日記

日々のあれこれ
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郷愁風景

2006年09月29日 | 暮らし

きょうは広島駅まで用事があつたので、この間気になった看板を撮影。
広島から190円でこんな眺めが。
この付近は旧街道、原爆でも焼けなかったので古い街並みが残っている。
粗壁というのもいまではとっても珍しい。

しかし線路脇の細い道へ入りこみ古い看板を写す変なオバサン。

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キンポウゲ

2006年09月28日 | 暮らし
秋に咲く花。9/3に伊吹山で。

最近いいお天気が続くので、時間のあるときは外出している。
広島市内の旧山陽道は独特の風情がある。いつかゆっくり歩きたい。

来月、県人会の山歩きのグループが発足。早速入れてもらった。近場の山へ行くらしいが、電車バス利用のシンプルな会。今から楽しみである。

夫とは11年行動を共にしたが、ちょっと一休みするつもり。
姑も歳とったし後悔のないよう親孝行して欲しい。

七月、東京の義弟が娘二人を連れて帰省。姑も入れて五人でどこかへ遊びに行くと張り切っていたのに、夫を除いた四人で親戚の家に招待された。
兄らしくしたかったのに仲間はずれにされてショックだった模様。口には出さないが。

人は去りまた出会うもの。ある時期いろんなものをまとめて失うことがあるが、元気でさえいればまた新しい出会いがあろうというもの。

で、私達夫婦がこれから出会いたいのは息子のお嫁さんと孫。それなら遠慮なく可愛がることが出来るはず。と書く横のソファーで、服を着たまま爆睡する息子。AM:3:09
出会いへの道は険し。



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紅玉でジャム

2006年09月27日 | 暮らし
この間リンゴ狩りをした農園で紅玉を売っていた。2キロ、10個以上で525円と激安。
最近殆ど見なくなった紅玉だが、お菓子やサラダには歯ごたえがよくて適度な酸味があつて誠によろしい。

で、ジャムにしてみた。初めは丁寧に皮を剥いていたが、邪魔臭くなり、途中から芯を取るだけ。でもステンレスの厚手の鍋で、弱火でじっくり煮ると皮も食べられます。赤い色がきれい(と自画自賛)

瓶を煮沸消毒して・・・などと面倒なことはせず密閉容器へ。
ヨーグルトやパンにメチャクチャ合う。隣のお姑さんにもちょっと遅れた敬老の日のお祝いと一緒に届けた。

市販のジャムよりはとってもおいしい。素材の力。
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琺瑯への旅

2006年09月26日 | 歴史、社会、家族
(きょうは柄にもなくちょいと文学少女で笑)

 郷愁の光景。

あなたは思い出さないだろうか。
いつだったかも忘れた幼い頃、母親に連れられて遠い親戚のうちを訪ねたことを。

バスを乗り継ぎ、初めて行く知らない町。
角を何度も曲がり訪ねた小さな家で、母親は年配の女性と何か込み入った話をしている。

私は縁側から日当たりの悪い庭の名前の知らない下草を見ている。
母が手土産にしたのはほんの些細なもの。

思い直してまた家路を辿る母。来た道は遠く、バスはなかなか来ない。
寂れた商店街の寂れた看板。

母がクレパスを買ってくれる。「サクラクレパス」箱の色は濃い赤。
帰ったらたくさんの絵を描こう。
お姫様、お城、舞踏会、ドレス、ネックレス、ハイヒール、隣の国の王子様。

クレパスを持ちバスに揺られる私。
母はあの日、何を話しに行ったのだろう。
あの頃の母よりもずっと歳とってしまった今、そのことがようやく分かる気がする。

琺瑯看板。郷愁の光景。思い出は心に積み重なり、今も心を照らす。

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板橋アンティックドール美術館

2006年09月25日 | 旅行
1999年に出来た施設で、個人のコレクションを展示。
神戸の大丸神戸店近くにも似た施設はあるが、こちらの方がコレクションは多く、いいものが多かった。どれも精巧によく出来た人形。手作業のレースなど、収集にはとてもお金がかかっている。

但し、津和野へ来る観光客は観光バスでやって来て、中心部を散策するだけ。川を越してここまで来る人は少なく、ちょっと寂れていた。個人で美術館を維持するのも大変である。
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津和野

2006年09月25日 | 旅行
前に津和野へ行ったのは1993年の5月。その月の20日には、悪性ではないけれど私は病院で手術をすることになっていた。
今度いつ来れるかなと思いながら、家族全員で街を歩いたのが昨日のよう。

おかげで手術も無事終わり、その後何事もなくきょうまで来たわけで、まずはそのことに感謝しなければ。

あのあと1995年から急に山登りなどを始めたので、体力は前よりはあるかも。
今回も山の中腹の神社まで登り八分と表示があったが、根性で駆け上がって四分、すぐに駆け下りて往復七分だった。(ほかに自慢することないんかな)

神社から街を見る。川、線路、列車、家、運動会。秋の一日。
世は全てこともなし。ありがたや。
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SL山口号

2006年09月23日 | 旅行
きょうは新山口(旧小郡)から津和野までSLに乗った。
たいそうな人出である。出発前、人が群がって写真をパチパチ。乗務員もちょっと誇らしそうな顔をしていた。昭和初めをイメージした制服だそうで。

しかし蒸気機関車は馬力が安定しないのか、勾配のところで落ち葉でスリップ。デッキへ出ると煤だらけ。古きよき時代は不便で不潔な時代でもあったわけで。

23歳のツアーの添乗員の人はもちろんSLが走っていたのを知らない。
で、私が子供の頃は姫路から西は電化されてなくて、機関車を付け替えてたなんて昔話をした。
自由時間は食事を含めて二時間。アンティークドール美術館と太鼓台稲荷神社へ。最後は時間がなくて走って登り降り。ゼイゼイ、ハアハア、、、、
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小伊吹薊(こいぶきあざみ)

2006年09月22日 | 暮らし

伊吹山の固有種。花がたくさん集まってつく。花も草丈も小さい。
日当たりのいい遊歩道沿いに多く見られた。

最近ネガティブな内容が多いのでチョイと反省。見てくださる方だって面白くないはず。
どんなひどい日にも一つくらいはいいことがある。それに目を向けよう。とけなげで前向きな私。

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昨日のよかったこと。

好天。秋晴れでさらっとして気持ちがいい。

息子が二日連続でその日のうちに帰宅。物音で起こされず私も熟睡できた。

きょうは資源ごみ。昨夜のうちに本をごっそり捨てた。二階の廊下に積み上げていた雑誌(大量の文芸雑誌と貰った文芸同人誌)とインテリア雑誌(こちらは少し)。少しはすっきり。

青空の会の英語ページを更新した。留学経験のある会員がいてこなれた英語である(らしい=私には分からないけど。彼女はアメリカで真珠湾のことで吊るし上げにあい何にも知らなかったことを反省し会に入ったらしい)。

昨夜は夫は地元交響楽団の定期演奏会に。ゴミをまとめながら片手間に夕食を作ったら、案外早く出来た。食べたのは9時頃。

メニューは鯖の白味噌煮(スダチ入り←四国の友達から貰った)とうどん入り寄せ鍋。デザートに黄色いキウイをヨーグルトに混ぜて食べたらおいしかった。

と書き出しみれば、悪い日じゃなかった。
きょうもいい天気♪
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シシウド

2006年09月21日 | 暮らし
大きくなる。時には2メートルくらいに。花を見てお分かりのようにせり科。パセリ、三つ葉なども同じ仲間。でもこれが一番大きいかも。
夏から秋にかけて、高原で一番目立つ花。

伊吹山で 9/3

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 みまかれる美しきひとに
             立原道造


まなかひに幾たびか 立ちもとほつたかげは
うつし世に まぼろしとなつて 忘れられた
見知らぬ土地に 林檎(りんご)の花のにほふ頃
見おぼえのない とほい星夜の星空の下(もと)で

その空に夏と春の交代が慌しくはなかつたか
――嘗(かつ)てあなたのほほゑみは 僕のためにはなかつた
――あなたの声は 僕のためにはひびかなかつた
あなたのしづかな病と死は 夢のうちの歌のやうだ

こよひ湧くこの悲哀に灯をいれて
うちしほれた乏しい薔薇(ばら)をささげ あなたのために
傷ついた月のひかりといつしよに これは僕の通夜だ

おそらくはあなたの記憶に何のしるしも持たなかつた
そしてまたこのかなしみさへゆるされてはゐない者の――
《林檎みどりに結ぶ樹の下におもかげはとはに眠るべし》

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今年の夏はとうとう母に会わなかった。親不孝な娘である。
会うたびに息子を早く結婚させろとせかされる。
どこそこの誰はもう子供がいるとか、相手が決まっているとかいろいろ言われる。
電話でもその話ばかりである。

な~~んの持ち札もない私は黙って聞くしかない。その話はいいからと言っても、はいそうですかと黙る母でもない。ハイハイと親の話を聞くのがとってもストレス。

そう言えばその昔、無断で私のお見合いを設定して(強引過ぎる!!)、写真も見ずに三度お見合いさせられたことがある。(大学卒業直前~直後)
ったく、その気になれるわけないじゃないの。

R大学の数学の助教授、歯医者さん、最後が高校の物理かなんかの先生。
今はどうか知らないが、見合いに出てくる男性はみなさん地味で真面目で小柄だった。

私も小柄なので身長的には釣り合ってたんだけど、何しろ、母親が受けた話。「そんなにいい話ならお母さんが嫁に行ってよ」とその頃は言えなかった。悔しい。
だいいち、相手の方々にはとても失礼で申し訳ないことをしたと思う。

で、余り息子に結婚を無理強いしたくない私。
で、時間ばかりが過ぎていくけど、最近では諦め気味。
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四ツ葉鵯(ヨツバヒヨドリ)

2006年09月20日 | 暮らし

 また落葉林で
         立原道造

 いつの間に もう秋! 昨日は
 夏だつだ......おだやかな陽気な
 陽ざしが 林のなかに ざはめいてゐる
 ひとところ 草の葉のゆれるあたりに

 おまへが私のところからかへつて行つたときに
 あのあたりには うすい紫の花が咲いてゐた
 そしていま おまへは 告げてよこす
 私らは別離に耐へることが出来る と

 澄んだ空に 大きなひびきが
 鳴りわたる 出発のやうに
 私は雲を見る 私はとほい山脈を見る

 おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
 しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし......
 かへつて来て みたす日は いつかへり来る?
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 きく科、葉は輪生 伊吹山で 9/3
 
 
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下野草

2006年09月20日 | 暮らし

9/3に伊吹山で。夏の花だが咲き残っていた。園芸の世界では「京鹿の子」と雅な名前が。
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またある夜に
          立原道造

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭(なげや)のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷(とばり)のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈(みを)のやうに

その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう
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天人草

2006年09月19日 | 暮らし

伊吹山で。しそ科。花は地味。おしべが長く花から突き出る。ちょっとみると花びらが落ちた花のよう。

お詫び e-子さん、れんげさん先日はコメントありがとうございました。
どうお返事をしようかと思いながら何度も書き直して、おかげさまで気持ちの整理もつきました。

個人的な話にお付き合いくださってありがとう♪読む人はもう読んだと思うので、大胆に削除。レスもしていませんが、何卒お許しを。

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谷蕎麦

2006年09月19日 | 暮らし

タデ科のミゾソバやママコノシリヌグイはよく見るが、これは初めて。
白い花、葉はミゾソバと違って三角形でない。

この間、バスツアーで一緒になった年配の女性、お互い一人参加だったのでいろいろ話をした。

皇室の大ファンで、「愛子様に天皇になって欲しい」とのこと。私にはもちろん言いたいこともあったが、素朴な皇室ファンに何を言っても場が白けるだけ。黙っていた。

関西に暮らしたことがあるらしく「京都人は意地が悪い。それと飛鳥も」だとか。
まあ、京都はよく知られたところだが、なぜ飛鳥が?古都だと言う自負?観光客がどっと押し寄せるのでいつもいい顔ばかりしておれないしね。。訪ねる方のマナーも問題かもしれない。

「飛鳥なんて大体あっちから来たんだから」ともろ差別発言。いけませんねえ、戦前みたいに中国や朝鮮を見下していては21世紀の国際人とはいえません。

最近話題の高松塚古墳(@黒かびつき)、発見当初は朝鮮半島の古墳によく似た図柄があると話題になったが、その後研究は進んだのだろうか。

情報網のない時代、半島から来るのは文化だけではなく、文化を携えた人間。
高い文化をもった大勢の人間がやってきた時代、天皇家の祖先も朝鮮半島から来たのではという学説もある。

で問題になるのは大和川流域の古墳群。江戸末期、国家思想の高まりの中で整備され、名前が付けられたが、中は未調査。もし、明らかに半島出身と分かる遺物などが出てきたら、日本人の歴史感は根底からひっくり返るというものである。
現在のところ宮内庁が立ち入りを認めず、研究は全然されていないが。
途中で仁徳と崇神(だったと思う)を入れ替えたりして古墳自体に不確定要素多すぎ。

家父長的国家制度と中国、朝鮮を見下す歴史観を両輪として、日本は軍国主義への道を突き進んだ。もういい加減で古い時代の考えは捨てましょう。

女性も天皇になるのが今の時代ふさわしいと言う考えもありますが、天皇制がその制度の中にいる人を限りなく疎外する(ということは天皇家でないもの高貴でないと言う理由でで差別される存在)システムである以上、一刻も早く身分制の残滓を一掃し、国民に等しく与えられた基本的人権を享受してもらいたいもの。
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三つ葉弁慶草

2006年09月18日 | 暮らし

ちょっと変わった花である。伊吹山の頂上付近、岩場に咲いていた。乾燥に強い花。
葉は三、四枚が輪生するのでこの名前があるらしい。

台風一過、今日はいいお天気だった。広島県では前日、太田川や江の川が平野へ出てくる部分で氾濫、一人亡くなり、中国新聞の若い記者はいまだ行方不明である。

亡くなった人は2.30キロ下流、広島市内の京橋付近で見つかった。きょうその横を通ったが、川はまだ泥の色をしていて、大雨の名残があった。
こんな遠くまで流されるなんて、と思いながら胸の中で手を合わせた。

もうひとりの27歳の男性、まだ亡くなったと決まったわけではないけれど、どこまで流されたのだろう?
もしかして広島湾?新聞記者になり、これから活躍する若い人が行方不明なんていたましい。お母さんは私と同じ世代だろう。川岸をずっと歩いて探したい気分に違いない。
どんな形にせよ、早く早く見つかりますように。

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ニセイブキゼリ?

2006年09月14日 | 暮らし

この一週間、いろいろあってやっと伊吹山の写真を整理。
名前も仮に調べたものですが、この写真は特に好きです。
全ての色が入っている。造化の妙。

週末は台風直撃?せっかくの連休なのに。
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団塊の世代

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