日記

日々のあれこれ
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「私のとっておきの京都」 サライ編集部

2011年03月31日 | 読書


京都に住む各界の著名人が、京都人しか行かないような静かな、古都らしさを堪能できる穴場を紹介している。ずいぶん前の本なので、故人になった人も。

ふむふむ、千年以上も都を張っていた京都は、歴史が積み重なり、独特の文化と職人技が栄え、汲めども尽きぬ楽しみと、廻りきれない隠れた名所があるらしい。

京都は二人で行くのも大勢で行くのも楽しいけれど、女一人で行っても全然大丈夫なところが私は嬉しい。歳とって海外旅行がきつくなったら、一週間くらい滞在してあちらの路地からこちらの寺へとフラフラと歩きたいもの。この本はそのいい手引きの一つになると思う。この本から、これから行きたいところを上げます。

一沢帆布 血で血を洗う相続争いの末、店は分裂。せっかくの老舗のイメージダウン。でものぞいてみたい。(今年四月六日より裁判に勝訴した三男が元の場所で再開するとのこと)

大文字山 銀閣寺から登るらしい。銀閣寺は京都観光の定番。何度か行った。
高校同級生のQくん、酔って夜友達と忍び込み、庭にいたずらしたけれど、あとで重要文化財か何かだったと焦っていた。たぶん修復されて文化財のままだと思うけど、いたずらはいけませんね。
今は年賀状だけのおつきあいになったけど、元気でいてください。
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このあとまだまだいろいろ引用したいけど、只今0:44もう寝る時間。残りはいずれまた。

原子力発電所はますます悪い方向へ行っているとしか思えない。プルトニウムが拡散する状況は原爆と同じ。唯一の被爆国なのにこんなことになって、ヒロシマ・ナガサキの多くの死者に対して、私は本当に申し訳ない気持ち。あの人たちの死を無駄にしない。それでこそやっと犠牲者も浮かばれるはずなのに。

連日テレビで繰り返される、「ただちに人体には影響がない」という言い方。広島でも、急性症状での死のあとに、さまざまな晩発性の疾患が起きている。。。。なんてことを書くと怖がって眠れなくなる人もいるだろうけれど、西日本では今のところそう慌てることはないと思う。

それだけに、避難地域になっている人は本当に気の毒。ドイツの気象庁のホームページでは福島第一原発付近の2日後までの風向きをシミュレーションしている。日本はなぜしない。断片的な数字を出して「安全の範囲」という大本営的情報操作はやめてもらいたい。

ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、チェルノブイリ…過去から学ぶことはたくさんあったはずなのに。

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写真整理・・・挫折

2011年03月31日 | 暮らし
昨日はだいぶ暖かくなったので写真をコンパクトに整理しようと、二階の押し入れを開けてみる。
下段いっぱいのアルバム。昔は写真が貴重だったし、お客さんが来たらもてなしに写真見せるくらいだったから、アルバムはどれも豪華で重い。

今回の津波ではたくさんの写真が流され、それを拾って持ち主に戻すボランティア活動もあるらしい。友人は近所でボヤがあった時、アルバムを持ち出せるように階下まで運び下ろして疲れたと話していた。

私も何かのときにはバッグ一つくらいになるくらいにまとめようと、古いアルバムから写真をはがし始めたが、子供のころの白黒写真はきれいにはがれるのにカラーになると薄くてうまくはがせない。結局アルバム二つ半で断念。このくらいならしなくてもよかったかも。

アルバムの写真って、子供たちにしてみれば残されても捨てにくいし、今のうちに整理しておかなければと思う。
一枚一枚デジカメで撮影、CD=RかUSBにしておきますか。それも永遠ではないし、みなさんどうされているのだろう。

写真は1981年夏、四国旅行の帰り、松山のフェリー乗り場近くの食堂で料理を待つ長男と二男。ともに幼稚園児。三男はまだ生まれてません。

この時は退屈する長男に「景色を見なさい」と言うと「どれが景色?」と聞かれたものです。昔からなかなかユニークな息子でした。「お母さん、幼稚園の幼の字は力という字が入ってるのに、どうしておさないと読むの」とか。幼いと押さないを混同する幼かった息子。。。。

これが三男になると「お母さんはわしに平仮名を教えた。それで間違うと五回も書き直させた」といまだ恨み骨髄のご様子。小学校入学直後、ボールとバットを線で結ぶようなごく簡単なテストに「**ちゃん、こんな簡単な問題、95点はダメでしょう。100点じゃないと」と言うと「ほいじゃ聞くけど、お母さんは95点取ったことないんね。全部100点だったんね」と逆襲されました。長じて落研に入る兆しがこのころから。

スミマセン、母は全部100点ではありませんでした。と一枚の写真からいろんなことをぞろぞろと思い出す。

先日の法事、記念写真が出来上がって今日届いた。一枚5,000円くらいと結構な値段だったが、88歳のお姑様が「もう最後」というので、参加者に配っていい記念になったと思う。

長男が「次に法事するときは今回の写真をみんなに見てもらうの」とか言っていた。あんたがするのは誰の法事?やっぱりユニークな奴。笑ってしまった。自分の法事は見られずに残念だけど、せいぜい立派な法事を頼みます。

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石原に関しては岩波の最新刊こちらを。ちょっと読みたい気もするけど、どうせ嫌な気持ちになること必定。そんなことにお金使うのも癪。興味のある方どうぞ。

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「老朽マンションの奇跡」 井形慶子

2011年03月29日 | 読書
写真は我が家の近所のマンション。今年ももうすぐ桜の季節。

吉祥寺駅歩いて8分、借地権付きメゾネット型マンション45平米、築35年を著者はリーマンショック後の2009年に500万で買い、200万でリフォーム、自社のスタジオ兼仕事部屋とし、その管理者として若い社員に6万円で貸す。

マンションの値引きの交渉の仕方、リフォーム業者の選び方、など面白かった。同時進行で、たまたま7000万で売り出された売れ残りマンションを、二戸抱き合わせで交渉し、3,300万と2,900万にまで負けてもらう。ここらあたりのテクニックはとてもうまい。こんな客ばかりだと販売業者は大変だけど、totalで損は出さないようにしているのだろう。

家を買ったりリフォームするのはとてもエネルギーがいる。その労を惜しまない人だけが、理想に近い家を手に入れることが出来るのだろう。著者のエネルギーに圧倒される。雑誌「美しい部屋」の編集部にいて、今はイギリスの情報誌を出している人。根っから家やインテリアが好きな人らしい。
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話替わって、都知事の石原が「花見を自粛せよ」と言っているらしい。「戦争中の団結力は素晴らしかった」と軍国主義を賛美するような言い方。戦争中、戦争を続けるためにどれだけ国民の生活が犠牲になったか知らないのか、知っていて強引に言い張っているのかしらんが、災害を利用して人に指図するなんてとんでもないやつ。

電力をたくさん使っての夜桜見物は早めに切り上げるとか、工夫は各自がすればいいこと。都知事が口出しすることでもあるまい。口出しすればみんなが言うこと聞くとでも思ってるのか。都民は子供じゃあるまいし。封建時代の殿様みたいな発想。嫌ですねぇ。聞くだけで気分悪い。

それでも石原が何かやってくれるんじゃないかと幻想を抱くあなた、あいつは見栄えのいいところで自分がかっこよく見えることだけに興味のある気弱なナルシスト。オリンピックを開きたいばかりに大金を浪費し、都民の生活なんて考えてないように私には見えます。目を覚ましてほしい。

昔、当時の美濃部東京都知事を老害と言ったらしいけど、自分もその歳になったことを自覚できんらしい。老害これにすぐるはなし。石原、頼むからさっさと消えてくれーーーーー

すみません、下品な言い方で。でもあいつにならこの程度で十分。
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広島駅前で

2011年03月29日 | 暮らし


26日土曜日、広島駅前へ食事に。窓から駅方面がよく見えます。新幹線口には左のホテルグランビアと、右奥、28日に開業したシェラトン広島が並んでます。グランビアはそれを見越してか、昨年あたりからサービスがとてもいいです。いろいろと便宜を図ってくれるのでお問い合わせを。
シェラトンは朝、昼、夜とバイキングがあるそうで、ちょっと高めだけど、しばらくは賑わいそう。

広島ホテル戦争はしばらく続きそう。中心部のリーガロイヤルは九州から来た人には宿泊代半額だそうです。九州の方、お問い合わせを。



夫はアラカルトをいろいろ注文。私はコースにしました。アラカルトの方がちょっとだけいい感じ。ピザは店内の窯で焼いてます。



こちらメイン。



最後はもう食べきれません。助けてもらいました。



帰り道、ゆめタウンに寄る。笑うRX8。


日曜日、花粉採りのあと魚切ダム付近で。まだまだ頑張るウメ。

38回忌周年を終え、いよいよ39年目に突入。つかず離れて干渉せず、このまま惰性で最後までいきたいもの。
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西陣の織り元をたずねる

2011年03月28日 | 旅行
3/17、親鸞展を見て十二単にはまだ早いので、西陣の織元「渡文わたぶん」を見学。私、昨年の十二月に続いて二度目、従妹は初めて。



昔の工房兼自宅を「織成館おりなすかん」として公開中。三月なので座敷にはひな人形も。



渡文コレクションのいろいろを展示しています。



春らしい着物と帯



梅柄の帯。



花柄の着物



能装束と織り見本の屏風



企画展で「芸舞妓の衣裳展」として宮川町の芸舞妓さんの衣裳を展示。こちら舞妓さんの裾を引く着物。袖の上げが初々しさを表すそうで。


こちら芸妓の着物。袖は短いけど裾が長い。お座敷で裾を引いて舞いをまつたりするときの着物らしい。



夏の着物



同じく夏着物。豪快な荒磯模様。葉はっぱは葦?



秋草模様も夏着物の定番。見た目からちょっとでも涼しくする工夫が昔のおしゃれ。



季節ごとの花かんざし



京をどりの衣裳。鴨川べりの会場で今年も四月に開催。このころは都をどりや北野をどりなど、京都は踊り一色。



同じく京をどりの衣裳

宮川町は八坂神社の門から南へ下がった、川端通りから一筋東の通り。祇園が観光客が多いのに比べて、ひっそりと昔の情緒がよく残っているそうです。今度行ってみたいものです。江戸時代には陰間かげまや子供などが客の相手をする店もあったそうです。(今はありませんよう~~お間違いなく)

お伊勢さん、金毘羅さん、八坂さん…お参りのあとには楽しいこともいっぱい。地元宮島も遊郭があって、謹慎中の頼山陽は船で宮島まで遊びに行ってたとか。どこが謹慎やあ(x_x) ☆\(^^;) ぽかっ!
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「家を建てるなら」 

2011年03月27日 | 読書
写真は同じく烏丸DUEのデザート。途中は話に夢中で写真なし。

家にまつわる9つの短編集。家は生活の容れもので、人生の容れもの。人が家を持つことに必死になるのは今よりも幸せになりたいから。イメージしていた幸せな家族の姿を実際に味わいたいから。そのための悲喜こもごもドタバタをいろんなパターンに分けて描いている。

それだけに、今回の津波でマイホームがバラバラに崩れる映像を見ると胸が痛い。そして津波に遭わなくとも、日本での住宅の耐用年数は30年だそうで、30年ごとに日本人はせっせと新しい家を作っていることになる。古いものを嫌い、新しいものを尊び、家は建った翌日にはもう値下がりしている。日本の家、こんな間に合わせでいいのかと私は思う。

ヨーロッパの例を持ち出して恐縮かつ嫌味ったらしいけど、以前イタリアへ行った時、ミラノでは百年以上経つ建物は歴史的建造物として取り壊しが禁止されているとか、フィレンツェでは五百年前のフィレンツェ共和国の政庁舎、のちにメディチ家の宮殿にもなったパラッツォ・ベッキォを今も市庁舎として使っているのを目の当たりにすると、彼の地の建造物が石でできているのを差し引いても、日本人の家はせいぜい一世代のもの、賽ノ河原で石積みをしているようでむなしい思いに囚われる。

家にまつわるトラブルも、日本では買主がより多くリスクを引き受けるようになっているそうな。先日読んだ井形慶子さんの本によると「イギリスの取引は契約によって、日本の取引は信頼によってなされる」そうな。人は自分の見たいものしか見ていない。往々にして欠陥住宅に泣かされるのは、われわれ日本人の甘さと言われても仕方ないだろう。

人は誰しも自分の家が欲しい。でもその執念は日本人はまだまだ強くないと思った。イギリスの家探しの話を読んだ後では。それは日本の家が30年しかもたない耐久消費財、ヨーロッパの石造りの家が何世代にも受け継がれる財産で、古くなるほど価値が上がるのと好対照。何だかむなしくなった。
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スギ花粉採取ふたたび

2011年03月27日 | 暮らし
写真は京都三条通り文椿ビルディング内の「烏丸 DUE」で。イタリアンとワインの店。17日は外は雪で私たち二人、一階のフロアーは貸し切り状態。ゆっくりといただきました。こちら前菜。

本日27日は、海を隔てた向かいの松山の「四国一長いフリーマーケット」に行く予定だったけど、スギ花粉採集に付き合えと言われ、お弁当作って五日市奥の阿弥陀山を目指す。以前登山したとき、全山スギの林だったので。

でもきょうは魚切りダム手前で窓が山方面に向かい、途中で車を停めてリサーチするうち、川の内側の護岸の間から出ているスギがとてもよく花粉をつけていたのでそれを採った。
目の前に木があるのでとてもとりやすい。高枝ばさみで切るたびに薄黄緑かがった黄色の花粉がぼわっと舞い上がる。それをバケツの水の中ですすぐうち、バケツの水は花粉で泥のような色になる。
きょうは採るのも楽、下準備も楽、あとは持って帰ってさらに精製。私はそこはノータッチ。

予定より早く終わったので、魚切ダムの見える公園で持参のお弁当を。八重の紅白の梅がまだ頑張っていた。標高が市内よりは高いので、桜はまだまだ。

福島第一原発は27日現在、まだcontrol出来ていない。本当に恐ろしいことである。以前題名は失念したけれど、鎌田慧の原発の本を読んだ。著者自ら原発の労働者として働き、原発は通常に運転するだけで、大量の被爆者を生み出すことを前提に作られていると結論付ける。労働者は使い捨て。被ばく量が一定量になればもう二度と原発では働けない。
国も電力会社も危険性を隠して強引に進めてきた。早く止めてもらいたいと私は思う。

しかし、廃炉にするのも大変というか不可能。原子力発電がいかに厄介なものか、次のサイトで分かりやすく書いています。こちら
長年原発で働いてきた人だけに説得力があります。今回のことを予測して警報を鳴らしていますが、結果として的中してしまったわけですね。

驚いたのは原発の工事も全くの素人が行い、炉の中に針金を忘れたり、発注した会社ごとに配管の太さが微妙に違っていたり、検査官は全くの素人、保安委員会(保安院?)は官僚の天下り先だそうで、誰も責任を取らないままに巨大にして無謀なプロジェクトが動き、その結果は国民に塗炭の苦しみを強いるもの、それでもまだ誰も責任を取らないことにおいては、先の戦争と同じくらいひどいと思う。

政府も電力会社も都合が悪いことも包み隠さず話し、原発のない社会を、未来に核廃棄物を残さない社会を作ってほしいもの。
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素夢子古茶家(そむしこちゃや)in京都三条通りそのほか

2011年03月26日 | 旅行


以前から気になっていた三条通りの建物。ススキや木が生えてるし、瓦屋根の土塀だし、中はよくわからないし、うーーーむ、とっても高級な料亭でもなさそうだしと思っていたら、河野美代子さんは京都へ行くといつもこの向かいのホテルに泊まり向かいのこの店で食事するそうで。

私自身、宿の好みもいろいろ変わってきた。以前は和風旅館が好きだったけど、当たり外れが大きく、必要にして充分な機能のみに特化したホテルも捨てがたい。二つの地下鉄路線のクロスする烏丸御池に近く、お値段リーズナブルなホテルが結局は泊まりやすい。

先日はホテルの都合でツインのシングルユースで結構でした。私は根が田舎者なので、古いのは耐えられるけど、狭いのはとても辛い。

ホテルは庭に面した大浴場付き。街中でゆったりできました。系列の四条の方も大浴場がついてましたね。また行ってみたいものです。

えーーー、ホテルの話にそれましたが、韓国の古民家を移築したという韓国風カフェ。軽い食事もできます。こちら素夢子御膳1,500円。雑穀のご飯にいろいろなおかずがついてます。どれも細胞にしみわたるような滋味があるのが不思議。ステーキだとか、にぎり寿司だとか、パスタだとかいったものは僅か二、三世代前には決して口にしなかったもの。もともと体に合わないと思う。なんでもないおかずで、忘れていた味覚が呼びさまされます。



で、三条通りはこの付近から西はいきなり地元商店街の顔を見せます。古いことを恥じない。古いことが誇り。人が亡くなっても同じこと。生きたままの気配がそこここに残っているような。。。。
もっとじっくり写真撮りたかったけど、連れが入るので焦ってピンボケ。すみません。昔は何か御商売をされていて、今はガレージ。自転車が生活感いっぱい。いいですね。ホッとします。



従妹は二人の娘が京都女子短大在学中に何度も京都へ行ったらしいけど、毎回、平安神宮とか河原町のあたりへ行っていたそうな。私と全然立ち回り先が違う。

で、先日、中学の修学旅行以来はじめて平安神宮の前まで行った。約半世紀ぶり。ちょっと小声で大味(^x^;)
清水寺も修学旅行以来行ってません。金閣寺と二条城は夫が行きたいと言うので一緒に行ったけど人が多かった。。。。人の多いのは苦手です。

平安神宮なんて、バス停東大路二条から歩いて五分だった。知らんかった。北上して百万遍を通る201系統は嫌になるほど乗ったのに。

こちらは明治時代に町興しで建てられた新しい神社。それまではこの付近は田んぼの広がる田舎だったそうで。

おっときょうは結婚記念日だった。1973年に24歳同士で一緒になったんだった。光陰矢のごとし。三月末なのにこの寒さ、出かけたくないけど、物産展大好き夫はデパート行ってあと食事したいそうで。食事の好みが違うので店がなかなか決まらないし、着替えるの面倒だし、私は家で普通のご飯でも全然いいんだけど。早く暖かくならないかなあ。。。。


本日の追加画像 最近の孫娘。

大人のすることに興味深々、パソコン大好きでキィボードを叩きます。お父さん=息子が「○○ちゃん、駄目よ」と言うと、とても辛そうな顔してさめざめと泣きます。
「かわいそうに。そんなに怒らないで。何でも自分で確かめてるんだから」と祖母は孫の味方。

怒られたことが分かり、それに対応した泣き方。いつまでも赤ちゃんだと思っていたけど、どんどん賢くなってるのね。

ぬいぐるみ大好きな三男が、フードに自分のぬいぐるみを突っ込んでいます。コタツの周りに家族がめいめい自分の持ち物を持って集まり、ワイワイと騒ぐ。そんな何でもないことがとてもありがたい今日この頃。

被災地の皆さん、落ち着くまでどうぞ体に気をつけて。一日も早い復興をお祈りしています。
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「突撃!ロンドンに家を買う」 井形慶子

2011年03月24日 | 読書


写真はロンドン、ピカデリー通り。2008年6月12日

若い時からイギリスが好きで、何度も旅行し、イギリスを紹介する雑誌を立ち上げた著者が、ついに活動の拠点としてロンドンに家を買う、その顛末。

場所は高級住宅街ハムステッド。ヴィクトリア時代に建てられた三階建ての建物の最上階、間取りは2ベッドルームに台所と居間。窓からは東京ドーム68個分の広さの広大な公園、ハムステッドヒースが見える。円高とイギリスでの住宅不況が幸いし、値段は購入当時で39万5000ボンドと格安で買えたとのこと。しかも家具什器、電気製品付き。当時1ポンドが110円くらいだったらしいから、4,500万くらい?いいなあ、うらやましい。

家への考え方、取引の仕方など日本とは違うことばかり、しかも現地在住、知り合いの日本人不動産業者を頼りにしての日本からの交渉、スリルもいっぱいで、思わず「頑張って!!」と応援したくなった。

日本と違って、商談中でも他の人がそれより高い値をつけると買われてしまう。そうやって第二志望のフラットはロシア人夫婦に買われてしまった。本命、ウインドホールの持ち主のインド移民は管理費は滞納しているし、メンテナンスを証明する書類はなくしてるし、家族は反対しているしと話がなかなか進まない。そのうち偶然、近くにもっといい物件が出てすぐに契約する。

夢がかなってよかったですねと著者をねぎらいたくなった。何事も不屈の精神とよき友に支えられて当たれば不可能はないと勇気をもらった。

イギリスでは古い家の方が値打ちがある。家の鑑定は中立の立場のサーベイヤーが行い、契約は弁護士が代行する。ロンドンの家は世界中の人たちが、利殖で買いたがり、とても高いとのことなど、日本との違いも面白かった。


2008年当時、1ポンドが220円の円安。Spodeのディナー皿を一枚10ポンドでピカデリー通りの陶磁器屋で買ったけど、今なら1,300円くらいのはず。悔しい。。。。
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島原・・・花街のおもかげ

2011年03月24日 | 旅行


3/17 6:47ののぞみで広島発 8:31京都着。従妹は10:10のバスで京都駅着の予定。その前に一人で島原へ。市バス島原口下車。花屋町通りを西へと歩く。地元密着の古い商店街。京都は個人商店がまだまだ元気。



三階建て木造建築。文具店。ショーケースがいい雰囲気~♪



和菓子舗。裏で作っている小さな店はおいしいはず。



太夫最中140円を買って道を聞く。「まっすぐ行かはったら門がありますさかい」とのこと。



店で。「きれいでしゃろ。何年か前に太夫道中がありました」とのこと。



さらに行くと、印刷製本をしている店先に、和紙のメモ帳いろいろ。ひとつ百円。どれもきれい。



あの人にこの人にとたくさん買いたいけれど、旅は始まったばかり、荷物になるので自分、お姑様、義妹に三つだけ買った。残念!!



通りの突き当たりを少し横へ行くと大門が。ここから先は昔の花街。



角屋すみやは「揚屋」、今の料亭に当たる。現在は「角屋もてなしの美術館」として内部を公開中。入場料は千円。豪華な座敷などを見学できるらしいが、10時開館なのできょうはpass



輪違屋わちがいやは現在お茶屋として営業中。内部非公開。
御当主が書いた本はこちら

今自分の感想を読むとちょっと辛辣だったかも。ごめんなさい。

昔は東の祇園などとともに大いに栄えたとのことだけど、繁華街から遠くて次第にお客さんも来なくなったとのこと。それだけに静かで、時間が止まったような不思議なたたずまいでした。



そのあと東海道本線至近「梅野小路公園」へ歩いていく。昔の機関区があったところで、蒸気機関車が動態保存されている。鉄道マニアの聖地。鉄道好きのわが息子の一人も中学生のころ来たらしいが、広すぎてきょうは機関車までたどり着けず。もう待ち合わせまで時間がない。。。。こちらもいずれまた。

 
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「かくれ佛教」 鶴見俊輔

2011年03月23日 | 読書
今年で89歳になる哲学者鶴見俊輔の、現在の到達点を語り下ろしたもの。

影響を受けた思想、人物などを上げ、You are wrongと決めつけるキリスト教への違和感、といって戦争に協力しながら自己批判もせずに戦後になだれ込んだ仏教界への疑問などをもとにして、鎌倉新仏教の宗祖たちへと思索は巡っていく。

創価学会はとかくいろいろと言われる信者団体だが、なぜ社会に根をおろしているのか、この本でその一端がわかった。戦後、古い地縁血縁から外れたところにいる人たち、また都市生活でその豊かさを充分に享受できない人たちが、学会の中では自分の力で階層を上げていける。その仕組みこそが、組織の基本的な活力となっていることが。鶴見氏はそれは軍隊と同じで、それをうまく受け継いだものと説明する。

私にとっての鶴見氏は、40年以上も前、ベトナム戦争が激しかった頃のべ平連の活動家としてである。またのちに九条の会の発起人にもなった行動する哲学者として。

アメリカで高等教育を受け、哲学者として戦後を生きた鶴見氏の現在の到達点が、かくれ佛教というのが、私には興味深かった。一言で言うなら、自然と個人が共同体を媒介として融和する東洋的な世界。慈悲で赦す、赦される境地。博覧強記の知の巨人も結局はそこへ行くのかという、一般人としての私の安心感。とても癒される一冊でもありました。

写真は京都、三条通、韓国料理店「素夢子古茶家(そむしこちゃや)」の灯り。ほの暗い灯りに五感の凝りもほぐれます。
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京都で茶会

2011年03月22日 | 旅行


お茶室でお抹茶とばかり思ってて、緊張してましたが、レストランの奥で椅子に座って玉露の入れ方を教えていただきました。左向こうは砂時計。湯ざましを繰り返して約50度で二分間むらすとおいしいそうです。



お茶菓子は「合わせ桜」という名前だった記憶が。花びら型の上用まんじゅうの生地を二枚合わせ、中に白餡が入ってました。美味でございました。

こちら
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義捐金で節税

2011年03月22日 | 歴史、社会、家族
先ほど郵便局から私個人として、日本赤十字に義捐金を送りました。振込手数料は無料、用紙はすでに郵便局で必要事項を書き込んで用意していました。こちらでは名前と金額だけ書いて、お金を添えて窓口へ出します。ティッシュももらいました。ご褒美みたいでちょっと嬉しい私。



日本赤十字ホームページより転載

義援金窓口1  郵便局・ゆうちょ銀行
口座記号番号   00140-8-507
口座加入者名   日本赤十字社 東北関東大震災義援金
取扱期間     平成23年3月14日(月)~平成23年9月30日(金)

※郵便局窓口での取り扱いの場合、振替手数料は免除されます。
※郵便窓口でお受取りいただきました半券(受領証)は、大切に保管してください。
※通信欄にお名前、ご住所、お電話番号を記載してください


もちろん、みなさん節税目的で義捐金を出すわけではないでしょうけど3月15日、国税庁より次の通達が出されました。

募金団体を通じた義援金等に係る税務上の確認手続きについて

おもな内容は日本赤十字や公的な団体に今回の震災の義捐金を出すと、今年の税額から控除されるというもの。

★法人は全額が損金として認められます。

★個人事業主、サラリーマン、年金生活者などは(義捐金または課税額の40%の少ない方の額-2,000円)が今年の税金の計算のときに控除されるようです。昨年の例だと税率は5% 10% 20% 23% 33%の五段階なので所得の多い人ほど節税効果もあるようです。

★これは年末調整では行わず、各自が年明けの確定申告の際、義捐金の領収書を添付すると認められるようです。

で、私も先日のは業界団体で取りまとめての募金でしたが、今回は個人としてさせていただきました。

「京都で遊んで申し訳ありません」と「落ち着くまでどうぞ体に気をつけて」という気持ちで、ほんの少しですが。

実は今日までマツダスタジアムで支援物資を受け付けているとか。早速紙おしめなどを買って届けるつもりだったけど、なるだけ一種類を大量にとのこと。個人で少量を持って行き、東北まで届ける費用と手間を考えたらやはりお金の方がいいと思いなおしました。

日赤には一週間で223億円が集まったそうです。デパート前などで義捐金の募集もしていますが、広島大学のある教室の名前をかたった団体もあったと、地元医師河野美代子さんのブログにありました。

領収書のもらえる団体に寄付をして、被災地に確実に届けてもらい、確定申告で税金を取り戻すのがいいかと思います。国税を基準に住民税も計算されるので、節税効果は二重にあるのではないかと思います。

税金の解釈は詳しくは近くの税務署などにお問い合わせくださいね。私は素人ですので間違っているかもしれません。

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京都の着付け

2011年03月21日 | 着物

従妹と二人、京都の老舗呉服屋さんで二人同時に着着けてもらいました。

着物姿の師匠格の人が、実際に作業する人の手順をチェックしています。その早いこと、早いこと、十分以内で完成。

★おはしよりは初めに長さを決め、あとは折り上げて紐で固定、内側は上に折りあげているのでお腹周りは薄くてすっきりしています。

★従姉は胴回りをタオルで補正したそうですが、私はなし。この深い意味。

★胸元は綿で少し膨らませると長襦袢の襟がきれいに出るようです。

★名古屋帯は胴とお太鼓部分に分けてcut、それぞれに紐をつけています。
手先はお太鼓に直角に縫いつけ、中を通して帯締で留めるだけ。
(結ぶのは簡単だけど、帯を切って紐をつけるのが面倒。私は今迄通り結ぶつもりです)

★帯揚げは一回結んで反対側にねじり、一方は脇まで戻して帯の中に差し込み、もう一方は長さ10センチくらいに畳んで、結び目の上からかぶせるだけ。こちらも薄くてすっきりとした仕上がりです。

従姉、色無地に漁網をほぐした糸を織り込んだ紬の帯。網糸紡ぎというそうです。緑も紫も下手するとどぎつくなりがちですが、上品な色にまとまっています。

私、ピンクに白い帯なんて、何十年ぶりでしょうか。グレーかがったピンクはこの歳でも大丈夫だそうです。名前と身長のイメージで用意して下さったセットですが、なんで私の好みがわかったのと思うくらい好きな組み合わせです。旅先なので、二人とも髪はグシャグシャ。お見苦しくてすみません。


この日は六人で、三時間ほどこちらの呉服屋さんで楽しいことをいろいろして過ごしました。

向こうの方から聞こえてくる参加者とスタッフの会話
「こちらで染めから誂えて着物を作ると五百万円くらいですか?」(えらいあけすけな言い方やなあ)
「いえ、百万もかかりませんよ」(ぎょえーーと無言で顔を見合す私たち)

いゃあ、世の中にはいろいろな世界があるもんです。勉強になりました。

呉服屋さんとは言え、看板なし、ショウウィンドウなし、ビルの小さな入口に家紋入りのシンプルな暖簾がかかるだけ。入ると着物が二枚と、色無地見本が20本くらい。値札なし。見るだけならここで退散したほうがよさそうです。本気の客だけ、さらに奥へと行けるのでしょう。

いゃあ、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

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パニックにならないように

2011年03月19日 | 暮らし
破壊された原発の映像を見てショックを受けた人も多いと思う。私も受けた。で、思い出したのはスリーマイル島の事故とチェルノブイリの事故。

私も特別な情報を持つわけではないけれど、昔、「スリーマイル…」を題材の映画を見たことを思い出した。「The day after tommorow」とかいう題名だった。身一つで急いで避難して家族の写真が残されている場面もあった。今回も、避難した人たちは自宅へ帰れる日が来るのだろうか。もし自分の身に起きたら、それでも元気を出して生きていけるだろうかと思った。

が、しかし、千キロも離れた広島でテレビ画像を見て右往左往するのは過剰反応。広島まで放射能物質が飛んでくる事態になれば日本国中逃げ場などない。紙屋町に原爆が落ちて、四キロ離れた我が家付近で放射能被害はなかった、取り越し苦労はやめたほうがいいと、ブルーになっている人に言ってあげた。

とりあえず昨日ささやかだけど募金した。物資を受け付けるようになればそちらでもできることをしたいけど、今はとりあえずお金?

実家では空襲のあと、町で焼け出された何のゆかりもなかった一家に一年以上、一部屋貸していたと聞いている。庭で七輪で調理したりと大変だった模様。その間に子供も生まれたらしいし。その方からは戦後20年くらいしても毎年お歳暮をいただいていた。困ったときはお互い様、深い絆ができたのだろう。

今も戦争のような非常時だから、自治体を通じて、家のない人にしばらく空いている家や部屋を貸すというのがあってもいいのでは。
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団塊の世代

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