日記

日々のあれこれ
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源氏物語@沢田研二=やばい!!

2008年09月28日 | 暮らし
写真は数年前、京都市文化会館(だったかな)の催しに展示していた、「野宮神社」の牛車。学芸員の方に薦められて、つい乗ってしまいましたが、本漆塗りのピカピカ、指紋などが付かないよう気を遣いました。
中国に発注して一千万円、国内で作ると五千万くらいかかるとか。フェラリーより高い!!!・・・

今年は源氏物語千年紀だそうで、各地でいろいろな催しが開かれている。
千年も前に書かれた物語が延々と読み継がれ、その時々の文化に影響を与えた例は世界的にも少ないのではないだろうか。

源氏物語は、乱暴にまとめてしまえば四季の移ろいに載せて、人の気持ちと運命の移り変わりをつづった物語。(←乱暴過ぎ?)
物語の本当の主人公は誰にも止められない時間の流れではないだろうか。出会って愛しあった者たちも、やがて別れ、亡くなっていく。喜びと悲しみ、嘆き、諦め、嘆息、人が呼吸するリズムで続いていく長い長い物語。

そして、永遠に続く愛がないからこそ、愛はより深く、恨みも嘆きも深くなると読み替えてもいいのかもしれない。

高校でも「いずれの御時にか…」と始まる「桐壺」そのほかを習ったけど、今でも教科書にはあるのだろうか。たぶんあると思う。あれは国民的教養のひとつだから。

でも、みんなのよく知っている源氏物語は映画、ドラマにしょっちゅうなっているようですが、案外そうでもないんですね。

映画だと戦後では長谷川一夫が2回(光源氏と、続編で薫大将)を。新源氏物語の市川雷蔵。あとは実写版では1966年と2001年のみ。源氏役は舞踏家と宝塚の元男役。

テレビドラマではだいぶ前の東山紀之さん、そして1980年の沢田研二さんなど。映画にしてもドラマにしても光源氏役に耐えられる男性が出てこないと、製作はないのかもしれません。時代劇でお金かかるから、こけたら大変でしょうし。

やばい!!

人妻、その相手は父親、父親は天皇とタブー三倍増し。恋愛はいやがうえにも盛り上がり、苦悩も三倍増し。表情でそれを表現するのは大変です。

非労働者の恋愛ゲーム、都中心、貴族中心の物語とある評論家が言っていたけど、現実の生活が厳しく夢もないから、物語に酔うという面もありますよね。

近くの亭主より、遠くの光源氏、これですよ。
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孤独を生ききる 瀬戸内寂聴 光文社文庫

2008年09月27日 | 読書
人生相談のスタイルの、エッセィ集とでも言えばいいのだろうか。
が、そこはそれ文化勲章までもらった作家なのでところどころにキラリと光る言葉が。広く読書し、実際にさまざまに修羅場を通ってきた人だけに説得力があるというか。。。。

人を愛するのは自分の責任、本当に自立した人間でないと本当に人を愛せないとか、年老いて誰も孤独になるが、孤独とは自由の裏返し、恐れるに足らないと言い切るのがすごいなと思う。

また男が浮気したとき、責めるだけではなくて逃げ道を一つ残して置くと、その逃げ道から帰ってくるものだというのもなかなか深い。実際に役立つ場面に遭遇しないよう願っていますが。

どこからでも読めて、人生や人間関係に思い惑った時に開いて読むのもいいかも。

写真は1984年ころでしょうか。息は可愛く私は若い!!!!!!
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「いくつかの場面」・・・沢田研二がしっとりとフォークしているアルバム

2008年09月26日 | 暮らし
広島ブログ

二、三日前、「You Tube」へリンクつけましたが、その中の「めぐり逢う日のために」をゆっくり聞きたくて、アルバム「いくつかの場面」をアマゾンで買いました。

まず一曲目、「時の過ぎ行くままに」阿久悠作詞はあまりに有名ですが、ほかは知らなかった曲ばかり。

元のLPアルバムは1975年発売、(LPアルバムって何?とお若い方の突っ込みは横に置いといて)、それを2005年にCDで作り直したものらしいです。

うわあ~、沢田研二さん、フォークしてますね。

作詞陣に及川恒平、西岡恭蔵、加藤登紀子、河島英吾…

中でも極めつけは及川恒平の「外は吹雪」、吹雪の夜、貧しい食卓を囲んで二人で誕生日のお祝いをするという詩は井上陽水と南こうせつの世界を足して二で割ったような感じ。大スター、ジュリーもこんな時代があったんですね。

「めぐり逢う日のために」の作詞は藤公之助という人、余情たっぷりで泣けます。

加藤登紀子の「流転」は、いきなり「男が一人で見る夢は…」と来るんですもの、マッチョな歌詞と沢田研二って、これくらいミスマッチもないと思うけど、頑張って唄いこなしている。

最後の「いくつかの場面」では昔の僕の周りにいた人たち、出来るならまたもう一度帰ってきて「やさしく肩をたたいて抱きしめてほしい」と唄っているその声がどう聞いても泣いている。
いろいろあったたんだろうな。辛かったんだろうなと聞き手がついほだされる唄い方。

アルバム全体から立ち上ってくる70年代の雰囲気、モノクロのジャケット写真、ご本人手書きの歌詞(これつて陽水さんの初期のいくつかのアルバムがそうでしたよね)、しっとりしていいですよね。

でも結局この路線は行かず、阿久悠の作詞でゴージャスな独自のスタイルを作り上げたんですよね。
グループサウンズからの過渡期、いろいろなスタイルを試していた一枚と言えるでしょうか。興味のある方はぜひ聞いてみてください。

なんか最近、歌謡曲の感想プログみたいになって…ファンの皆様、お気に触ったらごめんなさい。

写真は広島市内比治山へ登るエスカレーター。低い山ですが、坂道を使わず楽に上がれます。私は少しでもダイエットと無駄な努力中なので、ほとんど乗りませんけどね。
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Long Good-by@沢田研二

2008年09月25日 | 暮らし
広島ブログ

お若い方は知らないでしょうが、我が日本にはその昔、バンド編成で歌謡曲を歌う「グループサウンズ」なる流行歌のジャンルがあったんですよね。
イギリスでビートルズが生まれて、全世界を席巻した流れが日本にも上陸したと、私は思っていますけど。

ビートルズのリズムの力強さ、明快な歌詞、高校の教室でよく流行りましたね。それまでの価値観を覆し、若い人たちの思いををうまく代弁したとき、とんでもない大ブレイクが待っているのでしょうか。

その流れを受けてのわが国「グループサウンズ」、見た目はバンド編成で和製ビートルズ(そういえばずうとるびなんてグループもありました)はしかし、自分たちで歌は作らない、衣装もいかにもお仕着せのアイドルでそのころはあまり興味がありませんでした。
(というかこのころは私は学生で一人暮らしで、四年間ほとんどテレビを見なかったので、全盛期はよく知らないのです。すみません)

中でもトップグループのタイガース、彼らは完全にアイドルでしたよね。お顔がかわいくて、かわいい服を着て、自分たちが演奏しやすそうな、ファンが歌いやすそうな曲。ものすごい人気で、時代にうまくフィットしたんだと思います。
たぶんご本人たちもあれよあれよという間にスターになって、それはそれで素晴らしいことですが、本当に自分のやりたい事とずれてきてしまい、最後には嫌になったんだと思う。

きのうのNHKの番組にメンバーだった岸辺一徳さんが出て、解散コンサートのときの、ドラムの瞳みのるさんとのいきさつを話していた。
「一緒に帰ろう」「えっどこへ帰るの」「一緒に京都へ帰ろう」
自分は東京でやる事があると答えると中学時代からの大親友だった瞳さんは「一緒に帰らないならもう一生会わない」と言ったそうです。(眠りながら見たので多少ニュアンスは違っているかもしれません。再放送で確認してみます)

わあーーー泣けますね、この話。私の想像ですが、瞳さんは芸能界が嫌になったのでしょう。お人形のように扱われて、その裏で巨額のお金が動き、人気がなくなると見向きもされなくなる、それに嫌気がさしたのでしょうか。また昔のような仲のいい友達でいよう、そう言いたかったのでしょうか。無理とわかっていても。

彼は後に大学に入り、教師になったと聞きました。最初の頃は記憶している人もいてやりにくかったかもしれませんが、世間というのは次々新しいものに飛びついて、やがて騒がれなくなったと思います。
今思えばグループサウンズは凄い波でしたが、退潮も早かったと思います。

それから幾十年、みんなそれぞれあって、苦労もして60歳になって、ふと昔の友達を思う。
なんかしみじみしましたね。また一緒に酒でも飲もうと、ジュリーが切々と歌う。
なんか「われら中高年の歌」という気がしました。

でも若いときに訣別した人とは、二度と会えない、会ってはいけないという気もします。懐かしさで会ってもたぶん話が続かなくて、かえって今の距離を感じて寂しくなるだけでしょう。

青春の思い出は胸にしまい、時々古いアルバムを広げるように思い返して明日を頑張る…それでいいのかもしれませんね。

このブログ、閑散としていたのに急にアクセスが増えたんですよね。アイドルに感謝!!
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「英霊」への違和感・・・「我が窮状」 沢田研二

2008年09月24日 | 歴史、社会、家族
広島ブログ

我が窮状の中で一つだけ引っかかる言葉がある。
「英霊」…靖国神社と各地の同じ趣旨の神社に祀られているのが、戦死した軍人、兵士でそれを英霊と呼ぶ。

靖国神社への賛否はいろいろあり、人はどのような立場でも取れるわけだが、この歌の趣旨なら「英霊」というよりも犠牲者のほうがいいのではないだろうか。

戦争でなくなったのは靖国に祀られた日本の軍人、兵士だけではなく、その対象ではない日本の民間人、アジア太平洋地域の人たちと範囲は広い。そこへの目配りが感じられる言葉ならなおよかったと思う。

私の沢田研二体験。白島にある郵便貯金会館へ、両親と、今同居している人(=通称夫)と結婚式の打ち合わせに行ったのが1973年の二月ころ。

どこから沸いてきたかと思うほどのたくさんの若い女性が隣のホールから出てきた。ミニスカートの上にロングコート、ロングブーツ、ロングヘア。あとで沢田研二のコンサートがあったと知った。今は亡き実父が驚いていたのもはるか昔の話。

ホールはまだありますが、宿泊、宴会部門は市民球場横のメルパルクへ移転。市民球場も今年が最後。つくづく時代が流れたもの。
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我が窮状 沢田研二

2008年09月24日 | 歴史、社会、家族
広島ブログ

大変ストレートな詩で心に染みます。
「この窮状救えるのは静かに通る言葉」「許しあい信じよう」
これって夫婦喧嘩の仲直りのときにも使えそう。

22,3歳?

私は同い年なんですよね。この方が全盛期のころ、ファンは少し下の年齢層だったと思うけど、あまりにもかわいすぎて女の子みたいで、お人形さんのようにとっかえひっかえヒラヒラした服を着て、そのころのことあまり記憶してないのです。


今になれば、若い、美しい、というのは一つの価値だと素直にわかりますけどね。

60歳

どんな人も老いていく、時間だけはみんなに平等。それに少しほっとする自分がいます。そのころは私も若かったので、自分が年取ったときのことなど想像できなかったんですね。25歳の自分だって想像できなかったくらいだから。

それにしても、美男子が年取るのは、豪華絢爛、贅を極めた大宮殿が古びるような壮絶さがありますね。

朝日新聞の「ひと」欄でご本人が先日説明していましたよね。年とって気負いを捨てたときにこそ、ふと出てくる本音、これを見ていると年取るのもそう悪くないと思える今日この頃。
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「四国八十八ヶ所感情巡礼」 車谷長吉 文芸春秋

2008年09月22日 | 読書
広島ブログ
「お四国」をする人はたくさんいるが、そこは人間の業の深さを書く私小説作家、歩きながら何を思うのか興味があって読んだ。
元々は文学界に連載したものらしい。

私は宗旨が違うので、「お四国」はぴんと来ないのだが、娘時代、折々、親のドライブに付き合ったことはある。また実家が一宮寺と屋島寺の間の遍路道に近く、子供のころは白装束の歩き遍路の人がよく訪ねてきた。

今と違って「お四国」を巡るのは異郷をさ迷い歩くしかないさまざまな事情を抱えた人たち、もっぱら「お接待」を目当ての「なんちゃってお遍路」さんもいたと思う。
「ヘンド」というのが今で言うホームレスと同じような意味で使われていたので、あの格好で四国を歩くのには、私の場合抵抗がある。

この道中記の肝は帯にもあるように、「歩こうがバス、車で回ろうが、死んだらそれで終わり。極楽へ往生したいという欲望それ自体が悪である。地獄へ行ってもいいと覚悟することが大事である」という事であろう。

もちろん極楽へ行きたいので巡礼する人ばかりではなく、日常生活からはなれて自分を見つめなおしたいという、現代的な贅沢な動機の人も多いと思う。それはそれでいいと思う。宗教にあまり大きなことを期待せず、自分で解決する。歩く事はその糸口になると思う。

「実に地獄は一定棲家ぞかし」という歎異抄の深い一節が改めて心に染みる。残念ながら私は死後、魂だけが残るなんて考えないので、地獄も極楽もないのだが、そう思い定めるとずいぶんと吹っ切れたもんである。19歳のころでしたが。
自力の行はきっと脳内アドレナリンが分泌されて楽しいのでしょうね。比叡山の千日回峰行なんて、その極地。
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株の乱高下・・・狼狽は禁物

2008年09月19日 | 暮らし
我が家の「なんちゃって暖炉」。きょうはまだ30度もあり、見るだけで暑い汗、、、

広島ブログ
このところ全世界の経済が迷走状態、アメリカから始まった不景気がようやくここへ来て全世界に広がりつつあるようだ。

きょうは日経平均も大幅に上がったけれど、直近で売られすぎたので買戻しが入っただけ、ここで切り替えして上昇トレンドに入るとは思えない。アメリカの様子しだいというところだろうか。

投資に狼狽は禁物。そりゃジェットコースターみたいに下がってると「肝も冷える」という状態だけれど、いずれまた上がる、せめて投資額に戻るまでは持っておかないと、ね。と信仰のように自分に言い聞かせる日々。
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傷つけ合う家族 藤木美奈子 講談社文庫

2008年09月16日 | 読書
八幡高原、民宿の庭先のアジサイ 9/7

広島ブログ

子供のころの家族崩壊、義父からの性的虐待、初めの結婚での凄まじいDV…これでもか、これでもかというふうに悲惨な話のオンパレード。

二度目の結婚でやっと安心できる家庭を持ち、子供にも恵まれ、自分の体験を講演したり、差別される弱い人たちへの援助活動を行う。

心の傷を一つずつ克服していくところが感動的。言葉によって人間は癒される。力によって押さえつけられる関係はずっと続く事はありえない。それは人間関係でもそうだし、国と国とでも同じこと。
男性を告発するだけではなく、あらゆる面での暴力からの支配からどうやって抜け出せるか、しみじみと考えさせられた。
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田舎物件を探しているが・・・

2008年09月13日 | 暮らし
なかなかいいのがありません。
買うのは怖いので、賃貸ということになると、田舎でもアパートだったり。
で、値段が市内と変わらなかったり。これって物件が少ないからですかね。

息子のマンション、3DK駐車場込みで激安に比べたら、IK、駐車場別で高すぎ。
たまに田舎へいって遊ぶだけ…不動産も縁談も出会いだからと思って気長に探すことにします。

話題変わって自民党総裁選。一通り出揃いましたね。
劇場型政治と言うか、テレビに出たもん勝ち、テレビでどう見られるかってとっても大切なんですね。
いいことでも悪いことでも、とにかく出たものの勝ちって感じがします。

私はあまりテレビを見ないのだけど、いわゆる文化人とか政治家がお笑いタレントにいじられたりしているのを見ると、なんだかなあと思ってしまいます。

どちらが偉い、偉くないと言うことではなく、多く出ているものがブラウン管の中では偉いという構図が世の中を危うくしているのではないだろうかと。
わかりやすいスローガンを繰り返す。大衆受けするにはこれですよ。

誰をどう出すかは、テレビ局の編成部門で決めるのだろうけど、考えてみれば絶大な権力ですよね。
自分にとって何が大切か、惑わされずによく考えたいものです。

今回、与謝野晶子の子孫も。家で、明治の歌人はどう話されているのだろう。

旦那とテレビを見ていて、「結局時代を超えて人に影響を与えるのは文学作品である」などと言うと、「そんなことはない」と反論されましたけど。

明治の元勲たちは押しなべて歴史上の人物になっている。がしかし、与謝野晶子の「みだれ髪」の大胆な恋心、「君死に給うことなかれ」の正々堂々とした反戦思想…百年たっても励まされるではないですか。

与謝野晶子はたくさんの子供を筆一本で育てたたくましい人で、夫を愛し、歌を愛し、長い人生を力いっぱいに生きた人と私は理解している。
先の戦争中は戦争に協力する活動もしたらしいけど、それだけ締め付けが厳しかったことでしょう。今の時代から批判するのは簡単だけど、反戦といえば投獄される時代、どんな主義だって命と引き換えには出来ない。私はそう思います。

二度とそんな時代が来ないよう、しっかり騒ぎの行く末を見守りたいと思います。

写真は湿原に咲く「サワギキョウ」

広島ブログ
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八幡湿原@北広島町

2008年09月08日 | 旅行
広島ブログ

北広島町と言うよりも、芸北町のほうがわかりやすいかも。
八幡湿原の一つ、尾関沼です。この下は湿原になっていて、湿生植物がたくさん生えます。

別荘は無理なので、田舎へ出かけて、あぜ道を歩いてきました。
高原の植物をたくさん見て、野菜を買って帰宅。
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あ~別荘がほしい

2008年09月06日 | 暮らし
写真は昨日の誕生日プレゼント。長男はケーキのぬいぐるみと写真立て。次男はワイン。三男は音沙汰なし。元気でいると思うけど。

広島ブログ

別荘といっても、コテージみたいなんじゃなくて、古民家。広い座敷のある古い家。
その真ん中で、横になって文庫本を読む。

広島近辺の電車バスが便利なところはほとんど開けているし、風情ある田舎は車必須だし。運転、することはするけど、田舎道の運転は苦手です。溝があったり、信号もないし、怖い。

広島市内の二号線みたいに片側五車線くらいあると安心して走れる私。
ということで、涼しい別荘は夢のまた夢かな。民宿でもいいけど、民宿は昼間いられないので。

あ~どこか遠くへ行きたいなあ。便利な市内は暮らしやすいけど、たまにはのんびりしたいなあ。
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人は子供へと帰る

2008年09月05日 | 暮らし
最近特にそう思うようになった。
食べ物の好み、行きたいところ、見たいもの、したいことなどなど。

今の時期なら、涼しくなったしあぜ道をどこまでも歩くことかな。
家は古くていいので、広いほうがいい。開け放つと全部の部屋が続いているような。
今は二階の四つの部屋を私一人で使っている。といっても一部屋にPCを置き、もう一部屋で寝る。寝るのもそのときの気分で三か所くらいをローテーション。旦那とは体感温度が違うので、夏の間は別居。

デパートなどはとても疲れる。別に買うものもないし。

イギリスではグリーンツーリズムという、田舎道をどこまでも歩くレジャーがあり、年配のグループが歩いているのを見かけた。日本でもあればいいのにと思う。山へ行くのがきつくなった人にはいいと思うけど。

涼しくて古くて広い家、庭木がうんと茂り、外から見えない家に住みたいなあ。
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友達に会う・・・これってどうよ

2008年09月04日 | 歴史、社会、家族
広島ブログ

きのうの午後、久し振りに広島へ来た昔の友達に会い、本通りの喫茶店で話し込んでしまった。

相変わらず元気そうである。
お嬢ちゃん二人は結婚し、孫もいる身の上(うらやましい)、定年退職したご主人との二人暮らしだそうで(けっこう大変かも)、もう老後に突入したと笑っていた。
(ははは、歳のことはお互い見て見ぬ振りをしましょう)

悠々自適、何不自由ない暮らしと羨ましかったけど、過ぎたるは及ばざるが如し、ご主人がうっとおしいという話になった。
わかる、わかる、私なんか35年の結婚生活で、夫が家で昼ごはんを食べたのは22年間の長きにわたり、13年間だけは昼間まるまる夫の顔を見なくて済んだだけ、よおくわかります。

定年退職後って、二人がそれぞれ向き合うから、新たに結婚生活に踏み出すくらいの大変事。若いときと違ってお互い、自分の生活のパターンが出来上がっていて協調性はなくなっているからよけい大変かも。

それならいっそ、お互い干渉しない別行動がいいのかといえばそうでもないらしい。
「主人は会社の人たちとまだ付き合いがあって、月に一度日曜日にテニスをしてるんだけどね」
「いいじゃないの。たまには別行動で」と私が言うとそれが気になるという。
「既婚者だけど、女の人も二人いるの」
うーーーん、微妙な話になってきた。口にするほどではないけれど、なんとなく面白くないという。
「あなたも仲間に入ればいいじゃないの」と言うと、テニスはできないけど応援くらいはと思って地元のアマチュア大会を見に行ったけれど、女の人二人から「あなた誰?」というような扱いを受けたとのこと。

うーーーん、私がその二人だったらどうするかな。「いつもご主人様にお世話になっています」って挨拶くらいはすると思う。毎回車で送迎、たまには一緒に食事…なら挨拶があってもいいんでないの。

そして私が彼女だったら、夫相手に「あの人たちに馬鹿にされた。なんであんな人と付き合ってるのよ」と文句つけて大喧嘩になりそう。

でも彼女は私と違って黙っているので、ますますもやもやするのだと言う。
「嫌なら嫌ってはっきり言った方がいいよ。男って口にしないとわからないよ」と言ったら「自分にはできない」のだとか。

既婚者でも男の人にちやほやされるのが心地よい人っていますよね。それはもう体質みたいなもの。(ごめん、きつい言い方だったかも)
高校時代でも、もてる女の子の周りには公認の男友達がいても、自然とその他の男の子も集まり、楽しそうだったもの。彼女たちを軽薄とか思ってたけど、単に羨ましかっただけ。もてない女の僻みでございました。僻みってとっても大きなエネルギー、そのエネルギーを若いときはうまくコントロールできないものです。でも、そんな感情も、今になれば懐かしい。しみじみ。

でもその女性のご主人たちも何も言わないのだろうか。こちらも謎???
お守りをしてもらうので気が楽だとか????
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「漱石の孫」  夏目房之介

2008年09月03日 | 読書
アギナシ 放置水田など水辺に生える

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実業之日本社 2003年

1950年生まれ、夏目漱石の孫、漫画家の夏目房之介が漱石とどのように向き合ったかを自分史と重ねて書いている。

漱石の孫であることをテレビで話し、本に書くうちに
「こうしたことをくりかえすと、私的体験は次第に生々しさを失い、だんだん整理された説話のような類型になってゆく。自動販売機のボタンのように、コレを押せばアレが出てくるという自動的な反応になってゆくのだ」…

わかる、わかる。比べるのは誠に申し訳ないのだけど、一部の被爆者のお話を聞いて感じた違和感。整理されすぎて、話がきれいに整いすぎて、感動的な場面もあって…いずれも語り部活動を長くやってこられた方だった。
初めは自分の感情もうまく整理できず、つまずきながら、それでも話さなければならないという使命感で話すうちに「話が上手になった」という印象。それにケチをつけるわけでは毛頭ありませんが、上の一節が胸に落ちたのでした。

漱石の長男、純一(著者の父親)は潤沢な印税収入でヨーロッパに十年以上遊学。帰国後は東京フィルの主席ソリストだったが、死ぬ直前
「俺は本当しあわせだ。お前たちに看病されて、これから生まれ変わっても、こんなにしあわせになれるのかな」と言う。
それを受けての著者の思い
「死を受け入れた人間が最後に切実に望むのは、受け入れたこと自体を親しい者のに知ってもらい、わかちあうことだと」…

自分の親のとき、お舅さまのときを思ってこれも思い当たりましたね。本人が覚悟を決めてからものが言えなくなるまでの短い期間は、言葉の一つ一つが玉のように輝いているもの。その言葉によって残されたものは後ろから足元を照らされ励まされる。そんな感じですね。

漱石の肖像が千円札に採用されるとき、事前に当時の大蔵省からは夏目家には何の挨拶もなかったと言う。著者も父親もこういうことは嫌いな性質だし、漱石自身もそんなことを名誉に思う人ではないと言い切っている。

お札になったほかの人の子孫も一様に似たような反応というのが面白かった。
秘密裏にことをすすめ、名誉に思えということだろうか。でも自分のおじいさんがお札になるなんて、私だったらやっぱりとっても嫌。日本中で折り曲げられたり、しみじみと眺められたり、…平凡な庶民だった祖父に感謝。
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