日記

日々のあれこれ
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乳がんの経過観察の日

2022年08月31日 | 日記

5年前の6月、良性腫瘍が見つかって手術。それから毎年今の時期(誕生日前後)に経過観察をしています。

5年前は自覚症状があって診てもらい、大病院へ紹介され、そこで日帰り手術を受けました。

手術というのは今になってそう思うだけ。当日は生体検査をするので、家族同伴でと言われ、行った先が手術室、手術着に着替えて、コックピットみたいに機械いろいろの部屋に入る。

看護師さんに「あのー手術ですか?私は検査って聞いたんですけど」と聞くと、「いえ検査です」と言われるので「ああ、検査なんだ。手術と似てるけど検査なんだ」と自己暗示をかける。騙されやすい私かも。

局所麻酔→腫瘍の取り出し→麻酔が醒めるまで全体で2時間くらいだったかな。手術室はショパンのピアノ曲がずっと流れていた。

駐車場があまりない病院なので、電車で行き電車で帰った。手術の部位はそう痛くなかったけど、幅広のばんそうこうの糊にかぶれて水泡ができ、それが半月くらい痛かった。

私は乳がんにかかりやすい人だそうです。身内では実母、これでリスクが7倍だったかに跳ね上がるらしい。父方の叔母二人、従姉も乳がん経験者。手術を受けた三人は完治しましたが、新興宗教にはまって手かざしで治そうとした叔母は20年くらい前、72で亡くなりました。

馬鹿ですねぇ。そうとしか言いようがない。誰が何と言っても病院嫌い。葬式の席でも(その頃は葬式に人がうんと集まっていた)、「いまどき乳がんで死ぬいうて」と言う人もいました。

実母が手術したのは51歳の時、当時はまだ本人に告知せず、がんになると早晩死ぬと恐れられていた時代でした。私も大変ショックで次男の生まれた直後、このあと何回親に会えるのだろうかと涙を流したものでした。完治して元気に暮らせたのでよかったです。

良性腫瘍した人は悪性のリスクも高いそうで、経過観察は欠かせません。今日のクリニック30代から50代くらいの人ばかり。私が最高齢者みたい。なんで?

今年の夏の終わりは懸案三つ、運転免許の書き換え、着物で法事、乳腺クリニックへ行く。その三つをクリアーし明日から9月なので心機一転頑張ります。

 

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グラスのカバーを買う

2022年08月31日 | インテリア

5個一組、植物繊維で編んでいます。

こんな風に使います。去年、ネット上であちこち探したけど見つからなくて今年偶然発見、即購入。

昨夏、水彩の先生のお宅で、冷たい麦茶を入れたグラスにこれに似たカバーが掛かっていて、いいなあと思ったけどどこにもなくて、先日やっと見つけました。

物は増やさないがモットーですが、ばあちゃんのささやかなお小遣いで買える値段。メルカリは送料込みなので買いやすい。最近はメルカリで買うこともあります。

夕方、友達から電話。クレジットカード作るんだけど、どれがいい?と聞かれたので、私は楽天カードが使いやすい答えた。コンビニでポイント着くし。

ゴールドなので、空港のラウンジも使える。これは彼女に言わなかったけど。

乗り継ぎが何時間もある時はソファーが座りやすく体が休まる。と言いつつ、もう海外行くこともなさそう。

身の回りに好きなもの置いてささやかな老後・・・かな。

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やってはいけない「実家」の相続 天野隆

2022年08月30日 | 読書

最近、本が高い。先日、森永卓郎さんの新書もすぐ読んだけど800円だったか、900円だったか、おいしいショートケーキが2個買える。

どうしても読みたい本以外はなるだけ安く、または図書館などで借りないとお金がもったいないと、せこいことを考える今日この頃。

この本はブックオフで100円だった。110円ですが。

情報はやや古く、2015年発刊行。しかし、累計5,000件以上の相続を扱う税理士法人の代表者、内容は今の時代にも参考になることが多くて面白く読めました。千代田区大手町に事務所を構えているそうなので、東京の大きな相続もたくさん扱ってきたのでしょう。

複雑な相続の仕組みを素人にも分かりやすくまとめていますが、特にしてはいけないことを強調しているのがよかった。その最たるものが住まなくなった実家の相続です。お金ばかりかかり、負の資産になるので3年以内に売るべし。税法上の特典があるそうで。(今はどうか分からないのでご確認ください)

その他に子供名義で預金口座を作り、毎年の非課税限度額110万円をせっせと振り込むケース。これは通帳と印鑑を親が管理していたらアウト、税務署がいちばん目を付けるところだそうで。

子供に通帳も印鑑も渡し、自由に引き出していれば問題ないそうで、さらに毎年、贈与税の申告していればいいそうです。

後半は税務上の手続きというよりはそれ以前の人間関係が大切、相続の話し合いが始まってからも心得ておくべきことなどにページが割かれています。

思えば、相続の話し合いの時ほど、その人の日ごろの考え、さらには性格が出ることはありません。たくさんの人間臭い場面を見てきたからこそのアドバイスは説得力があります。

列挙します。

家を相続する人が決まったら、家のその後のことには他の人は注文つけない。5年間売るなとか条件を付けるとまとまるものもまとまりません。揉めて損するのは当の相続人だそうです。

夫の相続には奥さんも大体を知っていてもらう。それが著者のスタンスだそうです。後で、聞いてなかったと奥さんが言い出して揉めるからだそうです。

そうなんですか?

相続でいろいろあって後の生活に困るならまあ口出ししてもいいけれど、そうでないなら夫本人が決めたこと、黙っている方がいいと私は思いますが。世間にはそれだけ意見を言う人が多いということですね。自分には一銭も入らないのに参戦するなんてエネルギーの無駄と思いますが、それはそれぞれの事情があることでしょう。

親とのコミニュケーションをまめに取る。これは賛成。既婚者も一人で帰省してとりとめない話をすることで、親も喜ぶ。相続とは相(かたち)を続(続ける)ことだそうで、親も何かしてあげようという気になるそうで。けど、初めからそういう下心を持ってたら見透かされてしまう。虚心に親との時間を大切にする。それが結局はいい結果になると思います。

普段の行いということでは、首都圏周辺の昔からの土地を持つ「本家」に当たる人は(いえ首都圏でなくても)謙虚に、将来の相続に供えてお金も気も使うべきとのことです。法事や結婚式には交通費を出したり、記念品を出したり、それが将来のもめごとを防ぐ方法だそうで。

資産家は将来に備えて準備していることもあって、裁判まで行くケースは横這いですが、近年は少額の相続の方がもめるそうです。中には着物一枚、帯締め一本まで争うこともあるそうで、それはもう法律などはそっちのけでメンツの貼り合い、ああ言われたからこう返すという感情のレベルになっていることでしょう。感情のもつれた糸をほどくのは難しい。

で、子供の前では相続の愚痴は言わない方がいいそうで。そりゃそうです。親が争う姿を見て子供の教育に言い訳がありません。人間関係のこじれたのが世代を越して受け継がれる。そしてそういう親に限ってあなたたちは揉めないようにねって言うそうです。

いえいえ、子供は親が何を言うかより、何をするかをよく見ていて、その通りにするもの。これは相続だけのことではありませんが気を付けたいと思いますって、私にとっては遅い気づきですが、遅すぎると言うことはないはず。これからは寄りかからずに、しかし素直に助けてと言える謙虚さも大切。

人間としての心構えをいろいろ書いてあって、良書と思いました。著者および社員は、仕事をもらって始めて家を訪ねたときには必ず仏壇にお参りして、「いい決着が迎えられるよう頑張りますので、お見守りください」と心の中で語り掛けるそうです。いいですねぇ、こんな税理士さんに巡り合えたら、きっといいアドバイスがもらえるに違いない。でも仲裁は弁護士などの仕事、あくまでも税務上のアドバイスだそうです。


私自身は、最近はコロナでいろんなことがお休み、時間は有り余っているけれど、とりあえずは心身健康に過ごすのが目標です。

皆様も残暑にお気をつけてお過ごしください。


逝く夏に。

スイカのスムージーがおいしかった。定番商品ではなく、きようはもう売ってなかった。残念。

15日に来た次男が庭で見つけた抜け殻。昆虫大好き小学生でした。

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散歩道・晩夏

2022年08月30日 | 日記

先日、中山道を歩いたとき、道端の山野草と石碑ばかり撮り、肝心の旧街道のたたずまいを写していなかったことに気が付きました。せっかく行ったのに残念。

きょうは建物や道に目を向けてみたいと思います。

近道。

草。

焼けた街の先に、向宇品のこんもりとした森が見える・・・

というような描写が井伏鱒二「黒い雨」にありますが、二階へ行って新潮文庫を探すのが面倒。

主人公は、そのあと水上警察署で白米のご飯にたくあんの昼食を食べさせてもらい、今の安佐南区まで徒歩で移動します。燃え盛る市街地を避け、それはそれは大変な行程だったことでしょう。

こんもりしているのはクスノキ、シイ各種など。

あの先で左へ。

左手前、地元のさるメーカーの社長さん宅。今は空き家で庭にニワルシが繁茂。

その先の病院で姑は一年前の9月初めに亡くなった。

葬祭場から迎えの車がなかなか来ず、冷房が効きまくった駐車場横の霊安室にいたらとても寒かった。次男が仕事から帰っていて駆けつけてくれた。泣きじゃくっていた。というようなことを思い出した。

一年の早いこと。

結婚式場。

チャペルはイギリスから移築したそうで。

昔こんな風に写真撮っていたら中を案内してもらい、とても素敵だったので、長男に、とりあえず式場を押さえる、相手はそのあとゆっくり探すと提案するも無視された。

友達の住むマンション。

マンションができるまでは私設の水族館があり、通れなかった。通るのは入園料払ってから。水族館とは名ばかりで、最後の頃は何もいなかったけど。

通れない時にはこの旧階段を登るのが海への近道。

高校生の夫は毎日泳ぎに来ていたそうで。

車道で小学校へ向かいます。

 

 

最後のカーヴ。多分ヤマウルシ。

小学校敷地内通行可。上段は運動場。

図書室の下が学校の花壇。向こうに船各種が停泊しています。

 

港。その沖は埋めて何か出来るらしい。

友達が景観が悪くなると嘆いていた。以前は手前が海でその向こうに宮島が見えていたのに。

午前中に出かけるとあとは安心。まだまだ暑いけれど、ほんの少しだけ秋の気配・・・かな。

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八寸帯の松葉仕立て

2022年08月30日 | 着物

姑の遺品で、巻いたままの博多織りの帯地がありました。

いい生地なので仕立てることにしました。

長さは4mちょうどくらい。

う---む。二重太鼓で締めるなら4m30㎝、名古屋帯に仕立てるには4m60㎝が必要。長さが足りない。半分に折って半幅帯にするには長すぎるし、どうしたもんでしょう。

よく見ると一方の端だけ折り込まないままにかがっている。そして少しだけくすんでいるのでまるきりの新品ではなさそう。

うーーーむ、どんな結び方していたのでしょう。

とりあえず、手先+手先の縫い代+胴二巻+垂れの端までで353㎝取り、残りを折り返してかがる。名古屋帯のつもりです。

折り返し部分は約50㎝。

手先は裏側へ3㎝折りかがる。

かがった部分を内側にして帯の幅の半分に折り、手先から20㎝くらいを綴じ合わせる。手先の端は塞がずに空けておく。

出来ました。手先だけ綴じてあとは開いているので松葉仕立てというようです。

初めてしました。そして帯の構造と用尺が分かったので、自分で帯地を織ることも出来るはず。と、自分を追い込んでみる。

お太鼓の部分が一重で頼りないけど、羽織の下なら何とか。ピンクも抑えた色なので私でもOK。織地がしっかりしているので夏には暑い。夏以外の普段着に締めたいと思います。

お義母さんありがとう~♪

そちらの居心地はいかがですか。久しぶりにお義父さんに会って、その後のこと話しているんでしょうか。先日、無事一周忌も終わりました。

などと、ちょっと心の中で話しかけてみた。

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「母ふたり」 窪島誠一郎

2022年08月29日 | 読書

戦没画学生の美術館「無言館」の館主、窪島誠一郎氏の自伝。

「母ふたり」 窪島誠一郎 - ブログ (goo.ne.jp)

また読んでみたくなったけど、最近本をだいぶヤフオクに出し、本棚の整理をしていないので、探すのがおっくう。

先日のドラマ、ライトが自然で、ベテラン俳優がたくさん出ていて、私のような古い人間には分かりやすかった。

見逃したテレビドラマが、ネットで無料で見られるなんて、いい世の中になったものです。

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「無言館の青春」 窪島誠一郎

2022年08月29日 | 読書

前に読みました。

「無言館の青春」 窪島誠一郎 - ブログ (goo.ne.jp)

車で行くのが便利なんでしょうが、信州上田はあまりに遠い。

この時は車で行ったけれど、同行者全員、興味がないので行かなかった。

今にしたら残念です。

 

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法事が終わりました

2022年08月28日 | 日記


お寺の門信徒会館で。
本堂は冷房がないのでこちらで。
コロナが流行っているので誰も呼ばず、後日改めて集まることにしています。
 
 
終わって写真撮影。住職奥様が写してくれた。
おやま、畳の縁を踏んでます。

本日の心配事あれこれ。
①近くのお寺までの徒歩往復が暑い。
②髪を自分でまとめるのに手間取る。
③着物を着るのに時間がかかる。
 
でしたが、
①長襦袢を絽にしたら涼しかった。去年の通夜では、何かを着て(詳細失念)麻の長襦袢、半襟ポリでとても暑かった。
②10時スタートの法事。美容院へ行く時間がないので、後ろでゴムでまとめ、先は折り返して髷を作る。遊び毛は糊(ヘアージェル)でまとめる。
③あれこれしていると時間がかかって着崩れる。手短に。紐なども最小限で。
 
で何とか乗り切りました。
 
着物着ないなら②は別として①と③の心配はいらないわけで、故人を偲ぶはずの法事が自分の心配ばかりの罰当たりな嫁でした。
 
お寺の奥様は子供会からの知りあい、最近は着物着る人はめったにいないと言ってました。それはそうでしょう。まして夏に。着物着る人は今や絶滅危惧種。
 
やれやれ、帰ってきました。
お寺からは歩いて7分くらい。風があって涼しくてよかった。
 
 
やれやれ、もう脱ぎます。最近は本棚にフックをつけて鏡を吊るしています。
斜め後ろにもう一枚鏡を立てると後ろがよく見える。これだけのことに気が付くのにずいぶんかかりました。
 
着替えた後、近所の広場のフリマへ行く。
最近は昭和のレトロな柄付きのグラスを探していて、(こんな感じでヤフオク! - 昭和 レトロ フラワー 花柄 グラス コップ タン... (yahoo.co.jp))まあまあのが2客30円で売ってたけど、タッチの差で買いそびれた。残念。
 
ろうけつ染めの塩瀬の帯が500円で、少し迷ったけどこちらも買わず。もうものは増やさない。あるものを着る。
 
といっても手持ちの塩瀬は菊と山茶花、唐子に花吹雪の三本。いずれも季節を選ぶ。あの花ならいつ締めてもよかったのにとちょっと残念。でもまあ、ピンクや水色の花も年取って似合わなくなってるので、買わなくてよかったと自分を納得させる。
 
絣もたくさんあったけど、買えば何か作らないといけないし、もう暮らしはシンプルに。
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ドラマ「無言館」を見て泣く

2022年08月28日 | 日記

24時間テレビの中のドラマ

24時間テレビ45スペシャルドラマ 無言館|日本テレビ (ntv.co.jp)

知らなかったので途中から見て、泣いてしまった。ドラマ見て泣くなんて、久しぶりな気がする。

戦没画学生の絵を集めた「無言館」は長野県上田市にあるのですが、近くまで行ったのにまだ行けてません。館主の窪島誠一郎氏はもう80歳になられたんですね。美術館設立に関する著作もいろいろ、有名作家の遺児だったことが分かった時は新聞に大きく載りました。もうだいぶ前ですが。

15年くらい前、尾道美術館で巡回展を見ましたが、特に印象に残っているのが小野竹喬の長男、春雄の「茄子」、ナスと夏草の絵です。

小野竹喬・春男―父と息子の切ない物語 | 京都府立堂本印象美術館 | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ (artagenda.jp)

スッキリと涼しげで、夏の清涼な空気まで描いている。生きていればどんなにいい絵を描いたことでしょう。残念でたまりません。

同世代の役者さんの演技、古い型の車で全国を走って絵を集める場面、そして最後の檀ふみさんが美術館を訪ねるときの訪問着、抑え目の絞りの上品な訪問着。バッグもよかった。私もあんなの欲しいなあ。。。

一月間、huluで無料配信されるようです。初めの頃を見逃したので見るつもりです。

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「相続地獄」残った家族が困らない終活入門 森永卓郎

2022年08月27日 | 読書

詠む本がなくなって、昨日、書店で正価で買ってしまった。Amazonの中古本は50円から。

2000年に母親が急死、家事が全くできない父親を自宅に引き取って同居スタート。その時、生活費をもらえばよかったけれど、全部著者の持ち出し。やがて介護が必要になり、仕事で忙しい著者に代わって奥様が、時には子供たちも手助けしての介護生活が続く。

2006年に脳出血で倒れ、半身不随、介護度4になり、初めは自宅で介護していたけれど、がんが見つかり施設に入り、2011年の震災後、亡くなる。

施設の費用は初め父親の口座から出していたけれど、それが尽きる。他にもお金はあるはずだけど、本人は忘れているので、著者は自分のお金を出す。

死後、銀行口座を探し、もろもろの諸手続きをするのがとても大変だったそうですが、弟さんとは残りのお金を折半し、親族同士の争いにはならなかったそうです。

ままずはよかった。

けれど奥様が、弟嫁は何もしないのに折半はおかしい。私の働きはどうなるのと著者に言う。言うだけで、お金に執着する人ではないそうで、著者もその話を聞くだけ。そこのところが、長男の嫁としてささやかな介護をした私から見ると、奥様の好意と人柄に甘えていると思う。

「本当に助かった。有難う」と心の底からお礼言ってほしかった。心の中ではもちろん感謝していると思うけど、11年間の苦労に報いるため、慰労金を著者から奥様に上げてもいいと思う。上げるそぶりだけでも。

父親にかかる費用を本人に請求しなかったばかりに、あとからお金が出て来て相続税を納めることになったそうですが、そういうところはきちんとすればよかったと思う。著者も反省しておられますが。


我が家ですか?

2018年4月末から隣の家の姑に、食事を作って届けることになって、材料費は日割りで概算を出し、その他に身の回りの物あれこれ買ったのもレシートを取っておいて、一月ごとに計算、姑のお金からもらっていました。

この本によると、2019年11月から、長男の嫁が(つまりは相続権のない人間が)介護に費やした人件費、経費を計上して法定相続人に請求できるように法律が変わったそうです。

知らんかったなあ。2021年9月に亡くなった姑の分、私、請求していません。そのためには介護した時間、内容などの記録がいるそうですが、そんなこと想定していないのでいちいち記録してません。

でも仕事辞めて介護した人はきちんと記録してた方がよさそう。

2018年の6月ころ、寝る前のオシメ替えに行った夫から緊急の救援依頼が。行ってみると、オシメを外していたので・・・本人の髪、服、手、布団、ベッドをきれいにするのに26時までかかった。

やれやれ。疲れ果ててすぐ寝たけど、寝る前に介護の内容と時間を記録する?そんな余裕ないです。それにそれって時給いくらになる?

法律ができたからと言ってなかなか請求できにくいけど、仕事を辞めて介護した場合は当然請求していいと思う。でも遺産があればの話、なければもらいようがない。

我が夫も、私は空気と同じ、空気が介護したのだから、したことも見えてないし、わざわざお礼の言葉を言ってもらってない。他の法定相続人からも同様。

でも幸いなことに、姑は98歳まで長生きし、自分のお金をほぼ使い切ったので、今それを知っても悔しい思いが全然しないのはよかったと思う。


この本によると著者は介護の苦労はあまりしていないように思う。相続も手続きが煩雑なだけで、肉親の争いもなく、地獄というほどではないと思う。

後半は自分のミニカーなどのコレクションの話で楽しそうである。著者の本にはこの話がよく出てくる。

ただいきなり手続きが始まり、大変だったので、前もって親の財産を把握し、介護の費用は本人にお金を使うという基本的アドバイスは参考になると思う。


子供を産めば自分で育てる。でも自分を生んでくれた親に介護が必要になった時、同じように産んで育ててもらった兄弟姉妹の間でも、する人、しなくていい人と、事情はいろいろ。

ざっくりいえば、介護する人は何かと割が合わないようになっている。今は介護保険ができたけれど、それでも常に介護のことが頭の中にあり、常に気にかかっている。それがする人としない人の違い。

でも介護が貧乏くじだったと私は思ってません。貴重な体験だったと思う。

一つはいろいろな場面に遭遇して胆力ができたということでしょうか。汚いことのいろいろもそうだし、人は決して自分の希望通りにいたわってくれないし、ねぎらってもくれないけど、まあこの世はそうしたものと思えるようになり、これもまた胆力。

もう一つは、気がかりのない毎日の時間が、かけがえのない大切なことと気が付いたことかな。姑を家で介護していたのは、(その前から手助けは必要だったけど)わずか8か月だけど、その只中では先が見えず永遠に続く気がして拘束感が強かった。二回、ショートに預けて夫の泊りがけの旅行したのがとても解放感があり嬉しかった。介護保険のおかげです。

さらに自分の老後~最後をどう迎えたらいいか、イメージが沸いたということでしょうか。


友達の話。

姑の苦労していない人は自分が年取ると、ものすごくわがままになる。そうです。それに介護が加われば鬼に金棒、悪いカードが揃ったら一発逆転のチャンス、不足を言い募る老後ではなく、足るを知る穏やかな毎日が送れそうです。

本の感想を書くはずが、つい自分のことになりました。日曜日は一周忌。9月初めという絶妙の時期に亡くなって、せっかく作った絽の着物、着られることになり、感謝しています。夫いわく、またそれかよ~。

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長男から「なぞなぞ」届く

2022年08月26日 | 日記
息子からなぞなぞが来た。家族全員答えられなかったそうで。
私の回答はCの本川
これが太田川の本流、洪水では最短距離の本流を流れると思ったので。
思い直してDの元安川。
同じようなケースの場合、たま元安川にご遺体が揚がることがある。弱って流されてきたサンショウウオもD付近で発見された。
この二つを息子に送ったけど、今朝になってあるいはAかもと。太田川放水路です。
市内の洪水を防ぐため、1960年代に完成した川。上流の大芝水門で、市内と放水路に流す水量をその都度調節する。
でもAだとそのまま海に流れてしまうのかもしれません。こちらで何かが揚がったという話を知りません。
正解はどれかなあ。息子の返事はまだなし。
地図と鉄道の大好きな子供だった息子は、同じく地図と鉄道の大好きなおじさんになりました。
ちなみに社会科と言ってますが教員ではありません。

広島へ初めて来たとき、川に水が流れているのでびっくりした。

私の故郷の香川県では雨が少なくて、中流域では、砂利の川床の真ん中にせせらぎのような川が。水不足に苦労してきた、そして今も苦労している土地柄です。

広島のように、川から直接取水して上水道にしているのは全国でも珍しいと聞きました。

川のある街に住む有難さ。太田川本流の川幅いっぱいに流れる水を見ると、とても安心する私です。

ちなみに川は左(西)から、太田川放水路、天満川、本川、元安川、京橋川、猿猴川の6本です。昔は福島川(西郵便局の裏手)がありましたが今は埋められています。その他、広島築城に際して、原材料運搬のために造られた平田屋川は人工の運河。今のパルコの付近が先端。昭和30年代まではあったようです。

平田屋というのは雲州平田から呼ばれた平田屋何とか衛門という商人で、広島を城下町としてに整備するときに、同じような低湿地の平田の技術が必要だったのでしょう。

平田屋町というのはもうないのでしょうか。最近聞かないのでなくなったのかも。

すみません長話で。


息子よ、正答はいかに。

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運転免許証の更新と植物園

2022年08月25日 | 日記

来月初めが私の誕生日で、今年は運転免許証の書き換えの年です。

夫がアウトレットで買い物するとかで、一緒に行くことにしました。

高齢者講習は既に終わっているので、全行程で30分ほど、今回も写真失敗。トホホです。

続いて広島市植物公園へ行きます。

夏休みの終わり、子供たちもちらほらながら人は少なめ。水遊びイベントがあるようでした。

広い公園の、今日は外周部だけを歩きます。

 

秋の気配。

展望台から大温室、宮島など。

続いてさらに外周の山道を歩きます。

登ったり・・・

降りたり・・・

シチダンカ。八重咲のヤマアジサイ。

 

アジサイの道から日本庭園へ降りていきます。

 

オミナエシ。

ヤマボウシ。

入口まで戻ります。大温室は蒸し暑いので次の機会に。

門の前のメダカ。


アウトレットは結局行かず。「アウトレットの中のダイソーに行きたい」そうでしたが、「アウトレットにダイソーはないと思うよ」ということで、自宅近くのイオンで。

これを買ってきました。趣味の会で使うそうです。それにしても何でもあるダイソー。


免許センターは広島市街地より一山超えた、元は山だらけの何もないところでした。免許センターの道案内を頼りに、心細い道を運転してたどり着いていましたが、ある時、途中右側の山全体が消滅しているのでびっくり。

5年後にはきれいな造成地→さらに5年後には建物ぎっしり、やがてイオン開発のアウトレットが。今では市街地みたいに賑やかになり、しみじみと年月の流れを感じます。

次の更新には認知症テストがあるそうで、自信がありません。友達の話では、品物の絵を何セットか見せられてあとで答えるそうで、専用の問題集も出ているようです。

今さらのテスト勉強?次の更新は3年後?

過ぎてしまえば3年なんてあっという間だけど、とりあえず3年間無事故で頑張ります。

 

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籠目模様の布

2022年08月24日 | 縫物、手芸

・・・を買いました。

きょうは涼しかったので出かける気になり、買い物いろいろ。

食器店は二軒はしごしたけど、ものは増やさない、見るだけなので何も買わずに退散。

ユザワヤでは木綿の布を買う。リアルな籠模様のプリントは、見本として夏用の布バッグがあった。

けど、もう夏も終わり、布は少し安くなっていたかも。

テーブルクロスにしてみました。

この布一枚で気分は南国リゾート、ヤシの木陰で楽しく食事、空、海、雲・・・と妄想果てしなく。

合いそうな器を出してみました。

この柄なら汚れてもあまり目立たないかもしれません。とは言え、適切に洗い清潔に使いたいと思います。


先日、お寺様にお茶出すのに、適当なお盆がないので自宅のを持っていきました。お盆、夫が全部捨てていました。湯呑もないので自宅から。

そのお盆ですが、独楽模様の讃岐彫り。裏を見ると・・・

法事のときにもらったんだった。法事の主は私の叔父にあたる人。

61回忌の法要があるって知らなかった私です。61回忌まで勤めることは稀と思いますが、その人を知っている人が生存していればこそ。

今度の姑の法事、記念品はどうするのと夫に聞けば、「しない」とのこと。というより、年内予定の集まっての会食も危うい。

誰が感染し、誰が濃厚接触者になっても行けないので収まるまで延期かな~

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「認知症がやってきた」ママリンとおひとりさまの私の12年 酒井章子

2022年08月23日 | 読書

公民館で借りてきた。2018年発行。

著者は1959年生まれ。編集プロダクションを主宰し、大阪北浜のメゾネット式マンションにギャラリー併設の自宅を持つ。

奈良在住、1927年生まれの実母が2006年、認知症の診断を受け2008年から自宅に引き取って介護を始める。

そのあれこれを感情的にならず、ちょっと俯瞰した場所から冷静に、時には面白おかしく書いた本。ブログボケリン・ママリンの観察日記 (exblog.jp)があるので、出版もそれがきっかけだったのかもしれない。

私は両親も見送り、あとは夫の介護だけ(と勝手に決めていますが)になったけど、過去も振り返りつつ面白く読みました。


世の中に認知症になりたい人は一人もいない。いないけれど、なってしまうのもまた認知症。今は医学が進んで長く生きられる有難い世の中ですが、それだけに認知症も増えはしても減らいない時代になっていると思う。

なりたくない、人に面倒掛けたくないと思ってもなってしまうのが認知症。なった時にはもう仕方ないと腹をくくり、今からくよくよして待つこともない。と本書を読んで思った。姑も認知症予防の本を読んでいたけれど、90歳過ぎれば誰でもいろいろある。

私は心配しないことにした。この本読んでそう覚悟を決めたということです。


内容が内容だけに、暗くなりがちですが、著者のたぐい稀な観察力、判断力で乗り切って行く。認知症への対処の仕方もいろいろ参考になります。

認知症と一口に言っても症状は様々、この方のお母さんの特徴はとにかく徘徊すること。81歳で大阪に引き取ってから、毎晩、夕食が住むと「帰る」と出かける。行先は家を残している奈良の場合もあり、産まれた門司の場合もある。80のお婆さんが夜になると家を飛び出すのである。止めても無駄と娘の著者もついて歩く。

我が姑も母も晩年は歩けなくなったけど、このお母さんは血液検査も全然問題ない健康体、歩くわ歩くわ、時速5キロで1時間、2時間、3時間・・・時には夜が明けるまで。歩いているうちに80代でも体力、持久力が着くそうで、著者は自分もダイエットになったと言っているけれど、それは大変だったことでしょう。

徘徊は7年間、ほぼ毎日。距離にして約3千キロ。日本列島を縦断する距離。その間、毎夜平均7人に「道に迷っている、奈良へ行きたい、門司へ行きたい、交番へ行きたい」と声をかける。相手してくれた人はのべ一万人。でも誰も無視したりせず親切だったとか。

不良高校生、ピアスだらけの青年、タトゥーのお兄さん、ピンク系商売の方々、著者は、人は見かけによらないと先入観を持っていたことを反省している。


認知症の介護は不毛で辛い、患者には良心が欠けているので徒労感も強い。愛情、思いやりでは介護は続けられない。介護者の尊厳も大切。優しくしなくていい、手を抜いて知恵と工夫でしのいでいく。と著者は言っています。

反面、介護をしてメンタル面で強くなれたそうです。抑圧的な親から18歳で自立し、ほとんど実家にもいかなかった著者は、お母さんを引き取るまでは自営業で独身でストレスのない暮らしだったそうですが、最後に一緒に暮らせてよかったと思い、お母さんもあんたと暮らすのは諦めていたのにと、ふとしたはずみで言う。

そこに至るまでの長い道のりを思うと、ただただ頭が下がります。お疲れさまでした。

ブログは中断したままですが、お母さんは現在95歳、お元気でしょうか。

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「RURIKO」 林真理子

2022年08月22日 | 読書

2008年刊行のドキュメンタリー風フィクション。

女優浅丘ルリ子さんを軸に、昭和30年代の日活の映画スターたちに美空ひばりも出てきて、それぞれ超有名人なので面白く読めた。

映画の全盛期は戦後社会が落ち着いてから東京オリンピックくらいまででしょうか。

石原慎太郎の「太陽の季節」に端役で出た弟石原裕次郎が主役を食ってしまい、彼の魅力を満載した主演映画が次々造られる。裕次郎の次のスターとして小林旭がデビューし、浅丘ルリ子はその相手役としてどの映画にも出ていた。

というようなことを書きながら、私はどの映画も見ていないことに気が付く。昭和30年代前半、私は地方の小学生で、親に連れられて見るのは小津安二郎の「麦秋」とか黒澤明の「隠し砦の三悪人」などの路線で、分かりにくく退屈だった。「隠し砦・・・」はお姫様が出るので東映映画みたいにきれいな着物に簪が見られると期待したら、半ズボンはいたお姫様が山坂駆け巡るので意味が分からなかった記憶がある。

私のことはさておき、今から考えると映画の黄金時代って10年ちょっとだったように思う。そのあとはテレビが普及し、長く凋落が続き、再び映画館に人が足を向けたときには、企画が先にあり、俳優はちゃんとした演技が求められるようになったと思う。

スター映画の時代はまずスターがいて、その人をどれだけかっこよく見せるか、話の筋も分かりやすく、娯楽性が高かったと思う。

その時代にスターだった浅丘ルリ子、取材をしたうえでのフィクションということだけど、内面にまで立ち入って書くのはなかなか難しかったのではないかと思う。この中では与えられた仕事を淡々とこなし、物事に深くこだわることもなく、華やかな場所にいてもどこか醒めたような女優として描かれるけど、実際はどうだったのでしょうか。

俳優、石坂浩二氏との結婚のいきさつも面白かった。でも二人はすぐに別居し、30年も一緒に暮らしてなかったって、知らなかった。もう少し短いのかと思っていた。

石坂氏はテレビ時代のスター。慶応大学在学中?からNHKドラマの主役に抜擢され、たぶん「太郎」が最初かと思う。

太郎 | NHK放送史(動画・記事)

左は伴淳三郎ですね。懐かしい。画像はお借りしました。

当時私は高校二年、NHKグラフを購読していて、石坂氏のインタビューの写真もよく憶えている。カラーシャツ、ポロシャツはあったかもしれないけど、ホワイトシャツの襟とカフスを開けてラフに着こなしているのが、「うわぁ都会的」と思ったのでした。

あとは大河ドラマで石田三成1965年だからこちらが先ですね。

こちらもお借りしました。

なんで白黒?と若い人に聞かれそうだけど、テレビも映画も初めは白黒だったって言ったら驚かれるかも。

あと、TBSで医師役、水前寺清子さんが看護婦(士)役の「ありがとう」というドラマもよく見ていました。これは少し後、1970年代初めのころ。


この方は多彩で、芸能人枠があると揶揄されながらも絵も二科展の常連だったと思う。

でもこの本によると、結婚後も常に恋人がいたそうで、親の介護をしてくれる人だから再婚するって、年取ってからルリ子さんと離婚したんですよね。それはルリ子さんへの気遣いかもしれないけど、嫁たるもの親の介護をすべしという古い価値観を持ち出したところでちょっと・・・と私は思いました。

お金があれば、介護は人に任せられるはず。女優に介護を期待するのはおかしいのでは。子供も産んでくれる人と言うことでしたが、子供さんには恵まれたのでしょうか。

なんか現実のごちゃごちゃを見せてほしくなかった。というのが素直な感想。


世の中には美男美女はたくさんいると思うけれど、芸能人になった人の波乱万丈が一般人の私には面白く、娯楽作品として楽しく読めました。

コメント (4)

団塊の世代

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