日記

日々のあれこれ
前のはこちら→https://blog.goo.ne.jp/kawashima134

瀬戸「窯垣かまがきの小径こみち」

2012年05月30日 | 旅行

5/24 商店街を抜け、山裾の、かつて窯元が多くあった場所へ向かいます。ここは、窯の中で焼き物を作るときの棚板などを建設資材として再利用した独特の景観のあるところです。

瀬戸蔵ミュージアムで案内の資料を貰ったので、行ってみることにしました。

広い道沿いの駐車場から上がった場所に道はあります。昔は職人さんに行きかうメインの通りだったそうです。

使わなくなった窯道具が並んでいます。

道端のホタルブクロ。

きれいですね

静かです。

きれいに組んでいます。

道の途中にある「窯垣の小径資料館」で。元は窯元寺田家の建物です。

裏山。土止めに利用している窯道具。

本業タイルの風呂場。本業とは、瀬戸の陶土に磁器の土をかぶせて滑らかに仕上げた焼き物。全盛期は明治、大正期だそうで、銅版転写で繊細な模様が産み出されました。

手洗い。

休憩所でお茶をいただきながら、瀬戸の歴史のDVDを鑑賞。アメリカ人のグループはシカゴ郊外の美術系の短期大学、陶芸部門の先生と社会人の生徒さんだそうで。

定年退職して陶芸を習っている女性が、通訳しながら旅行しています。こちらへ来たきっかけは一人がたまたまネットで「窯垣の小径」のことを知り、ぜひ行きたいとこの場所をpin pointで訪ねてきたとのこと。陽気でfriendlyな人たちとしばし国際交流をする。

さらに道は続きます。おしゃれと言うか、雰囲気がありますね。モダンでどこか懐かしくて。

組み方にもこだわりが感じられます。人が全然いないのがまたいい感じです。GWは大勢の人出だったようですが。

二つ上の場所を下から写す。

緑陰の小路。五月の昼下がり。

近寄る。いい感じに古びています。

いろいろな形

再び街へ戻ります。今度は緩やかな下り坂です。車で通りすぎるより、歩いて楽しい道。

横道へそれる。廃業した工場。もしかしたら陶磁器に関連する仕事だったのかも。

陶磁器の人形ばかりを集めた骨董屋さん。覗いてみたけど、だあれもいません。いったいどこへ行ったのでしょう??

美しいものに触れ、心癒される瀬戸の旅でした。また行きたいものです。


 

本日5/30は午後から急に思い立って、はつかいちギャラリーのこんなものに。

いゃあ、こちらも素晴らしい作品の数々に感動しっぱなし。一つ一つがどれも手が込んでいて、デザイン的にもどんどん洗練されて、感動しまくり。一つ一つの作品に感動していたら、感動する気持ちが足りなくなったので、ぐっと心を落ち着け、もう一度ゆっくりと見た。気持ちがまた湧き起ってきて、最後までゆっくり見た。よかった。

きょうはおひとり様が三人、その他には私と同世代の夫婦とそのお母さんだけ。ゆっくり見られた。夫婦がいちいち説明文を大きな声で読み上げ、「きれいだねーーー」とか言いまくるのでうるさかったけど、そのうち気にならなくなった。

日本人は・・・と言う言い方は好きではないけれど、明治になって開国して、一生懸命焼き物を作ってたのがよくわかった。生地を瀬戸など産地で作り、絵付けは東京や横浜でしていたのは貿易の便からだと思います。

初期の作品は大きな壷の上に龍などを立体的に貼りつけた、しつこいほどの装飾過剰なのもありましたが、次第に洗練され、日本の陶磁器の意匠はアール、ヌーヴォウにも影響を与えたとか。そして日本でも欧米のデザインを日本的感性で解釈した作品がたくさん作られたのでした。

本日、特に私が感動したのは京焼の高さ20センチくらいの小品。真っ黒な、手桶の形の壷に青い朝顔が一輪。つるが柄の部分にまで絡まっているデザイン。過不足のない洗練された表現。

「朝顔に釣瓶取られてもらい水」の世界ですね。

次には瀬戸焼の縦長の花瓶。表、アジサイとカワラナデシコ、裏は菊。面白いのは下三分の一くらいは水色の籠でカバーしていると見せかけて、それも焼き物。籠状に編んだものをあとから貼り付けて焼いたと思う。しゃれたデザインです。

さらには何焼きか失念したけど、カキツバタの生える水辺。水の中には鯉もいる。輪郭をわざとぼかした優しい絵付け・・・とここまではよかったんだけど、なんとクワガタが葉の上にとまり、花びらを挟んでいる。

これ、ありえんだろ。水辺にクワガタなんているはずない!!。重いクワガタが、カキツバタの縦に伸びる柔らかい葉の上に乗れるわけがない。と、ひっかかってしまった。

どんな優れた技術も、こういうcareless missがあって楽しめなかった。絵柄は好きだったのに。残念。

作品は薩摩焼、瀬戸焼、などが多く、有田は案外少なかった。この間行ったばかりの瀬戸蔵ミュージアムの収蔵品も大作が多かった。

7月初めまであるそうなので、興味のある方は是非どうぞ。

 

 

 

 

 

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瀬戸を歩く

2012年05月29日 | 旅行

5/24 瀬戸へ行く。地下鉄大曽根で名鉄に乗り換えて終点まで。でもホテルは栄町のすぐ近く、直通で行けたのに知らないとは情けないことで。沿線はのんびりとした住宅地、途中の女子大で女の子たちが下りると下り方向は乗客も少なくてさらにのんびりと。

駅近くの窯元。昔、京都伊勢丹で買った織部の向付、100円安かった。こちらで作っているのかも。

瀬戸蔵ミュージアムは平日の午前中で、私のほかには訳ありらしい男女の二人連れのみ。瀬戸の焼きものづくりが詳しく展示してあります。

屋上展望台からの眺め。町の真ん中を瀬戸川が流れ、両側には山が。向かいの山の山頂で陶土を掘っています。

両側に山、真ん中川というのは佐賀県の有田も同じ。

どんどん歩いていくと商店街に。人は・・・いません。

脇の道からお年寄りが歩いてきました。

静かです。

商店街の中ほどにこんなお店が。瀬戸ノベルティって何?

主にアメリカへ輸出されていた陶器の人形だそうで。これは高さ70センチほど。繊細なレースのスカートをはいています。

こちらの展示物はほとんどが非売品。昔の高い技術を知ってもらうためのNPO法人だそうで、「写真撮って宣伝してください」とのことでした。

作り方。ひだを取ったレース生地に陶土を染み込ませ、後ろの土台に張り付けて焼成するそうです。欠けないように細心の注意を払って焼くのでしょう。素晴らしい技術です。

スカートにつける小花は、専門の工場で製造。瀬戸ではそれを「花屋」さんと呼ぶとか。1センチにも満たない小花の数々。どうやって作るのでしょう。細かな技術にただただ驚嘆。

いろいろ飾ってあります。

素晴らしい

手など細かな部分は別々に作ってあとで着けるとか。

1980年代ころまで、主にアメリカへ輸出されたそうです。ヨーロッパの陶磁器に次ぐランクとして、中流層によく売れたとか。

本家のマイセンから、どの人形だったか、よく似ていると訴訟を起こされたこともあったそうで。


しかし・・・・・・・円高でほとんどのメーカーは廃業したり、中国に工場を移したそうです。

こちら、工場のデッドストックだった白磁に現代のpainterが絵付けをしたもの。優しい色合いです。

絵付けの国家資格の試験は東京と瀬戸で行われるとのこと。

工場にはたくさんのデッドストックがあり、それを発掘して、絵付けをする人に販売するのも活動の一つ。まだ値付けをしていないそうで、販売してもらえませんでした。残念。

素晴らしい人形の数々を一人でじっくり拝見し、その技術の高さに圧倒され、それが円高で衰退する。その現場を見て、切なくなりました。

これからは何を作ればいいのでしょう。瀬戸は焼き物の町と同時に、名古屋への通勤圏として、郊外都市へと変貌しているようでもありました。

うーーーーーん、また行きたいようーーーー

瀬戸ノベルティの詳細はこちら→http://setonovelty.blog65.fc2.com/

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緑の季節

2012年05月28日 | 旅行

先日、前撮りをした結婚式場のロビーから中庭を写す。池の周りに竹が茂って、都会の喧騒を忘れるたたずまい。

こちらは名古屋市内で一番古い料亭、開業は17世紀前半、尾張藩が出来た直後らしい。以来延々とのれんを絶やすことなく来たけれど、近年経営者が変わり、イタリアンレストランと結婚式場ができたそうな。

広島で言うと三滝荘がこのパターンですね。三滝荘は旅館もしていて、確かマリリーモンローが野球選手の旦那さんと訪れたと聞きました。

前撮りのあとみんなでランチをいただいたけど、おいしかったです。

そこでの話、

息子「**ちゃん(我が家のただ一人の孫のこと)の引き出物はいい?」

私「いいよ、私がなんか買って持たせる」

息子「またあ、甘いんだから。泣いたらなんでもいうこと聞いて。わしなんか(広島の男性一人称は老若すべてわし)どんなに泣き叫んでも何にも買うてくれんかった」

私「嘘ばっかり。あんたにも買ってあげたよ」

と言いつつ、自分の子供は我儘になったらいけないと無制限におもちゃを買ったり、おもちゃを与えたりはしていない。そこが親と祖母の違い。息子よ、許されよ。あんたも孫ができたらわかる。その頃はたぶん私はこの世にいないけど。

最近の孫:

なぜか私によくなつく。体をぴたりと寄せてきてずっと抱かれている。ぽっちゃりとした脂肪が心地よいのかも。並んで座ると「ばあたん~♪」と笑顔で私の肩をたたいて親愛の情を示す。25日で二歳。成長著しく只今13キロ。先日は帰ったらどっと疲れて昼寝。翌日は腰が痛くてやっぱり寝ていた。

母乳だけで育ててずっと小さかったのに、今は標準より大きいらしい。息子も大きくて重くて大変だった。なかなか歩かなかったし。でもあの時は私も若かったから。

恐るべし。孫の体重。今度は夫に抱いてもらおう。

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名古屋レトロ

2012年05月28日 | 旅行

名古屋は大都会だけど、戦災を奇跡的に免れた一角にはかつての城下町の面影がそこかしこに。

五条橋・・・と言えば、京都みたいだけど、堀川に・・・と言えばまた京都みたいだけど、その堀川にかかる五条橋。

信長の故地、清洲から城下町全体をそっくり持ってきたのが「清洲越し」と呼ばれる事業で、昔の橋はその部材も使われていたとか。

落ち着いたたたずまいです。手前が高く、向こうに向かってかなり傾斜があります。

元禄時代の大火の後、道幅が四間に拡張され、堀川に沿って土蔵が作られた面影が今に残ります。

しげみちと読みます。

土蔵群

なごのと読むが、現在の名古屋城の場所にあった戦国時代の那古野城はなごやと読むらしい。

屋根の上に小さな神社が!!!!!!これにはびっくり。カメラの調子が悪い。結露してピンボケ。

月に二度、神事をするそうで。大変です。

路地

圓頓寺の門前町として栄えたのが圓頓寺商店街。昔は栄、大須と並ぶ繁華街だったそうですが、今は落ち着いたたたずまいです。

車の行きかう桜通りを横切り、名駅五丁目へ。

迷路のような路地が続きます。

屋根神さま

名古屋駅から10分くらいのところ。miracle!!!

記憶の中の街を歩いているような・・・


 

このあと、久屋大通り近くのホテルに旅装を解き、外出する。

歩いてテレビ塔へ

 

東京スカイツリーと違って人はまばら。

名古屋駅方面。日没間近。

素通しのエレベーターはスリル満点。高所恐怖症の人にはきついかも。


良い子のお小遣い帳 一日目

交通費 340 (市内電車、地下鉄)名古屋駅から息子と落ち合う場所までは気合で歩く。30分くらいかかった。

テレビ塔入場料 600  スカイツリーより安いはず。

食事3,618 (息子の昼食代1,400含む) ちなみに私は1,000円

小計 4,558円

その他に赤い風船名古屋ビジネスプラン 28,400 本当は25,200円のはずだったけど、早い便にしたので3,200円の割り増し。うーーーん、遅い便にして地下鉄で行けばよかったかも。

贅沢な買い物も豪華な食事もせず、ひたすら知らない街の古い街並みを歩く。心がほぐれて、本当の自分に戻る感じ。これぞ旅の醍醐味。一人旅ならばこそ。

 

 

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「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて 」 安田浩一

2012年05月26日 | 読書

インターネットの交流サイトから生まれた「在日特権を許さない市民の会」の内実について、会員に取材を重ねて上梓したルポルタージュ。

本を読む行為は、自分より優れた人の優れた行いに感動したり、知らなかったことを知った喜びだと思うが、この本の読後感は気分悪いの一言。

この会に集まる人は皆、社会の中で「自分はあぶれて居場所がない」という思いにとらわれており、そのうっぷん晴らしとして在日韓国朝鮮人を街頭で口汚くののしるのが主な活動だそうで。一人一人はおとなしくて目立たない人、その落差に著者も戸惑っている。

活動資金は主にカンパ。動画サイトに会が投稿したデモの様子を見て、500円、1000円と寄付する無名の人たち。。。。これが今の時代の気分なんだろう。

今の時代、右翼が社会を変えたいと思い、左翼は憲法を、民主主義を、平和を、人権を守る側。特権を持つ人を許さないという気分が、在特会の基盤でもある。

でも、在日の外国人ってそんなに特権があるんだろうか。彼らは自分の人生がうまくいかないのを人のせいにして騒いでいるだけでは。殺せーーーとか、ここには書けないような差別用語を白昼街頭でがなり立てるだけの運動って無視すればいいんだろうけど、大声とシンプルな主張はヒットラーの台頭を許したドイツの不景気の時代を連想して、思いっきり気分が悪い。

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だんだん盛り上がってきた

2012年05月25日 | 暮らし

留袖の縫い直しが今朝届いた。今度はきれいに柄があっていた。身幅がちょっと苦しいけど、何とか着付けで調整予定。柄がずれてるのはとっても見苦しいのでよかった、よかった。

着物を素直に広島の店で作ればいいものを、ちょっとしたことがあったので、地元では作らない。

今回は京都の「うさぎ堂」さん。とっても親切に対応してくれたので、今度また何かあったらお願いするつもり。今回は留袖と袋帯を作りました。

夕方、長襦袢も届く。絹はどうしても黄色くなるので、娘のころのはやっぱり着られないので。

昨日は午後から名古屋の大須観音あたりをフラフラと一人で歩いていた。米兵以外にも呉服のリサイクル店が多い。ポリエステルの夏用長襦袢などは新古品?が2,000円くらい。上手に利用したら、楽しく着物生活ができそうだけど、いかんせん遠すぎる。

留袖の着付け用のは全部そろったので、そろそろ送る用意もしなければ。レンタルなら全然暇なんだけど、一つ一つ点検するうちに次第に気分が盛り上がるはず。楽しんでやろう。

前撮りは硬苦しくなくいい雰囲気でできた。

 

見ているうちに、小さいころからのいろんなことを思い出して、泣けそうになった。いい人に巡り合って本当によかったなあとしみじみしていたら。。。。

扇子を持たされたらすることはひとつ。やっぱり、すると思ったよ。冷たいそばを食べて、つぎにハフハフと熱いうどんをすする。さすが元落研、大学の授業料も無駄にはなってないようで、けっこうでした。

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瀬戸を歩く

2012年05月25日 | 旅行

きのうは名鉄に乗って瀬戸まで。こちらも一人でフラフラと。風の向くまま、気の向くまま。

窯で使った部材を石の代わりに再利用した垣根。有田のとんばい塀と同じで、焼き物の産地にはその土地独特の景観があります。

これだけを見に、わざわざアメリカから来た短大美術家の先生たちと出会いました。

生産の拠点は中国に移したり、円高に耐え切れず廃業したりで、往時の繁栄を思わせる街並みも今は静か。

午前11時ころ。静か。

 

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名古屋の屋根神さま

2012年05月25日 | 旅行

おととい名古屋の町を一人でフラフラ歩いていたら、こんなものに行き当たりました。

屋根の上に小さな神社が乗っています。

説明版

 

 

桜通りを横切って南下、名駅5丁目のたたずまい

同じように屋根の上に神様が

防火用水、植木、物干し台。

子供を遊ばせながら立ち話をしているお母さんに「写真撮ってもいいんでしょうか」と聞くと「時々撮りに来る人がいる」とのこと。

名古屋駅から歩いて15分くらい、この付近は昔ながらのたたずまいの街が残っているのでした。

 

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何を履くか、それが問題

2012年05月22日 | 暮らし

水曜日、名古屋へ前撮りを見に行く。何着て行ったらいい?ちゃんとした服って全然持ってないし、昨日も夕方からデパートへ行ったんだけど、欲しいのが全然ないし。デパートの服、高すぎ。

ネット検索したら、前撮りに義理の親に来て欲しくないと思うお嫁さんもいるみたいで。緊張するのかな。

私は来てもらいたいと誘われたので、遠慮なくいくことにした。嫌がる人がいると知って、あまりはしゃいだりでしゃばったり、「きれい」を連発したりせず、邪魔せず黙って見ればいいんだと分かった。何しろ初めてなので。服装も今持っているもので何とか済ます。

長男の時は平日にとても休みが取れず、しなかった。式当日のビデオ撮影も本人は希望したのに「あとで見ないから」としなかった。11万と高額だったし。

でも、子供のころからものをねだることのなかったききわけのいい息子が初めてくらいの要求だったから、私が出してやればよかったと後悔している。成人式に振袖レンタルして、写真撮ってもそのくらいかかるのでは。それを思うとかわいそうなことをした。本人はもう忘れているだろうけど。

で、タイトルに戻って当日の履物。かかとの高いサンダルがいいんだけど、行ったついでに、一泊する予定にしている。自由席で往復するより、便数限定だけど、企画旅行タイプで往復指定席にホテル付けた方がまだ安い。これは遊べというJRと旅行会社の好意と受取ろう。

遊ぶからには、歩きやすいサンダルタイプのスニーカーは必須。場所は駅から地下鉄二駅、歩いても20分くらい。地下鉄乗るのはけっこう面倒、様子がわかってきたので歩く予定。

走ってきたというともっとおしゃれ?かかとのあるサンダルは背中に担いで、おばさんが名古屋の街をドスドスと走る。

写真は近所のバラ。小さい花がたくさん咲いて、素朴。子供のころはよく見かけたものですが。

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日食、見えました!!

2012年05月21日 | 暮らし

広島では最大に欠けるのが7:27:42とのこと、7:30頃外でしばらく待つと薄雲の向こうに細い円弧状のものが。

慌てて家にカメラを取りに帰り、しばらく待って写したもの。日食グラスも買いそびれ、諦めていたけれど、曇りだったのが幸いした。時刻は7:40。ラッキー(^O^)V

拡大するとこれ。この後また雲が厚くなり見えなくなりました。夫も外へ出たのに見逃してしまったので、今からmixiに画像をあげ、自慢する予定。

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「フラミンゴの村」 澤西祐典

2012年05月21日 | 読書

執筆当時、京都大学現役院生のすばる文学賞受賞作。

奇想天外な設定だけど、そうなったときに人はどのように行動するか、個人と共同体の軋轢がどのように生まれ、変化し、収束していくかを寓意的に書いた作品。

ベルギーの片田舎に住んでいたアダン氏、その古ぼけた手帳を偶然手に入れたところから物語は始まる。そこには信じがたいことだけど、一瞬にして妻がフラミンゴになってしまった時の狼狽ぶりが書かれていた。そして村中のほとんどの女性がわずかの期間にフラミンゴになっていた。。。。

カフカの変身が変身した側から書いてあるのに対して、こちらは身近なものが変身したのちの不条理な出来事を書いている。

狼狽し、受け入れ、周りからは隠し、そのためには殺人事件さえ起きる。共同で飼うことになったフラミンゴは印をつけていないので、元は誰だったかすぐに分からなくなる。鳥を身内として飼い続けることなんてばかげていると一人が言い始め、村人の間で対立が生まれる。

やがてフラミンゴは予想できない方法で消滅していく。村人は忌まわしい思い出のある村を離れて散り散りになり、新しい人生を始めていく。

フラミンゴとは何か。それは元は自分たちに属するものでありながら、突然、処理できない異物と化したもの。平穏な暮らしも、共同体の秩序も壊していくもの。2011年という年にこの小説が書かれたのは偶然ではないと思う。受賞時の選評がどんなものだったか私は知らないが、若い世代の感受性が書かせた意欲的で実験的な作品だと思う。

小説と違って現実には救いも結末もまだ見えない。と読むのは読み過ぎだろうか。

小説の末尾のオチはどう読めばいいのか、私にはまだわからない。

写真は2003年頃の夏、大分県の湯布院で。

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「昭和、あの日あの味」 月刊「望星」編集部

2012年05月19日 | 読書

2001年から2006年まで、雑誌に連載されたコラムを一冊にまとめたもの。66人の人がそれぞれ思い出の食べ物を簡潔に書いている。

コラムの趣旨として、まずいもの、辛かった思い出とともにあるものはないけれど、食は生きる基本、皆さんそれぞれにこだわり、嗜好がある。それがおもしろかった。こんな贅沢なものを食べたという自慢はなく、あっても秘境で食べた珍しいものくらい。

戦後すぐ、食料の乏しかった時代には一食を食べるのも大変だった。食べなければ生きてはいけないが、生きるために屈辱を感じることもある。食が取り持つ縁もある。

何を食べたかと言うことよりも、誰とどんな場面でということも食には大切。ほとんどそれに左右されるのでは。この本では誰も書いてないけど、食べ物が乏しい時代にはそれを独占できる、または人に分け与える立場にあることは命に直結するひとつの権力だったと思う。

食べ物の恨みは恐ろしいと昔から言われる。恨みは書けないのだろう。自分の受けた屈辱を晒すことになるから。そこまで書いてこそ食の奥深さに届くと思うけれど、ほかのことは書けてもひもじかったこととそれにまつわる辛いことは書けないのだなと思った。

子供が家にいるころ、ほかに話す場面がないので、つい小言を言ったりしていたら夫がよく怒っていた。食事の時だけは楽しく食べないと充分に胃液が出ず、消化に悪いそうな。そうですよね。心の通う家族や友人と囲む食卓こそ幸せと言うもの。たとえ質素な食べ物だとしても。気の張る場面での食事は、たとえごちそうでも食べた気がしませんよね。

どこからでも読めて、手軽な本でした。

 

 

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昔の写真だけど

2012年05月19日 | 暮らし

2005年1月ころでしょうか、近所に期間限定のバッタもんの店が。そこで買ったニットのパーカー税込50円。ニットは100%ウールでした。

しばらくしてその店へ再び出かける。左上から時計回りに50円、100円、200円、100円で合計が450円だったと記憶している。

このときは絵付けの教室で話したら、教室終わってみんなで行ってワイワイと楽しく買い物した。まるでお祭りの縁日気分。買い物の基本はこれですね。二階の部屋があまりに散らかっていたので、風呂敷に載せて写したんだったかな。。激しく合わない紫の色。。。。

こちら三男のシャツ。京都の新京極は修学旅行生のメッカ、そこで買ったらしい。値段は聞いてない。ガキデカのパクリと思われます。


来週、前撮りがあるので出かける。その時の母親の服装や如何とネットで検索したけど、結婚式の服装はあってもそんなもののアドバイスなんてない。

友人に「前撮りの時の服、どうしょう」と言ったら「最近は母親も一緒に写真撮るの???」と聞かれた。なわけないんである。私のはしゃぎようが尋常一様でなかったのかも。反省。

でも日本の結婚式はいろんなアイテムを詰め込んで満杯状態、そのうち親も一緒に写ったりして。

友人の息子さんはイタリア人と結婚するそうな。イタリアでは結婚式は教会で簡素に。あとは親族友人とレストランを借りて食事するだけでお金がかからないと喜んでいた。

息子の式は息子の友人からどんな話が出てくるのかと怖くもあり、楽しみでもあり。うーーーん、怖いのが勝ってるかな。

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古文書の同好会

2012年05月16日 | 暮らし

ずいぶん前の写真だけど、比治山トンネルで。モノクロにしてちょっと都会風に決めてみました。


二年間の入門コース初級、中級を終え、四月から同好会に通っている。60人くらいの大所帯、グループに分かれて教えあいこして、学芸員の指導を受ける。10年以上の方もいるとかで、遠くは尾道、三原からも。

若い時、もっと勉強していればと後悔ばかりしているが、何事も始めるのに遅すぎるというとはないと思い直し、頑張ることにした。

もう日付が変わったので今日になるけど、私の歓迎会をしてくださるそうで、ありがたいことである。場所は息子が高校の時、役員会でよく行ったお店。川のそばで、公園に面して気持ちがいい。

あれから何年たつのだろう。あのころのお母さんたち、お元気かしら。子供たちが同窓会をするように私たちもまた集まりたいけど、子供と親のその後の人生は人それぞれ。同じ学校に籍を置いていた時のお付き合いは、続けたいとよほど強く思わない限り、それきりになりがち。まあそれも仕方ないけど。

実証主義なんて・・・と若いころはまじめに勉強しなかった。今も、前日になって予習と復習を一気に済ませるという泥縄ぶり。取り掛かりは遅く、やり始めたら早いけど雑。いつもの癖が出たようで。これは一生の性癖のようにも思えます。

来週は名古屋へ行くし、着るものも揃えないといけないし、なんか急に暑くなりそうだし、前途多難。

季節の変わり目、健康に気を付けて乗り切ろう。

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服、一気買い

2012年05月15日 | 暮らし

月曜日は織りのお稽古へ。次の金曜日に行けるかどうかわからないので、その替わりに。

帰り道で服をあれこれ買った。

こちら五日市福屋で。フレンチスリーブ、チェニツク丈のブラウス。地味なドット柄。

昔祖母がこんな柄のスーツを着ていましたね。足元は先割れの靴下に草履。昔は男の人だって、背広に下駄履いてましたもんね。ちょいと地味なので横川駅で降りてこれに合わせるTシャツ買うことに。

横川駅周辺は物価が安いので好きです。思うにこれは、西国街道が市内堺町で雲石街道と分岐し、横川は山陰へと続く道の途中にあり、JRも山陽本線と可部線の分岐する交通の要衝であるがゆえに、市内外から集まる人を相手の庶民的な商売が発達したのでしょう。

で、結局これだけ買ってしまった。4枚のシャツの一気買い。

手前、半そで。金ピカの豪華なネックレスまでついて298円。レシートくれないバッタもんの店。ネックレスはあまりに豪華すぎて、重いし、しない予定。

その上は7分袖Tシャツ。こちらは倉庫のように商品山積みの店で発掘。その上はバッタもんの店の長袖、一番上は首の隠れるもの。同じく店で発掘。どちらも激安。

商品山積みの店は、在庫管理と商品の陳列はめちゃくちゃ。上から上から品物を置くので、下の方からは何が出てくるかわからない楽しさがある。

花柄、肩パット入り、人造パールに金縁のついたボタンで留めるという超レトロなブラウス多数。下着、靴下、カーテン、スリッパ、タオルなどなどが山積みになり、通路はランダムに置かれた品物で左右にうねっている。毎回、何が出てくるのか分からない楽しさがある。

買い物って、必要なものをお金と交換するというただそれだけのことだけど、買う時のワクワク感も楽しみの一つ。

デパートで店員さんにかしずかれて買うのもいいけれど、段ボール箱から発掘するのもとても楽しい。お客さんもお店の人も全然気取りがない。また遊びに来た~というノリ。

上に着るものとハンドバッグは目につくけど、Tシャツなどは消耗品と割り切り、その時々で好きな色を買うのも楽しい。

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団塊の世代

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