけませんねぇ。でもこんなとき慌てて売ることないんですよね。

我慢して我慢して、それでも含み損が膨らんで怖くてどうしても売りたくなった時、それが底値をつけてる場合が多いんですよね。
連れ合いは先日来「売れ、売れ」とうるさいけれど、慌てて売ることないと私は放置。

投資はあまり勉強しすぎて値動きに敏感になるとろくなことはありません。売り買いをしてお金を増やすのではなく、放っておいてお金を増やす。これですよ。
私よりも几帳面で研究熱心な連れ合いはもしかしたら投資に向いてないのかも。

ドキドキハラハラを楽しむくらいの気持ちでないとね。そのためには全財産を投入するなんて論外、あくまでも値下がりも楽しめる程度のお金でね。

この間の宿、じゃらんのサイトで、料理が中四国で何番目とか言う触れ込みでしたが、期待しすぎ????
コメント

学生街の喫茶店

2008年01月23日 | 暮らし
と言う歌がはやったのは大学を出て、地元に帰り教師をしているころだった。
自宅から自転車通勤と言う地味な私は、帰り道、商店街の書店やレコード店、ピーターパンというパン屋ではおやつの菓子パンを買って帰るのが楽しみだった。

一年目の冬だったかに突然流行り出したのが「学生街の喫茶店」。未練たっぷり、過ぎ去った時間を懐かしがる…後ろ向きだけど、心が弱った時には慰められる感じの歌だった。

大学に入って、いろんな人といろんな店へ行ったけれど、鷹野橋商店街入り口の「ぶらじる」もその一つ。昔は奥が中二階で、ちょっと隠れ家のような。

「このカレー、肉が入ってない!」とびっくりして叫ぶ私。美術部の三好君が「ペーストカレーだから」と田舎者の私に説明してくれた。

きのう、その近くに仕事場のある人を訪ねて行って、被ばく証言に使う写真をコピーしてきた。洋館だったその人の家を、二年先輩の小川さんが50号の絵にしたこともある。

不思議な縁である。そしてあの日からはるばると過ぎた時間。夕方、一人でかつての店に入る。大学も遠くへ統合移転して、学生の姿は皆無。
静かな店内でしばし昔を思い出す。それからちょっとした買い物をして帰りは歩いて家へ帰った。

あのカレーの時、わが夫はいたのだろうか。同じサークルだったのでいたはずだが思い出せない。今度聞いてみよう。たぶん忘れているとは思うけれど。
コメント

方向音痴

2008年01月20日 | 暮らし
けさ、息子のところにお弁当を届けた。そんなことは全然する必要がないのだけど、K町から曲がる場所をいつも間違えて悔しいので、再チャレンジ。
でも結局間違えた。きょうは早く曲がりすぎて団地の中をうろうろ。

こういう時は下手に近道をしようと焦ると余計抜き差しならなくなるので、広い道ばかりを選んで走るうちに本来のルートに復帰。やれやれ。

日曜の朝で家にいた息子にちらし寿司ほかいろいろ手渡してとんぼ返り。
いきなり行ったので、息子は憮然としていた。寝起きだったのかも。親切の押し売りというやつですな。あくまでも母親の自己満足、息子よ、ごめん。

案の定、山は積雪。でも道は走れた。帰りは雨のせいかフロントガラスが曇って曇って。
祇園新道、片側四車線か五車線あると思うけど、今日も車が道いっぱいバンバン走っているので非常に怖い思いをした。エアコンを入れると解消したけれど、いやあ、冬のドライブは怖い。

そろそろ我が家もナビを導入した方がいいのかも。しかしナビをつけた友達は使い方に慣れなくて…と言うことだった。

写真は春を待つケーキ。
コメント

小豆島のサル

2008年01月18日 | 旅行
島は山が深く、サルがたくさん生息しているらしい。観光客の投げるエサを目当てに車に寄ってくる。

銚子渓にはサル園もある。二十年前、弟の家族など総勢11人で旅行したとき、カブトムシのケースを持ち歩いていた我が家の三男が、サルに襲われ、ケースを奪われた。
私は手洗いに行っていて見逃したが、夫が追いかけてとり返したとか。それから三男はサルが大嫌いになった。
当時五歳、自分の背丈くらいのボスザルに襲われて、子供にはそれはそれは恐怖だったことだろう。

でもこの話を思い出すと、三男には悪いけれどいつも笑ってしまう。
この時はカブトムシに凝っていて、どこへ行くのも飼育ケース持参。カブトムシが息ができないからと、車の窓も開け放してエアコンも全然きかず…「じゃあんたは息してないの」と。
子供とはまことに不思議な生き物でございます。

宮島のサルは小豆島から導入したとか。こちらも元気で活動しています。
コメント

絶景

2008年01月16日 | 旅行
写真クリックしてください。

冬は空気が澄んで遠くがよく見える。
しかし、この日は特別だったのでは。

足下に八栗、屋島、高松市街、遠くに徳島から香川にかけての山々…す・ば・ら・し・い・・・(感動の嵐)

「子供のころね、夏休みの絵の宿題に困ると屋島と八栗を描いてたのよね。手前に水田、向こうに農家をちょろっと」
「もう何度も描いたので見なくても描ける」とわざわざ小さなメモ用紙に描いて見せる私。
「で、欠点は緑と青の絵の具をものすごく使うこと」
「わざわざ描かんでも…」と連れ合い。

寒霞渓のロープウェイ降り場から頂上を目指す。歩いている物好きは私たちだけ。
途中、展望のいい岩の上で持参のみかんとピーナツを食べる。絶景独り占め。

紅葉シーズンは人が多いが、静かな島旅だった。
コメント

小豆島、冬の旅

2008年01月15日 | 旅行
連休は小豆島へ行っていた。今回で四回目である。初回はS33ついでS42、さらにS63、そして今回と。
オリーブとお醤油とそうめんの島。見所は一日あればまず網羅。
島は車が少なく道もよく整備され走りやすい。
オリーブが植えられて100年、どこか地中海の雰囲気のする島。
こちらギリシヤのミコノス島のイメージだそうで。どこまでも穏やかな内海。
コメント

深まる謎

2008年01月12日 | 暮らし
とりあえず直近の電話料金の明細書を二通、よおく眺めてつらつらと考えてみた。
NTTコミュニケーションで通話先の電話番号と料金を記録している、これが公衆電話(我が家では通称ピンク電話ただし今は濃いグレー)じゃないかしら。

つうことはやはりネットやFAXと同じ回線の別の番号?なんかそんな話を工事のときに聞いた気がする。で、これをどうやって光に移行?って素人が考えてわかるはずがない。来年の同じころ、また悩もう。つくづく進歩のない私。

きのうしたこと。
証言の校正の最後のチェック。その原稿を打ち出してご本人に送った。学生のころ、毎日のようにその人の家の前を通っていた。
前庭のヒマラヤスギ、奥の洋館を美術部の先輩が絵に描いたこともある。
戦後から昭和時代の写真を今回拝見し、40年前のことをいろいろと思い出した。
不思議なご縁である。

夏に本ができるのを私も楽しみにしている。

近くの海。この日は暖かく、散歩したり釣りをしたり、人が多かった。
コメント

納税準備

2008年01月11日 | 暮らし
1/10にしたこと

書類を整理して封筒に入れ、税理士の先生に渡すばかりとなった。
毎年悩むのは電話料金の按分。年に一度のことなのでメモ代わりに。

①一回線三番号、仕事場、家、ピンク電話(実際には濃いグレー)
②一回線でFAXとネットにつかっている。

昨日夕方まではピンク電話はFAXと同じ回線と思っていたが、違うらしい。ピンク電話はかけるだけで受ける番号を持っていない。

今年は①の80%②の90%をと頼むつもりだが、いいのか悪いのか…

「NTTにどうなってるか聞く」と連れ合いは言うが、電話でうまく説明できるかどうか…
こんな調子だから「光にしませんか」と言われても、安くなるのか高くなるのか見当もつかない。あーーーん、分からん!!!どうしたらいいんだようーーー

「工事したときの説明の紙、あったかなあーーー」とちょっと探し「あんた持っとらん?」と聞かれても「持ってるわけないじゃないの」と答えるしかないんだよう!!!

光ですよね。光。これからんなんたって光の時代ですよね。光速の通信、しかし光って。。。
納税の準備のはずが今年もまた迷走。合掌。
コメント

団塊の世代

<script src="https://blogparts.blogmura.com/js/parts_view.js" async></script>

手織り

機織り

手織り

手織り