日記

日々のあれこれ
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息子の引っ越し

2013年10月31日 | 日記

が来月くらいになりそう。

21:38頃、長男より電話あり。新しい家にすでに住民表を移し、組み直したローンを申請するにあたって印鑑証明を取るとのこと。

やれやれ。5月中旬に家の契約してはや5か月、いろいろ難しい問題もあったけど、やっと引っ越す運びになった。新しい家で、家族みんなで幸せに暮らしてほしい。

10年後には私は生きてるかな。20年後はどうだろう。30年後にはたぶん・・・

でも新しい命が新しい時代を作っていく。なんかとても嬉しかった。

12年前、我が家だけの遊び「座布団払い」、通称ザブハラに興じる長男左と三男右。長男学部5年、三男高三。

やれやれ。先週、息子は、無断で家がキャンセルされそうになってびっくり。。。。。したそうな。私もびっくり。

変な行動にはすべて原因がある。変な行動ほど原因がある。世の中は自分だけのものではない。人のことではなく、自分のこととして肝に銘じておきたい。

いろいろあったけど、それをクリアーした息子夫婦、きっといっそう幸せになることでしょう。

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昔の自作を拾い読みした

2013年10月31日 | 日記

二階を片付けながら、昔自分が書いた小説を拾い読みした。

次第にうまくなるかと言えばそうではなくて、現代の倦怠なんて恰好付けて、文体も持って回った書き方に流れ、むしろしばらくは下手になっているなと思った。

小説の力は一にも二にもテーマ、題材をどう料理するか。センテンスは短くわかりやすく、難しい言葉は使わない。気取らない。作者が酔わない。。。。ということですかな。

初心の作品の方が今読むとぐっとくる。やむにやまれず書いていたその迫力である。育児の最中で、あの頃はとにかく時間がなかった。それでも書いていた。ものを言うのと同じ。

30代初めSanukibungaku(一般的な漢字にしてください。検索除けのため)という同人雑誌に参加。主宰者は高校時代に文芸部をやって以来ずっと「文学ほっこ(方言でばかのこと)」を自称するN田氏、10年ほど前に亡くなられた。小児まひの後遺症で障害が残り、ご自分で印刷所をしておられた。

同人は掲載料を出していたけれど、雑誌を作るに当たってはN田氏の持ち出しも多かったと思う。昔はそういう人がいて、その周りに文学好きが集まり、一つの雰囲気=サロンを作っていた。N田氏は私設の文学館も作り、地元の文化のために一生をささげた人。もうあんな人はこれからは出ないだろう。私のこともとてもよくしてくれて、ものすごくお世話になった。

年に一度か二度の集まり、夫に子供を頼んで、新幹線はあったのかな、瀬戸大橋はなかったけどはるばると四国まで。文学の話をすると、やっと息ができたような、生きている実感があった。

おやおや、私としたことが、今さらこの歳で抒情に流れてる。

それからなんだったかな、そうそう広島市が市民からいろんなジャンルの文芸作品を募って本にするという事業が始まり、息子を体操教室に連れて行ったとき、センター街でそのポスターを見て応募したんだった。締切1月前くらいだったかな。

若かったですね。書けるもんですね。自慢モードごめんなさい。95枚くらいの小説を仕上げたのが締切数日前。当時はもちろん原稿用紙に手書き、ほとんど書き直す時間もなく、ただ言葉が出てきたのを書いただけ。これは二席になったかな。五万円もらった。

すみません、走るのが早い人は練習しなくても早いし、歌を一度聞いてすぐ歌える人もいるし、文章を書くのも身体能力。

しかし、すべての能力には段階があるわけで、いくら磨いても同人雑誌作家で終わる人、ノーベル文学賞まで行く国民作家といろいろ。でも言葉で思いを顕すのは人間にだけできること。それで人生を深く味わえればそれで充分。


それから10年余り、ある文芸誌の新人作家の現在という特集に入れてもらったけど、あれからだって四半世紀たつ。今はもう書いていない。

私の場合は寂しい時、辛い時の方が書けたと思う。そういう内容、書き方だった。それ風、ん、純文学風に書いたのは一応うまいけど、迫力がない。今は若い時のように寂しくもないし、辛くもないし、感情の振れもずいぶん小さくなった。人生のだいたいの見通しが立つからか?

前掲の同人雑誌、昭和40年頃掲載の短編がいきなり直木賞になったことがある。作者にとっては初めての小説。同期の芥川賞は大江健三郎である。今は、草野球からいきなり大リーグにというようなシンデレラストーリーがあるのかどうか。

文芸雑誌も増えたし、まずは新人賞応募ですかね。落ちても見どころある人は編集者からもう少し頑張ってみないかと連絡あるらしいので、文学を志す若い方、諦めずにとにかく書き続けてくださいね。

最近、ネット上で若い作家と連絡を取った。元々は息子の先輩という縁。近々処女作が出るそうな。本が出たら教えてもらうことになってるのでとても楽しみ。子供を育てながら頑張っている姿に昔の自分を重ねている。頑張ってーー!!


断捨離っていいですね。その前に一瞬、その時のことを思い出す。で、結局同人雑誌はもう一つのAkibungakuとともに、再び押入れの本棚の中に。断捨離になってなーーーーい!!

長文、深謝。

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連日の片付け

2013年10月30日 | 日記

ものすごくいろんなものが出て来る。岩波の「講座日本の歴史」、1960年代から三回出たけど、一回目はもう処分、二回目と三回目もほとんど読んでない。もう読む必要のない生活してるんだもの。

捨てようかな。1980年代からの小説の同人誌、たくさん。貰ったのもたくさんある。読んで感想書いて送って、あちらからも感想貰って、地方紙の文化欄に自分の名前が一行載ると嬉しかった、うぶな私。

昔はそうでもしないと自分の思いを発信できなかったんですもの。つくづくいい時代になりました。

もう捨てるかな~たくさんの同人雑誌。

あとは服とか、端切れとか。


 

昼過ぎ、本通りまでパン買いに行って、ついでにスーツを作ってもらう流れになった。自分でもびっくり。何の店かなあと、ださい(失礼)既製服の店の奥には生地がたくさん、オーダーコーナーでした。

既製服と体形の折り合いが悪くなった私は、最近とんと洋服着なくなったけど、オーダーなら何とか。そう高くない。10年着るつもりで、ごくごくオーソドックなツィードの生地とデザイン。

デザイナーと打ち合わせするのも楽しい。装苑、ドレスメーキングなどの雑誌も久しぶりに見た。ゆっくり話してコーヒー飲んで、トーストとお菓子をいただいて、来週は仮縫いです。またまた洋服に回帰するのかな。スカートなので、久しぶりにロングブーツ買うかも。

気分はすっかり昭和、服オーダーするなんて、多分40年ぶりくらい。いやはや。

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モノだけが溜まる

2013年10月28日 | 日記

夕方、二階の、元三男の部屋の本などを思い切って捨てることにして整理。でもどうしても捨てられないものがいくつか。

これをY輔セットとして、しばらく保存することにした。あとは全部、処分の予定。

封書は浪人時代のZ会添削。たくさんあったけど一つだけ残す。

自動車のパンフは地元ディラーで販売研修をしていた時のもの。もういらないはずだけど、残しておく。

あと5年くらいしたら、これらも全部捨てられるかも。


ネットをする前、手書きでメモ代わりの日記を書いていた。ノートはお姑様のイギリス土産。日記は2000年前後の3年間くらい。

1999年1月25日、Y輔、実力テスト学年で6位だったとか。信じられない。どうせまた下がるかもしれないので、今のうちに喜んでおこう。

高1の時だったと思う。

今から思うと、何とささやかな、シンプルな喜びだったことか。この後成績が上がったのか、下がったのか私の記憶にない。たぶん上がったり下がったりを繰り返したのだろう。

大人になってからの複雑な心配に比べると、成績なんて何と言うことはないのである。元気で生きていたらそれで充分

先日、近所のお孫さんが東大在学中のおばあちゃんと話した。娘さんががんで亡くなられて、二人のお孫さんを引き取って育てた人。

「孫には勉強しなさいと一度も行ったことないし、塾も一度もいったことない」そうで、生まれつきできる子っているんですよね。その方は自慢たらしくないので、時々、お孫さんの話を振ると嬉しそうに話される。お母さんが生きていたらなんて、いらんことは私からは言わない。

子供なんて元気で生きていたらそれで充分。それ以上はおまけ。掃除しながら、楽しかった日々を思い出した。

いかんなあ、気持ち後ろ向き。

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息子一家に遭遇

2013年10月27日 | 日記

きょうはフードフェスタと菊花展に行くつもりが、あまりに人の多さにお堀まで行って断念。

いいお天気でした。

商店街でばったり息子一家に遭遇。

半袖ワンピース一枚になぜかマスク。マスク大好き。

男は男同士。お茶して支払いは私。

「ごちそうさまでした」「お世話になりました」という孫娘三歳。つむじ二つの孫息子は髪の流れが激しくぶつかり逆巻く

塙?ピン芸の人?だと言って盛んにトサカを立てる息子。

 

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元気です

2013年10月26日 | 日記

この一週間、いろいろありましたが、ようやく峠も越え、落ち着いてきました。

きょうは兼ねてより計画していた、友人三人(♂1♀2)人を招いての我が家での持ち寄りパーティです。

昨夜は本読んでネットしてつい遅くなり、午前三時から椅子を出したりしました。

大皿に料理を盛り合わせ、食べ終わったら取り皿にしました。

料理は持ち寄りです。食用菊とキュウリの膾、ペポカボチャのキッシュ、〆鯖のてっぱい(香川の郷土料理)、エビ天その他(香川県より取り寄せ)、お酒はフランス白ワイン、梅錦(四国中央市の蔵元)、ビール(友人二人が持参)、ちらし寿司、煮しめ、その他です。

生落花生の塩茹で。友人宅の庭で栽培。我が家に持って来て茹でた。柔らかいけど歯応えあって、おいしいです。

名前聞いたけど忘れた。何かのキッシュ。とりわけはお好み焼きのへらで。さすが広島、と自画自賛。

ベーコンのサラダ、スダチ風味。四国旅行したそうで。

イチヂクの田舎漬け、ヨーグルト掛け。イチヂクは砂糖に醤油少しで煮るらしい。味に深みがあっておいしい。

久しぶりのお客様ごっこは、酒良し、人良し、料理良し、楽しく過ごしました。また元気で会いましょうと16時前、解散。

そのあと、お姑様と話する。90歳なのに頭しっかり、いろいろアドバイスしてもらい、愚痴も聞いてもらった。本当にありがたかった。嬉しかった。

私とお姑様は世代こそ違え、**家へ嫁に来た身の上。共にペエペエの嫁からスタートして今まで来た。利益も価値観もほぼ共通。

それはおかしい、まあ、信じられない、変なこと言いますねぇと、嫁姑を超えてきょうは久しぶりにとってもいい一日でした。

 

 

 

 

 

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しばらく休みます

2013年10月22日 | 日記

都合によりしばらく休みます。

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「日本人には二種類いる」 1960年の断層 岩村暘子

2013年10月20日 | 読書

以前この人の「普通の家族がいちばん怖い」という本に衝撃を受け、昨日、新聞広告で見つけて買って読了。

「普通の・・・」がめちゃくちゃな食習慣で、食文化が、ひいては日本人が受け継いできた生活の仕方そのものが、根底からガラガラと崩れていることに光を当てた功績は大きかったと思う。

何を食べているか、どう食べているかなんて、あまりに身近なことで誰も関心を払わないし、記録にも残さないけど、30年、50年、100年経つとそういうところからまずわからなくなる。労作だと思う。

で、翻って本書である。辛口で申し訳ないけれど、1960年生まれ以後と以前で暮らし方ががらりと変わるその例を35の項目に分けてあげているが、新書という制約もあり、ただの羅列に終わっているように思う。

戦後の経済復興で、多くの都市住民が生まれ、massとしてのその人たちの消費行動が、日本人の生活の仕方を大きく変えてきた。それは広く言われたこと。

それで人は幸せになったのか、ならなかったのか。いやいや、そんなことを考えても詮無いこと。時間は逆には戻らない。としたら、伝統的な生活の中のいいところをもう一度復権させ、人がゆったりと幸せに暮らしていける方法まで考えて欲しかった。

ちょっと期待はずれかな。これで税別720円は高い。立ち読み、斜め読みでよかったかも。すみません、えらそげで。

私としては「普通の家族がいちばん怖い」をお勧めしたいです。

もう一冊は近々読む予定。

秋になって、久しぶりに栗のケーキを。スポンジの上に薄くプリン生地、ゆめタウン不二家で。最近は創業祭らしい。

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秋祭り

2013年10月20日 | 日記

先日会ったばかりだけど、きょうは地区のお祭りなので一家四人でやってきました。

賑やかです。

お父さんに抱かれて見物。

左右に玉の色を振り分けて遊びます。お父さんがチャレンジ。

お父さんは頑張りました。「偉かったね」と息子を褒めてやりました。

何でも吸います。ベビー服は三男夫婦のお見立て。ありがとね。


 

お祭りのお土産にお菓子のほかに鉛筆なども貰いました。

「**ちゃんお勉強しないといけないの」と言うので、スケッチブックとクレパスを出してやりました。

アンパンマン

お母さん

私。私だけまつ毛が長くて可愛く描いてます。

昼過ぎ、用事があると一家が嵐の如く去って行ったので、本当に久しぶりにお祭りに行きました。徒歩7分くらいです。

空手?の発表会。なかなか見応えがありました。

神社はこの地が埋め立てられた明治時代に、牛田の神社を分祀したと聞きました。初めは海岸にあったのですが、台風で倒壊、以後この地に移されました。

1985年頃、社殿は不審火で全焼、再建されました。

当日私は所用で外出、夫がまだ三歳くらいだった三男を背負って見に来たそうです。そのあと、その火事の話をするたびに「お母さん、あのときどこ行ってたの?」と涙ぐむ三男。

もちろん今は火事も忘れ、母親も忘れ(てないことを信じたい)。おーーーい、Y輔、たまには連絡せよ。母、絶唱

お天気イマイチ、夫は趣味の集まりで昼前から不在。思いがけずに静かでのんびりした午後でした。

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今織っているもの

2013年10月18日 | 日記

もう三か月以上、週一で織っています。初めランチョンマットのつもり、今は何にするか未定。

六本の踏板を、踏む順番を変えて柄を織り出します。白の太い糸と、細くて濃い色の糸を交互に入れます。

お喋りばかりするので、順番を間違えないよう織り機に張り付けています。でも間違えます。

織り機はずっと糸を掛けているので、織り機の数≧生徒数です。教室は先生の所有する2DKのアパート二戸前の間を抜いて、そこに織り機が12台、その他にこまごまとした道具、材料各種、座卓に応接セット、台所でお昼のお茶を用意し、手取り足取り教えていただきます。

でも全然上達しません。給食と遊びが楽しくて学校へ行っている小学生のノリ。その上、最近は電車とJRで行くので、ちょっとした旅行気分です。

縦糸の長さは5m、まだまだ先が長いです。頑張れ、私。


今日明日、産業会館西館で手作りフェアが。絵付けの先生が銀細工の体験ブースにいるので覗いて少し話して帰る。

帰ったら業者さんからもらったお弁当があった。真ん中松茸ごはん。いつの間にか秋です。

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珍しいサツマイモの花

2013年10月18日 | 日記

先日、近所で発見。場所は街路樹の根元の土のある部分。近くの緑地帯を含めて、近くの園芸好きらしい主婦が、様々なものを植えている。夏の早朝などせっせと水やりをしている。

自治体は一度植えたらそのまま放置するので、それもありかなと思う。ものぐさでよく家を留守にする私にはとてもできることではない。

いえいえ、人様への論評はさておき、この花、ヒルガオとも違うようだしと気にかかっていたら、なんとサツマイモの花らしい。今朝の地方紙にめずらしいと紹介されていた。

元々暑い地方の植物なので花が咲くのはとても珍しいそうな。私も見た記憶はない。あまりにめずらしいのでニュースになってます。http://www.youtube.com/watch?v=WD83ev8HDoo

ヒルガオ科サツマイモ属だそうで、道理でヒルガオに似ているはずです。

サツマイモ植えてたのかなあ。この辺りはヒルガオはよく見るけど、やっぱりサツマイモです。

今年の夏の暑さが熱帯並みだった、ということでしょうね。もう、川に張り出した草ぶきの素通しの家に住んで、昼間はうだうだするしかないんでしょうか。

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「民家に学ぶ家づくり」 吉田桂二

2013年10月17日 | 読書

京都府、美山町 2006年10月


20世紀前半と後半で、我が国の社会も人々の暮らし方も大きく変わった。家もまた然り。長年の暮らしの知恵が詰まった、各地独特の家の作り方を平然と捨て、規格化された、工業製品としての家に人々は好んで住むようになったが、もう一度、先人の知恵を見直し、人と環境に優しい家づくりを提唱した本。

先日読んだ「体によい家100の知恵」と重なる部分もあるが、この本では生産力の低い時代、家族が寄り添ってしか生きられなかった時代の負の側面にも触れることで、単なる建築の本ではなく、家と人とのかかわり合いを深く考えさせるものとなっている。

田舎から出てきて、都市のサラリーマンや工場労働者になった層が作った郊外型の住宅は、もともと間に合わせとなる運命にあるとしか私には思えない。次の世代がその家に住むとは限らない。というか住む例は稀だろう。仕事を求めて日本中どこへでも、あるいは世界のどこへ行くか分からない時代、何世代も持つ家を高いお金を出して建てる人は稀だろう。

日本では古いものよりも新しいものに価値があり、家は特にそうなのだから、中古住宅のしっかりとした市場が造られない限り、無理なのかなあと思った。

しかし、この本を読み、古民家の作り方の知恵を少し取り入れるだけでも、新しい家が格段に住みやすくなる気がする。そのように読むべき本だと思った。

何が本当に必要で、余計なもの、無駄なものは暮らしに取り入れないという生き方。暮らし方はその人となりが嫌でも現れる場面。

取り敢えずは家の中の入らないものを捨ててすっきり暮らしたいと思わせられる本。

 

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呉へ行く

2013年10月17日 | 日記

我が家付近からはこのバスが一番早い。30分弱で呉です。

自動車道に上がります。

あちら海田大橋。バスは広島大橋を渡ります。どちらも海に架かる橋。

これを見ます。

駅からは徒歩15分くらい。着きました。きょうは人がとても少なく、静かに見られてけっこうでした。

収集家の集めた、大正、昭和時代の挿絵作家の作品がいろいろ。ほかには鏑木清方、中原淳一、岩田専太郎、、伊藤深水、ほかたくさんの作家の絵があり、見ごたえ十分でした。大正時代、市民文化が花開いて雑誌がたくさん作られ、挿絵作家の需要も高まります。

竹久夢二の絵はよく知られているので驚かなかったけど、他の人のは初めて見るものが多く、なかなか面白かったです。

目は口ほどにものを言い、どの作家の女たちも目力があります。特に華宵、下から掬い上げるような、誘いかけるような目はとっても色っぽい。たとえ少年を描いても。

こんな女性に何か要求されたら、男たるもの、何でも聞いてしまいそう。

塗り絵コーナーで遊んできました。華宵の少女です。なんか吸い込まれそうな目つき。


続いて入船山記念館へ。9年ぶりくらいです。

旧呉鎮守府司令長官官舎。明治38年建築。外観はハーフティンバー様式(英国風)で、屋根は天然スレートの魚鱗葺きになっています。

エントランスの擦りガラスは桜と碇がデザインされています。

1991年~1995年に調査、解体、修理がされ、建築当時の姿に復元されました。

こちら書斎。家具なども当時の様式で作られました。

応接室

戦後はイギリス軍が使用して、白いペンキを塗っていましたが、わずかに残っていた壁紙から、和紙に型押しをした金唐紙も復元されました。

金唐紙の用例は東京の岩崎邸など、全国的にも数少ないとのことです。

食堂

天井も金唐紙

奥は私的な生活部分で、和風です。ドア一枚で、publicな部分と繋がっています。

規模は違うけど、岩崎弥太郎邸と雰囲気が似ています。同じころ作られたのではないでしょうか。

ガラス窓。昔はこうして割れたのを補修していた。見るまで忘れていた。丸いのは障子紙などを切って作ってました。両側から貼ります。


帰ります。

広島湾に浮かぶカキいかだ。

もうすぐ着きます。

 

 

 

 

 

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小袱紗を作る

2013年10月16日 | 日記

祝儀を包む袱紗が見当たりません。雲竜の地紋入り、紫、家紋と名前入り、嫁入りのとき親が作ってくれたもの。

すみません、自慢たらしくて。

実母は「嫁入り仕度が少ない」と姑に文句言われたそうで、娘の支度は出来る範囲で念入りに。ごく普通の家なので出来ないことは出来ないけど、出来ることは精いっぱいにという母の渾身の小袱紗であります。

今まで何度か行方不明になるも、たいてい夫の喪服のポケットから出現。でも今回はどこにも見当たりません。

先日、息子にご祝儀渡すとき、いくらなんでも裸のままはまずいだろうということで、急遽作ったのが藤色の袱紗。

着物をほどいた生地の残りです。

きょう作った紫の方は、大きな風呂敷があちこち傷んできたので、いいところだけとって周りを纏りました。

紫のは鬼ちりめん。20年くらい前、弘法市で買う。けっこう高かった。値切ることを知らないうぶな田舎者でありました。

その残骸。あとは手芸用かな。


 

さらに渾身の大風呂敷。 縫い目なしの1.5m四方くらいかな。一巾とか二巾とか言う言い方がありますよね。こちらも家紋と名前入り、先日は初着を箱に入れて包んでいきました。そんなもの紙袋にでも入れればかさばらないのに、つい包んで持って行くのも、母の思いに応えるため。

だいたいこんな大きな風呂敷、日常の生活で使う場面はありません。第一回は20年くらい前、毛布を四枚くらい包んで近くのお寺の本堂に夫が運び、そこで通夜をしたのでした。

今回が二度目。

息子二人の結納の時は、一人は雨模様、車で行けない宮島で。絹なので雨のシミがついたら最悪。持ち運び用に、急遽木綿地で風呂敷作りました。結納屋さんが貸してくれる寿の風呂敷は結んだらいけないと言われてたので。

それは縁起を担ぐというよりはレンタル用品が傷むのを避けるためだと思う。いろんなしきたりも案外こんな簡単な理由ではないでしょうか。

もう一人の時は会場へ宅配してもらって、風呂敷の出番なし。

葬式の後だったか、姑が実母に向かって「いい仕度をしてもらったので役に立ちました」と礼を言っていた。立てこんでいて、気持ちも大変な時に気配りを忘れない姑様って偉いなあと、あの時は改めて思った。

その一言で、母も長年の思いが実ったのでは。というか恨みを晴らせたのでは。恨み?はて、何の何に対する恨み。そんなところで晴らすのは場違いだけど、物のない時代に言われたことがよほど骨身にしみたものと思われます。

それやこれやで、私は息子の連れ合いの嫁入り仕度については一切論評しないことにしています。

まあいまどき、こんな風呂敷作る人もいないと思いますが。

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ヨーロッパナラのどんぐり

2013年10月16日 | 日記

去年の秋ドイツへ行った一番の目的は、ヨーロッパナラの落葉を見たいというものでありました。期待通り、あちこちで見られましたが、一番印象に残っているのはポツダム。一面に切れ込みの深い茶色の葉が落ちていて感動しました。

私も育ててみたいと思いつつ、きょうまで来ました。

苗木は春に出回るらしいが、高価。1mで1万円ほど。以前ハンカチの木の苗木を買って見事に枯らした私は、園芸と相性が悪い。失敗しても後悔しないよう、平和公園で落ちていた小枝とドングリを拾ってきました。

木の生えているのが舗装した道のそば、落ちた実は容赦なく踏まれ割れ、ゴミとして掃除され・・・でも昨夜の台風がらみの風で17個収穫。

次の手順で撒きます。

青いもの、穴あきは除く。

水に入れて浮かぶものは除く。

水に数日間、浸けておく。呼吸確保のため流水がいいそうです。

横向きにして2~3センチの深さに植える。

乾燥させずに春の発芽を待つ。

春に撒くのも同じ手順ですが、湿った砂またはおがくずに入れ、冷蔵庫で保管。春に撒く。

うーーーむ、けっこう手間がかかるけど、もともとは野生の木、うまく育ってくれると期待したい。。。。


ポツダムのツェツィリンホーフ宮殿で。2012年11月。落ちている葉のほとんどはヨーロッパナラ。

ゆく秋をポツダムの人と語りけり(剽窃字余り深謝)

 

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