二階を片付けながら、昔自分が書いた小説を拾い読みした。
次第にうまくなるかと言えばそうではなくて、現代の倦怠なんて恰好付けて、文体も持って回った書き方に流れ、むしろしばらくは下手になっているなと思った。
小説の力は一にも二にもテーマ、題材をどう料理するか。センテンスは短くわかりやすく、難しい言葉は使わない。気取らない。作者が酔わない。。。。ということですかな。
初心の作品の方が今読むとぐっとくる。やむにやまれず書いていたその迫力である。育児の最中で、あの頃はとにかく時間がなかった。それでも書いていた。ものを言うのと同じ。
30代初めSanukibungaku(一般的な漢字にしてください。検索除けのため)という同人雑誌に参加。主宰者は高校時代に文芸部をやって以来ずっと「文学ほっこ(方言でばかのこと)」を自称するN田氏、10年ほど前に亡くなられた。小児まひの後遺症で障害が残り、ご自分で印刷所をしておられた。
同人は掲載料を出していたけれど、雑誌を作るに当たってはN田氏の持ち出しも多かったと思う。昔はそういう人がいて、その周りに文学好きが集まり、一つの雰囲気=サロンを作っていた。N田氏は私設の文学館も作り、地元の文化のために一生をささげた人。もうあんな人はこれからは出ないだろう。私のこともとてもよくしてくれて、ものすごくお世話になった。
年に一度か二度の集まり、夫に子供を頼んで、新幹線はあったのかな、瀬戸大橋はなかったけどはるばると四国まで。文学の話をすると、やっと息ができたような、生きている実感があった。
おやおや、私としたことが、今さらこの歳で抒情に流れてる。
それからなんだったかな、そうそう広島市が市民からいろんなジャンルの文芸作品を募って本にするという事業が始まり、息子を体操教室に連れて行ったとき、センター街でそのポスターを見て応募したんだった。締切1月前くらいだったかな。
若かったですね。書けるもんですね。自慢モードごめんなさい。95枚くらいの小説を仕上げたのが締切数日前。当時はもちろん原稿用紙に手書き、ほとんど書き直す時間もなく、ただ言葉が出てきたのを書いただけ。これは二席になったかな。五万円もらった。
すみません、走るのが早い人は練習しなくても早いし、歌を一度聞いてすぐ歌える人もいるし、文章を書くのも身体能力。
しかし、すべての能力には段階があるわけで、いくら磨いても同人雑誌作家で終わる人、ノーベル文学賞まで行く国民作家といろいろ。でも言葉で思いを顕すのは人間にだけできること。それで人生を深く味わえればそれで充分。
それから10年余り、ある文芸誌の新人作家の現在という特集に入れてもらったけど、あれからだって四半世紀たつ。今はもう書いていない。
私の場合は寂しい時、辛い時の方が書けたと思う。そういう内容、書き方だった。それ風、ん、純文学風に書いたのは一応うまいけど、迫力がない。今は若い時のように寂しくもないし、辛くもないし、感情の振れもずいぶん小さくなった。人生のだいたいの見通しが立つからか?
前掲の同人雑誌、昭和40年頃掲載の短編がいきなり直木賞になったことがある。作者にとっては初めての小説。同期の芥川賞は大江健三郎である。今は、草野球からいきなり大リーグにというようなシンデレラストーリーがあるのかどうか。
文芸雑誌も増えたし、まずは新人賞応募ですかね。落ちても見どころある人は編集者からもう少し頑張ってみないかと連絡あるらしいので、文学を志す若い方、諦めずにとにかく書き続けてくださいね。
最近、ネット上で若い作家と連絡を取った。元々は息子の先輩という縁。近々処女作が出るそうな。本が出たら教えてもらうことになってるのでとても楽しみ。子供を育てながら頑張っている姿に昔の自分を重ねている。頑張ってーー!!
断捨離っていいですね。その前に一瞬、その時のことを思い出す。で、結局同人雑誌はもう一つのAkibungakuとともに、再び押入れの本棚の中に。断捨離になってなーーーーい!!
長文、深謝。